映画『ボルベール〈帰郷〉』
スペインが誇る映画監督ペドロ・アルモドバルの作品をご紹介します。
同監督の特徴でもありますが、女性を主人公として母と娘、姉と妹、友人など女性同士のつながりと生き方を描いています。
主人公のライムンダ(ペネロペ・クルス)のマドリッドでの生活と、故郷のラマンチャの人間関係を軸に物語が展開します。
あらすじ
ラマンチャ出身のライムンダは、無職の夫と娘パウラとマドリッドで暮らしていた。
ボケ始めている高齢の伯母パウラが故郷で一人暮らししていることを、姉と一緒に気にかけたりする毎日。
ライムンダの稼ぎで生活していた3人だったが、ある日家に帰ってきた彼女は、泣きじゃくる娘と、夫の変わり果てた姿を眼前にすることになる。
娘から事情を聞いたライムンダは、彼女を守るためある行動に出る。
そのライムンダには、今まで誰にも言えなかった秘密があった。
謎と秘密
ラストシーンでコピー(ママ、話したいことが山ほどあるの。)の意味がわかります。
映画のほとんどの登場人物は女性で、家族や友人など様々な人間関係がありますが、その中でも母と娘は重きが置かれています。
ライムンダと母、パウラとライムンダ、アグスティーナと母。
子どもにとって母は頼りたい存在であり、大人になっても心のなかに一定の場所を占め続ける存在だと思います。
その関係が良かったのであれ悪かったのであれ。
そして、大人になって母が辿って来た年齢を追体験すると、母が人間だったこと、多分子どもである自分のことだけでなく、色々な何かに追われていたかもしれないことに気付きます。
いろいろな個人にとって拠りどころや帰る場所、ルーツでありながらも、母は単に身近な一人の生身の人間でもあります。
母を始めとした女性たちが秘密や謎や罪を抱えながら様々に生きる姿を、淡々と描きつつ肯定しています。
登場人物たちの、母を巡る人間関係は少しずつ謎に包まれています。
失踪していたり、誰も目撃者のいない状況で死を迎えていたり、家族にも言えない秘密があったり。
物語が進むに連れて、新たな事実が一つ一つ判明していきますが、それは母が生身の人間になっていく過程とも言えます。
アルモドバル作品らしさ
登場人物は皆、何ら特別なところがないどころか、人に言えない秘密や口にしたくない暗い過去を持っています。
でもそれによって格好悪く見えることはなく、温かく描かれているのがアルモドバル作品らしいところだと思います。
秘密や過去を共有しながら力強く生きていく女性たちの様子を見て元気になれました。
ただ、画面に出てくるのは圧倒的に女性であり、男性で良い人が全然登場しない作品なので、男性から見ると全然違う感想を持たれるかも知れません。
ほんとろくな男性が出てきませんので。笑
ちなみに同監督の『トーク・トゥ・ハー』では落ち着いた人格の男性が物語の案内人のような役を務めています。
女性の横顔を淡々と描くのは、アルモドバル監督の代表作である『オール・アバウト・マイ・マザー』と似ていると思いました。
こちらの作品も登場人物は女性ばかりで、ラストシーンも本作と似ています。
また、勧善懲悪や恋愛の成就と言った、わかりやすいストーリーの流れがなく、「何が起こってどう解決する話なのか」単純な説明が難しいところも、他の作品に通じるものがあります。
主演のペネロペ・クルスについて
全編スペイン語なのですが、ペネロペ・クルスのスペイン語が結構聞きやすいと感じました。
日本語字幕を見ながら聞けば、スペイン語学習者には丁度いい教材です。
『それでも恋するバルセロナ』もそうだったけど、ペネロペ・クルスの画面上での存在感が群を抜いていますね。
この圧倒的存在感、目の前で見たらどんな感じがするんだろうかと考えてしまいました。
そして何と言っても美しい。
鮮やかな色の衣装が似合うところも、色気のある表情も、抜群のスタイルも、画面上の姿から目が離せませんでした。
スペイン映画好きの人と話すと、ペネロペ・クルスはハリウッド映画に出ている時より、スペイン映画に出ている時の方がずっと良い!という声をよく聞きます。
ハリウッド映画ではラテン系田舎娘的な雰囲気になりがちで、スペイン映画に出ている時のような美しさが発揮されないのだとか。
ハリウッド映画の彼女をあまり観たことがなおのですが、スペイン映画で観る彼女は確かに美しいですね。
おわりに
恋人同士や家族そろって観るにはおすすめできませんが笑、いろんな女性にじっくり観てほしいなーと思う作品です。
男性の監督(ゲイだと公表しています)が、これほど女性に対する洞察の深い映画を作っていることに、しみじみ驚きます。
少し話が違うけれど、「女は強し」みたいなモチーフは、ジェンダーロールの強い文化の方が良く出てくる気がします。
同じスペイン映画の『スガラムルディの魔女』もそうでした。
ただし、そうしたコンテンツの多くからたまにしばしば感じられる、「何か女性性に対して都合いい偶像持ってるっぽい」雰囲気はまったくありませんでした。
淡々と受け止め、肯定するという視点のブレなさが、全編通じて流れているような映画でした。