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書評、映画評など書き綴りたいと思います。

ドラマ『チェルノブイリ』

ソビエト連邦時代のウクライナで起こった、あまりに有名な原子力事故に基づくドラマのレビューです。

ドラマとしてのクオリティもさることながら、骨太なメッセージが胸を打つ秀作です。

全5話のドラマで、米国の制作会社HBOによって制作されました。

ネタバレでお送りします。

 

 

あらすじ

1986年、ソビエト時代のウクライナ

原発の静かな城下町プリピャチが、ある夜発電所の火災に見舞われる。

消防士や、火事を見物に行った町の人たちが間もなく身体の異変を訴えるが、原子力事故に対応できる人員はおらず混迷を極める。

ようやくソビエト連邦政府から専門家レガソフや議員シチェルビナが到着するも、重大事故発生を隠したい当局に動きを制限され、思うように対応できない。

一方、300キロ離れたベラルーシミンスクで、異常な高線量に気づいた核物理学者ホミュックは、事故の発生とその原因を突きとめる。

体面を重んじる政府が決して公表しないであろう原因を、何とかして世に知らしめたいレガソフ、シチェルビナ、ホミュックだが……


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本作のメッセージ

本作はソビエト連邦時代の1986年に起こった、チェルノブイリ原子力発電所での事故をもとにしています。

チェルノブイリ原発のあるプリピャチは現在のウクライナ北部。

陸路で侵攻したロシア軍が現在掌握していると伝えられています。

それもあってこのドラマを思い出したのですが、本作は原子力事故の恐ろしさもさることながら、隠蔽体質の罪深さを余すところなく描き出した作品となっています。

異常を訴える人が病院に殺到しても、プリピャチ市ではまだ数十時間、人々は普通の生活を続けていました。

避難指示も出ず、発電所で何が起こったかも伝えられていませんでした。

あまりに前代未聞の事故だったために、ことの重大さが把握しきれていなかったというのはありますが、だったらとにかく安全確保のためになるべく遠くへ住民を移動させてしかるべきなのに。

なぜか。

ソビエト連邦政府は、大規模な避難指示や、情報周知によって、重大事故を発生させてしまったと知れ渡ることを怖れていたためです。

連邦内の他の地域、ひいては西側諸国に状況を知られては、ソビエトの面目は丸つぶれになるからです。

 

後手後手の対応

しかし、あまりに大量の放射線が漏出したため、何百キロも離れた地点でも異常な線量の上昇が観測され、西側世界も「何かが起こっている」ことに気づきます。

事情を知る登場人物が「西ドイツのフランクフルトでは、子どもを外で遊ばせないようにしているらしい」という話をしているとき、プリピャチではまだ子どもたちが学校に通っていました。

その後、主人公レガソフ博士の訴えに基づき大規模な避難が始まるものの、連邦政府が避難指示を実施したのは控えめな範囲のみ。

まだ「それほどの大事故ではない」との体裁を保ちたい彼らに、博士が苛立ちを爆発させる一言が胸に刺さります。

私が世間知らずでバカなだけかもしれないが これが世の中ですか?

官僚や党員の無知で気まぐれな判断で 大勢の人が犠牲になるなんて

計画経済のもと、人々の仕事も給料も生活も、すべては国が管理している社会では、一般市民はひたすら国や行政機構に従うしかありません。

逆らえば暮らしそのものが危機に瀕するからです。

言い換えれば、生殺与奪を国に握られてしまうということです。

非常事態になっても、自分の生死に関わる情報すら、国の都合ひとつで知らせてもらえない。

 

さらに、放射線に汚染された資材を撤去するため、高線量下でも動作する機器をドイツから借りるも、なぜかすぐに使いものにならなくなってしまいます。

シチェルビナが政府に問い合わせると、ドイツから借りる際「どの程度の線量に耐えうる機械が欲しいか」を正確に伝えていなかったと判明。

正直な数字を伝えると、どれだけ深刻な事故が起こったかがドイツ側に知られてしまうためです。

この期に及んでもメンツ優先の姿勢に、シチェルビナも怒りを隠しきれません。

 

真実の公表をめぐって

もう一人のメインの登場人物ウラナ・ホミュックは、ベラルーシにいながら高線量に気づいて現地に駆け付け、事故の原因を探り始めます。

彼女は原子炉のもともとの仕様に問題があったこと、それを連邦政府が長年隠ぺいしてきたこと、問題を指摘した科学者の声も隠されていたことを突きとめます。

KGBも関わっていた機密を公表したら、自分たちの命が危ない。

KGBとの取引を考えるよう諫めるシチェルビナに、ホミュックは、大量の放射線を浴びた妊婦が産んだ子が、四時間で亡くなったことを告げます。

母体の放射線を代わりに吸収したことで、致命的な影響を受けたためです。

この国では子どもが母親を救って死ぬ

何が取引よ 命など惜しくない 真実を語らなきゃ

その訴えの切実さを象徴するように、最終話のタイトルは『真実』となっており、 レガソフ博士も事故の本質について下記のように語ります。

秘密と嘘ばかり それが我々の姿です

真実が牙を剥けば数々の嘘で隠し忘れようとする でも真実は消えない

嘘をつくたびに真実へのツケがたまる ツケは必ず払わされる

RBMK炉の爆発を招いた本当の原因は“嘘”だ

 

真実と安全

発電所に限らず、どんなプラントでも工場でも建設現場でも、安全は永遠の課題です。

そしてそのためには、今ある状況から客観的に危険要素を洗い出し、改善していくことが不可欠です。

だから、ヒヤリハット報告がたくさん上がってくるのは良い現場なんですよね。

「こんなにヒヤリハットがあるとは何事だ」と威圧されて、危険予知ができなくなっては本末転倒なので。

ドラマでは、それと正反対の状況が描き出され、隠蔽体質を常態化させている社会主義体制の問題点がありありと伝わってきます。

国がすべての権力を握り、権威主義がはびこると、都合の悪いことは隠してしまえとなる圧力が否応なく働くわけで。

こんな社会へ絶対に時計の針を巻き戻してはいけないと思うのですが、プーチンが目指しているのは”偉大なソビエト”の復活らしいですね……

 

第1話の最序盤は、事故が発生したその瞬間の運転員たちの会話から始まります。

この会話がまた違和感満載で、というのも誰一人として「何が起こったか」にまるで見当がついていない。

おいおい本当に運転員の会話か? となるのですが、のちに理由が明らかになります。

原子炉の出力を停止するための制御棒を動作させるとき、一時的に出力が上がってしまうという仕様上の欠陥について、彼らはまったく知らされていないのです。

かつてそれを指摘した論文はKGBによって機密扱いに。

ソビエト原子力技術は至高でなければならず、欠陥は許されないためです。

それを知らないままイレギュラーな実験をしたことが、炉の特性に作用して事故を招いてしまった。

 

ソビエトの原子炉

東日本大震災福島第一原子力発電所が危機に瀕していた時、Wikipediaチェルノブイリ原発事故のページを読んだ日本人は多いのではないでしょうか。

私もその一人です。

当時、事故の起こったきっかけが、制御棒の動作の際の特徴にあったことは明記されていました。

しかし、「何でこんな仕様の炉を使っていたんだ?」という疑問を解消する記述はなく、ずっと不思議でしたが、ドラマを見て謎が解けました。

西側の原子炉より安価に建設することができるこのタイプの炉を、ソビエトは使い続ける必要があったんですね。

「間違っていた」なんて絶対に認めるわけにいかないから。

でも、ソビエトのプライドのためにウクライナの人々が強いられた犠牲は、どうやって説明したらいいのか。

 

おわりに

立ち退きを求めるソビエト軍に対し、現地の老女が「革命が起こっても、戦争になってもこの土地を離れなかった。今回も離れない」と言い放つ場面は鬼気迫るものがありました。

ここが自分の生きる場所だから、という言外の訴えが伝わってきます。

今もウクライナに留まって暮らしたり、戦っている人たちも、守りたいものや離れたくない場所をそれぞれに持っているのだと思います。

現在のロシアは、権威主義と独裁がまかり通っている状況でしょうから、自浄作用や軌道修正は、ソビエト時代と同様に望みにくいと思います。

ドラマの中のレガソフやシチェルビナ(二人とも実在の人物です)のように行動できる人が、ロシアにどれだけいるのか。

単純に両軍の物量や人員の差を比べればウクライナの現実には厳しいものがありますが、西側世界からの制裁や支援が少しでも良い効果をもたらすことを祈っています。