本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

ドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』

ネットフリックスによる、米国政治の世界を舞台としたドラマシリーズをご紹介します。

ゲーム・オブ・スローンズ』が好きだった人ならきっと刺さる、権謀術数とパワーゲームの物語です!

頑張りますが一部ネタバレします。

 

 

あらすじ

米国ホワイトハウスにて、民主党議員のギャレット・ウォーカーが新大統領に任命された。

民主党議員のフランシス・アンダーウッド(フランク)は、選挙戦勝利のあかつきには国務長官に指名される予定だった。

しかし、ウォーカーの大統領就任直後、約束を反故にされてしまう。

怒りに燃えるフランクは、何としても望む権力を手にするため、妻クレアや秘書ダグとともに壮大な計略を企てる。

 

ドラマとしての見どころ

主人公フランクの望みはシンプルです。

それは、圧倒的な権力を手にすること。

「消えたり目減りしたりする可能性のある富より、持続するパワーである権力のほうがはるかに魅力的だ」という信念を持つ彼。

とにかく権力を持てれば良いので、自分の行動が正しいかどうか、などという問いはフランクの前でまったく意味を持ちません笑

演技、懐柔、合法違法の脅迫、ハニートラップ、あらゆる手段で権力を求めます。

当然、その強引さや、権謀術数の招く結果に違和感を覚える周囲から反発が出ることもあります。

しかし、相手を黙らせる手段もばっちり用意してあるので、彼らのこともとにかく押さえつけて前へ前へと進みます。

ホワイトハウスの面々はフランクとどっこいどっこいの腹黒さを誇るため、たいてい叩けばホコリが出てくるんですよね笑

人間としては極悪なはずのそんなフランクのことが、あまりに信念ブレなくて嫌いになれません。

現実世界ではこんな人が権力の頂点に立つのは嫌だと思うんですが、ドラマを観ているうちに気付けば共感し、応援していた人も多いのでは。

「何かを変えたいなら、正当な手段orクリーンな方法云々より、決定権限者に掛け合え」という社会人の鉄則も教えてくれる作品です笑

 

クレアというパートナー

フランクを支える結婚30年の妻がクレア・アンダーウッドです。

テキサスの裕福な家庭出身で、ハーバード大学法学部出身の彼女は、才色兼備のセレブリティ。

議員として駆け出しだったフランクを、実家の資金力で選挙戦に勝たせたという戦略的パートナーでもあります。

そして何より、フランクの権力への欲望を分かち合い、腹黒さも含めて認め合っている特別な絆がある。

なので、理屈でいえばフランクにとって最強のパートナーのはずなのに、ちょくちょく予測できない行動を引き起こします。

元カレになびいてみたり、世間からの目が気になるタイミングで出奔してみたり。

フランクの情動がブレずにわかりやすい分、クレアが不確定なパラメータになってストーリーを引っ掻き回す役割になっています。

議会の腹黒い面々をいかに出し抜くか、世間の目をいかに躱すかだけでなく、最愛の妻であり戦略的パートナーであるクレアとの関係をいかに維持するか、も重要な意味合いを持っているんですね。

 

チームの面々

クレア以外にも、フランクを支える重要なメンバーがいます。

筆頭秘書のダグ・スタンパーや、警護のエドワード・ミーチャム、ロビイストレミー・ダントン、ほかにも広報担当官や伝記作家、選挙対策コンサルタントなどが登場。

彼らの人間模様もまた、見逃せない要素の一つです。

出世したい野心は誰にでもあるうえ、フランクとの特別な絆を維持したい気持ち、いっぽうで偶然かかわった一般人への思いがせめぎあったり。

というわけで、彼らもクレアとどっこいどっこいに不安定です。

基本的にメリットのあるときにしか強調せず、ビジネスと割り切った議員仲間との関係のほうが健全じゃないかと思うくらい。

ダントツで不安定、かつ出番も多いのがベテラン秘書のダグ・スタンパー。

仕事一筋の独身男性で、アルコール依存症を克服した過去があります。

しんどい仕事をこなしつつ、アルコールの誘惑に打ち勝とうとする彼は、フランクを後押しするとある作戦の過程で、ひとりの女性と親しくなります。

この関係が後々まで尾を引き、ダグを明に暗に苛むことに。

広報担当のセスへの嫉妬や、選挙コンサルであるリアンへの対抗意識など、ある意味でもっとも人間味にあふれた人物と言えます。

 


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シーズンごとの楽しさ

ほかの海外ドラマの名作と同じく、本作も脚本の密度が高く、展開が速いという特徴があります。

そのため、シーズンを追うごとにフランクたちを取り巻く環境も変わっていきます。

国務長官になる約束を覆され、絶対に復讐してやると誓うのがシーズン1冒頭。

そして、転んではただでは起きないというか、手に入るはずだった権力をただ取り返すだけでは済みません。

手段を選ばず、当初の目的を達成してもさらにその先へと進みます。

シーズン2になるとある程度の権力を手にし、闘う相手が絞られてきます。

そのためシーズン1ほどの盛りだくさん感(フロントラインにいるからこその泥臭さや、どこから弾が飛んでくるかわからない緊張感)はないかもしれません。

しかし、フランクのターゲットがより高みに引き上げられ、クレアとの連携も深まっていく展開は見ごたえがあります。

出世してポジションが上がれば上がるほど、野望を叶えるハードルは下がり、敵を倒すパワーは増していくなかで、次シーズン以降どう緊迫の展開が続いていくのか……と思いましたが、そこは心配無用。

ついに大統領の椅子を手にしてシーズン3に突入すると、強敵が現れます。

これまでは国内で権力闘争していれば良かったのに、今度は外交上の敵が登場。

すなわち、「これ明らかにプーチンだろ」というロシアトップが出て来たことで、シーズン2の停滞が打破されました。

さらに、今まであまりに手段を選ばなかったことの因果が返ってくる形で、フランクの足元が揺らぎだします。

汚い手段も厭わなかったせいで、きれいごとを言っても最早誰も信じてくれません。笑

情緒ではなく損得勘定に訴えて味方につけようとしても、「たとえメリットがあってもこいつと組んで大丈夫なのか?」と警戒されまくりです。

組むメリットがなくなったらあっさり切り捨てられるのは皆知ってますし。

これにより、ストーリーが先の見えなさを取り戻しました。

クレアも絶好調に不安定で、特に後半で揺さぶりをかけてきます。

しかし『ザ・クラウン』のフィリップといい、本作のクレアといい、人は誰かに幸せにしてもらうことはできないんだなと思わされます。

自分で築いたと思える場所でないと本当に満たされることはできなくて、どんなに豊かでも正体不明の焦りや劣等感がつきまとう。

シーズン3序盤でクレアの言った「そろそろ助手席から運転席に移りたい」というセリフがすべてかもしれません。

続くシーズン4でも大事件が起き、ここでもフランクとクレアの関係が大きく変わります。

ふたりの足元を揺るがす新たな因子も着々と力をためていて、さらに先が見逃せません。

 

映像作品として

やや暗めの色合いの落ち着いた映像や、バリっと決まったビジネスファッション、隅々までリアリティとクールさに満ち溢れた美術など、映像のクオリティは折り紙付き。

さすがは莫大な資金力を持つネットフリックスの御業です。

そして主演のケヴィン・スペイシーロビン・ライトの安定感がすごい。

脇を支える面々ももちろん強力なのですが、特にクレア役のロビン・ライトの無敵感はときに後光が差して見えます笑

こんなにカメラ映えして、頭脳明晰で、社会貢献NPOまで運営してたパートナーがいたら、いろんな意味で平常心でいられませんね……

演出としては、ときどき主人公のフランクが視聴者のほうをむいて説明を加えたり、感想をつぶやいたりするところが特筆すべきポイント。

最初は何だこれと思うかもしれませんが、世界観が紹介され切っていくにつれ、説明は抑えめになります。

同時に面白さも加速していくので、ちょっと違和感があっても堪えて見続けてください!笑

 

おわりに

権力闘争をドラマとして芸術的に面白く描き出した作品です。

悪人が主人公という、背徳感のある構成も手伝って、ついつい先を追いたくなります。

ときに展開がずっしり重くなり、見続けるのがつらい時もありますが、それも展開が濃ければこそ。

権力に騙されないために、敵を知るという意味でも、たくさんの方に観ていただきたい作品です。

 

 

 

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映画『黄泉がえり』

竹内結子さんの訃報を聞いて再鑑賞しました。

草彅剛さん、竹内結子さんの二人がメインキャストです。

観たのが大昔だったのでかなり忘れていました。

いつも通りネタバレでお送りします。

 

 

あらすじ

熊本県阿蘇地域で、死んだ人々がよみがえり、生前近しかった人々の前に現れるという現象が多発する。

霞が関の官僚の平太は事態の究明をはかるべく、自身の地元である現地に派遣される。

半信半疑だった平太だが、間違いなく眼前で生きて動く黄泉がえりの人々を目の当たりにする。

いっぽう、平太の幼馴染の葵は、勤務する役場へ「死亡届を取り消したい」と訪れる人びとに困惑する。

葵と再会し、阿蘇の状況をともに探る平太は、葵の亡くなった婚約者で、幼馴染の俊介が黄泉がえる可能性に翻弄されることになる。

既に黄泉がえった人々は、親しかった人々と絆を確かめ合い、穏やかな暮らしを送り始めたかに見えたが……

 

死と癒やしを見つめるヒューマンドラマ

最初に触れておきたいのは、黄泉がえりの謎は最後まで解けないということです。

ミステリやSFではなくヒューマンドラマだということを念頭にご覧いただきたい作品です。

死んだ人たちとの再会の群像劇が、一つ一つは短いのに少しずつグッときます。

知っていた誰かが死ぬということは、その人と過ごした時間がそこで止まる、ということなんだということに気付かされます。

生き残った人々は、その止まった時間を自分の中に抱えながら、その後を生きていきます。

喪失があまりにも大きければ、止まった時間によって血の通わなくなる部分があまりに大きすぎて、生き残った人の熱を奪いすぎてしまうのかもしれません。

でも傷が治るように、止まった時間が心に占める割合を、少しずつ小さくしていく癒しの過程があるのでしょう。

葵がカウンセラーの先生に心情を吐露しながら、一歩一歩回復していたのと同じように。

そして、よみがえった人ともう一度時間を共有した人々は、言えなかった言葉を伝え合ったり、共有した記憶を改めて噛みしめることで、その癒しの過程を早めることができました。

だから、よみがえったのは死者というより、残された人々の心なんだ、というのがラストシーンのメッセージなのでしょう。

 

辛い別れのなかでこそ光るもの

本作では、黄泉がえった人々と再会し、ふたたび絆を深め合う人々の群像劇が描かれます。

長く連れ添った夫婦、幼くして子どもを亡くした母、自殺で亡くなった中学生とクラスメイト、出産で亡くなった女性の夫と娘、少年のころに亡くなった兄と大人になった弟など。

再会した人々の心からの笑顔を見ると、別れが深い悲しみを伴うことは、相手がそれだけ大切な人だったことのあらわれだと実感します。

強い思いが人をよみがえらせ、亡くなった人との関係性を再確認する。

その場面の一つ一つが、どこかしら観ている人の記憶に重なるところがあるのではないでしょうか。

個人的に、端役の老夫婦の話は前から好きだったのですが、英也と兄ちゃんの関係もとても良いなと思いました。

年齢はもうとっくに追い抜いてるのに、兄ちゃんに頼りたかった気持ちをあらためて癒しているようで。

それに自然に応える兄ちゃんが泣けます。

大切な人だからこそ、別れは悲しく辛いものになります。

でも、大切な人との思い出があるからこそ、その記憶から引き続き生きるための熱をもらうことができるのかもしれません。

温かい記憶が、もう少し生き続ける勇気をくれる。

そう確かめることができたから、再会を経験した人々の顔が、ふたたび別れを迎えても晴れ晴れしていたのでしょう。

生き返った人々は、しばらく経ったら再び阿蘇の大地に還ってしまいましたが、彼らとの記憶は新しく人々の心を支えてくれたわけです。

 

映像作品として

舞台となる阿蘇エリアでのロケをみっちりやって撮ったことがわかる風景の数々が詰め込まれています。

現地に行ったことのある人なら懐かしく感じる味がありました。

山並みの見える風景とか、斜面を走る道路の渋滞とか、あ、と思うんですよね。

細かい違和感やセリフの古さはあるのですが(何で大事な待ち合わせの場所をカオスなライブ会場にしてしまうんだ!とか、俊介との会話がベタだなあとか)、終盤の盛り上がりは主演のふたりと、柴咲コウさんの音楽に強力に支えられていました。

ライブシーンでRUIもとい柴咲コウさんの歌う『泪月―oboro―』と『月のしずく』は圧巻です。

黄泉という場所は日本古来の死後の世界の概念です。

大陸から仏教が入ってくる以前からのもので、そこでは人は生まれ変わることなく、死後はずっと黄泉にいます。

生まれ変わらないからこそ、死んだ人がそのまま戻ってくる=黄泉がえることができたんですね。

古代の言葉の息づきを感じる言葉選び、大切な相手への思いがこもった歌詞は、竹内結子さんや草彅剛さんの熱演と相まって涙腺を刺激します。

ミステリアスだけど強く感情に訴える、不思議な場面です。

竹内結子さんがもう生きていないと思って観るからか、「もっと一緒にいたかった」のセリフもひときわ重みがありました。

 

おわりに

余談ですが、伊勢谷友介さんや極楽とんぼ山本さんといった、今じゃ見られない人々がたくさん出ていて、時間の経過を感じる作品でした。

田中邦衛さん、伊東美咲さん、田辺誠一さん、長澤まさみさん、市原隼人さん……と脇の方々がめちゃくちゃ豪華なのも印象的です。

また、俳優さん、女優さんの自死が相次いでいるなか、死と別れについてとみに考えさせられる映画です。

死が悲しい別れであることは事実ですが、どれだけ大切な人だったか確認し、その人に関する大切な記憶を持ち続ける重要さを教えてくれるお話だと思います。

願うらくは、亡くなった芸能人の方々についても、多くの人がそうした向き合い方をできたらいいな、と感じました。

 

 

 

 

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映画『サンセット大通り』

歳を取るのが怖くなる要素を詰め込んだ、フィルム・ノワールの秀作をご紹介します。

脚本の神様ビリー・ワイルダーによる作品です。

ネタバレがありますので、ご注意ください。

 

 

あらすじ

ハリウッドはサンセット大通りの豪邸のプールに、駆け出しの脚本家の死体が浮かぶ。

彼の目線で語られる死の顛末は、邸宅の主であるかつての大女優、ノーマ・デズモンドに出会った日から始まった。

脚本の仕事に行き詰まり、車を差し押さえられそうになっていたジョーは、カーチェイスの末にノーマの豪邸に辿り着く。

ノーマは無声映画時代に人気女優となったものの、有声映画の時代になってからは仕事がなく、ひたすら過去の栄華を噛みしめる日々を送っていたのだ。

車を隠しておいてもらう代わり、彼女が銀幕へカムバックするための『サロメ』の脚本の手直しを依頼されたジョー。

ギャラの良さに目がくらんだジョーは、常識で考えれば映画会社が採用するはずのない脚本に参加することを決めてしまうが……

 

ノーマという狂気 

ノーマは若かりし頃に出演した無声映画を毎日飽きもせず観ており、ジョーにもしばしば披露します。

家具の上には昔の写真が溢れ、往年の名優たちを家に呼んでゲームやパーティーを催します。

豪邸できらびやかなドレスを身にまとい、酒や会話を楽しむ姿は優雅です。

とても、今は仕事のない落ちぶれた女優には見えません。

しかし、言動や振舞いの端々に、「昔すごかった自分」の確認作業や、「今もすごいはずの自分」を認めない映画業界への怨嗟が混じります。

無声映画の時代、表情だけで演技をする技術や、スクリーン上での存在感を発揮していたのは確かでしょう。

しかし、有声映画に必要な声の演技力を身につけたり、年齢に合った演技経験を積むことには関心がなかったのでしょう。

今でも、きっかけさえあればありのままの自分が受け入れられるはずだと確信しています。

実際には年齢的に主演は難しく、映画会社が彼女を採用する理由はありません。

若くして大スターになった分、歳を取ってからの落差は本当に激しかったのは可哀そうですが、年齢が上がることを見据えた戦略を考えていれば、少しは違った結果になっていたかもしれません。

冒頭、豪邸の様子を描写するのにディケンズの『大いなる遺産』という小説が言及されます。

小説に登場する老婦人、ミス・ハヴィシャムとノーマを否が応でも重ねてしまいます。

 

後悔すらできないこと

ノーマを見ていると、現実を認められないまま歳を取った人間の恐ろしさ、惨めさを思い知らされます。

いっぽうで、皆が皆、若い頃にすべき努力を間違いなくしたうえで歳を取れるわけじゃないことも頭をよぎります。

もっと勉強しとけばよかった、もっと真面目に働けばよかった、結婚して家族を持てばよかった、家族を大切にすればよかったetc。

人生の大きな方針を、違った方向に持っておけばよかったと、あとから気づくこともあるはずです。

人生は一度しか生きられないから、当然ながらやり直しがきかないわけで。

そんななか、一つも後悔のない人生を送れる人なんてどのくらいいるのか。

ノーマの態度は、自分の栄華をひたすら噛みしめることによって、後悔することからも目を背けているわけで。

となると、軌道修正を図ることも最早不可能で、現実に目を瞑りながら、ひたすら過去の栄光や、ジョーへの思いに耽溺することしかできません。

一歩そこから踏み出せば、何より認めたくない現実が待ち構えているからです。

彼女を見ていると、いずれやってくる中年の危機がめちゃくちゃ恐ろしくなりました。。。

閉じられた業界や会社で、井の中の蛙になって老いた人を見たことがあれば、誰もが既視感と戦慄を覚えるはずの脚本です。

 

ジョーという人物

語り手のジョーは、何本か脚本を書いた実績はあるものの、現在は鳴かず飛ばず

仕事がなく、経済的に行き詰まったときに、ノーマの『サロメ』の仕事を提示され、引き受けてしまいます。

彼女の豪邸に住むことを強制され、監視されながらの生活。

ギャラが良いからと引き受けてしまったものの、だんだんと息苦しさを覚えます。

また、仲間の婚約者・ベティと知り合ったことが彼に、忘れかけていた感覚を取り戻させます。

汗水を流して創作に打ち込む楽しさです。

ベティは女優になる夢を諦めた過去があるものの、前向きに脚本の仕事に取り組む、生き生きとしたプロフェッショナルの女性。

彼女の存在は、映画に出演できないことに悪態をつき、過去に閉じこもっているノーマや、困窮を理由にスキルにつながらない仕事に飛びついたジョー自身について、見つめ直すきっかけとなります。

また、彼とノーマの生活の面倒を見る執事が、断片的に語る事実もジョーの目を覚まさせます。

ノーマが浸る世界は、執事であり元夫であり元映画監督でもある彼が支えていたことが発覚するためです。

我に返ったジョーは、環境を変えなければならないことに気付くのですが……

 

映像作品として

テンポが良くて最後までストーリーに引き込まれるし、良い意味でわかりやすいお話です。

カットの移り変わり、場面展開の自然さは見事で、見入る内にあっという間に時間が経っています。

さりげないスキルの高さは、さすがビリー・ワイルダー大先生という感じ。

何気ないディティールまで雄弁で、脚本と映像の筆力ってこういうことなんだと思い知らされました。

ラストシーンもここしかないというところで最高の緊迫感を持って終わります。

名作として語り継がれるのも納得の作品です。

 

おわりに

語り継がれる作品には理由がある!と思わされた一本でした。

ビリー・ワイルダーは喜劇の神様というイメージがあったのですが、人間洞察の鋭さはどんなジャンルでも如何なく発揮されているんですね……さすが巨匠。

なお、原題の後半の発音がわかりません。

人間の内面を鋭くえぐり出す秀作が観たいときにおすすめの作品です。

 

  

 

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映画『西部戦線異状なし』

第一次世界大戦を若い兵士の視点から切り取った名作のレビューです。

派手な演出はないながら、粛々と不戦を訴える内容に高い評価を得た作品です。

 

 

あらすじ

第一次世界大戦下のドイツ。

学校で教師から、国のために戦うことの尊さを伝えられた少年たちは、救国の英雄になることを夢見て志願兵となる。

しかし、訓練を終え、西部戦線に配属された彼らは戦争の過酷さを目の当たりにする。

無残に潰えていく仲間の命、家族として愛された一人の人間である敵兵を殺す苦悩、戦場に出ない人間ばかりが戦争を支持する現実。

戦地から帰ってきた少年は、いったい何を語るのか。

戦場で命を閉じた少年は、最期に何を見たのか。

 

反戦映画の代表格 

派手さドラマチックさは抑えめですが、間接直接に伝えられるメッセージがものすごく重い作品です。

目を輝かせて志願した若者たちが、初めて砲撃を受けた時、塹壕で飢えに喘いでいる時、初めて人を殺した時、どんな顔になっていくかがとても雄弁です。

夜中も鳴り止まない砲撃音で眠れず、さらに恐怖に心を病んだ仲間の叫び声が響き続ける場面は、観ている人の五感を塹壕の中に連れて行くパワーがありました。

それなのに、怖がって前線に近づかない料理係が威張り散らし、

安全な街にいるおじさんたちが戦争や愛国を語り、

自分たちが始めたわけじゃない戦争のために前途ある人々が死んでいく。

地獄の黙示録』が虚無的な映像に語らせることによって戦争の虚無や狂気を訴えたのに対して、こちらは淡々と戦地の現実を映し出し、率直な言葉で哲学的なメッセージを伝えようとしています。

芸術の側面が強い前者より、個人的には後者のが誠実に思えました。

地獄の黙示録』も名作だとは思うのですが。

 

第一次世界大戦とヨーロッパ

欧州在住時、第一次世界大戦がいかにヨーロッパ人に深いショックを与えたかは度々聞きました。

近代兵器を用いての初めての大規模戦闘で、どれだけ人間が無残な傷を負いうるか、最初に実感した戦争だというのを、あらためて納得しました。

銃を撃つ、爆弾を落とす等の攻撃がこともなげに行われるけれど、銃弾や砲弾の先にいるのは生きた人間である。

傷つくのは、家族も前途もある、自分と同じ人間である。

それを目の当たりにした青年たちは、自分たちが戦争で傷つくのみならず、敵国の兵士たちにも同じ苦しみを与えていることに気付いてしまいます。

しかし、戦場にいる以上、人を殺さずにいることなどできません。

絶えず死の恐怖と闘い、自分自身を守らなければならないからです。

これほど体と心を危険で残酷な境遇に置き、成し遂げることと言えば人を殺すこと。

この行動のどこに正義があるのか、この背後にある大義に意味なんてあるのか。

意気揚々と志願した青年たちは、すぐに絶望に打ちひしがれます。

それでも今日を生き抜くために、塹壕で恐怖に耐え、攻撃を行わなければならない。

考えている暇はありません。

 

戦地を離れて

短い休暇を得て故郷に戻った青年は、自分たちに志願を説いた教師が、さらに年下の少年たちに志願を勧めているところに出くわします。

戦地で感じたことをありのままに語る青年を、教師は罵倒し追い返します。

まだ子どもにも見える少年たちまで徴兵しようとしている以上、戦況が悪いのは明らか。

なのに疑問を持たない教師に対する、不信と失望が見て取れます。

酒場で戦地での作戦を得意げに説く父親たちにも、戦争の重みは伝わりません。

信じられない描写ですが、近代兵器を用いた大規模戦闘の恐ろしさと言うのが、この時代は本当に知られていなかったのかもしれません。

戦争が終わってみて、このような悲劇を二度と繰り返さないようにと、ヨーロッパ諸国はドイツへの締め付けを厳しく行ったわけですが、その後さらに第二次世界大戦が勃発。

そうした世界の経験を経て、今では、戦争で亡くなる人の多さや過酷な負傷、生還した兵士たちの深刻なトラウマなどの情報が一通り知られています。

しかし当時は、まだそんな経験をしたことがない世界。

戦地から帰ってきた人々の心身のダメージの深さを、社会が受け止める土壌はできていなかったのでしょう。

帰還兵の戦争神経症などが社会問題化するまでは、さらに長い時間がかかります。

 

おわりに

戦争が何かを知らずに戦地に行ってしまった青年の悲劇が、余すところなく描写された映画でした。

淡々とした映像が、率直なメッセージを訴えかけてきます。

戦争で体や心に傷を負う人々を出してしまったすべての国にとって、教訓の深い物語であるはずです。

戦争と人間について考えたいとき、ぜひともおすすめしたい一本です。

 

  

 

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映画『幸福な食卓』

三浦春馬さんの訃報を聞いて、しばらくして思い出した映画です。

瀬尾まいこさんの小説が原作の、ある家族の映画について、レビューを書きました。

ネタバレがありますのでご注意ください。

苦しさを癒やしきれずに自ら命を絶つ方が減り、少しでも助けを求めやすい場が増えることを祈ります。

 

 

あらすじ

長野県に住む中学生の佐和子は、父と兄との三人暮らし。

母は近所で別居中であるが、時折佐和子は母を訪ね、母も時たま家を訪れる。

父が、「父さんは父さんであることをやめようと思う」と何度目かに宣言したある日、転校生の大浦が学校にやってくる。

何でも器用な兄の直ちゃんは、何人目かの彼女を家に連れてくるが、佐和子は彼女が別の男と親しくする様子を目撃してしまう。

同時に、人懐っこい大浦との距離は徐々に縮まり、佐和子にとって特別な存在になっていく。

父の起こした出来事を乗り越える家族を、透明感ある優しさで描くヒューマンドラマ。

 

映像の美しさ

シリアスなテーマを扱う作品なのですが、現地の風景を活かした美しい映像が終始目の保養になる映画でもあります。

長野の坂道と盆地の風景、空気の透明感をフルに活用した作品です。

坂道で山並みを背景に大浦くんと会話する場面、山並みを背景に堤防の上の桜並木が映る場面、ラストの坂道の桜吹雪の映像は特に好きです。

全体的に空気の澄んだ感じが伝わってくるようで、そりゃ諏訪精機さんもものづくりしますわ…と思いました。笑

また、主演の北乃さんなしに本作の魅力は語れません。

この映画を観るまでは、制服萌えの意味を正しく理解できていなかったと断言できます。

特に大浦くんとの間の甘酸っぱさは尋常じゃない破壊力です。

彼女の透明感と初々しさが結晶になって閉じ込められた映像と言えます。

 

人のもろさ

佐和子のお父さんは、教員の仕事を辞めて医大受験のため、猛烈に勉強し始めます。

中盤のお母さんと佐和子の会話から、お父さんは秀才だったお母さんに劣等感を抱いていたことが示唆されます。

どんな大学にも行けると言われたお母さんと、そこまででもなかったお父さん。

でも、気を遣ったつもりでこれだもんね。母さん、父さんのこと何にも気づいてなかったんだから。

「これ」というのはお父さんが自宅で自殺を図った時のことです。

幸い未遂に終わったのですが、お父さんが癒やしきれない劣等感に悩み続けていたことが明らかになります。

文章だけ読んでも「何でそこまで悩むの?」と思うかもしれません。

しかし、映像でお父さんを観ていると、そこはかとない危うさというか、不安定さが、おおげさすぎない絶妙なバランスで伝わってきます。

フラフラしたところのない、真面目な印象の男性ですが、その真面目さ、余裕のなさがどことなく苦しさを醸し出すのかもしれません。

家族のなかでもう一人の男性である直ちゃんもまた、単に成績が良くて、誰ともうまくやれる青年、と言い切れないアンバランスさを抱えています。

彼女である小林ヨシコが告発した、何人もの女性との同時並行な恋愛です。

直ちゃんは、ヨシコによるカウンター浮気に直面した後、彼女と向き合うことを決め、自身を見つめ直します。

そこに至るまでには苦しい葛藤がありました。

お父さんの自殺未遂を振り返って語るセリフに、悩みが凝縮されています。

子どもの頃から、何でも完璧に正しくこなしてきたことから、少しずつ歪みが出始めて。

はじめはそんなズレ、すぐ元に戻せたんだけど、中学生になって、高校生になって……どんどんひどくなって。

そのうち、もうどう頑張っても、たまっていく歪みを元に戻せなくなるのが分かった。

ゼロに戻すには、死ぬしかないんだなって。

だからあの時、母さんの声で風呂場に行って、ああ、俺もこの人みたいに死ぬんだな、って。そう思った。

このセリフを聞いて、自分自身が十代の頃、「いつまで間違わずに生きてられるだろう」と切迫感を抱えていたのを思い出しました。

学校の中では、正しいこととは何か、一人一人がすべきことが何か、がわかりやすく決められていて、その領分を守っていれば大きな問題はありません。

でも現実には、人の助けを借りなきゃどうにもならないことがあるし、自分の弱みを開示しなきゃいけない時もあるし、汚い手も使って目的を達成する狡さも時には必要です。

しかし、クリーンさ、真面目さ、完璧さを追及して生きているとそうした”遊び”の部分がよくわからなかったりします。

ひとたび自分の中に許せない部分を見つけたら、もう自分を消すしかなくなってしまうのか。

満点を取れる自分を人々は認めてくれたのに、そうじゃない自分に価値はあるのか。

直ちゃんは辛くも、お父さんの遺書の中にヒントを見つけます。

この遺書、優れものなんだぜ。最後にはちゃーんと、長生きの秘訣が書いてある。(略)

父さんは、真剣ささえ捨てることができたら、困難はずっと軽くできたかも、って。

だから俺はその方法を使ったんだ。

で、二十歳になってもまだ生きてる。

 「真剣さ」を捨てるために直ちゃんがもがく過程が、女性関係で壊れてみることだったのかもしれません。

様々なものを得ては失うことで、直ちゃんは本当に失いたくないものを見つけました。

実際、こうした失敗は、重い責任を負っておらず、しがらみも少ない若いうちにするしかないのかもしれません。

お父さんは真面目過ぎるがゆえに、若い時に思い切ったことができず、ひずみをひたすらためた結果、ちぐはぐな感覚を癒やしきれなくなったのでしょうか。

 

家族の温かさ

淡々と描写される家族の人間模様は、過剰な演技もなく、とにかく自然です。

そして、そこはかとなく不安定なお父さん、葛藤を抱える兄、お母さんとのさりげない絆、どれをとっても危うく温かい。

劇中、ヨシコが「友達や恋人は何とかなるけど、家族は一つしかない」と呟くのですが、本当にその通りだと実感します。

特別な遺伝的資質があるわけでなくても、格のある古い家でもなくても、その家族にしかない文脈が必ずあります。

その家族に心底帰りたいと思えるのはとても幸せなことです。だって代わりは利かないわけだから。

だからたとえ、一周二周廻り道をしても、一緒にいられて嬉しいと思えたら、それで良いのではないでしょうか。

苦しい時には味方になるけれど、相手が辛さを和らげられるなら一時的に離れてみる。

常識とはかけ離れた決断をしても信じてみる。

やりきれない思いをぶつけられても受け止めてみる。

そうした家族内のさりげない優しさを、終始誇張なく伝えてくれる優しい作品でした。

 

おわりに

正直、大浦君との顛末には唐突感を覚えましたが、総合点でやっぱり素晴らしい。

原作ファンの方から評価上々というのも納得です。

家族や、人と支え合って生きることについて考えてみたいときに、ぜひご覧いただきたい映画です。

 

 

 

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幸福な食卓 (講談社文庫)

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映画『市民ケーン』

たびたび名作と紹介されるモノクロ映画の一つ『市民ケーン』のレビューです。

ある富豪の生涯を追ったストーリーを、ご紹介・解説していきます。 

 

 

あらすじ

フロリダの大豪邸で、富豪の老人が亡くなった。

いくつもの新聞社やラジオ局を所有し、宮殿のような自宅・ザナドゥ城にヨーロッパで買い漁った美術品を大量に蓄積していたチャールズ・フォスター・ケーン

彼は今わの際にスノードームを握りながら、「バラのつぼみ」と言い遺していた。

ケーンの一生を特集しつつ、最期の言葉の意味を解明しようとする記者たち。

両親や友人、妻とケーンの関わりを取材する中で次第に、思うようにいかなかった彼を取り巻く人間関係が明らかになっていく。

 

出会いと別れ

「バラのつぼみ」の意味を解明するため、記者たちはケーンを知る五人の人物に取材をします。 

ケーンの父母は片田舎で小さな下宿屋を経営していました。

しかし、宿賃のかたにもらった金鉱の権利書が莫大な利益をもたらすことが発覚します。

ケーンの母は、ニューヨークの銀行家サッチャーに、財産の運用とともにケーンの養育も任せることを突然決めます。

そして、父の反対も、本人の反発も押し切ってケーンは両親と引き離され、ニューヨークでサッチャーに育てられます。

貪欲だったケーンは若くして新聞社を大きくし、成功を収めていきますが、やがて仕事仲間だったバーンステインやリーランドとの間には亀裂が。

最初の妻と、彼女の間にできた息子とも別れを選択することになります。

二番目の妻スーザンを迎えた後は、彼女をオペラ歌手に育て上げることに心血を注ぎます。

そしてフロリダに大豪邸を築き、 豪華絢爛な生活を送るのですが、やがてスーザンとも別れがやってくる。

前述のサッチャー、バーンステイン、リーランドに加え、ザナドゥ城での様子を見守っていた執事と、元妻スーザンが取材に応じます。

 

ケーンと「買う」こと

Filmarksを観ると、実は「そんなに名作か?」というコメントも見られる本作。

しかし、元買い物依存症なりかけであった私には、類稀なる名作として心の奥に突き刺さりました。笑

成功した後のケーンが「買う」行為に執着する理由が痛いほどわかります。

インクワイラー社を拡大したことも、数々の新聞社を所有したことも、達成した瞬間は喜びがあるでしょう。

でも、夢は実現した瞬間から現実になってしまいます。

艱難辛苦の末に達成した目標でも、現実にした瞬間から、新たなスタートに立たされることになるからです。

周囲の人々や世間も、最初は惜しみない賛辞を贈ってくれても、だんだんと彼を「凄くて当たり前の人」と認識するようになる。

でも根底的な「見捨てられ不安」を克服できないケーンは、折に触れ自分の実績や能力を確かめる必要があります。

「自分は要らない人間ではない」「必要とされている」と確かめるためです。

再確認の手段の一つが、自分の稼いだお金で何かを買うことだったのでしょう。

仕事で達成の瞬間を味わい、さらにそこから得られたお金で高価なものを買う。

高価なものを身に着け、家に並べる。

そうすることでケーンは、自分の足跡を確かめていたのだと思います。

買う目的は自分の持つ力の確認なので、純粋にその物が欲しくて買うわけではありません。

その証拠にスーザンから、買ったら終わり、中身を見もしないと指摘されています。

この場面ではさらに、頓着なく高価なものをスーザンへ贈ることについて「大切なものじゃないから簡単に人にあげられるんだ」とも指摘されます。

ケーンにとっては何が悪いのかわからないからこそ、非常に心が痛いところです。

本人にとっては簡単に手に入れられるもの、大切じゃないものをあげて、その引き換えに愛が欲しいと示されたら、普通の人なら「馬鹿にしてんのか?」と思います。

プレゼントって、買ったものの値段より、どのくらい相手のことを考えて選んだものなのか、どのくらい努力して手に入れてくれたものなのか、本当はそうした過程が重要なのかもしれない。

でもケーンにはそれがわかりません。

勘の良いスーザンは、ケーンから愛を求められていることに気付きつつも、彼からは与える用意がないことを感じ取り、苦しみます。

 

ケーンと「愛する」こと

幼少期、家族の愛情が欲しかったケーンに母親が与えたのはお金と孤独でした。

冒頭で、雪にはしゃぐケーンは、ずっと親に庭に出てくるよう呼びかけています。

でも母親は無邪気に笑うケーンを一顧だにせず、彼をニューヨークに送り出します。

ケーンと親との関わりはこの場面しか出てこないからこそ、非常に雄弁と言えるかもしれません。

時間や思い出を共有すること、大切な何かを差し出し合うことでの関係の築き方を、ケーンは小さい頃教われていないことを表現しているからです。

だからはじめは良くても、ある程度長く付き合ったあとは、リーランドやバーンステインと言った友達も、妻スーザンも離れていってしまう。

小切手のお返しにリーランドが送ってきたのが編集宣言だったと言うのが何とも。

元は理念でつながった仲間だったのに、いつの間にか単なる契約相手になっていたとは、というリーランドの悔しさが滲んでいるよう。

そのリーランドが取材に対しサラッと言ったセリフに、ケーンの渇望が隠されていると感じます。

彼は自分自身を何より愛してた あと母親も

ケーンがあれほど貪欲に出世しようとした理由、本当に認められたかった相手とは、世間ではなく母親だったのではないでしょうか。 

スーザンをオペラ歌手にした背景は、推測だけど、会ったこともない彼女の母親に認められたかったからでしょうか。

そのへんは詳しく描かれませんが、それでも辞めたいと言った心に寄り添えたあたり、スーザンとは愛で結ばれる可能性があったはず。

もっと早くに、お金は愛の表現にならないことに気づいていたら、

愛されたいからではなく自分がしたいから相手を支える気持ちを持てていたら(=リーランドの言う「愛してやるから愛し返せ」を脱却できていたら)、

子どもの頃からの心の空白を埋められていたでしょう。

ヨーロッパから芸術的価値のある彫刻を買い漁る描写がありますが、いくら買っても歴史や芸術の蓄積は、アメリカに持って来られません。

決して代わりにならないもので、愛の不在を埋めようとしたことの暗喩のようでした。

 

バラのつぼみ

取材を行っても、記者たちは「バラのつぼみ」の意味を突き止めることができませんでした。

彼らが帰った後の豪邸で、粛々と遺品整理が行われます。

焼却炉に投げ込まれる遺品の一つに、子ども用のソリがありました。

裏側にはバラのつぼみの絵。

スノードームを眺めながら、ケーンの心は親と引き離された子どもの頃に戻っていたのでしょう。

雪遊びのときに持っていたソリの絵を思い出し、呟いた意図を誰も知らないまま、ケーンはこの世を旅立っていきました。

 

おわりに

名作と何度も紹介される意味を深く理解しました…

もっと早くみれば良かったと思う一方で、若い時に観ても理解しきれなかっただろうとも思います。

対象年齢は三十歳以上と言ったところでしょうか。

以前、トランプ大統領の足跡を追ったドキュメンタリーでトランプのことを「『市民ケーン』みたい」と言う人がいたのですが、なるほどと納得しました。

人生とお金と幸せについて考えたいとき、ぜひおすすめしたい映画です。

 

 

 

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ドラマ『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』

ロンドンの助産師さんの実体験を基に作られた、BBCのドラマをご紹介します。

日本語字幕がついて流通してるのはシーズン1から3までなので、この3シーズン分についてのレビューとなります。

本国ではシーズン8まで放映されているという大長編です(しかし各シーズン独立して楽しめる作品ですのでご心配なく!)。

 

 

あらすじ

1950年代のロンドン。

造船と血気が盛んな貧困地区・イーストエンドに赴任した助産師ジェニー。

配属されたのは修道院でありながら訪問看護助産を行うノンナートゥス・ハウス。

ベテラン修道女たちと、同世代の助産師仲間たちと、ひっきりなしに子どもが生まれるイーストエンドを自転車で奔走することになる。

お世辞にも生活水準が高いとは言えない環境で、次々に困難な状況に直面し戸惑うジェニー。

しかし、一件一件の出産や看護に必死で向き合ううちに、助産師として、看護師として、人間として大切なものに気付いていく。

 

ノンナートゥスの仲間たち

イーストエンドの片隅にあるノンナートゥス・ハウスは、キリスト教の修道女(シスター)が暮らす小さな修道院です。

シスターたちは、神様に仕える生活を送りつつ、看護師と助産師の資格を活かしてイーストエンドの住人達に訪問医療を提供しています。

ただし医師はいないので、同じくイーストエンドに医院を構えるターナー先生と必要に応じて連携して対処します。

皆をまとめる聡明なシスター・ジュリエンヌ、豪快で有能なシスター・エヴァンジェリーナ、この二人が終始ベテランの落ち着きでノンナートゥスをけん引します。

中堅シスターのベルナデットと、隠居生活で占星術に心酔する(そして新参者にたらふくケーキを食べさせる)シスター・モニカ・ジョーンも忘れちゃいけません。

主人公ジェニーはノンナートゥスで暮らしつつ、訪問医療の仕事に打ち込みます。

ジェニーの他にも、トリクシー、シンシア、チャミーと言った、修道女ではない看護師兼助産師の同僚たちがいます。

同世代の彼女たちは、ジェニーと同じく職業人としての精進の真っ最中。

大工仕事や物の調達を担ってくれるおっちゃん・フレッドの活躍も明に暗にドラマを彩ります。笑

主人公のみならずノンナートゥスの個性あふれる面々の群像劇も観ていて飽きません。

 

出産を巡るドラマ

本作は『ダウントン・アビー』を観終わり、壮絶なダウントンロスに打ちひしがれていた時、Amazonさんに強く勧められて視聴しました。笑

助産師さんが主人公の話ということで、出産素晴らしい、母性美しい、女性すごい、何か感動して大団円、というほんわかドラマだったらどうしよう…と思ったら、そんな心配は要りませんでした。

ジェニー・ワース本人の原作を下地にしていることもあってか、母性讃歌とか偏った視点は全くなく、助産師や医師、妊産婦とその周囲の人々に、客観的で深い洞察をしている作品だと感じます。

月並みな表現ですが、出産って一人一人が命がけで、ドラマがあって、そして助けてくれる人がいて初めて成立するんだと実感しました。

一人の人間が生まれてくるということは、母体にとっても、新生児を受け容れる家族にとっても一大事業です。

大きな幸せもあれば、大きなチャレンジでもある。

大人同士の生活でならどうにかなっていた問題も、赤ちゃんが生まれるとなれば見過ごせなくなるし、なあなあだった人間関係も変化を迎えざるを得なくなったりします。

出産を機に表出するドラマに、一つ一つ向き合う温かな視点が印象的でした。

このドラマのシスターや助産師たちは「母親になるんだからそんなこと言ってないで頑張れ」みたいな雑なことは一切言いません。

妊産婦の人々が抱える問題に、対等に向き合おうとします。

その中には、流産、妊娠中毒症や死産など、母子の健康面での問題もあります。

さらに、授かった子どもを失う辛さ、家族のかたちが変わってしまう不安、重い病気を抱えて生まれた我が子に向き合えない苦悩、経済的に養えない子どもを授かった葛藤などなど家族をめぐるドラマも、重厚に描かれます。

家族の数だけ家族のかたちがあるように、そうした問題に一つとして同じものはありません。

そして、出産という出来事が終わっても、家族の運営は後々も続きます。

出産は誰もが当たり前に安全に終えられるわけではない一大事だけど、その実、家族の新たな始まりでしかないことが隅々まで描かれていました。

 


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群像劇として

 本作は助産師たちの成長物語であり、何人もの妊産婦のドラマであり、看護師としての患者さんたちとの交流物語でもあります。

ドラマの密度が高くて、胸がいっぱいになるメッセージがたくさん詰まってます。

シーズンを追うごとに、主要人物たちに大きな節目が訪れるのも見どころの一つです。

ジェニー自身の恋の行方もありますが、チャミーの母との関係なども長期的に展開するドラマの一つ。

シーズン2以降はベルナデットの愛の行方、看護助手ジェーンなど、新たな見どころもあります。

子どものことがあってからチャミーやシーラの顔がだんだんと疲れ気味になってるのはリアリティがあるのと同時に少し切ないですが。。。

また、シーズン3は時代背景もあって、戦争のトラウマと闘う人の姿が印象的なシーズンでした。

この闘いは、妊産婦を取り巻く人々だけでなく、メインのメンバーにも影を落とします。

ともあれ、ノンナートゥスの皆んなが回を追うごとに愛しくなっていく名作ドラマです。

時代物として

舞台となる1950年代のイーストエンドは、造船業に携わる職人や、海運に関わる現場仕事の人々でにぎわう地域。

お世辞にも上品とは言えないけど、活気があり、人間同士のつながりが密な下町独特の雰囲気です。

そうした、猥雑だけどエネルギーに満ちた空気を、終始魅力的に切り取る映像は、一瞬で時間も場所も超えるパワーがあります。

加えて、随所にちりばめられる50年代、60年代のファッションも観ていて飽きません。

特に、ノンナートゥスきってのファッショニスタであるトリクシーの装いは必見。

基本的には現代の価値観から見て、著しく乖離のある表現はないと思うのですが、一つ印象的だったのは出産の立ち会いに関する描写。

パートナーが出産に立ち会うことが一般的になって久しいと思いますが、この時代はそうではなかった模様。

シスター・エヴァンジェリーナが「出産は女たちの仕事」と言って立会いへの反感を示す場面があります。

なるほど昔はこうした考え方だったのか、と勉強になる一面も。

また、現在でもイギリス国民を支える医療システムNHS(National Healthcare Service)の萌芽はこの頃のようです。

医療が無料で受けられるようになったおかげで、救える命が増えた、とターナー医師が語る姿が印象的でした。

 

おわりに

多種多様な家族ドラマを展開しつつ、真摯で客観的な職業ドラマ、ヒューマンドラマが織りなす重層的な展開は秀逸です。

非常に緻密な構成ながら、有機的で心を揺さぶる展開も多く、本当に質の高いドラマ。

家族が増えるという現象について考えてみたいとき、ぜひおすすめしたいドラマです。

 

  

 

 

第1話

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第1話

第1話

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第2話

第2話

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