本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

ドラマ『やまとなでしこ』

愛かお金か、というテーマに挑んだラブコメのご紹介です。

主人公の強烈なキャラクターと、一貫したテーマでたくさんの人が夢中になった本作。

再放送にあわせ、ネタバレありのレビューを綴ってみます。

 

 

あらすじ

北陸の漁師の家に生まれ、極貧の子ども時代を送った神野桜子。

何としても金持ちになりたい彼女は、高校卒業と同時に父の貯金を持ち出して上京し、フライトアテンダントになる。

そして、連日連夜の合コンの末、大病院の御曹司・東十条司と晴れて婚約する。

しかし、入籍の瞬間までさらなる大金持ちとの結婚のチャンスを諦めたくない桜子は、ある合コンで馬主バッジを付けた中原欧介と出会う。

真の富豪しか手にできない馬主バッジを持つ欧介に、桜子はすぐに夢中になり、なぜかお金のかからない素朴なデートで特別な時間を過ごす。

欧介が金持ちでもエリートでもないことを、この時桜子はまだ知らなかった。

 

桜子の強烈なキャラクター

桜子がなぜ玉の輿にこだわるのか?

その理由は第1話のトップシーンで強烈に説明されます。

「貧乏は嫌い」の一言とともに映し出される寒村の風景、

父親がばら撒く一円玉を我先にとかき集め奪い合う子どもたち、

もうこれだけで更なるセリフは不要なインパクトです。笑

高学歴だったり、仕事につながりそうな才能があれば別ですが、そんな特別な才能もなく、身一つでお金持ちになる方法を探すとしたら、もう玉の輿しかない。

都会に出て美容手段を駆使し、合コンマーケットで有利なCAになり、女性の価値が最もピークを迎える(と彼女が分析する)27歳で結婚する戦略を練る。

正直、「人のお金で幸せになりたい」「お金持ちと結婚したい」という信念は、令和時代にはやや時代遅れにも感じられます。

女性が自分で稼いでお金持ちになることは、今や非現実的じゃなくなってきてますし。

しかし、上述の動機が本当に強烈で、かつ努力が本当に涙ぐましいので、観ている内に応援したくなってきてしまいました。笑

加えて、お金が大事なのは事実です。

お金で手に入る自由も色々あるわけですから。

個人的には、買い物依存症になりかけた経験から、幸せになるにはお金が要る→欲しい物が買える力が欲しい!と思う気持ちはよーくわかります(自分が稼いだお金しか使ってません、念のため…)。

加えて桜子は、生まれた時に決まってしまう身長や外見より、生まれた後の努力で手にできるお金の方が、男性を正当に評価できると言って憚りません。

明快な信念と貪欲さには、やはりわかりやすく興味を惹きつけられます。

序盤で欧介から「お金より、心が大事ですから」と言われて切り返す時の長ゼリフは、強烈を通り越して痛快でもあります。

お金より心が大事?

欧助さんはお金持ちだからそんなことが言えるんです。

子どもの頃から一度も辛い思いなんてしたことないんじゃないですか? 

心だなんて、そんなきれいごと言ってたら、一生貧乏から抜け出せない。

貧乏人を幸せにしてくれるのはお金……お金だけ。

私、貧乏なんて大っ嫌い。

 

幸せを探さない欧介

対する欧介は、物質的な豊かさにあまり興味がありません。

亡き父が遺してくれた魚屋を経営しながらも、数学に夢中になれる日が再びやってくることをぼんやり望んでいます。

忘れられない昔の恋人にそっくりな桜子を好きになりますが、「金持ちしか好きじゃない」桜子といるために身分を偽ってしまいます。

当然バレて嫌われるのですが、その後も何度も偶然の再会をし続けます(このへんはご都合主義ですがまあ仕方ない、普通にしてたら接点ないので)。

優しさと誠実さは誰もが認める欧介ですが、打たれ弱いと言うか、貪欲さに欠けるというか、一度手に届かないと思ったものはすぐ諦めてしまう傾向があります。

数学者になる夢も然り、元カノも然り、桜子も然り。

でも親友・佐久間の妻で学生時代の友人である真理子から、そんな性格に苦言を呈されます。

欧助くん優しいから。(略)

自分からは何も起こさないし、傷つきもしない。

それって、優しい殻に閉じこもって、自分を守ってるだけなんじゃないかな? 

欧助くんは、まだ何にもやってないじゃない。

優しすぎて幸せを見送ってしまう欧介は、自分の心に嘘をつかず欲しいものを手に入れることができるのか?ということも本作のテーマです。 

 

愛とお金

欧介のことが気になりつつも、東十条さんとの結婚準備は粛々と進められます。

お父さんに身分を偽らせ、ドレス合わせにアメリカまで行き、新婚旅行の手配を済ませ、もちろん費用は全部東十条さん持ちです。

夢にまで見たセレブ妻の生活が徐々に始まっているのに、桜子はなぜか浮かない顔。

結婚式というピークに向けて、どんどん桜子の葛藤が高まっていきます。

多分このころ、「お金で物を買う幸せは、物を手に入れた瞬間に過ぎ去ってしまうこと」「人に幸せにしてもらうなんて本当はできないこと」に、桜子は徐々に気付いていたんじゃないかと思います。

思い描いていた幸せってこんなものなの?という違和感(絶対表に出しませんが)、そして二度と欧介に会えなくなるかもしれないと思った時、桜子の心に変化が訪れます。

「お金より大切なものなんてない」という桜子の姿勢を突き抜けて描くことで、愛に揺れる葛藤をより効果的に対比していました。

お金より大切なものがあると人に言われても、まったくピンときていなかった桜子。

でも、それが嘘ならどうして、お金ですべてが手に入りかけている幸せに浸りきれず、欧介のことが気になってしまうのでしょうか。

病床の欧介の母親・富士子や、亡くなった自分の母に言われた言葉が桜子の頭から離れません。

富士子:欧介、貧乏だけど、きっとあなたを幸せにできるわ。

    お金じゃ買えない、たった一つのもので。

桜子:ひとつ、お伺いしたいんですけど、

   お金には代えられない大切なものがあるとしたら、

   そのたった一つのものって何ですか?

富士子:それは、欧介と一緒にいたらわかるでしょう?

 

お金は大切なものよ。

お金があれば、辛いことや悲しいことも、忘れられるかもね。

でもね、桜子。

お金より、もっと大切なものがあるの。

世界中のどこにも売ってない大切なもの。

きっとね、みんな生まれてくる前から、それを探してるの。

お金じゃ買えない、たった一つのものよ。

 

幸せ探しと大切なもの

二十代のうちに懸命に幸せ探しすることは、その後の人生を変えてくれる、と桜子を見ながらしみじみ思いました。

自分にとって本当に大切なものを探すことの大事さを、余すところなく伝えてくれるドラマです。

でも、結婚とか婚約ともなれば、人生で何度もしたことがある人ってそうそういないし、ほとんど誰もが初めて臨むわけで、そうしたら必ずしも悔いのない判断ができるとは限りません。

決断してみてから、ああやっぱり違った!と思う人もいるはず。

失って初めて気づくとか、間違ってみて初めて気づくことが、色々あるというのも、すごく温かい目線で描いていた気がします。

特に佐久間先生の桜子に対するセリフが象徴的でした。

あなたの価値観は、いつもストレートで分かりやすい。

でも普通はね、何が自分にとって一番大切なのか気付くことの方が難しい。

それをなくす前に気付くことが出来ればラッキーだ。

でも、多くの人はなくしてから気付くもんでしょ? 

僕は真理子を失いそうになったとき、やっと分かった。

彼女がどんなに大切か、だから土下座までして手に入れたんですよ。

身近にあるときは分からない、失ったときに初めてその大切さに気付く。

しかも、それがその人にとって一番大切なものだったりするから、始末に負えないんですよ。

欧介さんも、探し切れなかった幸せを三十代で巻き返せてお疲れさまでした!

まずは自分が何を求めているのか理解しないと、幸せ探しも始められませんが、若い時って意外とそれすらわからないままがむしゃらに生きてたりします。

そして、「チャンスがないな」「出会いがないな」と思ってるうちに歳を取ってしまったりする。

でも、自分の幸せは自分にしかわからないのだから、自分自身で叶えるしかない。

それをわかりやすいテーマで説明してくれた名作ドラマでした。

 

おわりに

本作の脚本家は、『ハケンの品格』も書いた中薗ミホさんでした。

しかも『ドクターX』もこの人、紛うことなきヒットメーカーですね。

もう一人、脚本を担当していた相沢友子さんは、数年後に本作のキャストが再結集したドラマ『恋ノチカラ』も執筆されています。

こちらもかなり面白かったのでいつかレビューを書きたいと思います。

ひとまず、愛とお金について考えたいときは、『やまとなでしこ』をご覧になることをおすすめします。

 

 

 

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映画『ダウントン・アビー』

大好きなドラマシリーズの劇場版を観たのでご紹介します。

端的に言ってドラマファン歓喜!な内容です笑

ネタバレしながらレビューを綴ります。

 

 

あらすじ

ダウントンに、英国国王夫妻が視察に訪れるとの報せが入ると、クローリー家の面々も、階下の使用人たちも大喜び。

準備に大わらわになりながらも、国王をおもてなしできるとの期待に沸く。

引退したカーソンも、ベテランが必要な一大事だとして駆り出されることになった。

前例のない大仕事に苦心惨憺するメアリーや、親戚との長年の因縁にケリをつけようとするバイオレット、新たな変化を迎えるイーディスなど、クローリー家の人々は相変わらず話題に事欠かない。

一方階下の面々は、国王に随行してきた王室の使用人たちから「何もかも我々が取り仕切るので関わるな」と一方的に通告されてしまう。

せっかくの国王来訪に関われないことを悔しく思った彼らは、一計を案じる。

 

懐かしのメンバー健在 

映画を観る前にちょうどドラマシリーズを観終わったので、本編の感動が冷めやらぬまま観に行きました。

結論から言うと、ドラマが完璧に蘇った物語!という印象です。

生まれついての主人公メアリー、菩薩のコーラ、そしてキレキレのバイオレットが相変わらずの丁々発止の遣り取りを見せてくれます。

色々な方のレビューを見ると、メアリーが苦手という人は多いようですが、私は最も好きな人物の一人なので、メアリー節の健在がとても嬉しかったです。

自立して領地を守って行かなきゃという気概と、でも今まで守られてきた自分にそんなことできるのか、悩むせめぎ合いに毎回グッときます。

そのメアリーを陰から支えるバイオレット、今回も頼もしいです。

こんな知恵と手練手管に満ち溢れたおばあちゃんになりたい。

階下のメンバーは国王夫妻を迎えるロイヤルハイに湧く中、大活躍というか大暴れというか、特にアンナ笑

ヒューズさんもフルスロットルで加勢して大盛り上がりだし、やがてカーソンさんもついに。そうこなくちゃ。笑

カーソンさんを引っ張り出したことで休暇になってしまったバロー、本編での行動を踏まえて色々心配になってしまいましたが、結果的に本当に良かったね…!涙

シビルを亡くしてから悲しみ、悩み、時には迷走していたトムも、本作でついに新しい一歩を踏み出すことができたようです。

本シリーズの脚本を担っているジュリアン・フェロウズは、人の美しい感情ばかりでなく、醜い感情もリアルに描きつつ、でも登場人物を嫌いにならせないという手腕が卓越しています。

だからこそ、各登場人物の言動・行動・情動を一生懸命追ってしまいます。

明らかな嫌われ役がいないわけではないのですが、メインの人々が多少ネガティブな感情を出しても「こんな奴だったのかよ嫌い!」とならず、「そういう時ってあるよね」と共感させる力があります。

全体として、イングランドらしい皮肉もウィットも利きつつ、胸が一杯になる展開が詰め込まれていました。

 

映像作品として

隅から隅まで構図も美術も衣装も隙がなく、どこを切り取っても完璧な映像美も相変わらずでした。

ただ、ドラマと同じで顔に近いカットが多いので、映画館で観ると近めに思いました(それほど前の席ではなかったのですが)。

シネコンの中では少し小さめのシアターだったので、もっと大きなシアターなら少し印象が変わるのかもしれません。

でもロングショットも全部美しいので心配は要りません。

シーズンが進むにつれ人気が盛り上がって予算がつくようになったのか、美しいロケ場面がどんどん増えて行ったのを感慨深く思い出しました。

 

おわりに

基本はドラマを観た人が映画館に来ているためか、クスクス笑いが頻繁に起こっていたのが温かくて良かったです。

階下の面々がロイヤルハイななか、観客は完全に同窓会ハイでした。

新しい潮目を迎えそうなダウントンアビー、映画第二弾を待ちたいです!

ドラマが好きだった方には絶対にお勧めしたい一作です。

ドラマ本編についても、近々レビュー記事を書けたらと思います。

 

 

 

 

劇場版 ダウントン・アビー (字幕版)

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劇場版 ダウントン・アビー (吹替版)

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映画『WOOD JOB! ~神去なあなあ日常~』

以前紹介記事を書いた小説がパワーアップされて映画になっていましたのでご紹介します。

イマドキの子なのに憎めない素直な主人公に、だんだんと感情移入してしまう珠玉の名作です。

ネタバレを含みます。

 

 

あらすじ

高校を卒業したものの、進学の予定もなく、定職につく意欲もない勇気。

パンフレット表紙の女性が可愛かったというだけで、林業従事者を育てる官製プログラム「緑の研修生」に参加する。

座学と講習を終え、勇気が配属されたのは、携帯の電波も届かないど田舎・神去村だった。

パンフレットに載っていた女性・直樹の近所であることに喜ぶも、厳しい現場の洗礼を受け続ける日々。

そして、研修期間の一年が終わる頃、勇気は横浜の実家に戻るか、神去村で就職するかの決断を迫られる。 

 

原作との比較 

珍しく、映像化されて原作の良さがさらに強化された好例じゃないかと思います。

ヨキのキャラクターはむしろ映画の方が好きです。

原作ではひたすらやんちゃな面が強調されてましたが、映画では見せ場もあってかっこよくまとまっていました。

そして、伊藤英明の俳優力を思い知らされました笑

都会の俳優じゃなく、林業従事者のあんちゃんにしか見えない…

勇気の成長は原作に忠実で、染谷将太の演技が安心させてくれます。

こちらも中盤のスローライフ研究会のくだりで、小説よりも成長が実感しやすくなっていました。

高校卒業してすぐ就職したら、学生している友人たちはただでさえ幼く見えるだろうなあ、という学生だった自分を省みてしみじみ思ってしまいました。

直樹さんだけ、かなりセリフに語らせるかたちになってて少し原作のイメージと違うかもしれません。

おばあちゃんから「はねっかえり」と言われる勝気な性格はそのままですが、もっと「綺麗な大人のお姉さん」的なミステリアスさがあった気がするんですよね。

自分の記憶が曖昧なのかな……でも、ちぐはぐ感は全然なかったし、長澤まさみのフィット感は安心のクオリティ。

公開当時、あまりチェックしていなかったけど、結構な豪華キャストです。

それだけに演技の安定感も皆さん高くて、終始違和感なく森の世界に入っていけました。

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細部に宿る監督の魂 

研修同期の彼のタオルとか、ニューヨークの女とか、ヨキ夫妻の仲直りの過程を感じるタオルとか、矢口監督はやはりディティールの神。笑

ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』にも、クスッとなる小ネタがたくさんありました。

kleinenina.hatenablog.com

本作でもその才能がキレッキレに発揮されています。

ちょっとした小道具に笑いや、都会と田舎のカルチャーギャップを込めるセンスが光っています。 

小ネタに気を惹かれている内に、いつの間にかストーリーもどんどん進んでいって、あっという間に時間が経つ気がします。

本の森林や原始神道についての考証も、原作から適宜深掘りされ、かつわかりやすく物語に織り込まれていました。

捜索中の場面で勇気の手を引いたのは、原作でも出てきた山の神様・大山祇(オオヤマヅミ)の娘(木花咲耶姫か磐長姫のどっちか)ですね。

で、その後の大山祇のお祭りがクライマックスなんですが、日本の原始的な祭祀の目的って豊穣と子宝の祈願なので、基本そうなるよね……という太古からの人間の願いの爆発を感じます笑

神道の舞・神楽の一部に、ものすごく直接的な演目が含まれるのと根源は同じでしょう。

何かやんわりした書き方ばっかりしてますので、詳しくは映画をご覧ください笑

最後の祭りに限らず、森や山の映像は問答無用で非日常に連れて行ってくれる田舎感・山感に溢れておりました。

映像だけ見ると美しいけど、都市部で甘やかされた自分が暮らしていくのは大変だろうなあ、と思ったりします。

一方で、山深い森の画を見てると、日本の神社がもともとは山や森そのものを社殿と見なしていたというのも頷けました。

山や森に抱かれ、恵みを享受して暮らしながら、毎年畏怖を込めて豊穣や子孫繁栄を願う、という原始日本の営みも感じさせる秀作です。


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新米社会人の変化

都会でのんびり育った主人公・勇気は、電波も通じなければ、娯楽も何にもない山村生活に最初、途方にくれます。

これは……もう致し方ないですね。笑

厳しい肉体労働などしたことがなく、切り傷を負って出血にテンパったり、お世辞にも優秀な林業従事者のポテンシャルはなさそうです。

しかし、ヨキをはじめとした厳しい先輩に毎日鍛えられている内に、チェーンソーを扱えるってかっこいいなあとか、ちょっとしたことから、自立した職業人になることへの関心を深めていきます。

そして中盤の山場、大学に進学した友人が「スローライフ研究会」の仲間とともに見学に来ます。

研究と称しつつ、お遊びの合宿のノリで、仕事仲間の先輩たちを珍獣扱いする彼らに、勇気は苛立ちを爆発させます。

この場面の説得力は本当に後半に響いてきてました。

林業従事者、山の男の一人として怒りを見せた勇気は、その後より真剣な顔で仕事に取り組めたんだなという納得感が段違い。

彼の歌い出しに乗って、トラックの荷台の皆で合唱を始める場面は、映っている人は笑顔なのに目頭が熱くなります。

大祭に勇気を参加させるか否かで議論になった時、ヨキが勇気について

ほとんど役に立たんけど、みんなが思てるより、ちゃんと山の男や

と発言してくれたのも、姿勢を評価してくれたからでしょう。

能力で貢献できるかできないかより、皆が認めるか認めないか、という気持ちの問題こそが、こういうコミュニティでは大事ですよね。

 

神去村ならではの成長

神去村の濃密な人間関係と、原始的な生活に放り込まれた勇気が、混乱の渦中にある序盤はコメディ要素が多すぎて飽きません。

面白く描かれてはいますが、正直大変な成長が必要なことです。

都会って、ひとりでも生きていけるサービスや仕組みが沢山あるので、人と深く関わらなくてもそれほど困らなかったりします。

しかし、田舎になればなるほど、そうしたサービスや仕組みの不在を、人間同士の助け合いで補っているところがあります。

移動手段一つとっても、都会なら電車とバスとタクシーでどこへでも行けるけど、神去村では少ない本数の電車の時刻に合わせて、車で送ってもらわないとなりません。。。

勇気はヨキの家に、仕事のみならず衣食住まで世話になってますしね。

誰とも距離が近い世界だからこそ、長い目で人間関係をちゃんとメンテする気概がなければ、つつがなく生きていくことが難しい。

対人距離が近い関係で、恥ずかしくない人間でいることの方が、誰とも程よい距離でかっこつけて生きていくより、ずっと難しいからです。

対人スキルが低すぎるがために、対人距離の遠い都市部でしか生きていけないなあ、と常々思っている自分としては、勇気の成長に叱咤激励される思いでした。

 

おわりに

笑いながら見ているといつの間にか終盤で涙を誘われる、爽やかさと痛快さが健在な矢口監督の名作です。

笑って元気になれる話が観たい!という時にぜひおすすめしたい作品です。

 

 

 

 

映画『ROMA/ローマ』

2019年アカデミー賞外国語映画賞・監督賞・撮影賞を受賞した作品をご紹介します。

映像の美しさと静かなストーリーが相まって、何とも余韻が染みる映画です。

アメリカ映画なのですが全編スペイン語で、一部ミシュテカ語が話されています。

最後までネタバレします。

 

 

あらすじ

1970年代初頭のメキシコシティ・ローマ地区。

医師のアントニオとその妻ソフィア、4人の子供、ソフィアの母テレサが暮らす家で、クレオとアデラという2人の家政婦が働いている。

クレオはある日、恋人と関係を持ち妊娠するが、事実を告げると相手は失踪してしまう。

一方、雇い主であるアントニオとソフィアの関係も緩やかに破綻を迎えようとしていた。

変化を迎えるメキシコ社会とともに、クレオを取り巻く人間関係も様相を変えていく。

 

映像の美しさ

本作は2010年代の解像度でモノクロを撮ることの美しさを体現している作品と言えます。

凄まじい高解像度だからこそ堪能できる、様々なグラデーションを美しく投影しています。

「何でわざわざモノクロにしたの?」と訊きたくなる映画は過去にちらほらあったのですが(リュック・ベッソンのあれとか、ウディ・アレンのあれとか)、このクオリティで作ったら誰も文句言わないですね…

どこを切り取っても本当に美しい映像でした。

モノクロの美しさを前面に押し出した映画というと、個人的には『羅生門』が真っ先に浮かびます。

羅生門 デジタル完全版

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同じモノクロなんですが、『羅生門』はモノクロフィルムの美しさ、本作はデジタルの美しさをプレゼンしきっています(どちらも好きです)。

あと『羅生門』はモノクロ世界での白が特に綺麗な印象でしたが、こちらは灰色の階調がきめ細かくて絶品でした。

ストーリーを楽しむうえでも、有彩色を排したことで、違和感なく1970年代のメキシコに連れてってもらえる感じがします。

余計なことが気にならないというか。

 

アルモドバル作品との類似点

セリフが多い大人のほとんどが女性で、男性キャストは揃いも揃って無責任というのが、アルモドバル監督の『ボルベール』を想起させます。

女性讃歌的スタンスも、本作と似てるんですよね。

アルモドバル作品からコミカルな要素を絶滅させたら、『ROMA/ローマ』のような映画になりそうです。

徹頭徹尾まじめで、クスッとなるところとかないんですよね。

対するアルモドバルは、強さやひたむきさを登場人物に託しつつも、どこか愛嬌のある姿を描くことに長けていると感じます。

ボルベール<帰郷> (字幕版)

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アルモドバル監督が、スペインじゃなくアメリカの映画界であれを撮っていたら、アカデミー賞獲ってたのかなと思ったりします。

英語以外の作品に賞獲らせる傾向はここ何年かなので、一概に言えないのですが。

本作のアルフォンソ・キュアロン監督も、アルモドバル監督も、スペイン語圏を舞台に、スペイン語で映画を撮っているのを見ると、ラテン文化・スペイン語文化の底にそうした文脈が流れているのを感じます。

(それをホラーコメディという別の形で爆発させたのが、『スガラムルディの魔女』なのでしょう笑)

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出産と男女

ベビーベッドを見に行った外出先で、暴動に遭遇してしまうクレオ

家具店に逃げ込んできた若者が殺害されるのを目撃します。

そして、追っ手として店に飛び込んできた暴徒の一人は、子どもの父親のフェルミンで、クレオに銃を向けて暫し睨み合います。

撃たれることはなかったのですが、クレオはその場で破水し、病院に搬送されるものの、渋滞で到着に時間がかかってしまいます。

偶然彼女を見かけた、雇い主のアントニオが励ましにクレオに声を掛けました。

しかし、この「僕は出産には立ち会えないけど頑張って」「あなたも立ち会えるわよ?」「いや患者の予約があるから」の場面は既視感ありすぎました。

「男が子育てしても役に立たないから」「授乳以外のことは男女関係なくできるでしょ?」「いや…(会話終了)」みたいなやり取り、昭和平成(今もか)の日本(世界)で何万回繰り広げられたんだろう。

アントニオが不倫に現を抜かしているのも納得というか、家族の一員としての役割に収まり切れず、何度も恋愛を追い求める姿が、皮肉を込めて表現されていました。

何気ないさらっとしたやりとりなんですが、彼の本質がよく表れています。

多分こういう人は、「女性の方が子育てに向いている」「親としての適性は母親の方が高い」「どんな女性も母性を内包している」という神話を信じているのでしょう。

実際には、母親としての自動セットアップ機能が体内・脳内に備わっているわけではなく、ソフィアのように七転八倒しながら、クレオのように不安に押し潰されそうになりながら、身体の内外で子どもを育てていくわけですが。

それに、誰もがトラブルなく妊娠出産を終えられるわけではありません。

クレオの出産した赤ちゃんも、心臓は打っておらず、死産となってしまいました。

前半で、病院内でクレオ地震に遭遇する場面があります。

新生児室の保育器の一つだけに落下物が落ちてくる描写があり、なぜ他の保育器には何も落ちていないのに?と不思議に思いました。

まさかのミスかと思いきや、それも計算の上だったのかと終盤思わされました。

石が落ちてくる子もいれば、そうじゃない子もいる。

それは誰が決めることもできないことで、命の負った宿命は生き残った人々で受け止めるしかありません。

そうした不条理を、何気ないカットで説明する手腕は見事なものでした。

 

海辺の抱擁

離婚を目前に、ソフィアは子どもたちとクレオと、トゥスパンへの旅行に出かけます。

波にさらわれかけた子どもたちを、泳げないながらも助け出し、安堵したクレオは言えなかった思いを吐露します。

子どもは欲しいと思っていなかった。

クレオが最後に思いを吐露できたことをもって、本作の女性讃歌の側面は完成したのだと言えます。

前述の女性神話というか母性神話に囚われず、ただ懸命にもがいて生きる女性の姿にひたすら寄り添うことを示していました。

神話に沿った話であれば、フェルミンに「自分の子のわけがない」と突き放され、あまつさえ銃まで向けられても、子どもの存在が希望を与えてくれて強く生きていく、ハッピーエンドになったでしょう。

でも本作では、出産に向けての安心も希望もなかった(どころか罵られるし銃まで向けられる)状況を看過せず、その当然の結果としてクレオに湧きあがった思いを受け止めています。

クレオたちが海から出てくるところは、生まれることの暗喩のようでした。

波に押されて砂浜に上がるように、母体の収縮に押されて水と一緒に外の世界へ出ていく。

ぺぺがとりとめなく語る前世の記憶みたいなのも、「今回は会えなかった命も、またきっと生まれてこられる」と言い聞かせているよう。

ずっと表情の固かったクレオが、最後にソフィに「大好き」と言われて少しだけ表情を和らげるのが印象的でした。

人は自分がされたことしか誰かに返せないのかもしれません。

 

おわりに

予備知識なしに見始めたのもあり、前半は突然の武術に心が掻き乱されたまま「これ何の話なんや」と思うこと1時間でした。笑

しかし、後半に一気に話が進みつつスッとラストへ収斂していく様子が、何気ないようでいて計算し尽くされてる感じがしました。

ディティールに託されたメッセージも優しいし、トップシーンの掃除のカットと、ラストシーンの階段を上がっていくカットの美しさは特筆すべきものがあります。

Filmarksで多くのひとが「映画館で観て良かった」と言っているのを見て、確かにスクリーンで見た方が堪能できそうだなあと納得してしまいました。

静かで優しい映像作品をゆっくり味わいたいとき、ぜひおすすめしたい映画です。

 

 

 

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ドラマ『ザ・クラウン』

Netflix制作のドラマ、『ザ・クラウン』をシーズン1からシーズン3までコンプリートしたのでご紹介します。

最序盤では「同じ英国ドラマの『ダウントン・アビー』の方が面白かったかな?」と思っていましたが、だんだんと視聴ペースが上がっていきました笑

ダウントン・アビー』とは違った良さがあり、こちらも大好きになりました。

総評と、各シーズンへのコメントに分けてご紹介します。

 

 

あらすじ

1947年・英国。

エドワード8世が1936年に王位を放棄して以来、英国王は彼の弟・ジョージ6世務めている。

将来、彼の王位を継承することとなる長女エリザベスは、この年、周囲の反対を押し切ってフィリップ・マウントバッテンと結婚。

チャールズとアンの二人の子どもにも恵まれ、幸せな日々を送っていた。

しかし、体調の思わしくなかった父王ジョージ6世が逝去したことにより、エリザベスは弱冠25歳にして英国の王位を継ぎ、女王に即位することになる。

 

総評

Netflixの凄まじい資金力を感じる映像美に序盤から圧倒されます。

ダウントン・アビー』は後期になるにつれ(人気が固定化して予算が付くようになったのか)ロケ撮影が増えていく実感があったけど、こちらは最初からフルスロットルでした。

ロングショット、大道具、小道具、衣装、どこを切り取っても隙がなく美しいですし、王室の重厚さ、戦後世界との程よい遠さを感じさせます。

毎話取り上げられるトピックは、王室の歴史、スキャンダル、英国の政治史、事件など様々ですが、どのテーマにおいても凄まじい説得力とディティール描写力が光ります。

出演者インタビューで誰かが「『ザ・クラウン』のリサーチチームに何か一つ質問すると、100ページくらいのレポートが返ってくる」と言っていました。

物語世界を構築するための知力、リソース、資金すべてを惜しみなく注いでいるのが窺えます。

人物の描き方は、大抵どの人物にも良い面と悪い面が配置されてる様子です(エリザベス2世とジョージは別で、基本良いサイドが描かれています)。

架空の人物を魅力的に描くのは簡単、実在の人物を魅力的に仕立て上げるのもままあることだけど、本作は両面を持ったリアリティある人間像を映し撮るという、難易度の高いことをやり切っていました。

リリベット(エリザベスの愛称)もフィリップ王配も存命中なのに、ということでさらに凄いです。

 

シーズン1

父のジョージ6世と死別し、即位するエリザベスが君主の仕事やフィリップとの夫婦関係に奮闘する様子が描かれます。

戦後の余韻を抜け出しつつも、チャーチル首相のもと激動の時代を経験し続ける英国の描写も印象深いです。

戸惑いながらも「立場を生きる」という使命に全力で応えようとするリリベットに、心から寄り添う人間がいないように見えて苦しいけど、その葛藤にとても引き込まれました。

リリベットの性格を一言で言うと、長女の権化でしょうか。

定められた役割に従って生きること、それを全うすることに激しい反発はないけど、だからこそ、素直に受け入れないどころか、積極的にあさっての方向へ突き抜けようとする人々(フィリップ、マーガレット)が理解できません。

そして、真摯に役目を果たそうとすればするほど葛藤が深くなります。

フィリップやマーガレットといった、より人間的な感情を優先したい人々と折り合いがつかなくなるためです。

エリザベスはフィリップやマーガレットのことも否定したいわけではなく、妻として姉として寄り添いたいと考えています。

ただ、個人としてそう思っていても、周囲や世論はそれを許しません。

社会人としては、特に根回しせずフィリップやマーガレットに「いいよ!」と回答→秘書や首相から全力で止められる→ごめんやっぱり無理、という流れが多いことに突っ込みを入れたくはなるんですけどね。

家族から頼まれたことに、「確認して回答します」とは言いにくいのかなあ。

リリベットに苛立ちをぶつけるフィリップやマーガレットに、「彼女が負ってるものは何だと思ってるんや王冠やぞ」とも思いますが、20代の若い時にはなかなか納得しがたいこともありますね。

しかし、エリザベスに張り合うマーガレットには、人と比べてる限り本当の幸せは掴めないよ。。。と小一時間語りたくなります。

それを忘れさせてくれるタウンゼントとの仲が思うようにいかないのはかわいそうだし、一人暮らしも簡単にできないので近くにいたら比べてしまうと思いますが。

一方、『英国王のスピーチ』で献身的な妻として描かれたエリザベス王太后、夫を喪ってから本当に辛そうで心が痛みます。

しかし、娘たちへの関わり方は何だか遠さを感じます。

マーガレットが深層心理でライバル視する姉の言うことをすんなり聞くわけないのに、もっと間に入ってあげてけれ…と思ってしまう。

脚本的には主人公の動きを掘り下げるべきだし、マーガレットとの軋轢を顕著にするために仕方ないとは思いますが(間に王太后が入ったら衝突の要素が薄まるため)。

それに比べて、特にシーズン序盤で存在感のあったメアリー王太后の迫力や、助言の重みは素晴らしかった。

息子であるジョージ6世の訃報を受けた後、孫娘エリザベスを喪服で跪いて迎える場面は鬼気迫り過ぎて鳥肌が立ちました。

シーズン1の名言を挙げるとしたら、迷いなく彼女の”Monarchy is a calling from the God.(君主制は神が与えた試練です)”を推したいと思います。

エリザベスを支える人間として、もう一人忘れちゃいけないのはウィンストン・チャーチル首相でしょう。

戦時下に英国を勝利に導いた首相は、かなりの高齢になっており、「後進に道を譲るべき」とも囁かれる中、自分こそがリーダーたるべきと信じてポストに留まり続けます。

若いからとエリザベスを支えようとしたり、時には侮って鼻を明かされたりと、緊張感あるやりとりが続きます。

一方で、ロンドン・スモッグ事件など、英国の歴史上の重大事件も取り上げられ、その中でチャーチルやエリザベスがどう葛藤したかも見ごたえがありました。

毎話、「エリザベスに比べたら自分はなんて自由な人間なんだ…」と思わされる展開があります。

その中でも毎回答えを見つけて進む姿に、「私なんかはこんなに自由なんだから、やろうと思えば何だってできる」と勇気をもらえました。

 

シーズン2

1956年のスエズ動乱から、1964年のエドワード王子誕生まで、イーデン内閣、マクミラン内閣下の英国を描きます。

伯父エドワードがドクズだった…

フィリップが女王の夫としてだけでなく未来の国王の父親としてもワークしてない…

首相の引き際が全員お粗末…

と第一シーズンにも増して孤高のヒロインぶりが積み増しされた一方、展開はますます重厚になります。

三十代という人生の山場を、イギリスのみならず世界の歴史を絡めて描いていて、リリベットの強さがさらに際立ちました。

マーガレットへの接し方を見て、やはりエリザベス王太后は(夫のことは深く愛してたと思うけど)娘たちのことはそれほどでもなかったのかなと思えてしまいます……

そしてやはりマーガレットは、「姉を負かすこと」「姉より注目されること」ばかり考えていて、自分にとっての幸せを考える境地に辿り着けたのかどうか。

本シーズンで辛い幼少期が明かされたフィリップは、終盤少しだけ挽回します。

しかし可哀そうなのは幼い頃のチャールズです。

体育会系気質が合わないのに、父フィリップの意志でバキバキに筋肉質なゴールドストウン校にぶちこまれます。

遠くスコットランドにあるというだけでも心細いのに、毎日気の合わない同級生と寄宿舎で過ごすのは本当に辛そうでした。

しかも、フィリップも寄宿生活が最初から楽しかったわけではなく、決定的な悲劇を経て、家族から突き放され、学校をよりどころとするしかなかった様子。

なのに息子にも辛い生活を強いようとするのは、自分の中の「今でも許せない子どもの頃の自分」を攻撃しているようにしか見えません。

標的にされるチャールズはたまったもんじゃないよ…

フィリップ王配は存命中なのに、ここまで描かれていいんでしょうか。

 

シーズン3

1964年から1977年まで、冷戦の緊張の高まりや、成長した王太子チャールズとの関係が描かれます。

内閣はヒース政権を経た2回のウィルソン内閣。

本シーズンはイギリスの歴史より家族、特にチャールズに重きを置いて描かれていました。

30代だったリリベットが急にアラ還くらいの外見になり(設定はアラフォーのはず)、最初は慣れるのに時間がかかりました。

だけど『女王陛下のお気に入り』でも女王陛下を演じたオリヴィア・コールマンの安定感はやはり盤石です。

表情があまり変わらないところや、さりげなく一般人に見える瞬間は前シーズンから引き継がれていました。

マーガレットには今まであまり共感できなかったのですが、誕生祝いのシーンでは初めて少し同情しました。

誰も味方になってくれないの?っていう辛さが遂にストレートに表現された瞬間だったので。

というか、マーガレットの件で学んだことを、英国王室はなぜチャールズの代で活かせなかったのでしょうか。

それが後々の悲劇につながってしまうとは、予測できていなかったのでしょうが。

とうとうカミラ・シャンドも登場し、次シーズンではいよいよダイアナ妃が描かれるのか?

鉄の女サッチャーとリリベットはどんな二人になるのか?と早くも待ち切れません。

 

おわりに

とにかく重厚、かつ現実にリンクしている面白さもあるドラマです。

英国戦後史の勉強にもなりますし、英国王室ファンとしては散りばめられる王室豆知識もとにかく面白い。笑

制作はシーズン6まで予定されているそうで、現在は1977年までが描かれたところですが、一体何年までが描かれるんでしょうか。

サッチャー政権やダイアナ妃とチャールズの結婚はシーズン4で描かれそうですが、現ジョンソン政権下のBrexitや、何かと話題のメーガン妃も登場するのか、想像が膨らみます。

英国の歴史や王室に興味が少しでもある方には、ぜひおすすめしたいドラマです。

 

  

 

 

映画『リンドグレーン』

北欧を代表する児童文学作家、アストリッド・リンドグレーンの若き日を綴った映画のご紹介です。

原題は原語(スウェーデン語)で"Unga Astrid"、英語で言うと”Young Astrid”(若き日のアストリッド)だそうです。

基本的には彼女の本を読んだ人を対象にした映画かと思うのですが、作品未読の方が観たらどう思うか気になったりします。

ネタバレしながらお送りします。

 

 

あらすじ

スウェーデンの片田舎で生まれ育った少女アストリッド。

好奇心旺盛で活動的なアストリッドの世界は、厳格な父母がまとめる家族と、宗教的規範の支配する村が全て。

学校を卒業した彼女は、文章を書く特技を活かして記者の秘書として働き始める。

徐々に記事の執筆も任せてもらえるようになった彼女は、物書きとしての才能を開花させていく。

一方で、彼女の才能を見出した記者との関係も決定的な変化を迎えようとしていた。

 

リンドグレーンの作品

アストリッド・リンドグレーンの著作は、日本でも多数翻訳されています。

私も『長靴下のピッピ』『名探偵カッレくん』『やかまし村の子どもたち』を子どもの頃読んで、今でも好きな作品です。

ましてスウェーデンの人にとっては、推理小説ドラゴン・タトゥーの女』シリーズで自然に引用されてるくらい、自国文化の一部なんだと思われます。

(主人公ミカエルを名探偵カッレくん、ヒロインのリスベットを長靴下のピッピになぞらえてからかう描写がある)

どのお話でも、主人公たちは自由にのびのびと、楽しそうに冒険に繰り出していきます。

その姿に読者も引き込まれて、主人公たちを好きになり、一緒に冒険の旅に出かけるような気持ちにさせてくれる本ばかりです。

子どもが夢中になれる話を書く人は、辛さも悲しさも知っているからこそ、夢中になれることや楽しい気持ちを持つことの重要さを知っているのかもしれない、と本作を観て思いました。

これだけしんどい目に遭って、それでも立ち上がって自分の気持ちに従って生きることを決めたアストリッドの姿は、強く明るく生きる登場人物と時々重なります。

そして、前を向くこと、まっすぐな気持ちを持つことの強さが伝わってきます。

余談ですが、『ニルスの不思議な旅』のセルマ・ラーゲルレーヴが会話の中に出てきて、この頃既に地位を確立してたんだと初めて知りました。

 

アストリッドの人生

友人の父親であり、地方新聞の編集者であるブロンベルクのもとで、秘書として働くことになったアストリッド。

彼の妻であり友人の継母である女性は、妊娠した子を喪った悲しみから、ブロンベルクと不和に陥っており、アストリッドが働き始めた頃には夫婦仲は破綻していました。

子どもを喪うことを彼は、「女性にとっては耐えがたい悲しみだ」と形容しますが、アストリッドは「男性にとっても同じでは?」と返します。

このセリフが伏線だったとは。。。

ブロンベルクと男女の関係になり、妊娠したアストリッドは、父親の名前がなくても子どもを産めるデンマークへ行って出産します。

しかし、生まれた息子ラッセを引き取ることはままならず、離婚手続きの長引く彼に自由に会うこともできず、辛い日々を送ります。

さらに、不貞があったことが妻側に知られてしまい、彼は姦通罪で訴えられ、収監される可能性まで出てきました。

どんどん大きくなる可愛いラッセと暮らせないことに煩悶するアストリッドでしたが、ことが終わって報告に来た彼はどこか浮かれた様子。

「たった数百クローネの罰金で済んだよ!大したことなかったさ!」とどこか相手をなめたような笑顔を浮かべる彼に、違和感を覚える彼女。

「そんなことで済むんだったら何で私はあれだけ苦しんだの?」と憤るアストリッドの気持ちが、ブロンベルクは全く理解できない様子でした。

推測ですが、この時の言い方ひとつでアストリッドに与える印象はかなり変わったんじゃないかと思います。

「心配かけたけど、罰金で済んだからようやく家族三人で暮らせる」「里親のもとにいるラッセを引き取って、君とも結婚できる」とアストリッドの気持ちに寄り添っていたら、関係は継続していたんじゃないかと。

でも結局、激怒したアストリッドは「もうあなたなんか要らない!」と宣言し一人でラッセを迎えに行きます。

ブロンベルクと暮らせない悲しさがあったうえ、ラッセがどんどん里親の弁護士に懐いていき、離れて暮らす自分を母と認識しなくなっていく焦りで、アストリッドの頭は一杯になっていたんだと思います。

でも彼はそんなことはどうでも良くて、ずるい大人の駆け引きを無事に終えてしまえば万事解決、という態度だったのが、別れの原因だったんじゃないでしょうか。

アストリッドも好意を抱いていたとしても、家庭を持ったことのある大人なら、同い年の娘を持つ父親なら、ブロンベルク何としても断れよ…と思っていたので、これは別れて良かったんじゃないかと思いました。

ラストで教会で見かけた時、やっぱり二十歳くらいの少女と付き合っている様子でしたし、彼はもうそういう年齢の人としか関係を築けない嗜好なんだと思います。。。

 

窮地と再起

とはいえ、ワーキングマザーとして暮らしていくのは容易なことではなく。

ラッセの咳が何日も治らず、眠れない日が続き、仕事でもミスを連発してしまったアストリッドに、ストックホルムでの上司が声を掛けます。

すぐに帰ってラッセの傍にいてあげるように、と言ってくれた彼の言葉に従い、アストリッドはラッセを付きっきりで看病します。

さらに上司がお金を払って差し向けてくれた医師にラッセを診察してもらうことができ、百日咳の治療が受けられることになりました。

この上司こそ、後のパートナーとなるリンドグレーンさん。

アストリッドの人生は決して穏やかなものではありませんが、窮地に陥ってもぎりぎりのところで寄り添ってくれる人に出会えています。

リンドグレーンさんしかり、出産とラッセの養育をサポートしてくれた弁護士マリーしかり。

絶望しても八方塞がりと思っても、最後に助けてくれる人が現れた時、人生の辛さと素晴らしさを両方知ったのではないでしょうか。

そして、教えてくれたマリーやリンドグレーンさんの温かさは、書かれた物語の温かさになって生き続けているように思います。

 

アストリッドの個性

若きアストリッドの活力は、封建的な田舎の村で閉じこもっているには大きすぎた、という表現が序盤に見られます。

小さなホールで、男の子と対にならず、一人でひたすらエネルギーを爆発させて踊り狂い、あるいは雪の降りしきる帰り道で大声で叫び出す。

若くて創作意欲にあふれたキャラクターを象徴するようでした。

のちにストックホルムでも踊り狂います。

ブロンベルクとの濡れ場が長すぎるというレビューもちらほら見たのですが、小さな田舎で強い生命力の行き場がなかった姿を表しているようで、個人的には違和感ありませんでした。

その後の激動すぎる人生も、著書からは全く想像つかなかったので衝撃はありましたが、ポジティブな驚きでした。

絶望も希望も、振れ幅の大きい様々な感情を経験したからこそ、いきいきとした物語が生まれたのかなと思います。

そして、失いかけてもやっと手に入れたラッセとの絆を踏まえて、徹底的に子どもの心に寄り添おうとした心が、愛され続ける著作を生み出したのかなと。

 

映像や音声の表現

主演女優の演技のクオリティもさることながら、美しい映像も見どころの一つです。

アストリッドの故郷の田舎の雪景色も、都会ストックホルムの整然とした街並みも、それぞれに眼福です。

時々挟まる子どもたちのファンレターのナレーションも良い仕事をしていました。

序盤からなんだか泣けてしまったし、一人の女の子の話が、お話書いてる時の自分と同じ感覚を持ってて嬉しかったです。

アストリッドさん 私もお話を書きます
書いていると周りの景色が消えて 誰もいない想像の世界で自由になれます
あなたもそうですか?

 

おわりに

リンドグレーンの10代後半から20代前半の数年間を扱ったお話ということで、まだまだ作家として活動するには至らないのですが、作品に宿るエネルギーの源を垣間見られる映画でした。 

ラストの歌も、スウェーデン語なので字幕がなければ理解できないのですが、妙に心にしみました。

ドラマとしても映像作品としても一見の価値ありの映画です。

 

名探偵カッレくん (岩波少年文庫)
 

 

映画『愛を読むひと』

ドイツ留学中に現地で観て、今般再鑑賞した映画です。

数奇な恋愛の話かと思いきや、ナチスドイツの罪を問う重々しい展開に後半は圧倒されがちになります。

最後までネタバレします。

 

 

あらすじ

1960年代のドイツ。

15歳の少年マイケルは、突然具合が悪くなり道端で動けずにいたところを、21歳年上の女性ハンナに助けられる。

熱から回復した後、お礼にハンナを訪ねたマイケルは、彼女と男女の関係になり、足しげく家に通う。

やがて、ハンナに頼まれて『オデュッセイア』などの物語を読み聞かせるようにもなる。

しかし、ある日突然ハンナは彼の前から姿を消し、消息がつかめなくなってしまう。

時が経ち、ハイデルベルク大学の法学部で学業を修めていたマイケルは、ある日衝撃的な形でハンナとの再会を遂げる。

 

ハンナの葛藤

ドイツ語が理解しきれなかったところを消化しつつ、大筋はわかってる中でハンナの行動を見てると、非常に辛いものがありました。。。

マイケルとのやり取りの中で現れる気まずい瞬間をかわし(料理のメニューをさりげなく先に読ませて同じものを注文する)、職場での昇進の打診も擲って蒸発し、罪を軽くする証明すらも拒んで、文字が読めないことを隠し続ける。

序盤の情緒不安定な様子も、結末を知っているとなぜなのか理解できてしまいます。

重大な隠し事をしながら、それがいつ明るみに出るかわからない怖れと常に闘いながら暮らしているからです。

のちの裁判で、読み聞かせ役に指名した相手を次々移送していたのも、非識字者だとばれたくない一心だったのでしょう。

文盲であることを隠すために、仕事も限られ(現場仕事ならできるが事務職はシーメンスでも市電でも徹底的に避けています)、人と深い関りを持つこともできません。

そんな中で得られた数少ない人間関係が、マイケルとの奇妙なつながりです。

ついついいろんな思いをぶつけがちだったんだろうと想像がつきました。

 

ハンナの秘密

劇中では、なぜ一生隠し続けたハンデをハンナが負うことになったかは語られません。

全てを擲っても隠さなきゃいけないことだったのか、そこに別のトラウマがあったのか、ハンデを負ったことに加えて、身寄りや友人やパートナーもいなかったことが、克服のきっかけを失った背景だろうか。

色々考えていましたが、他の方のレビューを読んでみたところ、原作小説『朗読者』に書かれている彼女のルーツにヒントがあるようです。

ハンナはルーマニアの田舎町出身で、ヨーロッパの人なら流浪の民ロマであろうと推察できる特徴が書かれているそうです。

定住しない生活を送っていたなら、学校に行けず文盲であるのも納得です。

そして、滞在した先の住人と、定職を持たない貧しい暮らしゆえにトラブルが多いロマは、長らく差別の対象となってきました。

ナチスドイツでは、ロマは「劣等民族」の一つに数えられ、絶滅政策がとられました。

ユダヤ人と同様に強制収容所に入れられ、数十万人のロマが殺害されたと言われます。

また、ドイツ以外の国でも、第二次世界大戦までは店舗を持って開業することが禁じられていました。

戦後のソ連や東欧圏では移動禁止令が課され、定住・同化への圧力がかけられたほか、西側諸国でもロマを少数民族と認め、権利を保障する動きはありませんでした。

戦後の反省を通して、声が聞かれ始めたユダヤ人の人々と比べても、遜色ない過酷な社会的立場であることが窺えます。

このことこそが、ハンナが絶対に秘密を明かさなかった理由でしょう。

文字が読めないことを告白したら、おそらく「何で?学校行かなかったの?どこで育ったの?」→「ルーマニア出身?かつ文盲?えっ…」→ロマだと暴露される、という不安があったのではないでしょうか。

自分の短いヨーロッパ在住歴(00年代)を振り返ってみても、ロマに関する数少ない情報はネガティブな評判でしたので、「ロマだとわかった瞬間に排除される」恐怖は非常に強かったと思われます。

その思いの片鱗は、人と関わらず、でも真面目に仕事をして、社会に溶け込もうとしている姿勢からも読み取れます。

マイケルが裁判時に、文盲であることを明らかにするべきと考え、ハンナに面会を試みるも立ち去ってしまった理由も、このへんにあるのかもしれません。

こちらもほとんど語られませんが、少年の頃の関係が暴露されることへの怖れ(相手はロマの女性)、ハンナが隠し続けてきた属性を暴いてしまうことの重みの理解があったとしたら、少し納得できるような気がします。

 

マイケルの反省

留学当時、一緒に映画を観たお姉さんが「期待させては突き放して、あの主人公何なんだ」と怒ってた意味が今ならわかります。

そのときは少年時代の主人公と同じ歳くらいだったから、まあ踏み切れない時もあるのかなくらいに思っていました。

今観ると「少年時代はともかくとしておっさんになったらちゃんと自己開示して深く人と関わりなよ…」と思います。

家父長感溢れる抑圧的な父親、温かさのないぎこちない家族、好きだったハンナの突然の失踪なんかを経て、(娘に対しても誰に対しても)心を開けない人になってしまったと、根拠はちゃんと描かれています。

でも本当に人と繋がろうと思うなら、そのくらい大切な人がいるなら、失敗覚悟で相手の懐に飛び込んだり、相手を受け入れる勇気を持つ必要があります。

ようやくまともに関わりかけたハンナが、彼の手をすりぬけるように自殺してしまった後、マイケルはついに娘に過去を語り始めます。

誰にも言えなかった過去を、娘に打ち明けることで、マイケルは本当の意味で人と関わることを始めたのではないかと思えます。

その兆しが見えたのが、ハンナとも妻とも安心できるつながりを築けなかったマイケルの成長と言えるのかもしれません。

 

ハンナと本

ハンナは『オデュッセイア』に涙したり、冒険小説を楽しんだり、豊かな感受性も知性も持った人だったのだと思います。

ハンナが思い切って足を踏み入れる刑務所の図書館では、本棚に並ぶのが古い本ばかりなのに妙にカラフルで美しいです。

本当はあんなにお洒落な本棚なはずないとは思いつつ、新たな世界が拓けたハンナの目線を代弁しているかのようで印象的でした。

個人的に、もっとハンナの学びが深まって、自身の背負う罪について整理できていたら結末は変わった気がします。

裁判の時には(要約すると)「私は自分の仕事をしただけなんです」と悪気なく証言していた彼女に、罪の意識は希薄だったことが窺えます。

正直に証言しようという真面目な姿勢はあったけれど、行動の意味や罪の重さを理解するだけの理性は持ち合わせていなかったわけです。

しかし、本を読んで学ぶことで、自分のしたことの意味はだんだんと理解していたんじゃないかと推測します。

でも多分、薄々罪の重さに気がつきつつも考えないようにしていて、過去に整理をつけるところまでは考えが追いついていなかった。

だから、マイケルに自分の罪をどう思うか質問された時に、目を背けたような発言をしてしまいます。

何をしても死んだ人は還ってこない、というのは、喪った人に別れを告げようとする遺族が言うならわかりますが、多くの命を葬った張本人が言うことではないはず。

哲学も歴史も法律も深く学んだことのない彼女に、向き合いきるのは難しい罪だったかもしれません。

一方で、自分を見たマイケルの目のなかに幻滅があることには気付いてしまった。

そこで初めて、罪の重さが真に迫ってのしかかって来たのかもしれません。

だから死を選んだのかな、という気がしました。

本を踏み台にして首を吊ったのも、知識を深めたことによって、本を通してマイケルと関わったことによって、自分のしたことの意味がわかってしまったためではないかと思います。

だけどそれを整理して折り合いをつけるだけの知識や言葉はまだ持っていない。

どうしたらいいかわからないのに、唯一頼りにしていた人にも罪が理由で見放されてしまった。

序盤で「謝る必要なんて誰にもない」と叫ぶセリフが、妙に彼女の生き方とシンクロして聞こえてきます。

ずっと自分にそう言い聞かせてきたんだという気がするからです。

 

ナチスの罪を裁く

今でこそ世界中に認知されているドイツの「ナチス時代の反省」ですが、戦後まもなくのドイツにそうした態度はまだありませんでした。

必死で復興しなければならなかったし、東西分裂のバタバタもあったからでしょう。

映画『顔のないヒトラーたち』では、「ナチスを逮捕なんかしたらドイツ国民全員いなくなっちまうよ」と笑う人も登場します。驚きです。

kleinenina.hatenablog.com

しかし、同作にも登場する検事フリッツ・バウアーが始めたフランクフルト政治裁判を皮切りに、戦争犯罪者を裁く裁判が始まります。

ハンナが裁かれたのもそんな裁判の一つです。

マイケルの同級生が「親世代は、収容所があるのを知っていて何食わぬ顔で生きていたのか」とショックを受ける場面がある通り、戦争中の罪に対する認識が変わり始めていた頃です。

それまでは、戦争という非常事態で起こったことを、平時の法律で裁くことに反感も高かった模様です(平時では犯罪になること。

ハンナが罪の意識や危機感を持てていなかったのには、そういう背景も一役買っていたかもしれません。

自分の勤める収容所が満杯になってしまうから、アウシュヴィッツに移送しただけ。

収容者を監視するのが仕事だから、火事のなか彼らを解放できず閉じ込めていただけ。

だってそれが戦争のなかで求められていた自分の仕事だったから。

刃物や銃を持って人を殺したわけじゃない。

さらに清々しく「業務だからやりました」と言っている人物として、イスラエルで法廷に立ったアイヒマンが挙げられます。

彼については以下二本の映画で取り上げられていました。

kleinenina.hatenablog.com

kleinenina.hatenablog.com

アーレント博士が語る通り、アイヒマンは忠実な仕事人間でいることのみによって、何万人ものユダヤ人を死に至らしめました。

ハンナも、殺意はなかったにしろアイヒマンと似た道筋を辿ってしまったように見えます。

歴史の重さにしり込みしそうになっても、自分と同じ人間が過去に何をしてしまったのか理解することは、この先社会を作るために不可欠なことだと思います。

理解しきれない出来事を知った時にも、持てる限りの言葉と知識で向き合う姿勢は、生涯を通して学んでいかなければならないのかもしれないと考えさせられる映画でした。

 

おわりに

特に後半は重い展開が続く映画ですが、考える時間のある時に、たくさんの人に集中して観ていただきたいと思う作品でした。

最初から重い歴史のすべてを理解しきれる人はいないからこそ、皆で時間をかけて考えるべきだと思うテーマでもあります。

ドイツ関連の映画はついつい記事が長くなってしまいますが、少しでもどなたかの参考になれば幸いです。

 

 

 

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