本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『世界一キライなあなたに』

めちゃくちゃ泣いてしまうのに元気をもらえるイギリス映画のレビューです。

ネタバレでお送りします。

 

 

あらすじ

地元で働き、家計を支える若い女性ルーは、ある日勤務先の閉店で収入を失ってしまう。

町で一番の富豪の一人息子の介護人に再就職したルーだが、若くして首から下の身体を動かすことができなくなったウィルはひどく気難しい。

辛く当たられていたルーだが、徐々に小さなぶつかり合いを経て人間同士としての絆を深めていく。

ルーが諦めかけていた、ファッションを学ぶ夢に挑戦するようウィルが励ましてくれたり、ウィルが新たな楽しみを見つけられるようルーが奔走したりと、次第に特別な関係になっていく二人。

しかしウィルは、周囲の人々の献身をもってしても埋められない心の空洞に、自分自身で区切りをつけようとしていた。

 

ルーとウィル

主人公のルーは、文字通り元気印の女性です。

ファッションについて学ぶ夢を諦め、家計を支えるため地元で働いている彼女ですが、終始明るく周囲に接します。

のどかな町では浮いているようにも見える明るいファッションも、小さな頃激励してくれた人からのメッセージを忘れず楽しみ続けています。

いっぽうのウィルは、ロンドンでエリートとして働いていたときに遭った交通事故のため、首から下が動かなくなる障害を負った若者。

二十代半ばにしてキャリアや、切磋琢磨し合っていた仲間たちとの絆、恋人も失ってしまい、その絶望を扱いかねたまま生きています。

それまでの人生があまりに輝かしかったからこそ、失ったものが大きすぎて気持ちの整理がつかず、ルーにも辛く当たってしまいます。

ルーの前任者たちも彼の態度に音を上げて辞めていっていますし、元恋人も彼の変貌についていけなかった様子です。

 

ウィルの変化

多くを失ったことを受け止めきれず、そばに留まろうとしてくれた元恋人のことも拒絶してしまったウィル。

自分の招いたことではあってもやはり傷つきますし、それでますます荒れてしまう。

両親が雇ってくれたヘルパーに心を開いている余裕はありませんでしたが、その反面、毅然と内面に踏み込んできてくれる人を待ってもいました。

そこへ現れた気さくでエネルギッシュなルーと、最初はぎこちなく、でもぶつかり合いを経てからは温かく、距離を縮めていきます。

この過程の描き方が本当に丁寧で、観ていると知らないうちに温かい気持ちになります。

ウィルが自分でも持て余していた気持ちを紐解いてくれる、ルーという人に出会えて本当に良かったなあと思えます。

こうしてウィルの日常が少しずつ変わっていくのですが、彼がどうしても変えられない部分もあります。

それは、自分で自分の命を閉じたいという決断でした。

 

自分の人生を決める権利

ある日、ウィルがスイスでの尊厳死を実行しようとしていることを知ったルー。

彼の母が過去にそれを止めたにも関わらず、ウィルは再び弁護士と連絡を取って準備を進めていました。

この、一度は手を引っ込めたけどまた、というところが彼の覚悟を感じさせてやるせないです。

突発的に思ったことではなくて、ずっと彼の頭を占め続けていたんだな、という。

身体の自由を失った、現在の人生を充実させようとしても、それ以前の人生があまりに素晴らしすぎて忘れることができない。

ルーと過ごす毎日は幸せだけど、自分はルーを小さな町の介護生活に縛り付けてしまい、彼女を幸せにできない。

だからこれは自分にとって必要な決断なんだ、とルーを諭すウィル。

ウィルを一人の人間として愛するようになったルーは、「私が幸せにしてあげるから一緒にいて」と必死で説得します。

ビーチでのこの場面でボロ泣きしました……究極の愛ですね。

一緒にいると幸せだからそばにいたい、とか、貴方のそばにいると幸せ、とかじゃなくて、私が幸せにするから、って愛が深すぎる。

でも、どんな人でも本質的には「誰かに幸せにしてもらう」ことはできないんだと思います。

自分で決めたことの結果として、幸せになれるのでなければ、どこかに満たされない気持ちが残ってしまうのではないでしょうか。

だからウィルは「ルーに幸せにしてもらう」立場に甘んじることができなかったのだと思います。

それは彼が望む幸せのかたちに届かないと知っていて、彼女のことがどれだけ好きでもその点は変わることがなかったのでしょう。

でも、自分や大切な家族と生きていくことより、ひとり旅立つことを決めたウィルが許せないルーの気持ちも、痛いほど伝わってきます。

どんな形であれ、彼が「ルーと生きる人生を選ばなかった」ことは確かなわけで、拒まれてしまった、どうして受け入れてくれないんだ、という気持ちが湧き上がるのは自然なことです。

いっぽうで、人が自分の人生を自分で決める意志は尊重されて然るべき、というところもあり、尊厳死問題の複雑さが描かれている箇所と言えます。

本作について批判が色々あるのも、主にこの点についてでしょう。

 

他作品との比較

フィクションのラブストーリーで、身体の自由を失った人が「もう以前以上に幸せになれない」「愛する人を幸せにできない」と死を選ぶことは、賛否があって当然かと思います。

似た状況で闘っている方や、そうした人を支える立場の方からしたら、受け入れられる内容ではありません。

尊厳死や、ウィルのように身体の大部分を動かせない状況の人を描いた映画はいくつかあります。

フランス映画の『潜水服は蝶の夢を見る』『最強のふたり』などです。

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前者は片目の瞼を動かすことしかできない、後者はウィルと同じく首から下を動かせないという状況に主人公が置かれています。

『潜水服~』では主人公はいったんは絶望して死を願うものの、まばたきだけで意思を伝えて本を書き上げるという離れ業を達成します。実話です。

ウィルとの違いは、キャリアのピークにある程度達しており(ELLEの編集長だった)、元妻や子どもたちの支えがあったというところ。

無限の可能性があった二十代のウィルとは、状況の受け止め方も違ってくるでしょう。

 

最強のふたり』の主人公は、介護人の若者と絆を深めるだけでなく、精力的に養子を育てたり、恋も楽しんでいます。

ただ、主人公が年配ということもあり、ある程度人生をやり切ってからの身体の変化がだったところが、ウィルとの大きな違いです。

最強のふたり (字幕版)

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また、若くして事故で首から下が動かなくなったスペイン人男性、ラモンを描いた映画『海を飛ぶ夢』も。

彼は尊厳死を訴えた人物の先駆けで、やはり二十代で突然身体の自由を失ったことに気持ちの整理がつかなかったことがきっかけでした。

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一概には言えませんが、やはり若い時に突然多くの可能性を奪われることのしんどさを考えさせられます。

そう思うと、ウィルが生きていくことと折り合いを付けられなかったことも、理由なきことではないのだと感じます。

 

幸せとは

終盤で一番泣いたのは、ルーとウィルが最後に、ルーの幼いころのお気に入りの歌を歌う場面でした。

序盤では、変な歌詞だと言って笑っていたウィルですが、二人だけがわかる特別な思い入れのある事柄でもあります。

他の人から見たら何でもないことについて、特別な感情を分かち合えることこそが、幸せじゃないのかなと思わせるシーンです。

何かを手に入れる、達成することも幸福感をもたらしてくれますが、いずれはその幸せは薄れていきます。

一度達成した夢は、現実になってしまうからです。

でも、満ち足りた人間関係を深めていくことによる幸せは、時間が経っても色あせず、むしろ蓄積していきます。

若いころは、達成の喜びを積み重ねていくことで自信をつけていき、そうやって作った自分をもって、幸福な日常を積み重ねていける相手を見つけ、今度は大切な人と関係を深めることに幸せを見出していく。

前項で言及した『潜水服~』や『最強のふたり』の主人公は、人生がそうしたフェーズに差し掛かっていたのでしょう。

でもウィルはまだ、達成したいことが山ほどあった。

それらをすべて忘れて、次の幸せに移行することが難しかったのでしょう。

そして、「達成できなかったこと」が頭にあるからこそ、そういう自分がルーを幸せにできるかを躊躇ったのかもしれません。

でもこの世を去る彼は、ルーのためにできることを考えつくした結果として、遺産を元手に都会でファッションを学ぶ夢を諦めないよう、背中を押したのでしょう。

人生は何が起こるかわからないから、挑戦できる夢を諦めるなんてするべきじゃない。

できることはすべてやってみるべきだ。

そう激励する人物として、ウィルほど適任な人はいないという事実も、ラストシーンをぎゅっと切なくしていました。

 

おわりに

思いが爆発して長文レビューになってしまいました……

主人公二人の魅力的なキャラクターと、イングランドの田園風景の美しさで時間を感じさせない作品でした。

内容には関係ないですが、『ゲーム・オブ・スローンズ』でデナーリスを演じたエミリア・クラークをはじめ、『ダウントン・アビー』のベイツ、『ザ・クラウン』のマーガレットと、ドラマで活躍している俳優さんを見つけるのも楽しかったです。

悲しい映画ではあるけれど、一度しかない人生を前向きに生きなければ、と激励してくれる物語でした。

泣けるラブストーリーをお探しの方に、ぜひおすすめしたい映画でした。

 

 

 

 

ドラマ『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』2

以前ご紹介した英国BBCのドラマ、『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』のレビュー第二弾です。

第一弾の記事↓ではシーズン3までの内容をご紹介したので、本記事ではシーズン4以降について感想をご紹介します。

kleinenina.hatenablog.com

 

 

あらすじ

1960年代の英ロンドンはイーストエンドで、妊産婦たちの出産・育児のサポートを行うノンナートゥス・ハウスで、シスターや助産師たちは日々新たな課題に直面する。

同性愛や新生児取り違えなど、出産をめぐる家族の葛藤やトラブルもあれば、ノンナートゥスのメンバーが個々に抱える問題も。

トリクシーは心を癒すのに頼っていた恋人との付き合い方に悩み、パッツィーは誰にも言えない秘密を抱えている。

バーバラが着々と経験を積む一方で、シンシアは重大な壁に直面。

新しいメンバーや時代を迎え、さらに盛り上がりを見せる医療ドラマの秀作。

 

新しい仲間たち

当初のメインメンバーだったジェニー、トリクシー、シンシアのうち、主人公ジェニーはシーズン3終盤でシリーズを去っています。

シーズン4からは、前シーズンでちらっと登場したパッツィーとともに、若くて優秀なバーバラが加わります。

パッツィーは中堅ながらベテラン並みの落ち着きと判断力、バーバラは穏やかで熱心な姿勢が頼もしいです。

そして更に、ベテラン看護師であり助産師のフィリス・クレーンも登場。

最初は彼女を脅威と見なしていたシスター・エヴァンジェリーナですが笑、だんだんとお互いを認め合っていきます。

昔気質のエヴァンジェリーナと比較すると、フィリスは相当に先進的なタイプ。

当時女性には珍しかった運転免許を所持して訪問看護も車で行ってますし、ローロデックスを駆使してメンバーのシフト管理も効率化。

苦労人で熱いハートの持ち主でもある彼女は、聖職者の娘でまっすぐな気性のバーバラと、年齢を越えた友情を育んでいきます。

シーズン3までは原作者ジェニーの自伝的回顧録に基づいて書かれた脚本ですが、シーズン4以降は舞台と一部キャラクターだけを引き継いだオリジナルの内容。

しかし、メンバー交代でクオリティや世界観が変わってしまうのでは、という心配を吹き飛ばす、相変わらずの密度と緻密さです。

 

出産や看護をめぐるドラマ

このドラマの魅力の核となる要素は、前述の通り引き続き健在です。

同性愛や新生児取り違えなど、21世紀にも通じるテーマもあれば、1960年代の世界を震撼させたサリドマイド薬害事件なども扱われています。

悩みながらも家族の形を模索したり、生まれた子と一緒に成長していこうとする人々を、ノンナートゥスのメンバーが熱意をもってサポートしていきます。

そして、シーズン3までとの大きな違いとしては、「子どもを産む」以外の瞬間を切り取ることが多くなっていることが挙げられます。

無事に妊娠し、子どもを産むという流れがマジョリティではあるものの、望んでもなかなか授かれない人、授かっても流産や死産で子どもとの人生を経験できていない人、望まない妊娠に苦悩する人など、さまざまな状況が描かれています。

出産のドラマというと、妊娠して無事に生まれること、そこからの子育てを想像する人が多いと思いますが、そこに至るまでにもいろんなドラマがあります。

無事に安定期に入ったり、出産したりするまで、有名人でもなければ公表する人もあまりいないのはそういう事情があるからですが、意外と知られていませんよね。

でも、流産を経験する人というのは、妊娠したことがない人が想像するよりずっと多いですし(全妊娠の15%に相当すると言われる)、不妊に悩む方もたくさんいます。

そして、無事の誕生も奇跡なら、無事に育つことも奇跡なのかもしれません。

個人的にはシーズン5の、辛い幼少期を過ごしたことから生まれた娘と向き合えず苦悩する女性の姿が印象的でした。

優しい母という姿が思い描けなくても、自分で人生を踏み出したからこそ出会えた優しい夫との絆を拠りどころに、安心できる家族を築いていってほしいです。

出産の場面以外にも目を背けず向き合っているところが、ドラマのクオリティの高さをさらに保証するものとなっています。

 

メンバーの葛藤

妊産婦たちのみならず、メインメンバーたちの悩みや葛藤も見応えがあるのが、本ドラマの特徴。

トリクシーは牧師のトムと特別な関係になりますが、順調に見えた交際がある時から崩れ始めます。

元からアルコールに頼り気味だった彼女ですが、このことでさらに慰めを求めてしまうように。

幼少期に父親のアルコール依存を見ているからこそ、繰り返された悲劇ということが示唆されていて、やり切れないですね。。。

また、パッツィーは同性愛者であることを隠しながらディリアとお互いをパートナーとしています。

しかし、公にできない関係を維持し続ける苦労は絶えず、さらに二人の関係を困難にする時間も起こります。

ディリアが少し気弱そうなところがあって、それがまたハラハラさせるんですよね。

お母さんが心配してしまうのも一部わかるからこそ、「そこを何とか乗り越えて独り立ちしてパッツィーのそばにいてくれ!!」と訴えたくなります。

初登場のフィリスは、メンバーに打ち明けてはいないものの、事情を抱えた家庭で育った様子。

守ってくれる両親がいて、適切な教育を受けて……というバックグラウンドではなかった模様。

いろいろ乗り越えて手堅い仕事を手にし、今に至っているようですが、それを鼻にかけたりはしません。

たたき上げの人にありがちな、忍耐や理不尽を強いるようなことも言わないし、とても柔軟な人です。

 

おわりに

とにかく中身の濃いドラマシリーズである本作。

それでもネタ切れにならず長く続いているのは、丁寧な医療考証と、女性たちに関わるテーマを書き尽くそうという制作陣の熱意の賜物ですね。

基本的には女性にフォーカスした内容ですが、ぜひ男性にも見てほしい!と思う内容です。

 

 

 

 

 

 

映画『リリーのすべて』

世界で初めて性別適合手術を受けた、デンマークの人物を主人公とした映画のレビューです。

男性の身体に生まれ、女性の心を持った画家が、妻とともに本当の自分を模索していくストーリーです。

思いっきりネタバレします。

 

 

あらすじ

デンマークコペンハーゲン在住の画家アイナー・ヴェイナーは、風景画家としての支持を確立し、妻ゲルダと幸せな生活を送っていた。

ある日、妻の絵のためモデルの代わりに女性の衣装を纏ったとき、アイナーは今までにない感情に見舞われる。

女性の装いをすることに興味を惹かれた彼に、ゲルダもはじめは楽しみながらファッションや化粧を手ほどきしていく。

しかし、夫が女性の人格リリーでいる時間が長くなるにつれ、戸惑いを覚え始めるゲルダ

「かつてのアイナーに、夫としてそばにいてほしい」と望むゲルダに、それはもう叶わないと告げるリリー。

二人は悩みながらも、リリーという人物が生きる道を探り始めるが、精神医療が未発達な時代ゆえの数々の困難に直面する。

 

実在の人物リリー・エルベ

本作の主人公リリー・エルベ(アイナー・ヴェイナー)とその妻ゲルダは、実在のデンマークの画家です。

男女として結婚していたこと、その後リリーが女性の格好をして生活するようになったことも、事実に基づいています。

当時の社会では、性同一性障害の存在が医学界ですら概念として確立しておらず、リリーは様々な偏見や好奇の目線を浴びることになります。

しかし、妻ゲルダはリリーのそばを離れず、リリーがこの世を去るまでパートナーであり続けました。

死の原因は、48歳で受けた性別適合手術の拒絶反応でしたから、ゲルダは最期までリリーの意思と決断を尊重していたわけです。

二人はデンマーク王から婚姻無効を言い渡されてもいるのですが(当時のデンマークでは同性愛が犯罪とされていた)、内面的に深くつながった人同士の前に、書面上の断罪は意味をなさなかったといえます。

 


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リリーの目覚め

ゲルダの絵のモデルが現れなかったことから、代理として衣装を着るよう頼まれたアイナー。

そのときに今までにない感情を抱き、以後女性の装いをすることに興味を持ちます。

最初はノリノリで彼女にメイクやファッションを施し、アイナーの従妹リリーとして、パーティーに連れだって出かけていた妻ゲルダ

しかし、パーティーで声を掛けてきた男性とキスするリリーを見て傷つき、装いを変えることにのめり込んでいく様子にも当惑し始めます。

一方のアイナーは、リリーこそ本当の自分だとの確信を強めていきます。

男性から関心を寄せられることにときめくだけでなく、女性として扱われたい。

このことから、アイナーは自分が同性愛者なのではなく、心が女性に生まれついたのだと気づきます(リリーの姿のときに声をかけ、誘ってくれた知人が、正体を知っていて「アイナー」と呼びかけられた途端に逃げ出しています)。

 

ゲルダの愛

この映画の見どころの半分はリリーという人物の変化ですが、もう半分はゲルダの深い葛藤と愛といえます。

実際、Filmarksなどを見ていても「ゲルダが凄い人すぎる……」という嘆息にも似たコメントが多数寄せられており、私も同意見です。

ゲルダが結婚したのはアイナーであって、リリーではなかったはずですが、夫の変化に戸惑いつつも彼女は最終的にそれを受け入れます。

現代ですら、男性として結婚した相手が、トランス女性だと判明したら大きく動揺する人がほとんどかと思います。

ましてこの時代は性同一性障害そのものが、まったくと言っていいほど知られていません。

何人もの精神科医に会って話をしても、異常ないし治すべき病気として捉えられ、「女性でありたい」という感情は葬られるべきと考える医師がほとんど。

精神分裂病(今でいう統合失調症)と考えた医師に拘束されそうになった場面などは、もう立派な迫害としか思えません。

それでもゲルダは、リリーが望む人生を叶える努力に寄り添い続けます。

生涯のパートナーと決めた相手とは言え、悩みながらもリリーの意思を尊重し続ける姿勢に尊敬の念を禁じえません。

なお実在のゲルダについては、レズビアンだったのではないか、との考察もあるようですが、映画のなかではあくまで異性愛者として描かれています。

 

本当の自分になる

艱難辛苦の末、「身体の性と心の性が一致しないことに悩む人がいる」との見解を持った医師に出会うことができたリリーとゲルダ

身体の性を心の性に適合させる手術が考案されていることを知ります。

ただし、実際に手術を受けた人はまだ一人もおらず、リスクが大きいことを告げられます。

初めは躊躇っていたものの、本当の自分になるために手術を希望するリリー。

甚大な痛みや恐怖に耐え、一回目の手術を乗り越えます(男性としての機能を摘出する手術)。

よりリスクが大きいことを知りながらも、あまり長い間を空けず、今度は女性としての機能を具えるための手術にも果敢に挑みます。

ゲルダや、映画を見ている人間からすると本当にハラハラする決断なのですが、リリーの待ちきれない様子を見ると切なくなります。

既に大きな痛みが待っていることも、リスクも知っているはずなのに、それでも変わりたいというなら、これまでどれほど苦しんだんだろう、と考えてしまいます。

産科の患者さんと「わからないけど、もしかしたら子どもが産めるようになるのかも」と語り合うリリーの楽しそうな顔を見ると、なおさらです。

最終的に、リリーは二回目の手術の拒絶反応が強すぎたため、亡くなってしまいます。

でも、彼女にとっては本当の自分になることの追求は、決してやめられなかったのだと納得してしまう描写でした。

 

映像の美しさ

きめ細かい脚本や、メインの二人の隙のない演技が本作の見どころです。

しかし同時に、映像としての美しさもぜひ堪能していただきたいです。

デンマークの風景は、とくに秋や冬だと寒々しい印象が強いのですが、本作ではその味わいも残しつつ、緊張感ある美しい画面が構成されています。

爽やかさというより重厚感を重視した美しさです。

ヴェイナー家のアトリエや、パーティー会場も、美術や衣装、小道具がいちいち素敵で惚れ惚れします。

二人がパリに移住してからの住居なども、花の都らしい華々しさを演出しつつ、映画全体の雰囲気を壊さない絶妙なバランス。

手術のために渡ったドイツでも、現地の雰囲気を感じさせつつ、落ち着いた風景の美しさが印象的でした。

 

おわりに

終始緊張感ある重厚な映像が続きますが、それも深いメッセージのある脚本があるからこそでしょう。

リリーとゲルダの強い絆や、本当の自分を追い求める切実な気持ちに心を打たれる秀作です。

誰もが自分らしくいられて、好きな人に好きと言える社会になってほしい、という気持ちになります。

 

 

 

 

 

 

映画『レディバード』

カリフォルニア州の田舎町を舞台とした、ある少女の成長物語のレビューです。

高校時代独特の背伸び感やイタさ、混乱の感覚を思い出して「あるある……!」となってしまう秀作でした。

アメリカ本国でも高い評価を受けています。

色々ネタバレしてます。

 

 

あらすじ

カリフォルニア州サクラメントの高校生クリスティーンは、家でも学校でも、本名ではなく「レディバード」と名乗っている。

田舎町の地元や、厳格な高校を離れ、一刻も早く文化のある都市ニューヨークで進学したいと願う毎日。

母に反対されても、父の協力を得て奨学金申請や入学申し込みを試みている。

進路のみならず、日常生活でも自分以上のものを求めてしまうレディバードは、華やかなクラスメイトと仲を深めたり、新しい彼氏を作ってみたりと積極的だが……

 

自分の可能性を信じる

レディバードは、自分の可能性をどこまでも信じているというか、全方位で輝きたいという強い希望を持っている、普通の女の子です。

文化都市ニューヨークに進学したい、裕福な地区の立派な家に住みたい、唯一無二の彼氏が欲しい、華やかなクラスメイトとお近づきになりたい、などなど。

もしかしたらそういう人もいるのかもしれませんが、大抵の人はそうなれません。笑

実際、学費や生活費がかさむのでニューヨーク進学は諦め、州立大にしてと母から言われているし、土地の安い線路の向こう側の地区に住んでいるし、と現実は厳しい。

父は高齢で、メンタルヘルスの問題からなかなか働けていない、などの事情も抱えています。

さらに、兄弟はカリフォルニア大学を出たものの良い職が見つからず、スーパーでのアルバイトで日銭を稼いでいます。

一家の大黒柱となっている母は、誰かが大病でもしたら破産になる現実をわかっているからこそ、レディバードの進学先にコメントするわけです。

それでも、自分の進路に夢を見たい彼女は言うことを聞きません。

こんな田舎町で終わるつもりはない、とばかりに父の協力を取り付け、ひそかにニューヨーク進学を実現しようとします。

 

快進撃

映画前半では、不器用ながらもレディバードの野望は徐々に実現していくように見えます。

シスターに勧められて挑戦した演劇の舞台が成功し、彼氏ができ、数学の成績を成功裏にごまかし、父も進学準備に協力してくれます。

しかも彼氏の祖母は、ずっとレディバードが理想の家と思っていた素敵な邸宅の住人。

「彼と結婚して他の親戚を排除すればあの家が相続できる」とまで豪語する始末(調子乗ってます……)。

親友ジュリーも、淡い恋心を抱く数学の先生に目をかけてもらえて幸せそう。

若いときの「自分は何だってできる」「環境さえよければもっとできる」という根拠のない自信をエネルギーに、どんどん進んでいきます。

しかし、蓄積や裏付けのない絶好調は崩れ去るとき脆いんですね。

 


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気づきの瞬間

ジュリーの儚い失恋(本人的には一大事なんだけど、初々しくて可愛い……)と並行して、レディバードにもスランプが訪れます。

彼氏がゲイであること、男子と浮気していたことが同時発覚、華やかなクラスメイトとの関係を優先して親友ジュリーと気まずくなったりもします。

その後、次にできた彼氏と初めて関係を持つものの、お互いに初めて同士かと思いきや相手は童貞じゃなかったり。

しかも、憧れのあの家に住んでいると嘘をついた結果、友人がその家を実際に尋ねてしまって嘘がバレます。

自分自身の実像を無視して背伸びした結果、すでに持っていた大切なものを失ったり、自分が蔑ろにしていたことの大切さに気づいたり、突っ走っていた自分が虚しくなったり。

どれも青春あるあるなんですが、体験しているその時は危うさに気づかないんですよね。

実際失敗してみて初めて、「ああこういう事って良くないな」と気づかされる。

そして、そういう時に救ってくれる人のありがたみが身に沁みます。

 

本当に守ってくれる人

彼とプロムに行きたかったレディバードですが、新たな友人や彼はサボろうと言って盛り上がってしまいます。

思い立ったレディバードは彼らと袂を分かち、ひとりで家にいたジュリーのもとへ。

仲直りして、二人でプロムに参加し、高校最後の思い出を作ります。

そして、ニューヨークの大学に内緒で出願していたことがばれ、母を激怒させてしまうも、最終的には旅立たせてもらうレディバード

母さん的には、レディバードが、パッとしない地区にある家や、高齢のお父さんを無意識に恥じている(車で送ってもらっても同級生から見えないところで降ろしてもらう)ことがずっと嫌でした。

彼女にしても、人生もう少し順調に行くと思っていたら、いろいろ想定外だったわけです。

夫がメンタルを病んで働けなくなったり、子どもがいい大学を出ても就職できなかったり。

高校生のレディバードに、その大変さの想像がつかないのは仕方ないのですが。

 

故郷を離れて

念願のニューヨーク生活を始めるレディバード

ある夜、飲みすぎてぶっ倒れたあと、教会の賛美歌に癒されます。

カトリックの高校に行っていたときは、まったく興味を持たなかったのに。

そして実家の留守番電話に、故郷サクラメントと家族への思いを吹き込みます。

ダサくてパッとしないと拒絶していたものも、自分の構成要素であると気づいたこと。

それを受け入れようと思えたことは、彼女にとって幸せなことだと思います。

幼少期や思春期が辛い思い出になってしまったために、決別や告白を選んで生きていく人もたくさんいるんけですから。

過去に背中を押され、人生の新しいパートを生きていくレディバードの将来が楽しみなラストです。

 

おわりに

サクラメントカトリック高校出身の、監督の思いが詰まった作品でした。

イタい青春を送った人もそうでない人も、この頃ってこんなことあるよね……と振り返りながら見ていただきたい、珠玉の青春映画です。

 

 

 

 

映画『嫌われ松子の一生』

邦画のなかでトップクラスにおすすめな作品をご紹介します。

海外の邦画ファンからも絶大な支持を誇る名作です!

いろいろネタバレしております。

 

 

あらすじ

うだつの上がらない学生生活を送る大学生・川尻笙は、ある日父から、会ったこともない伯母・川尻松子がいることを知らされる。

何者かに殺された彼女の遺品整理を頼まれた笙は、遺された品や、訪ねてくる人々との対話から、松子の一生を紐解いていくことに。

福岡県は大川で中学校教諭をしていた松子が、いかにして地元を離れ、中洲や雄琴でナンバーワンになり、そして転落の人生を辿って行ったのか。

彼女の死の間際に何が起こったのか。

決して幸せとは言えなかったはずの松子の人生を辿るなかで、笙は彼女と出会った人々の様々な思いを知っていく。

 

松子という女性

昭和の時代、福岡県南部で教員として働いていた松子。

厳格な父の期待に応えるため、勉学に励み先生となった彼女ですが、父は相変わらず病弱な妹・久美にばかり関心を向けていました。

そんななか、修学旅行で持ち上がった盗難疑惑で、その場しのぎの対応をしたために一方的に罪を負わされてしまいます。

職場での居場所がなくなり、家にもいられないと自暴自棄になり地元を飛び出した松子は、小説化を目指す若者・八女川と同棲を開始。

しかしこの八女川が情緒不安定な暴力男で、松子を痛めつけるのみならず、風俗で働いて来いと言い出したりと最低な所業を……

と、もう序盤から松子の人生がいかに踏んだり蹴ったりか、わかっていただけるかと思います。

この後も、雄琴で男に騙されたことに逆上して事件を起こしてしまったり、そのことで後に仲を深めた人とも引き裂かれたり、松子には次々としんどすぎる出来事が襲いかかります。

出会ったどの男性とも、普通の幸せを手に入れることができない松子。

でも、その愚直とも言える姿勢がなぜか視聴者の目を離さない不思議な映画です。

たった一つ、本当の意味で満たしてくれる愛を探して、どの相手とも全力で向き合っているからでしょうか。

松子が愛を渇望するのは、生まれ育った家庭での満たされなさのためで、映画の中でも折にふれ、父への複雑な思いが言及されています。

小さなころ、関心を惹きたかった父がもっと構ってくれていたら、ここまで報われない愛に身を捧げる人生にはならなかったのかもしれません。

 

コミカルなミュージカル仕立て

松子の人生が超絶ハードモードなのは上記の通りで、原作小説でも映画でもそれは変わりません。

映画が原作と大きく異なっているのはコミカルな演出と、ところどころミュージカル仕立てになっていることです。

主演の中谷美紀さんをはじめとした出演者陣の顔芸、小ネタは推挙に暇がなく、ジェットコースター的なドラマのなか、随所にクスッとなる演出があります。

松子の一生を辿っていく甥・笙のとぼけっぷりもいい癒しになっている感じです。

正直、小説の内容をただ素直に映像化したら、とんでもなくシリアスで重い映画になっていた可能性が高いと思います(それはそれで観てみたい気もしますが)。

文字で読むより、映像で観るほうが、松子の転落っぷりやしんどさが生々しく鮮やかに伝わってくると思うからです。

しかし、映像化の際にコミカルに仕立てることで、物語の消化に必要とするエネルギーをうまく均して、観た人が辛すぎないストーリーに仕上げられた。

また、不幸体質ともいえる松子の行動は、普通の人には不可解な部分も多いかもしれません。

小説では心理描写でそのへんも丁寧に説明されていますが、映像ではそれが不可能。

「何でここでその人を信じてしまうのか」「幸せになれないかもしれないのに何でそんな選択肢を取るのか」という疑問を抱かれがちな部分も、独特なコミカルさに包むことで「松子はこういう人」と納得させるパワーを持たせられたのかもしれない。

これらのことによって、より多くの人の感情移入を呼び込めた映画と言えるでしょう。

印象的な挿入歌も、ストーリーの内容に違和感なく寄り添っていて、かつ昭和からゼロ年代の雰囲気を感じさせます。

『まげてのばして』『Love is Bubble』などは映画が終わったあともついつい口ずさみたくなってしまいます。

 


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松子と出会った人々

笙の前には、亡くなった松子のアパートを訪ねて、松子と人生が交差した人々が現れます。

その一人が、女子刑務所で松子と同時期に服役していた沢村めぐみ。

現在はアダルトコンテンツのプロダクション社長である彼女は、笙のことを「松子に似ている」と言い、松子の人生について語ります。

出所後に再会し、松子は美容師、めぐみはアダルトビデオの制作と、新たな世界で暮らし始めていた二人。

しばしば会って近況報告しながら、楽しい時間を分かち合っていた友人同士でしたが、ある日めぐみが夫と話す様子を見た松子は、ふっと彼女の前から姿を消してしまいます。

あれほど時間を共有していたのに、と思うめぐみですが、笙は松子の内面の変化を言い当てます。

同じように見えても、めぐみには夫や仕事の目標があったけれど、松子は淡々と美容師の仕事をしていただけ。

一緒にいると彼女と差を感じてしまい、辛くなったのではないか。

後年、松子を助けようとしためぐみの手を、松子が掴まなかった理由の一部も、そのへんにあるような気がします。

もう一人の重要人物は、松子のかつての教え子である龍洋一。

修学旅行の盗難騒ぎで、松子がその場しのぎの対応をしたと暴露し、教員の職を辞める原因を作った生徒でした。

二十代になってから、美容師時代の松子と再会した彼は、ずっと彼女のことが好きだったと打ち明けます。

彼の気持ちを受け入れるか、松子は迷います。

再会した龍はヤクザの奥方の付き人をしていて、彼と一緒になったところで平穏な幸せが待っているわけではありません。

でも、彼を拒んだところで、また孤独な人生が続くだけです。

彼といても地獄、彼がいなくても地獄、どちらも地獄なら、孤独でないほうを選ぶ。

その決意のもと、龍の車に再び戻るシーンは鬼気迫るものがあります。

暴力を振るうようになった龍からも離れない松子を、めぐみが助け出そうとしますが、彼女はそれを拒否します。

ひとりぼっちは嫌

と言い切る松子は、寂しそうだけれど決然とした美しさもあって、めぐみが何も言えなくなってしまった理由もわかってしまうのです。

帰るところがなく、支えてくれる家族もいない松子は、何があっても龍と人生を共にすることを決めますが、さらなる試練に巻き込まれていくことに。

 

キリスト教の愛の概念

龍はしばらく松子と暮らしますが、組織からの制裁で殺されそうになり警察に自首。

服役した刑務所でキリスト教に出会います。

どんな悪人も救う神の愛の教えに惹かれる龍ですが、何年も自分を待っていてくれた松子の愛は受け入れられませんでした。

これまでの人生で誰からも大切にされてこなかった彼は、松子の無償の愛が得体の知れないものと映り、怖気づいてしまったためです。

終盤、笙の口からは、「あんなに不幸だった松子おばさんを、龍さんは神様だと言った」と語られていました。

自分を救う奴なんかいない、と思っていた彼は、誰もにあまねく向けられるのが神様の愛だ、と刑務所で聞かされます。

今までさんざんヤクザ生活に巻き込んだのに、何年も龍を塀の外で待っていてくれた松子、その深い愛は、龍にとって神の愛と同様に畏れの対象になってしまったのでしょう。

その後も聖書を持ち歩き、キリスト教を心の支えにしていた様子の龍。

神様ではなく松子に救いを求められていたら、彼女の死の前にお互いの心が通じたかもしれません。

映画では尺の関係か、さらっと触れられているキリスト教徒の関連ですが、気になった方はぜひ原作小説をご覧になってみてください。

龍と笙の対話の中で、愛の概念についてもっと掘り下げられていますし、それがストーリーとどう重なるかもより理解できるかと思います。

キリスト教的愛を下地にしているところが、海外の邦画ファンからの評判が高い理由の一つでもあるんでしょうね。

 

松子の一生

映画序盤で明かされている通り、松子の人生は五十数年で幕を閉じてしまいます。

その一生は華やかとも幸せとも言い難いものでしたが、映画を見終わると何とも言えない深い余韻が残ります。

愛が報われないことを嘆くことなく、出会った相手をひたすら愛し続けた松子の姿に、一つの信念を感じるからではないでしょうか。

孤独に怯えたからこそ愛を選んだのかもしれませんが、それでも強い情熱がなければ一人の人をずっと待ち続けることは難しいわけで。

生きている間、松子の想いは報われなかったけれど、その後の世界では分かり合えなかった父や妹と、和やかに再会してほしい。

思わずそう願ってしまうラストでした。

 

おわりに

主にストーリーについて語ったレビューになりましたが、忠実に再現された昭和のファッションやメイク、髪型なども本作の一つの見どころかもしれません。

あと、今見るとキャストの面々がとにかく豪華です。

当時は若手だった柴咲コウ、奥山瑛太伊勢谷友介劇団ひとりなどなど、押しも押されぬメンバーがずらりと揃っています……

でも、それらの人々も極めてサラッと出演していて、気が散ってしまうような豪華さではないのでご安心を。

グッと心を動かされる邦画が観たい! という方にぜひおすすめしたい映画です。

 

 

 

 

ドラマ『バビロン・ベルリン』

第一次世界大戦後のベルリンを舞台とした、硬派なミステリドラマのレビューです。

映像のクオリティも、シナリオの密度もピカイチの逸品です。

ドラマの感想がメインですが、ところどころネタバレを含みます。

 

 

あらすじ

1929年、ワイマール共和国体制下のドイツ。

第一次世界大戦からの帰還後、ひそかに戦争神経症に悩む刑事ゲレオン・ラート。

故郷のケルンからベルリンへと赴任した彼は、ヴァルター上級警部とともにポルノ映画の撮影現場を摘発する。

それは巨大な陰謀を暴く道への第一歩だった。

貧しい家族を支えるべく、警察で事務員として働くシャルロッテとともに、ゲレオンは巨大な謎を紐解いていくことになる。

 

ドイツ史上最大規模の撮影

見出しの通り、ドイツで過去最大の規模で撮影されたドラマ作品と言われます。

その評判にたがわず、とにかく映像のクオリティが尋常じゃなく高い!

1929年のドイツがそのまま立ち現れたかのような美術、衣装は、画面のどこを切り取っても隙がない。

リアリティを感じさせつつ、お洒落で魅力的にも見せています。

シーズン1のエピソード2でのモカ・エフティでのダンス場面の壮麗さは、他のドラマに類を見ません。

耽美的なナイトライフの描写は、現在のドイツのカルチャーの「濃さ」の源泉になっているかもしれないと思わせます。

音楽のセンスも卓越していて、特に主題歌の『Zu Asche, Zu Staub』のクールさは群を抜いています。

本作のストーリーや世界観にもぴったりです。

そして何より、カットやシーンの構成力が高いんですね。

あまりに視点や場面の移り変わりが自然なので、夢中になっているうちに時間を忘れてしまいます。

 

ゲレオンとシャルロッテ

メインとなる人物、ゲレオンとシャルロッテそれぞれの人間造形の奥行きも、ドラマの見どころの一つです。

主人公ゲレオンは、第一次世界大戦に出征し、西部戦線で兄アンノーを亡くしています。

彼の命の危機を目撃したうえ、自分より兄に期待をかけていた父の思いも知っているという、複雑な背景。

さらに、アンノーの未亡人となった兄嫁に、兄の死以前からただならぬ想いを寄せ続けてきました。

さまざまな葛藤を抱えながら、事件を追い続ける姿は人間臭く、主人公としては若干頼りないもののハラハラ見守ってしまいます。

一方ヒロインのロッテは、雑草魂というべきか、貧しい家庭の生まれながらたくましい精神の持ち主。

昼は警察の事務補助、夜はダンスホールのスタッフ(更に裏の顔あり)として働いています。

家族の中で誰より現実的な視野を持っているため、必然的に問題に対処する役目を負ってしまい、なんやかんやでいつも苦労している気が……

でも決して卑屈にならず、やるべきことを見つけてこなしている姿が視聴者を引き付けます。

シャルロッテは事件を追うゲレオンのサポートをするうちに、彼との間にも絆が築かれていきます。

社会的立場が彼より弱い分、降りかかってくるトラブルの影響度も深刻で、ある意味ゲレオン以上にハラハラさせる、そして応援したくなる人物です。

 


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当時の時代背景

本ドラマの舞台となるのは、第一次世界大戦終戦から十年以上が経ったドイツ。

しかし、敗戦の陰はまだそこここにわだかまり、敗北に納得できない軍関係者は再軍備し、ヨーロッパの覇権を握る機会を虎視眈々と窺っています。

西部戦線での従軍経験から、戦争神経症を抱えるゲレオンや、戦争があとを引く社会で困窮するロッテ一家など、登場人物たちの状況ともリンクしてきます。

一方で共産主義やナチズムも存在感を増しており、きなくさい火種があちこちで燻ぶる世の中。

秘密裏に活動を行う第四インターナショナルの存在や、徐々に台頭し始めるナチ党の動きが不気味に浮かび上がってきます。

現在シーズン3まで公開されており、シーズン1~2が第一部、シーズン3が第二部となっています(第二部の続きにあたるシーズン4の製作が決定済)。

第一部のほうがより、国際的な陰謀の絡んだ大規模なミステリとなっており、第二部はベルリンの裏社会とナチズムの台頭にフォーカスが当たっています。

知識ゼロだとさすがに取っつきにくそうなので、第一次世界大戦の結果や、その後ドイツが被った影響などをさらっとでも押さえてから見るのがいいと思います。

 

見どころ

緊迫感あふれる捜査やだまし合いはもちろんのこと、メインの二人のプライベートもひっきりなしに新展開が訪れます。

ゲレオンには、兄アンノーの未亡人となった義姉との関係、戦争神経症を扱う謎の医者、などなど戦争の暗い影が付きまといます。

基本的には翻弄されていくスタイルのゲレオンですが、第二部が終わるころには人生の指針を決められるんでしょうか。

シャルロッテは、健康状態の優れない母や、ろくでもない男(妻の実家に転がり込んでます)と結婚した姉を抱え、日々奮闘。

ダブルワークや出世で何とか家族を養っていますが、次から次へと新しい問題が発生します。

そんな中でも前向きさを失わず、現実的に対処する姿を応援せざるを得ません。

さらに、彼女は警察署の掲示板で見つけたお手伝いの求人を友人グレタに紹介するのですが、それが新たな火種を呼び寄せることに……

様々な要素を詰め込みながらも、渋滞を起こさず視聴者を掴み続けるのは、ひとつには原作のクオリティの高さもあるでしょう。

原作小説は創元推理文庫から『濡れた魚』のタイトルで発売されています。

 

おわりに

スペインの『情熱のシーラ』、イギリスの『ダウントン・アビー』のように、戦前の時代を舞台とした重厚なドラマが、ドイツでもないかなあ……と思っていたら、あった!という感動的な出会いでした。

とにかく高クオリティで、この映像とシナリオに耽溺しているだけでも幸せ、という代物です。

舞台となっている大陸ヨーロッパや、第一次世界大戦第二次世界大戦前の時代がツボな私ならではの好みではありますが。笑

日本ではやや影の薄い第一次世界大戦ですが、近代兵器を大規模に用いた初めての戦争であり、第二次大戦へとつながった布石でもあることから、ヨーロッパ史では非常に重要な転換点とされます。

ハードボイルドな時代物ミステリがお好きな方に、ぜひおすすめしたい作品です。

 

 

 

 

映画『ノマドランド』

アカデミー賞作品賞を受賞した、米国の放浪生活を切り取った映画をご紹介します。

抒情的で、でもサラッと終わらず人生について考えさせられる深い作品でした。

 

 

あらすじ

産業都市エンパイアで暮らしていた米国人の中年女性ファーン。

企業の撤退によって町自体が消失すると、彼女は放浪生活を行うノマドとなる。

ときにアマゾンの倉庫作業、ときに国立公園のスタッフ、店員などの期間限定の労働で生計を立てながら、車で暮らす生活。

孤独なはずの暮らしは、しかしどこまでも自由だった。

いくつもの出会いと別れを繰り返しながら、ファーンのノマド生活は続いていく。

 

放浪生活を抒情的に綴る

すっかり定着した、アカデミー賞作品賞の社会派な視点という要請に応えつつ、哲学的で詩的な物語です。

社会を切り取った作品は、多かれ少なかれ監督のメッセージが見えるものですが、本作はアメリカ社会の一面を描き出しつつも批判はほぼ皆無。

ファーンたち個人の生き方を丁寧に辿る映像描写は優しく詩的で、見終わった直後は「アカデミー賞よりパルムドール獲りそうじゃない?」と思いました。

ノマド生活は、国民皆保険も、厚い社会保障もないアメリカだからこそ出てくる生き方かもしれません。

だから、それらの恩恵を受けるための定住生活よりも、自由を求めた放浪生活に移行するハードルが低いのかもしれません。

けれどクロエ・ジャオ監督は、「こんなの間違ってる」という目線での撮り方をしていない。

社会的弱者の実態を告発するとか、小さな政府を糾弾するとか、そういった視点の批判をするための作品ではありませんでした。

ノマドの人々の横顔を淡々と写し取り、放浪生活の厳しさも自由さも伝えつつ、彼らがその暮らしを選んだ理由がわかるような映像になっています。

 

ノマドノマドである理由

ファーンがなぜ定住を選ばないのかは、折々に触れ眺めている写真や、ぽつぽつ語る夫との思い出から明らかになってきます。

彼とのエンパイアでの思い出が本当に大切だから、別の町、別の人間関係でそれを多少なりとも上書きして生きていく選択肢は、彼女にはないのです。

過去は過去として、大切に記憶のなかにしまったまま、それを抱いてまったく別の世界で生きていく。

それこそが、ファーンがしたい生き方です。

とくに冒頭のカットは寒々しく、放浪生活の厳しさを鋭く伝えてくるのですが、徐々にその中の温かさが解き明かされていきます。

ショッピングセンターで出会ったかつての知り合いに言う、「ハウスレスだけどホームレスではない」というセリフが、ノマドライフを象徴しているように思います。

家がないことは、帰ることがない場所とイコールではない。

保つべき生活の仕方そのものが、ファーンたちにとって家なのだと気づかされます。

 


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様々なノマドライフ

最初は思い出だけをホームに生きていたかもしれないファーンですが、劇中ではノマド同士の緩やかで温かい絆も心を支えていることが描かれます。

ファーンはアマゾンの倉庫内作業で出会った仲間たちと、食事の時間などに打ち解けて過ごしている様子。

かつての教え子や知人に会った際も、とくに身構えることなく話しています。

ノマドであることを気負うことも、過剰に誇りにすることもありません。

そして、ノマドの人々が集まる場にも顔を出しています。

何もない自然の空間で、何百人もの人々が集っている様子は、儀式的・神秘的なものを感じさせます。

でも実態は怪しい宗教や、社会批判に生きるヒッピーというものではなく、あくまで放浪生活に居場所を求めた人たちが、同じ思いを分かち合いにきた場という感じ。

喪いたくない思い出を大切に抱えて生きていきたいから、向き合うべき喪失のある「定住の日常」に戻ることが耐えられなかった、など背景は様々。

そして、定住生活に戻る道を見出したり、死ぬ前にひと目見たい光景を目指して走り続けたいなど、これから迎える運命もそれぞれ。

保険がないこと、安定的に続く人間関係を築くには不向きなことなども、無視することなく綴りつつも、各人の生き方を模索し続けるノマドたちの横顔には、不思議な満足があるようにも見えます。

自分のように定住生活で不自由を感じない人間は、何があっても基本的には、放浪生活を選ぶことはないだろうと思います。

そんな自分でも、なるほどこんな思いや理由があって、この人たちはノマドという生き方を選んだんだ、と納得させる不思議な力がありました。

押し付けがましくなく、かと言って夢物語でもない、監督の巧みなバランス感覚が発揮されています。

 

おわりに

生活は大変だし自然も厳しいけど、孤独を抱えながらも孤独じゃない、不思議な暮らしを送るノマドたち。

彼らの生活を垣間見るうちに、美しい映像も相まってどこか癒されていくような感覚があります。

定住する住居や、定常的な仕事、年中行事などがすべて取り払われた暮らしの中でこそ、人間が「生きること」のなかに本当は何を求めているのか、問われるようです。

でもその問いは厳しい糾弾ではなく、見ている人の中のゆるやかな共感や、ファーンの示唆する思いの中に、自然と見出されていきます。

静かに考え事をしたい気分のときに、ぜひおすすめしたい映画です。