映画『リンドグレーン』
北欧を代表する児童文学作家、アストリッド・リンドグレーンの若き日を綴った映画のご紹介です。
原題は原語(スウェーデン語)で"Unga Astrid"、英語で言うと”Young Astrid”(若き日のアストリッド)だそうです。
基本的には彼女の本を読んだ人を対象にした映画かと思うのですが、作品未読の方が観たらどう思うか気になったりします。
ネタバレしながらお送りします。
あらすじ
スウェーデンの片田舎で生まれ育った少女アストリッド。
好奇心旺盛で活動的なアストリッドの世界は、厳格な父母がまとめる家族と、宗教的規範の支配する村が全て。
学校を卒業した彼女は、文章を書く特技を活かして記者の秘書として働き始める。
徐々に記事の執筆も任せてもらえるようになった彼女は、物書きとしての才能を開花させていく。
一方で、彼女の才能を見出した記者との関係も決定的な変化を迎えようとしていた。
リンドグレーンの作品
アストリッド・リンドグレーンの著作は、日本でも多数翻訳されています。
私も『長靴下のピッピ』『名探偵カッレくん』『やかまし村の子どもたち』を子どもの頃読んで、今でも好きな作品です。
ましてスウェーデンの人にとっては、推理小説『ドラゴン・タトゥーの女』シリーズで自然に引用されてるくらい、自国文化の一部なんだと思われます。
(主人公ミカエルを名探偵カッレくん、ヒロインのリスベットを長靴下のピッピになぞらえてからかう描写がある)
どのお話でも、主人公たちは自由にのびのびと、楽しそうに冒険に繰り出していきます。
その姿に読者も引き込まれて、主人公たちを好きになり、一緒に冒険の旅に出かけるような気持ちにさせてくれる本ばかりです。
子どもが夢中になれる話を書く人は、辛さも悲しさも知っているからこそ、夢中になれることや楽しい気持ちを持つことの重要さを知っているのかもしれない、と本作を観て思いました。
これだけしんどい目に遭って、それでも立ち上がって自分の気持ちに従って生きることを決めたアストリッドの姿は、強く明るく生きる登場人物と時々重なります。
そして、前を向くこと、まっすぐな気持ちを持つことの強さが伝わってきます。
余談ですが、『ニルスの不思議な旅』のセルマ・ラーゲルレーヴが会話の中に出てきて、この頃既に地位を確立してたんだと初めて知りました。
アストリッドの人生
友人の父親であり、地方新聞の編集者であるブロンベルクのもとで、秘書として働くことになったアストリッド。
彼の妻であり友人の継母である女性は、妊娠した子を喪った悲しみから、ブロンベルクと不和に陥っており、アストリッドが働き始めた頃には夫婦仲は破綻していました。
子どもを喪うことを彼は、「女性にとっては耐えがたい悲しみだ」と形容しますが、アストリッドは「男性にとっても同じでは?」と返します。
このセリフが伏線だったとは。。。
ブロンベルクと男女の関係になり、妊娠したアストリッドは、父親の名前がなくても子どもを産めるデンマークへ行って出産します。
しかし、生まれた息子ラッセを引き取ることはままならず、離婚手続きの長引く彼に自由に会うこともできず、辛い日々を送ります。
さらに、不貞があったことが妻側に知られてしまい、彼は姦通罪で訴えられ、収監される可能性まで出てきました。
どんどん大きくなる可愛いラッセと暮らせないことに煩悶するアストリッドでしたが、ことが終わって報告に来た彼はどこか浮かれた様子。
「たった数百クローネの罰金で済んだよ!大したことなかったさ!」とどこか相手をなめたような笑顔を浮かべる彼に、違和感を覚える彼女。
「そんなことで済むんだったら何で私はあれだけ苦しんだの?」と憤るアストリッドの気持ちが、ブロンベルクは全く理解できない様子でした。
推測ですが、この時の言い方ひとつでアストリッドに与える印象はかなり変わったんじゃないかと思います。
「心配かけたけど、罰金で済んだからようやく家族三人で暮らせる」「里親のもとにいるラッセを引き取って、君とも結婚できる」とアストリッドの気持ちに寄り添っていたら、関係は継続していたんじゃないかと。
でも結局、激怒したアストリッドは「もうあなたなんか要らない!」と宣言し一人でラッセを迎えに行きます。
ブロンベルクと暮らせない悲しさがあったうえ、ラッセがどんどん里親の弁護士に懐いていき、離れて暮らす自分を母と認識しなくなっていく焦りで、アストリッドの頭は一杯になっていたんだと思います。
でも彼はそんなことはどうでも良くて、ずるい大人の駆け引きを無事に終えてしまえば万事解決、という態度だったのが、別れの原因だったんじゃないでしょうか。
アストリッドも好意を抱いていたとしても、家庭を持ったことのある大人なら、同い年の娘を持つ父親なら、ブロンベルク何としても断れよ…と思っていたので、これは別れて良かったんじゃないかと思いました。
ラストで教会で見かけた時、やっぱり二十歳くらいの少女と付き合っている様子でしたし、彼はもうそういう年齢の人としか関係を築けない嗜好なんだと思います。。。
窮地と再起
とはいえ、ワーキングマザーとして暮らしていくのは容易なことではなく。
ラッセの咳が何日も治らず、眠れない日が続き、仕事でもミスを連発してしまったアストリッドに、ストックホルムでの上司が声を掛けます。
すぐに帰ってラッセの傍にいてあげるように、と言ってくれた彼の言葉に従い、アストリッドはラッセを付きっきりで看病します。
さらに上司がお金を払って差し向けてくれた医師にラッセを診察してもらうことができ、百日咳の治療が受けられることになりました。
この上司こそ、後のパートナーとなるリンドグレーンさん。
アストリッドの人生は決して穏やかなものではありませんが、窮地に陥ってもぎりぎりのところで寄り添ってくれる人に出会えています。
リンドグレーンさんしかり、出産とラッセの養育をサポートしてくれた弁護士マリーしかり。
絶望しても八方塞がりと思っても、最後に助けてくれる人が現れた時、人生の辛さと素晴らしさを両方知ったのではないでしょうか。
そして、教えてくれたマリーやリンドグレーンさんの温かさは、書かれた物語の温かさになって生き続けているように思います。
アストリッドの個性
若きアストリッドの活力は、封建的な田舎の村で閉じこもっているには大きすぎた、という表現が序盤に見られます。
小さなホールで、男の子と対にならず、一人でひたすらエネルギーを爆発させて踊り狂い、あるいは雪の降りしきる帰り道で大声で叫び出す。
若くて創作意欲にあふれたキャラクターを象徴するようでした。
のちにストックホルムでも踊り狂います。
ブロンベルクとの濡れ場が長すぎるというレビューもちらほら見たのですが、小さな田舎で強い生命力の行き場がなかった姿を表しているようで、個人的には違和感ありませんでした。
その後の激動すぎる人生も、著書からは全く想像つかなかったので衝撃はありましたが、ポジティブな驚きでした。
絶望も希望も、振れ幅の大きい様々な感情を経験したからこそ、いきいきとした物語が生まれたのかなと思います。
そして、失いかけてもやっと手に入れたラッセとの絆を踏まえて、徹底的に子どもの心に寄り添おうとした心が、愛され続ける著作を生み出したのかなと。
映像や音声の表現
主演女優の演技のクオリティもさることながら、美しい映像も見どころの一つです。
アストリッドの故郷の田舎の雪景色も、都会ストックホルムの整然とした街並みも、それぞれに眼福です。
時々挟まる子どもたちのファンレターのナレーションも良い仕事をしていました。
序盤からなんだか泣けてしまったし、一人の女の子の話が、お話書いてる時の自分と同じ感覚を持ってて嬉しかったです。
アストリッドさん 私もお話を書きます
書いていると周りの景色が消えて 誰もいない想像の世界で自由になれます
あなたもそうですか?
おわりに
リンドグレーンの10代後半から20代前半の数年間を扱ったお話ということで、まだまだ作家として活動するには至らないのですが、作品に宿るエネルギーの源を垣間見られる映画でした。
ラストの歌も、スウェーデン語なので字幕がなければ理解できないのですが、妙に心にしみました。
ドラマとしても映像作品としても一見の価値ありの映画です。