本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『萌の朱雀』

殯の森』に続き、河瀨直美監督作品をご紹介します。

同じく監督の故郷・奈良(こちらは吉野)で撮られた作品です。

短く素朴なストーリーと、現地に身を置いているかのような雄弁な映像が印象的な映画です。

カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しています。

国立映画アーカイブで上映された際、監督のインタビューを聞くことができましたので、その時聞いたエピソードも交えてご紹介します。

ネタバレしています。

 

 

あらすじ

過疎化が進む恋野村で育った田原みちるは、父母と祖母、従兄の栄介との五人暮らし。

みちるの父は、村へ通るという鉄道の新線建設のために働いていたが、計画が立ち消えになると失意のうちに去ってしまう。

兄妹のように育った従兄の栄介に想いを寄せるみちるだが、栄介は姉のように慕うみちるの母に恋心を抱いている。

そんななか、家族を支えるため旅館で働いていたみちるの母が倒れてしまう。

 

映像へのこだわり

本作は95分という、長編のなかでは比較的短い作品です。

しかし『殯の森』と同様、映像が雄弁なために濃さが短さを完全に補っています……

とくに吉野(現在の五條市)の山深い自然の映像は、緑の瑞々しさが実際に手に触れられそうに感じるほどです。

みちるの母と栄介が雨宿りする境内の光景など、何気ないシーンにも自然の手触りが感じられます。

夏の場面の暑さ、雨の場面の湿気など、その場の空気が伝わってきそうなうえ、その土地独特の美しさも感じられます。

河瀨監督が当地をよく知っていて、最も魅力の伝わる状況や場所を写し取っているのだなと思えます。

また、インタビューで監督が語ったところによると、美術などはチームのメンバーの裁量に大きく委ねていたようです。

たとえば「屋根の色はどうしますか」とスタッフに訊かれたら、「現地の色合いに最も合う色を感じ取ってそれにしてください」と指示していたとか。

「○○色にしてください」という指示を予想していた現場としては想定外だったかもしれませんが、結果としてとても完成度の高い調和した映像になっていると感じます。

ただ、主演の國村隼さんから「このチームは船頭のいない船のようだ」と言われたこともあったようです。

「今でこそ河瀨監督流と言ってもらえるようになりましたけど……」というニュアンスで紹介されていました。


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自然な演技

これも『殯の森』と同様ですが、当時演技経験なしの尾野真千子をメインに据えたこともあり、いかにも演技らしい演技はまったくない作品となっています。

セリフも表情も自然で、静かな田舎の片隅に暮らす人たちの生活を、自然に切り取ったものという雰囲気が滲み出ています。

みちる役の女優を探していた時、芸能プロダクションから候補者の打診を受けていた河瀨監督ですが、提案された候補の中に「吉野にいそうな女の子」がいないことに悩んでいたそうです。

そんななか、ロケハンをしているとき偶然地元の学校で見つけた尾野真千子をスカウトし、キャスティングしたと言います。

演技初挑戦だった彼女ですが、監督曰く「ベテランの國村さんを上回るとんでもない集中力を成長を見せていた」とのこと。

その後大成して、数々の商業作品に出ていることも納得のエピソードでした。

 

素朴なストーリー

時間が短いこともあり、派手な事件が起こる脚本ではありません。

しかし、静かに綴られるみちるたちの暮らしや恋心が、忘れられない余韻を残します。

片田舎のままならない運命に翻弄される一家の中、みちるの淡い恋心が育ち、ひとつの結末を迎える様子を丁寧に描いています。

鉄道計画は結局暗礁に乗り上げてしまったり、恋心は結局叶わなかったり、この映画は正統的なハッピーエンドを描いたものではありません。

でも、生まれ得なかったもの、叶わなかったことにも意味があるのではないか、という思いを持ちながら描いた作品だ、と監督が語っていました。

確かに栄介もみちるも、最後には慕った人と離ればなれになってしまい、その前に恋人同士として想いが通うこともありません。

しかし、大切な人を想い続けた記憶が、その後の二人の人生の大切な一部分になってくれるのではないかな、と思います。

本作は監督自身の手による小説も出されていますので、いつか読んでみたいと思います。

 

おわりに

余談ですが、本作の撮影は監督にとってもかなりの試練だったようで、毎朝身支度をしながら「始まったんだから、終わるよね」と言い聞かせていたというエピソードを紹介されていました。

カンヌのグランプリ受賞、というところばかりに最初は驚きましたが、それだけの才能を持った方が、しんどさを乗り越えて創作に打ち込んだ結果として、こういう作品ができてくるんだなと実感しました。

観た後、奈良に行ってみたくなる作品です。