映画『マグノリアの花たち』
年齢も家族構成も異なる女性たちの友情を描いた作品のレビューです。
タフな人生を生き抜くために、女性たちが互いを激励しあいながら進んでいきます。
ネタバレします。
あらすじ
アメリカ南部の小さな町チンカピンでは、結婚式の準備が行われていた。
花嫁シェルビーとその母マリン、式に参列するクレリーは、美容院で身支度をする。
美容院の女主人トルーヴィと、美容師として働くため引っ越してきた新人アネルが、彼女たちと様々な話に興じながらヘアセットにあたる。
花婿となるジャクソンのこと、市長の未亡人であるクレリーの今後のことなど、お喋りの種は尽きることがない。
結婚式が終わったあとも、糖尿病を患う彼女の出産や、病状を慮る母マリンの葛藤、内気だったアネルの変貌、クレリーとウィザーの奇妙な友情など、人生の様々な場面が交錯していく。
物語の背景
本作はもともと舞台作品で、メインロールの6人の女性だけが登場する密室劇でした。
物語が書かれたきっかけは、書き手の実の妹が1型糖尿病を患い、命を賭して出産し、その後亡くなったことだそうです。
妹の人生は映画の中でシェルビーに投影されており、命を守るため妊娠を避けてほしいと思っていた母マリンの葛藤や、母娘を見守る友人たちの人生も描かれています。
マグノリアは、アメリカ南部を象徴する花で、原題もSteel Magnoliasです。
直訳は「鉄のマグノリア」で、花のように美しいけれど鉄のように強い南部の女性、という意味が込められています。
現実離れした展開や、ドラマチックな設定はありませんが、お互いの心情を分かち合いながら前に進んでいく彼女たちの姿に元気づけられる作品です。
シェルビーの人生
シェルビーの抱える1型糖尿病について、劇中では専門的な説明はありません。
しかし、妊娠は避けるように医師から言われている、と母マリンが話します。
妊娠・出産で命が危険にさらされること、体調が劇的に変わってしまうかもしれないことをシェルビーも知っています。
それでも、愛し合って結婚したジャクソンの子どもが欲しいこと、養子を申し込んでも体調がネックで認められないことから、出産を決意しました。
空っぽの長い人生より30分の充実した人生を
と言い切るシェルビーは、妊娠を喜んでくれないマリンに苛立ちを覚えます。
親と子は別の人間であり、望むことも違うのは当たり前だけど、娘の命を失いたくないマリンの葛藤は消えることはありません。
発作に襲われ亡くなったシェルビーの葬儀で、マリンは辛さを友人たちにぶつけます。
どうして娘が天国に行かなければならなかったのか、どうしてこんな悲しいことが起こらなければならないのか理解できない、と言う彼女に、
今のままではマリンや息子を守ることはできないから、いつでも皆の傍に居て、守ってあげられる場所に行ったんだ、とアネルが言います。
自分よりずっと若い、聖書マニアのアネルに言われて、マリンは到底納得してはいないのですが、誰もがどうにかして辛いことにも理由や区切りをつけ、進んでいかなければならないことを象徴する場面でした。
その後、クレリーの機転(≒悪知恵)や、シェルビーの息子の成長、アネルの妊娠など、新しい展開を迎えて人生が進んでいきます。
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シェルビーとマリンを取り巻く人々
母娘を取り巻く4人は、控えめに言って個性が濃すぎですが、2人を支える以外にも重要な役割を演じています。
美容院の女主人トルーヴィは、冒頭で彼女の信念を口にします。
「生まれつきの美人はいない」
「だから美容院の仕事が成り立つの」
Steel Magnoliasの原題に象徴されるのは美しさと強さですが、トルーヴィの言う通り美しさが生まれつき備わっている人はいないのと同時に、強さもまたそうではないでしょうか。
人生の中で様々な出来事に向き合う中で身に着けていくものです。
女性たちはトルーヴィの美容室で、美しさを整えると同時に、男性と一緒に暮らす社会から隔絶された女性同士のお喋りに興じます。
人生にもう一度立ち向かう強さを、お互いの出来事をさらけ出すことでもう一度充電しているかのようです。
クレリーとウィザーの2人も、たまに鬼気迫りつつ丁々発止のコメディを演じる、不思議な友情を披露しています。
正直クレリーはウィザーのことを面白がってたまに見下しているようなんですが、常に本気でぶつかって喧嘩も吹っ掛けてくるウィザーがいないとそれはそれでつまんないのではないでしょうか。
一番若く内気なアネルは、踏んだり蹴ったりな状態で町に引っ越してきますが、後半で明るく元気になり、家族も設ける彼女の活躍はとみに印象的です。
アネルの存在は、「自分次第でいくらでも人生は変えられる」というメッセージを持っていたのかもしれません。
おわりに
個性のベクトルが強烈ながらも、お互いを認め合いながら生きていく女性たちの姿に、しんみり勇気を貰える映画でした。
舞台作品としても非常に成功したコンテンツらしいので、世界中で色んな人を元気づけてきたことでしょう。
露骨な感動物じゃなくても、元気になれる映画をお探しの方にすすめたい作品です。
映画『ひまわり』
今年強化すると宣言したイタリア映画、ようやく2本目。
添い遂げることを誓い合った夫婦が、戦争によって引き裂かれる悲劇を描く名作です。
ネタバレします。
あらすじ
第二次世界大戦下のイタリア。
ナポリ出身の女性ジョバンナは、海岸で出会った男性アントニオと恋に落ちた。
アントニオはアフリカ戦線行きを控えていたが、12日間の結婚休暇を目当てにジョバンナと結婚する。
夫婦で幸せな日々を過ごすうちに、お互いを本気で愛するようになった2人。
一緒にいられるようにとアントニオが精神疾患を装うことを画策したが、間もなく詐病がばれてしまう。
アントニオは軍紀を破った懲罰としてソ連戦線へ送られてしまい、そのまま行方不明となる。
雪原で行軍の最中に消息が途絶えたアントニオを、終戦後も探し続けたジョバンナは、ついにソ連へ彼を探しに行くことを決意する。
率直でまっすぐな愛
ジョバンナとアントニオの愛情表現はいつも率直でまっすぐです。
THEイタリア映画な表現と言っても良いでしょう。
出会ったばかりの時の海岸での場面から、出征による別れが訪れるまで、2人の間には隠し事もわだかまりもありません。
短い期間ではありますが、プレゼントを贈り、それに喜び、大量のオムレツを作ってはしゃいだり、食べきれなくて嘆息したり、他愛ない感情を全力で共有しています。
明るい南イタリアの風景とともに、明るく深い愛が伝わってきます。
終戦後も続く悲劇
突然過酷なソ連戦線へ送られることが決まったアントニオを、ジョバンナは不安と惜別とともに送り出します。
戦争が終わっても彼の消息はわからず、雪中行軍の際に置き去りにされたことだけが伝えられました。
ソ連でアントニオを探し始めたジョバンナですが、イタリア人兵の大量の墓標や、亡くなったイタリア人たちの骨が埋まっているひまわり畑などを見せられます。
町中で出会ったイタリア人に声をかけても、「私は今やソ連人だ」と意味深なことを呟かれ、立ち去られます。
それでも諦めずに探し続けた彼女はアントニオの家を探し当てますが、そこにいたのは若い現地の女性と小さな女の子。
彼は雪原の中で少女に命を助けられ、彼女と家庭を持っていたのでした。
予測できなかった結果に、ジョバンナとともに言葉を失ってしまう場面です。
町で会ったイタリア人男性の意味深な発言の意味が、ここで判明しました。
ジョバンナはアントニオの出征時に彼と共に過ごす時間を失っただけでなく、この場面でもう一度アントニオとのつながりを絶たれます。
彼女はアントニオを2度喪失しなければならなかったと言えるでしょう。
戦争と人間
新しい妻との生活を始めたときには、それまでの記憶を失っていたアントニオですが、ジョバンナと再会してすべてを思い出したのか、動揺した表情を見せます。
ジョバンナは彼を振り切って電車に飛び乗り、大声で激しく泣いて悲しみを隠しません。
この様子が後の場面との印象的な対比になります。
ジョバンナはイタリアに帰り、辛い決別の記憶を乗り越えてミラノで新生活を始め、新しいパートナーもできました。
彼とはしゃいで喜ぶジョバンナは、序盤のアントニオとの出会いの頃と同じくらい生き生きしているように見えます。
そして、彼女と話をしに来たアントニオと会っても、お互い今の生活を捨てることはしません。
ソ連に帰る彼をミラノ中央駅で見送るジョバンナは、ソ連で彼を見つけたときとは対照的に、声を押し殺して咽び泣きます。
ソ連で泣いていた時は、失った愛や時間に絶望した涙だったけれど、
ミラノでは今ある幸せを捨てて彼と元通りにはなれないこと、彼との別離の辛さを乗り越えて生きていかなければならないことを覚悟した、もっと複雑な涙だったでしょう。
この映画では、運命の相手と思いあった男女でも、戦争に引き裂かれ、幸せを諦めなければならなかった悲しい描写が印象的です。
しかしそれ以上に、 辛い過去や命の危機を乗り越えて、新しい生活を始め、新たな家族との絆を築き始めた2人の逞しさに心を打たれます。
また、ソ連での行軍の長い描写を経て、人間の命も心も追い込む戦争の過酷さが入念に表現されていました。
ソ連での戦いを経験した男性たちの表情が一様に暗いのも、戦争と言う圧倒的な暴力の前で、人間の心がいかに簡単に挫かれてしまうかを示唆しています。
おわりに
ジョバンナはアントニオを2度失い、アントニオは生死の境をさまよう苦しみを味わいます。
気力も記憶も打ち砕かれるような思いを味わいつつも、それでも続いていく人生を生き抜いた姿が淡々と描かれ、悲しいながらも人間の強さを感じさせてくれます。
そして、アントニオのように過去をなかったことにして生きた人や、ジョバンナのように辛さを乗り越えて新たな人生を始めた人が、戦争によってどれほど生み出されただろうか、と考えさせられました。
フランス映画『シェルブールの雨傘』との共通点も多く感じる、非常にヨーロッパ映画らしい作品です。
映画『ベスト・フレンズ・ウェディング』
親友の男性の結婚式を目前に、彼を振り向かせようと奮闘するヒロインの映画のネタバレレビューです。
コメディとしてもドラマとしても珠玉の名作です。
先日引退報道があったキャメロン・ディアスの若く初々しい姿も印象的。
あらすじ
キャリアウーマンのジュールスは、元彼であり長年の親友でもあるマイケルと、28歳になってもお互い独身だったら結婚しようと約束していた。
そのマイケルから、28歳の誕生日の直前に電話がかかってくるが、「結婚式を挙げるので参列してほしい」と聞き言葉を失う。
今更ながら彼への気持ちに気付いて愕然とするものの、ジュールスは奮起して現地に向かう。
会ってみると、若く美しい婚約者キンバリーは、彼女と正反対のタイプだった。
しかし、どうしてもマイケルを諦めきれないジュールスは、結婚式を阻止しようと、本番までの数日間に様々な手を使って奔走することになる。
アラサーあるある
働くことに慣れてきた頃、次々に友人たちが結婚していくのは日本でもよくあることです。
いつまでも一緒に会ったり騒いだりできると思っていた仲間が、自身の人生の選択をしていくのは、自然なことですが少し寂しい時もあります。
ジュールスのように、過去の大事な相手と、友情以上恋愛未満の関係になった人もいるでしょう。
しかし、相手の人生の選択に際して、本当の気持ちに初めて気づくとなれば、いくら人生経験があったとしても大混乱です。
本作では、ジュールスの奮闘がコミカルに描かれ、観ている側は笑ったりハラハラしたりしながら彼女の作戦の成否を見守らざるを得ません。
若さの脅威キム
マイケルの婚約者キンバリー(キム)は、20歳の初々しい大学生で大富豪の娘です。
世慣れてキャリアもあるジュールスと正反対なので、ジュールスの良さを再考してもらえるようにあの手この手で印象操作が行われます。
ところが、若さが不利になるかと思いきや、キムはいつもピンチをチャンスに変えていきます。
苦手なカラオケを歌わされても、一生懸命歌う姿で周囲の声援を勝ち取ったり、
マイケルのプライドを傷つける提案をしてしまっても、彼に素直に謝ることでより絆を深めたり、
ジュールスが想像もできない、彼女自身ではとても成しえない方法で事態を解決します。
一生懸命さや素直さは若い時特有の武器で、ある程度色々な能力を身に着けたジュールスにはかえって使いこなせないものです。
実際、全編を通じてジュールスの素直になれなさや、強がりが本当の気持ちの邪魔をしています。
若いのに持てる力を全て発揮してマイケルとの関係を築くキムと、経験を積んだからこそなかなか踏み出せないジュールスの対比が印象的でした。
でも、若いからと言って誰もが一生懸命さや素直さを発揮できるわけではないので、キムの人格こそがマイケルにとって魅力的だったのは間違いありません。
行動的で力強いジュールスと、従順で優しいキムの、人間としてのキャラクターの対比も巧みでした。
大人の現実
マイケルに気持ちを言えないジュールスは、その場に来てくれたゲイの友人ジョージが婚約者だと嘘をついてしまいます。
祝福する周囲ですが、マイケルにとっても、ジュールスは特別な存在なので少し浮かない顔です。
しかし、人生は一度しかないし、パートナーは一人しか選べません。
ジュールスとの思い出がありつつも、マイケルはキムと一緒に人生を歩むことを決めています。
ジュールスは順調な人生を歩みながら、チャンスはいつでもあるとどこかで無意識に思っていたから、マイケルとの関係を特に変えなかったのでしょう。
現実には、人の気持ちは変わるし、時間は有限です。
収入や能力は増えていったとしても、時間は減っていくし人生は待ってくれません。
ジュールスとキムのドタバタを眺めているうちに、自分の気持ちに素直に向き合い、持っているチャンスには言い訳せずぶつかっていかなければ、と思わされます。
人生に決まったルートはないからこそ、本当に求めているものは自分で見定めて、チャンスがあればタイミングを逃してはいけない。
自分の人生を後悔なく生きられるようにできるのは自分しかいないから。
よく引用されるこの台詞が、映画の核心を突いていると思います。
「"愛してる"と言え、そう感じたら大声で。さもないとその瞬間は過ぎ去る」
おわりに
名作ですが地味に古い映画なので、携帯電話が完全に平野ノラさんのあれです。
勝手に人の業務用PCを開けてメールを送れるとか、セキュリティ甘々なところも懐かしい。
なお、ジュールスが結婚阻止のために打つ手段は割と色々最低なのですが、必死さがありつつも重過ぎないコメディになっていました。
ツッコミを入れつつ核心を指摘するジョージなど、登場人物間のバランスも絶妙です。
エンターテインメントとしての面白さがばっちりな上、人生や愛についてのメッセージも素敵な作品でした。
思い出が増えてきたアラサー世代にぴったりの映画です。
映画『デンジャラス・ビューティー』
破天荒な女性エージェントが活躍するコメディをご紹介します。
報われず悪態をつきながらも毎日奮闘している社会人に観てほしい。
あらすじ
FBIの女性エージェント、グレイシー・ハートは常に捜査の第一線に立ってきたが、仕事一辺倒でお洒落やファッションには興味がない。
そんな中、ある事件の捜査でミスをしたことで、仲間をケガさせてしまい落ち込んでいた。
一方、全米を騒がせている爆弾魔「シチズン」からミス・アメリカ最終選考会での爆破予告が届く。
露骨な警戒態勢は取れないと判断したFBIは、グレイシーにコンテスタントとなって潜入捜査をするよう命じる。
ミスの挽回も兼ねて渋々任務を引き受ける彼女だったが、服も化粧も立ち居振る舞いもミスコンの基準に達していない。
グレイシーを潜入させるため、一大プロジェクトが立ち上がることになった。
キレキレのコメディ
コメディの名に恥じぬ笑いどころが随所に散りばめられており、退屈しないこと間違いなしです。
グレイシーのタフさ、賢さと、彼女が苦手なものすべてが詰まったミスコンの世界がぶつかり合い、大胆な不協和音のようなハーモニーのような内容になっています。
男社会の中、身だしなみも、お洒落も気にしてこなかった彼女が、半ば全否定され、徹底的に改造されながら、美しいミス・ニュージャージーに生まれ変わっていく様子は嘆息を禁じえません。
もちろん上手くいかないことも多々ありますが、「仕事だから」頑張るグレイシーの奮闘ぶりも明るく笑わせてくれます。
また、頭脳明晰なグレイシーは、おネエな美容コンサルタントのヴィクター、ミス・アメリカ主催者のキャシーから、女性らしさ皆無なことを詰られても、キレキレの皮肉で切り返します。
黙って改造されているだけでなく、もうひと笑いさせてくれるのが秀逸です。
現実感のなさは、こういう映画である以上諦めてもらうしかありません。
見たことのない世界
グレイシーは頭脳もフィジカルも逞しい優秀な女性捜査官です。
今の職場で実力勝負を続けてきた彼女は、ミス・アメリカコンテストのことを「頭が空っぽの女が出るバカ女の品評会」と言って憚りません。
そして、コンテスタントとしてのマナーや心構えを説くヴィクターやキャシーにもたびたび反抗します。
しかし、肉体改造やメイクアップに多大なる戦力が投入され、現状から他のコンテスタントに追いつくために様々な仕込みを受け、
さらに、他州のミスコンを勝ち抜いてきた候補者たちと会って過ごす中で、何かが変わり始めます。
FBIとフィールドは(かなり)違っても、努力を積み上げ、自分との戦いを続けてきた女性たちは、グレイシーが思い描いていたバカ女とは少し違います。
新しい気付き
仕事は頼りないけど私生活は遊んでいる、モテる同僚エリックという人物がいます。
他の同僚と一緒にグレイシーをいじりつつ、何だかよく彼女に助けられている奴です。
ツッコミどころは色々ある男性ですが、意外と素直で優しく、頑張るグレイシーを援護したり、煮詰まっている彼女を励ましたりします。
君は賢い
こわもてだけど面白い
もっと力を抜けばいい
本当の君を知った人は君を好きに
男性社会に適応するべく頑張ってきた彼女に、いきなり女性らしくなれと言ってもそんなん今まで求められてきたことと違うし、
ていうかおっさんたち笑ってるけど、女性らしさを保つことがどんだけ不自然で大変なことかわかってんの?
君たち24時間働きながらスリムで禿げずに肌つやつやでいられるの?
…というフラストレーションが溜まりかけていた女性オーディエンスの気持ちを少しリリースしてくれる一言です。
仕事は頼りないけど、エリックはグレイシーのことを仕事仲間としても女性としても一人の人間としても、ちゃんと見ていてくれたのかなと思える場面でした。
仕事は頼りないけど。
おわりに
この映画の原題は“Miss Congeniality”で、「ミス・コンテストなどで、最も親切で一緒にいて楽しかった人として選ばれるタイトル」だそうです。
踏んだり蹴ったりな仕事に奮闘しつつも、想像もしなかったコンテスタントたちとの友情を築いたり、予想外の事件の結末を迎えたり、コメディ以外の要素も楽しい映画です。
グレイシーの奮闘ぶりと鋭い皮肉に笑った後は、「仕事頑張ろう」とまあまあ思えてきそうです。
映画『ライフ・イズ・ビューティフル』
イタリア映画不朽の名作その2をご紹介します。
結構ネタバレします。
観たことがなくても名前は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
あらすじ
1939年、北イタリアの静かな町にやってきたユダヤ系イタリア人の男性グイド。
彼は、小学校の先生をしている女性ドーラに一目ぼれして猛烈にアプローチする。
明るいグイドの愛に応えたドーラは彼とともに駆け落ちして結婚。
その後生まれた一人息子ジョズエと幸せに暮らしていた3人家族だが、次第に第二次世界大戦の影が忍び寄る。
ユダヤ系のグイドと、彼の血を引くジョズエは収容所に連行されてしまい、母と離ればなれになったジョズエは寂しさを隠せない。
息子のために、グイドはある「壮大な嘘」をつくことを決める。
そして、2人の大切な人であるドーラもまた、重大な決意を固めていた。
愛する人のためのユーモア
グイドは陽気な人物で、愛するドーラを楽しませるためにあらゆるユーモアを駆使します。
まるでファンタジーの世界のように、グイドといる時は、ドーラを取り巻く出来事が全て明るく優しくなるかのようです。
ドーラは彼と恋に落ち、二人の子ジョズエも明るい家庭ですくすくと育ちます。
グイドの冗談もユーモアも、全ては愛するドーラを笑わせ、大切なジョズエを幸せにするためなんだと実感する場面が続きます。
しかし、ユダヤ系のグイドとその子どもジョズエは強制収容所へ連行されることに。
ドーラがいないわずかな間に連れ去られた2人を追って、ドーラは自分もユダヤ人たちが連行される列車に乗り込みました。
グイドの嘘とは
ドーラを恋しがるジョズエに、グイドはあることを言い聞かせます。
「これはゲームだ」
「1000点集めたら勝ち」
「優勝すると本物の戦車がもらえる」
グイドは収容所生活をゲームに見立て、怖がって泣いたり、我儘を言ったら減点だと教えます。
辛さや寂しさを耐える理由と、家に帰ってママに会うという目標を与えたおかげで、ジョズエは上手いこと毎日生き抜きます。
収容所のルールを兵士がドイツ語で説明する時、一言もわからないグイドが翻訳に立候補し、対ジョズエのゲームの説明に変えてしまう場面があります。
周りの大人があっけにとられる中で、ジョズエだけが納得していた様子が思わず笑ってしまいました。
悲しみに明るさで立ち向かう
収容所内では、男性と女性は別々にされているため、ドーラとグイドたちは会えません。
そんななか、放送室に忍び込んで「今日は君の夢を見たよ!」と全所内にグイドが放送し、それをドーラが聞く場面では号泣不可避です。
離れていてもドーラに思いを伝えるグイドが、本当に幸せそうだからかもしれません。
グイドは常にドーラとジョズエのことを一番に考えています。
二人の幸せが、彼の幸せにとって最も重要なことだからです。
人が幸せを感じるのは感情に他なりませんが、グイドは誰よりも真剣に、大切な人の感情に寄り添っていました。
妻や息子を幸せにするためなら、彼は冗談も言うし、嘘もつくし、真実を隠しておどけることもできます。
グイドのユーモアは、戦争という重い影がかかる世界で、多くの人が心を蝕まれていた喪失感や悲しみ、恐怖から何よりも強く2人を守っていたのではないでしょうか。
大切な人の命を守るだけでなく、心も守ることで、人間を人間たらしめる部分が真摯に取り上げられているとも言えます。
戦争映画なのに暗さを感じない本作を観て、権力でもお金でもなく明るさで家族を守るグイドの姿に心底衝撃を受けました。
おわりに
戦争映画ではありますが、現実の出来事を知るための作品ではなく、「社会全体が悲しみや恐怖で抑圧されている時、人間が人間を守るために何ができるか?」が伝えられている映画だと思います。
家族のつながりが強いイタリアらしい光景も微笑ましく、こんな家族いたらいいなと感じてしまいます。
爽やかに号泣できる映画と言えばまずこの作品をお勧めしたいです。
映画『ホテル・ルワンダ』
大量虐殺が行われる中、一民間人として1200人以上の命を救ったホテルマンの物語です。
実在のルワンダ人ポール・ルセサバギナの体験を下敷きとしています。
解説多めです。
あらすじ
フツ族とツチ族の争いが、停戦により平和を迎えていたルワンダ。
しかし、大統領が突如暗殺されたことから国内の雰囲気は一変し、緊張感が急速に高まった。
多数派フツ族がプロパガンダに煽り立てられ、少数派ツチ族と穏健派フツ族を虐殺し始める。
ホテルの支配人ポール・ルセサバギナは自らはフツ族で、ツチ族の妻を持つ男性。
彼は、大統領暗殺直後から家族、そしてホテルにいたツチ族を守るため、自らの頭の回転だけを頼りにあらゆる手を尽くすことになる。
ルワンダ虐殺とは
1994年4月6日、ハビャリマナ大統領が暗殺されてから、ルワンダ愛国戦線が同国を制圧するまでの100日程度の間に起こった大規模なジェノサイドのことです。
ツチ族および穏健派フツ族がターゲットとなり、50万〜100万人(ルワンダ国民の10〜20%)が殺害されました。
殺害に及んだのは過激派フツ族ですが、民兵や、ごく普通の人々が虐殺に及んだことがわかっています。
これには、ラジオを主としたメディア・プロパガンダが組織的に行われ、対立感情が意図的に煽り立てられたという背景があります。
実はドイツやベルギーの植民地支配を受ける前には、ツチ族・フツ族の境目は曖昧なものでした。
劇中でも、外国人に訊かれた2人の女性が「私はフツ」「私はツチ」と答えるものの、傍から見ると全く違いがわからないと指摘されています。
外見的にはわからない違いですが、現地住民の対立があったほうが支配者側に都合がいいため、意図的に2者の対立と分断が演出されました。
その影響が残り続けた挙句に悲劇が起こってしまい、そして植民地支配者側だった西側諸国はこの事態を食い止めることができませんでした。
大切な人を守る
主人公のポール・ルセサバギナは、当初は家族以外の誰かを救おうとは特に考えていなかったように見えます。
しかし、目の前で何人もの人々が命を奪われようとする瞬間に立ち会ったときから、持っている知恵と材料をすべて駆使して、殺戮者と対峙します。
民兵のリーダーを買収したり、
外資系のホテルなので本国のオーナーとの電話で危機感を伝えて助力を得たり、
とにかくその場で発揮できる頭の回転を総動員していて、その聡明さと、命が危うい人々を助けたいという思いに驚愕します。
ホテルマンとしての仕事の中、交渉や対人スキルを身に着けたのだと思いますが、一歩間違えば殺されるかもしれない場面で、こうした行動に出られる人が一体どれほどいるのか…
ポールの能力や信念に驚かされるのは勿論なのですが、普通の人々が殺人者と化し、次々に罪のない人が死んでいく展開の中で、彼の行動は人間に対する最後の希望を持たせてくれるように感じました。
世界の無関心
ホテルには外国人記者も宿泊していましたが、虐殺が激化するにつれ撤退します。
彼らの映像が発信されれば「世界が助けてくれる」と期待するポールに、記者たちは声を落とします。
「これを見ても、人々は『怖いね』と言っただけでまたディナーを続けるだけです」
国連軍司令官も厳しい現実を指摘していました。
「彼らにとって、君らは『ニガー』でさえない」
同じアフリカ系でも、アメリカ人に起こったことであれば対応が執られるけれど、アフリカの片隅では誰も注目しない、ということでしょう。
ラジオで放送される西側国家の高官のインタビューも同様。
「ジェノサイドは止めなければならないのでは?」「ルワンダではジェノサイドが起こっているのでは?」と問われた高官は、「紛争ではありますがジェノサイドとまで言えるかどうかは…」等と苦しい言い逃れに終始します。
あまりに官僚的な対応に失望した人が、ラジオの電源を切る場面がやり切れませんでした。
無力な国連軍
ルワンダ虐殺が勃発した時、国内には国連平和維持部隊が駐留していました。
しかし、国連軍はルワンダ人を守れなかったことも、本作で描写されています。
当時の司令官は、国内の民兵組織が虐殺を企図して武装しつつあるとの情報を掴んでいながらも、権限がないために武器を押収できませんでした。
また、傷つけられて初めて自衛のために反撃してよいというルールのため、民兵たちが目の前に迫ってきても自分たちからは発砲できません。
積極的な応戦ができないなか、皆殺しにしようと向かってくる相手から人を守れるわけもなく、国連軍の限界が描かれ、そしてついに撤退を命じられます。
国連軍の兵士たちはルワンダ人ではないため、彼らの母国からは「他国の紛争のために我が国の若者が死ぬなんて」との批判を免れないことが理由の一つです。
誰も守ってくれないという現実が突き付けられる中、ポールとその家族、ホテルに避難した人々を取り巻く状況はますます悪化していきます。
おわりに
この映画は、「ルワンダ虐殺では何が起こったのか」という振り返りだけではなく、「世界はなぜルワンダを救えなかったのか」という反省も促しています。
人間がどれだけ残酷になれるのか、その殺意の前で官僚的対応しかできない組織の無力さ、無関心の残酷さ、あらゆる洞察が詰め込まれています。
観終わった後に「いったいこんな状況で何かできる人間がどれだけいるだろう」と思ってしまいますが、
そんな中で、ポールが奔走し家族や人々を守ろうとする姿を思い出すと、辛くも希望を感じられました。
ルワンダ虐殺について知るための最初の映画として、相応しい作品だと思います。
新学期・新年度に向けて頑張る勇気や元気をもらえる映画12選
もうすぐ4月、新学期・新年度がやってきますので、新生活に向けて元気が出そうな映画をまとめました。長い。
少年少女も若者も大人も、ぴったりくる作品が見つかれば幸いです。
少年少女たちの葛藤と成長
小学生・中学生・高校生などを主人公とした青春・成長物語を3つご紹介します。
1.遠い空の向こうに
高校生ホーマーは、炭鉱の町コールウッドで、1957年にソ連が打ち上げた衛星スプートニクを目撃。
片田舎の町で初めて「世界とつながった」経験から、自分もロケットを作って科学コンテストに優勝し、大学奨学金を得ようと思い立ちます。
広い世界を見るため、知性でチャンスをつかもうとするホーマーですが、炭鉱の仕事に誇りを持つ父は猛反対。
しかし、彼を温かく見守る母や恩師、友人たちの協力を得て一歩一歩前進します。
何度となく逆境に立ち向かいながら、夢を追い続けるホーマーに大人も子どもも勇気を貰えること請け合いの感動作です。
2.リトル・ダンサー
こちらも炭鉱の町の少年の話です。
小さなきっかけからバレエに興味を持った少年ビリーは、その才能を見い出され先生から特別にレッスンを受けます。
しかし、強い男になってほしいと望む父や兄から大反対されるうえ、炭鉱がストライキに揺れる中で家族を取り巻く緊迫感が高まります。
ビリーの才能と情熱を信じる先生とのぶつかり合いと、母親のいない少年ビリーの葛藤が印象的でした。
3.くちびるに歌を
長崎県・五島列島の中学校に、美人だけど無愛想な音楽教諭が赴任。
元ピアニストなのに一切ピアノを弾かない彼女は、合唱部員の反発を受けながらもコンクールに向けた指導にあたります。
最初は厳しいばかりの彼女が、徐々に生徒たちが抱えている悩みや葛藤に気づき、合唱をとおして彼らと人間同士として向き合うようになります。
それは、彼女自身の克服できない過去と対峙するきっかけでもありました。
五島列島の美しい風景も必見の、大人と子どもの青春映画です。
大人になりかけの若者の恋と成長
20歳前後の若者が主人公の映画3本。まだまだ成長途上!
4.あと1センチの恋
近すぎてきっかけがつかめない、幼馴染同士の恋を描いた作品です。
高校卒業間際に妊娠してしまったロージーは、いつも一緒だった親友アレックスの米国留学で離ればなれになります。
イギリスでの子育て、アメリカでの大学生活と別の道を歩む二人ですが、いつもお互いのことは忘れていません。
それにも関わらず、いつもすれ違いの人生を送る二人にはどんな結末が待ち受けるのか、ぜひきゅんきゅんしながら見守っていただきたいです。
ままならない人生に、もがきながら立ち向かうロージーの姿に激励されます。
5.スパニッシュ・アパートメント
留学にまつわる青春と成長を描いた映画です。
フランスからスペインのバルセロナへ留学した主人公が、文化の違いと新たな出会いにもまれながら奮闘します。
世界にはいろんな人がいて、一歩世界に踏み出してみれば驚きの連続で、そのたびに成長できること、
バックグラウンドが違っても意外と仲良くなるための方法は変わらないことなど、
留学したことのある人なら共感が有り余る場面が沢山あります。
誰とでもちょっとしたきっかけで恋が始まりそうなグザヴィエの様子は、留学生に限らず学生時代を思い起こさせること間違いなし。
刺激と驚きに溢れた学生の目線を通して、成長を求めて頑張る気力が湧いてきます。
6.百万円と苦虫女
ヒロインの鈴子は、ひょんなことからルームメイトと警察沙汰になってしまい、出戻った実家でも居辛くなって自立を決意します。
百万円を貯めて、誰も自分のことを知らない町に引っ越し、また百万円が貯まったら引っ越しと言う生活。
気楽さを求めて知り合いが一人もいない町に行くのに、引っ越し先で必ず煩わしい人間関係ができてしまいます。
鈴子は、そんな自分をとあるきっかけで見つめ直すことになります。
子どもより大人のほうが成長のきっかけは掴みづらくなりますが、大人になってもまだまだ気づけていないことも多いもの。
鈴子が自分と初めて向き合う場面は、観ている側としてもはっと気づかされる思いがしました。
新しい仕事と新しい世界
大人になっても、新しい仕事やキャリアの節目で成長したり葛藤したりします。
社会人の成長や気づきを熱く描いた映画も3本ご紹介。
7.インビクタス/敗けざる者たち
非白人隔離政策アパルトヘイトを撤廃し、黒人の大統領ネルソン・マンデラが就任した直後の南アフリカ。
何十年も人種間に横たわった溝が一夜にして消えるわけもなく、白人から黒人への差別が終わった今、黒人から白人への復讐が始まってしまうかもしれない。
そんな社会を一つにまとめ上げるべくマンデラ大統領が注目したのは、伝統的に強豪だったスポーツ、ラグビーです。
新しい南アフリカの存在感をラグビーW杯で示すべく、マンデラと、代表チームを取り巻く人々のヒューマンドラマが描かれます。
新しい使命を負ったラグビー南アフリカ代表キャプテン、そして大統領マンデラの情熱に感動させられる映画です。
8.メラニーは行く!
NYのファッション業界で成功をおさめ、市長の息子からプロポーズを受けたメラニーは、一見完全無欠な人生を送るキャリアウーマン。
しかし、秘密裏にアラバマの実家へ帰ったのは彼女の唯一最大の問題のため。
10代の時に結婚した夫との離婚が、実はまだ済んでいなかったためサインを迫るも、夫は応じてくれません。
仕方ないのでしばらく田舎に留まるも、故郷のダサさが耐え難かったり、都会に出て変わった自分を指摘されたりします。
市長の息子と、地元の夫との関係に最後まで目が離せないだけでなく、都会に出て頑張っているすべての人への応援歌でもある、明るいコメディです。
9.プラダを着た悪魔
新聞記者を目指す真面目な学生アンディは、たまたま見つけたファッション誌『ランウェイ』の編集長アシスタントに採用される。
編集長ミランダは美意識とパワハラの塊で、日々アンディや部下を迫害するとんでもない女性。
しかし、徐々にミランダのプロ意識や、一人の人間としての一面に気づかされます。
一方、新聞記者としての夢を見失って『ランウェイ』にのめり込んでいる、と友人や恋人から疑問を呈され葛藤します。
アンディとミランダの人間ドラマとコメディだけでなく、登場人物たちの豪華絢爛なファッションも見どころの傑作です。
人生は長く愛しい!
進学や就職と言った区切りのほか、人生の節目に思い出したくなる名作も3作。
10.ニュー・シネマ・パラダイス
イタリア・シチリア地方の片田舎に生まれたトトは、映画が大好きな男の子。
村の数少ない娯楽である映画館に出入りし、映写技師のアルフレードと友達のような師弟のような間柄だった。
成長していくトトは初恋、旅立ち、仕事での成功などを経験する。
しかし、長らく故郷を忘れていた彼が、あるきっかけで久々に里帰りすることになり、昔の思い出が蘇る。
「映画ってほんっとにいいもんですね!」と心から言いたくなるイタリア映画の名作。
あらすじ的に酸いも甘いも嚙み分けた大人向けに見えますが、若くして観ても大抵感動してしまう不思議な映画です。
11.Sex and the City 劇場版
何歳になっても人生を謳歌し、ジェンダーロールにも縛られない女性を描いた名作ドラマ『SATC』の劇場版です。
ついに結婚することになったキャリーとMr.ビッグですが、結婚式直前にビッグが迷いを口にしたことから修羅場に。
傷心のキャリーの立ち直りの他、シャーロット、ミランダ、サマンサも新しい人生の転換点を迎えてそれぞれ戸惑いや成長に直面します。
正解のない新しい時代の人生を、力強く生きていこうと思わせてくれるいつもの4人に、劇場版でも勇気を貰えます。
12.フォレスト・ガンプ 一期一会
アラバマ州生まれのフォレストは、人より知能指数が低く生まれてきましたが、邪心のない性格と俊足で次々と人生を切り開きます。
スポーツ推薦で大学へ行き、卒業後は入隊し、ベトナム戦争や、ピンポン外交と言った歴史の舞台にも踏み込む彼。
そして、幼馴染の少女ジェニーとは違った場面で何度も再会を繰り返します。
戦後アメリカの歴史と絡めながら、不思議な男性の人生を綴る本作は、なぜか観終わった後元気が出る映画として盤石の人気を誇ります。
ご紹介は以上です!
2と11以外はAmazonビデオで閲覧できますので、気になった方は是非各ページのリンクでチェックしてみてください(便利な時代になった)。
新しい季節が楽しくなりますように。