今こそ見てほしい、中東欧やロシアが舞台の映画
ロシアによるウクライナへの侵攻のニュースに毎日じりじりしている中で、今までに観た映画やドラマの場面が頭をよぎることがあります。
断片的でも、間接的でも、今こそ中東欧を知るために役立つかもしれない映画について、まとめてみることにしました。
チェルノブイリ
ソビエト連邦時代のウクライナで起こった、チェルノブイリ原子力発電事故に基づいたドラマです(全5話。リンクは第1話のもの)。
静かな原発の城下町、プリピャチの平和な夜が、原子力発電所の火災によってにわかに騒がしくなります。
最初はただの火事だと思い、見物に行っていた町の人々が次々に身体の異変に見舞われ、しだいに現地の病院は混乱状態に。
原子力事故に対応できる人員もいない中、町としても適切な対応ができないまま時間が過ぎていきます。
ようやく連邦中央から派遣されてきた専門家や政治家も、事故を隠蔽したい政権に動きを制限され、思うように対処できません。
耐えかねた主人公が吐き捨てるセリフが心に刺さります。
私が世間知らずでバカなだけかもしれないが これが世の中ですか? 官僚や党員の無知で気まぐれな判断で 大勢の人が犠牲になるなんて
事故対応が混迷を極める中、事故の原因を探っていた科学者ウラナはある真実に辿り着きます。
それを公表しなければと使命感に駆られる主人公たちですが、無論対面を重んじるソビエト中央部がそれを許すはずもなく、苦境に立たされます。
また、立ち退きを求められたウクライナ人の老女が、「革命が起こっても、戦争になってもここを離れなかった。今回も同じだ」と言い放つ場面は鬼気迫るものがあります。
ホロドモールなど苦難の歴史をソビエト下で経験してきた人々の姿を垣間見ると同時に、こうした歴史を強いた相手に二度と屈しないという、現在の人々の勇気にもつながるものを感じます。
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君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956
ソビエト連邦時代のハンガリーで起こった民主化運動に基づいた映画です。
水球のハンガリー代表選手カウチと、若き活動家の女性ヴィキが主人公。
国際大会でロシア代表に理不尽な扱いを受けながら、正々堂々戦おうとするカウチと、ソビエト中央からの弾圧を受けながらも民主化を求めるヴィキの姿を描いています。
ハンガリー人の友人にブダペストを案内してもらった際、「ここは1956年の蜂起を記念した広場、あの記念碑は○○年の民主化運動、あれは……」という具合に、何度も何度も民主化を希求しては弾圧された歴史に圧倒されたことがあります。
その1ページを描いた映画ですが、状況の理不尽さやままならなさに、既に過ぎたことと言えどやるせない思いをせずにいられません。
自由な世界に近づこうとするたび、多大な犠牲を払わされた中欧の国々ですが、今回のウクライナが自由を奪われないことを切に願います。
カティンの森
第二次世界大戦下、ドイツとソビエトに分割され消滅したポーランドが舞台の映画。
カティンの町に近い森の中で、ポーランド人将校1万数千人が殺害されているのが、侵攻してきたナチスドイツにより発見されます。
ポーランドの人々は、これがソビエト軍人たちの仕業だと聞かされますが、その後ドイツが撤退すると、ソビエト側はナチスドイツのした虐殺だと発表。
大切な人々を殺された上に、真実を知ることもできず翻弄されたポーランドの苦難の歴史が窺い知れます。
殺害を行ったのがソビエトだとわかったのは冷戦終結後のことでした。
なお2005年に、ロシア連邦最高軍事検察庁は、「カティンの森事件はジェノサイドには当たらない」との声明を出しています。
EUのトップであるフォンデアライエン氏が、今回の戦争を「これはウクライナだけの戦いではなく、自由世界を守るための戦いだ」と発言したことにも頷けます。
今回の侵攻を許したら、またこのような事件が起こり得る世界が来てしまうわけです。
過去に単体で書いたレビュー記事はこちらです。
モスクワは涙を信じない
ロシアが周辺国にしたことばかりを紹介していますが、最後にフェアであるべくロシア映画をひとつ。
アカデミー賞外国映画賞を受賞した作品です。
タイトルはロシアのことわざで、「泣いているだけでは何にもならない」といった意味合いですが、映画そのものは心温まる内容となっています。
ソビエト連邦時代のモスクワで働く主人公エカテリーナは、若くして予期せぬ妊娠をしたうえ、相手のルドルフには突き放されてしまいます。
その後、シングルマザーをしながら懸命に働いた彼女は大工場の責任者に出世。
娘は美しく成長し、ゴーシャという恋人も得て新しい人生を楽しみ始めます。
しかし、ふとしたことからゴーシャより高給取りであることが明るみに出て、男として大黒柱でありたいゴーシャはショックを受けることに。
旧東側社会の数少ない長所、女性の社会進出や仕事における機会の平等が垣間見られるうえ、終盤の問いかけも画期的な部分があったと思います。
エカテリーナを支える友人たちも温かく、友達って良いなと素直に思えるストーリーでした。
こんな映画が生まれた国でもある、ということはこれからも頭に入れておきたいと思う作品です。
過去に単体で書いたレビュー記事はこちらです。
おわりに
「オデッサの階段」でしか知らなかったオデッサの地名を、まさか戦争のニュースで耳にする日が来るとは思いもしませんでした。
寒さに耐えて避難している方が早く暖かい場所に辿り着けるよう、眠れぬ夜を過ごしている方が少しでも早く平穏を取り戻せるよう、祈っております。