本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『モスクワは涙を信じない』

人生初ロシア映画のレビューです。

ソビエト連邦時代の1980年に製作され、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した作品です。

タイトルはロシアのことわざだそうですが、冷たそうな響きと裏腹に、とても温かい映画でした!

ネタバレでお送りします。

 

 

あらすじ

1950年代のモスクワで、工場で働きながら学位を取得しようと勉強を続ける女性エカテリーナ(カーチャ)。

同じ下宿に住む同世代の女友達と、豊かで充実した未来を夢見ていた。

しかし、上流階級のふりをして仲を深めたテレビマンのルドルフと関係を持った結果、妊娠してしまう。

工場労働者だと知られた途端、ルドルフに見捨てられ、カーチャはひとりで子どもを育てることになる。

学業、仕事、子育てを必死で両立するうちに20年の時が経ち、カーチャはかつて思いもしなかった人生を辿っていく。

 

ある女性の人生

ストーリーは、カーチャが20代を過ごす1950年代の第一部と、40代を過ごす1970年代の第二部に分かれています。

前半は静かで淡々としてて正直ちょっと退屈にも感じてしまうのですが、第二部でゴーシャが登場してからの輝き方が素晴らしい。

若い頃の、幸せを求めつつも五里霧中な感覚が、振り返ってみれば、捉え所のない前半に投影されているのかもしれません。

カーチャたちは皆、若者らしく未来に希望を抱く明るさに満ち溢れています。

「恋するなら王子様 賭けるなら大きく」というセリフが象徴的です。

一方で、いいとこのお嬢さんのふりをしてみたり、求められたら応じてしまったり、迷走する感じも若者ならでは。

しかし、自分もまだ道半ばだから偉そうなこと言えないのですが、始まりの二十年ちょっとじゃ人生がどうなるかはわからない。

何でこんなに辛いんじゃーと思っても、もがいてるうちに得るものがあるかもしれないし、平気だよねと思ってても躓くことがあるかもしれない(実際、スタンダードな結婚をした友人のひとりが破局を迎えていたり、人生は序盤じゃ何も読めないなあと思う展開が多いです)。

その前半あってこその、後半の輝きだと感じます。

上映時間が三時間以上の対策なのですが、語っている年月が長いゆえに、必要な長さだと思いました。

 

迷いを断ってくれるもの

40代に突入したカーチャは、美しい少女に成長した娘アレクサンドラと二人暮らし。

工場長に就任して、キャリアも順調です。

余談ですが、東ドイツや中国でも、女性管理職は当たり前にいたみたいなので、東側社会のほうが仕事と子育ての両立や男女の機会平等は進んでいたようですね。

しかし恋愛では迷走が続いているようで、既婚者の男性と不倫関係にあります。

彼の家で二人で過ごしていると、本妻が帰宅してしまい、あられもない姿で隠れるよう言われ、さすがに現状に疑問を覚えた様子。

しかし彼女に一目ぼれし、一途に追い続ける男性ゴーシャに出会った途端、すべてが輝きだし、ストーリーの牽引力が高まります。

迷走時期が長かったことについても、カーチャはこの人に巡り会うために待ってたんだ!と思えました。

愛は全部を贖う強さを持っていると実感させる人物です。

カーチャもゴーシャの思いを受け入れ、やがてアレクサンドラもまじえた、平穏だけど満ち足りた人間関係が作られていきます。

ゴーシャは結構古典的な考えの持ち主で、男は家族を守るべく強くなければならない、男は女より稼いでいなければならない、という考えの持ち主。

だからこその責任感の強さで、カーチャのみならずアレクサンドラも支えようとします。

娘時代に下宿で一緒だった女友達も、人生の紆余曲折をそれぞれに辿っていますが、友情は続いていて、カーチャたちを応援してくれます。

 

雨降って地固まるとき

しかし、やっと訪れた幸せが不意に揺さぶられます。

工場長のカーチャを取材にやってきたルドルフが、アレクサンドラに会いたいと言い出したためです。

乗り気でないカーチャを無視して、ゴーシャとアレクサンドラと三人の団欒に押しかけてきたルドルフ。

そして、再会のきっかけをルドルフから聞いたゴーシャは、カーチャが高給取りであることも知ってしまいます。

女性より稼いでいなければならない、という自らの理想が崩れてしまい、混乱したゴーシャはカーチャの前から去ってしまいます。

「一体どうなってしまうんだ……?」と思うのですが、ここで昔からの女友達が集結して一緒に知恵を絞ってくれるんですね。

「彼を探し出さなきゃ」とカーチャを励ます友人が、「モスクワは涙を信じないわ」と口にします。

泣いていてもどうにもならないから行動するべき、という意味のことわざなんですね。

パッと聞いただけだと「モスクワってやっぱ厳しいんだ……おそロシア……」と思ってしまいますが、こんな温かい文脈で出てくるとは。笑

最後は友人の一人、アントニーナの恋人がゴーシャを探し出し、説得に当たってくれます。

酔っぱらってわけわかんなくなりつつも思いをぶつけあっている男たち、何かもうコミカルなんですが温かい。笑

何やかんや八日ぶりに戻ってきてくれたゴーシャに、カーチャが万感の思いで「待ったのよ」と呟く場面は静かな余韻を残します。

直近の失踪のことだと思ったゴーシャに「八日か」と訊かれ、「もっと長いあいだ」と答えるカーチャの笑顔は本当に幸せそう。

本作を観るまで、ロシア映画の感性ってたぶん西欧と違うだろうな、という先入観を持っていました。

でもそんなことは全くなくて、普段見ているヨーロッパ映画とメッセージの内容は近く、とても温かい映画でした。

本当の愛は一生をかけてでも探し出す価値がある、みたいな主張はすごく馴染みがあるし、「でも探さなきゃ手に入らないから行動しろ!」というのもタイトルが語っています。

 

映像作品として

ソビエト時代のロシアには、何となく薄暗いイメージがありましたが、ふたを開けてみたら画面の隅々までお洒落でした。

カーチャの衣装が徹頭徹尾美しかったし、内装や街並みも、旧東側の色彩センスの最上を切り取りましたという印象。

むしろ、西側にはない色彩感覚が独特で、画面を眺めるのが楽しかったです。

衣装から小道具まで、おしゃれなものを見つけるのに休む間がない。笑

そして、カーチャたちが休日を楽しみに出かけるダーチャや、ゴーシャに連れられて行った自然の風景なども印象的でした。

雪深い風景ばかり思い浮かべてしまいますが、現地に住む人だからこそ知っている美しいショットを切り取って詰め込んだ作品でした。

 

おわりに

カーチャの人生には若かりし頃から本当に色々なことがありました。

でも40代になってみれば、娘は聡明な少女に成長し、がむしゃらに頑張ってきた仕事で報われ、ゴーシャに出会うことができ、それを見守ってくれる女友達との絆が続いている。

物語のメインのラインは、ゴーシャに出会うまでの恋愛の紆余曲折かもしれませんが、同じくらい女友達とのつながりも印象に残っています。

二十代、三十代で人生のステージが移ろっていくにつれ、親しかった友達といつの間にか疎遠になるのはよくあること。

でも、各人が平坦ではない道のりを経験しながらも、カーチャのピンチには集合して一緒に知恵を絞っている場面に、ひっそり感動してしまいました。

モスクワだろうとどこであろうと、こんな人間関係が築ける人は幸せだな、と素直に思います。

知らない世界を共感で結びつけてくれる、映画の醍醐味を久々に味わいました。

ロシア映画ってどんなん?と新鮮な気持ちでご覧いただきたい作品です。

 

 

モスクワは涙を信じない HDマスターDVD

モスクワは涙を信じない HDマスターDVD

  • 発売日: 2015/05/29
  • メディア: DVD
 

 

映画『灰とダイヤモンド』

第二次世界大戦終戦を迎えたポーランドで、激動の歴史の一場面を切り取った映画をご紹介します。

ポーランド黒澤明ともいうべき、アンジェイ・ワイダ監督の作品です。

ネタバレでご紹介します。

 

 

あらすじ

終戦を迎えるポーランド

レジスタンスの若者マチェクは、社会主義陣営の幹部殺害の任務を遂行する。

しかし、人違いで罪のない労働者を殺してしまったと判明する。

ナチスの闘いをともにしてきたアンジェイと飲みかわし、終戦を境に社会主義に取り込まれるポーランドを思ううち、マチェクは闘争から逃れたいと口にする。

恋に落ちた女性と逃げ出し、新しい人生を送りたいというマチェクを、アンジェイは説得しようとする。

 

映画の背景

終戦後、西側諸国となった国々では、第二次世界大戦の終わり=平和な時代の到来でした。

しかし、ポーランドにとっては残念ながらそうではありません。

終戦と同時に、ソ連からの抑圧を受けつつ社会主義経済を営んでいくことになります。

戦争中から、ポーランドレジスタンスは東西陣営に分かれていて、西側諸国派のレジスタンスと、ソビエト連邦派のレジスタンスがいたそうです。

戦争自体は終わっても、国が西側になるか東側になるかをかけて、テロが続いていました。

主人公マチェクは西側レジスタンスの一員で、社会主義に呑まれそうになる祖国を守ろうと闘う若者です。

本作は、揺れ動いていた時期のポーランドを、風刺的象徴的に切り取った名作映画です。

ポーランドの歴史に詳しい人もいるかと思いますが、そうでない私のような人は、YouTubeにある町山さんの解説を視聴前後に観るのがおすすめです。

同じワイダ監督の『カティンの森』は観ていたし、独ソ分割占領など少しの周辺知識はあったのですが、それだけでは本作の事情がよくわからないのです。

マチェクやアンジェイが西側勢力を支持していて、幹部のシャチューカが東側、ということはわかりますが、それ以外にも様々な立場の人が出てきます。

息をひそめて時代を受け入れるしかない人、本心ではないながら東側に追従して心の平衡を失う人、自由な社会ではブルジョワだったけれど社会主義のもとでは地位を失う人など。

それぞれの横顔を詰め込んだ、メッセージの濃い作品となっています。

 

検閲対策

この映画は、戦争が終わったあとの、社会主義体制下のポーランドで制作されています。

そのため検閲の手を免れないので、発禁とならないよう工夫を凝らしております。

というのも、ポーランド終戦後、社会主義体制になるのを止めようとした若者が主人公だからです。

幹部を暗殺しようとし、社会主義を批判する奴が主人公なんてけしからん、となりそうなところですが、なぜ公開できたかというと、おそらくマチェクが夢破れて亡くなるからと言われています。

中盤までは、検閲対策で色々ぼかしていることもあり、「一体どこへ向かう話なんだろう」と思わせます。

実はマチェクが主人公だということがことさらに強調されておらず、誰がメインなのかすら最初は曖昧に感じます。

が、終盤の強烈な余韻で一気にまとめにかかっている感じです。

ラストシーンの虚無感や徒労感のインパクトは、キャリア初期にしてすでにワイダ監督自身にしかできない表現を確立していると言えます。

 

ポーランドの分断

第二次世界大戦中のポーランドは、東部をソビエト連邦、西部をドイツに占領されていました。

分断・占領され、一度は失われたポーランドが、終戦と同時に戻ってくるはず。

しかし現実には、上流階級は戦勝ムードに浸っているものの、マチェクたちはまだ血で血を洗うテロに身を投じています。

ブルジョワたちも、終盤で踊る場面では皆凍りついたような無表情。

東側に吸収され、自分たちが地位を失う変化を見据えているかのようです。

つまるところ、終戦と同時に新たな苦悩がはじまるポーランドの横顔を切り取ったような映画と言えます。

ワルシャワ蜂起も闘ったマチェクは、辛い闘争が続いても希望が見えない生活に嫌気がさし、恋を知って「普通の幸せ」を望むようになります。

愛を知ることが、闘争の勝敗や成否の対立軸を一掃するほどのインパクトを与えてしまったわけです。

この時代を、この国を救うためにと闘ってきたマチェクですが、そんなものを超えて命を支えてくれる力を知った途端、価値観が揺らぎ始めます。

時代に逆らえなくても、あるいは乗れなくても、目の前にいる人と通じ合えることで幸せになれることを知ってしまった苦悩が丁寧に描かれていました。

人違いで殺された若者の婚約者が泣いてたことの意味も、この時ようやく分かったんじゃないでしょうか。

 

隅々まで雄弁な映像

解説映像を見てわかったのですが、セリフで語られない要素にも様々な意味がこめられています。

ある場面で映り込む白い馬がキリスト教における不吉の象徴だったり、ホテル従業員が国旗を片付ける場面に、消えゆくポーランドの運命が重ねられていたり。

そして、シャチューカがアメリカ製のタバコを吸い、マチェクがハンガリー製を吸うのは、一服して心を紐解く瞬間には所属する陣営も関係ない(オフの場面では分かり合えるかもしれない)ことの示唆かもしれません。

また、途中バーで『黒い瞳』が流れてるなあ、と思ったら、後半の展開がまるで歌詞を辿るようで驚きました。

その他の音楽にも意味があって、映像だけでなく音楽も雄弁な映画です。

 

おわりに

ポーランドが辿った苦難の歴史の一端を垣間見られる秀作です。

本作はアンジェイ・ワイダ監督の『抵抗』三部作と呼ばれるシリーズの一つ。

他の二作はまだ視聴していないので、今後ぜひ挑戦したいと思います。

本作は、戦後ポーランドの揺れ動く時代を写し取った名作として、ぜひたくさんの方にご覧いただきたい一作です。

 

 

灰とダイヤモンド (字幕版)

灰とダイヤモンド (字幕版)

  • メディア: Prime Video
 
灰とダイヤモンド [DVD]

灰とダイヤモンド [DVD]

  • 発売日: 2018/09/28
  • メディア: DVD
 

 

ドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』2

ドラマ『ハウス・オブ・カード』のレビュー第二弾です!

前回はシーズン3までの内容を中心に書きましたので、今回はシーズン4からシーズン6(最終シーズン)をネタバレでご紹介します。

 

 

あらすじ

副大統領職のポジションから、さらに大統領職へと王手をかけたフランク。

選挙を経ずに大統領となった彼が、いよいよ大統領選に挑む時期がやって来る。

党の指名争いを経ての、共和党擁立候補ウィル・コンウェイとの一騎打ち、クレアとの絆の揺らぎに対峙するフランク。

さらに、手段を選ばず敵を蹴落とし、味方を利用してきたフランクを、これまで負ってきたつけを払わせるかたちで次々に危機が襲う。

自由世界で最高の権力を維持することはできるのか――物語は、誰も予想しなかった結末を迎える。

 

シーズン4

今までで最も泥沼度の高いシーズン。

つまり一番面白かったです笑

民主党内での大統領候補指名獲得、まさかの副大統領巻き込み、共和党候補のコンウェイとの暗闘など、魅力的なアトラクションが詰まっています。

クレアとの絆が揺らぐ中で、フランクが銃撃を受け命の危機にさらされる展開は、シーズン4のみならず全体を通してのハイライト。

手術で一命をとりとめるものの、危機的状況は変わらず、肝臓移植を受けなければ数日以内に死亡すると宣告されます。

序盤から展開が大盤振る舞いすぎない?と言いたくなりますが、終盤ではさらに畳み掛けるようにイベントが大発生。

次のシーズンがめちゃくちゃ気になる終わり方です。

始めと終わりに比べたら穏やかな中盤も、ちゃんとこの先への不吉な予感とか後半の怒涛の展開への下地になっていました。

これまでのシーズンでフランクの足蹴にされてきた人たちも、ただの噛ませ役ではなく、それぞれの運命を辿りながら逞しく再登場。

一人一人が辿る変遷やキャラクターにリアリティがあって、本当に骨太な脚本だな……と思わせます。

大統領選を控えたアメリカの状況と重なったのもあって、個人的に盛り上がりました。

ちょうどスーパーチューズデーの少し前に見ていたので。

 

シーズン5

大統領選に向けてバキバキの緊張感で突き進むシーズン4がすごく面白かったぶん、若干停滞します。

これはもうある程度仕方ないですね。

前半は、スピードとしては落ち着いてくるものの、マークやデイヴィスと言った新しい人物が存在感を増してくる。

そして、シーズン4で「これヤバくない?」と言いつつ始めた作戦が切羽詰まってくきます。

後半は新たなレジームで新たな火種を残して終わる。

このあとワンシーズンでどう解決するんだ、と茫然としました笑

強欲で非情で「金より権力」とか言っちゃうし、知り合いにいたら絶対関わらないようにするはずのタイプの主人公を、ここまで特に嫌いにならないのは、主演俳優と脚本力のなせる技です。

事実はドラマより奇なりというか、スーパーチューズデーで激突して結果はグダる展開が、2020年大統領選の混沌を予言したかのよう。

しかしコンウェイは、大統領やるには少しメンタル繊細すぎる気がします。

軍務中のPTSDで、という伏線がこの形で活きてくるとは。

マークとデイヴィスが怪しすぎて、この二人が誰なのか、どういう関係なのかがこの先の鍵になりそうです。

割とまっとうに働いてたリアンやセスが恋しくなりました。。。

 

シーズン6

カメラ目線で視聴者に語りかける役を、クレアやダグが継承してて嬉しい。

ただ他の方もみんな書いてる通り、ケヴィン・スペイシーの許されざる降板により、ストーリーが完全なる不完全燃焼になっています。残念。

急に出てきたシェパード兄妹が噛ませ役感が漂ううえに、彼らとの闘争もこれというカタルシスを迎えないまま終わりました。

相変わらず映像のクオリティは高いので、そこは安心して没入できますが。

今作は、MeToo運動とケヴィン・スペイシーの過去の悪行を受けた、問いに答えるパートとして見るべきシーズンでしょう。

つねに性暴力の危険にさらされて生きてきても、母親からすら「美しい娘は自分の美に責任を持つ」と突き放されたクレア。

幼少期にも、若年期にも暴力に見舞われた彼女は、自らの女性性を前面に押し出し、大統領になってから寄せられるミソジニックな脅迫にも、徹底して立ち向かいます。

それだけでなく、職務においても強いメッセージを発信。

閣僚全員を女性にして組閣したり、「ミソジニスト(女性嫌悪主義)の反対語を知ってる? 知らないのは誰も使わないから」(ミサンドリストと言います)と部下たちに演説したり。

やりすぎじゃない?という感想を持つ人もいると思います。

しかし、「閣僚全員女性」なら驚く人は多いですが、全員男性なら驚く人はあまり多くないのではないでしょうか。

現代の先進国なら、「あれ? 女性ひとりもいない?」と思うくらいでしょう。

全員男性なら対して驚かない、というか、十年前、二十年前の世界なら当たり前だし、何なら日本は今でもそれに近い状態。

女性権力者が暴走してると「これだから……」と思うけど、男性権力者が暴走しても「絶対的な権力は絶対的に腐敗するから」としか思わないなとか。

そうした、自分の中にある偏見に気づかせてくれる面がありました。

ストーリーは、シーズン5と6のあいだに死去したフランクの死の謎、死後もまといつく彼の悪事の影、シェパード兄妹との闘争を中心に進みます。 

そういう意味ではまだフランクの影が濃いのですが、回想シーンなどはなく、音声すら登場させないという徹底的排除でした。

 

おわりに

政治サスペンスというジャンルを初めて視聴しましたが、一話一話が濃くてものすごい密度でした。

元ネタは実は英国の物語らしいのですが、そちらもいつか観てみたいです。

社会を作り、運営する政治の仕組みを、人間が握っていることの危うさを、ドラマチックに描き出した作品です。

「野望の階段」という副題がこれほど似合う作品もないですね。

頭脳明晰だけど善人ではない主人公が活躍する知的なパワーゲーム、ぜひ多くのかたにご覧いただきたいです。

 


スポンサードリンク
 

 

 

 

 

映画『新聞記者』

実在の事件をモチーフに、政治とメディアの在り方を描いた邦画をご紹介します。

緊張感のある脚本と映像に、目が離せないまま終わる作品です。

いつも通りネタバレします。

 

 

あらすじ

ジャーナリストの父が、誤報を伝えたことを苦に自殺した過去を持つ新聞記者・吉岡エリカ。

厳しい報道姿勢から、記者クラブや社内で異端視されていた彼女の部署に、ある日大学新設計画に関わる極秘文書が届く。

吉岡は、政権に近い立場の人物からの告発とみて調査を開始する。

そんななか、計画に携わっていたとみられる官僚・神崎が突然投身自殺を遂げる。

調査と取材のなかで吉岡は、神崎のかつての部下・杉原拓海に接近するが……

 

現実社会の投影

トップシーンで前川喜平と望月記者が出てくる時点でドキッとしますね。

御存じの方も多いと思いますが、本作は森友学園加計学園問題を下地としたストーリーとなっています。

大学新設の土地購入に関し、不透明な手続きがなされた疑惑があり、それに加担させられたと思しき関係者が自らの命を絶つ。

現実の事件と緊密に絡み合った脚本が、どこをどう読んでもメディアや行政機関のあり方を考えさせます。

貴重な国会の期間を使って何をダラダラやってるんだ、と冷笑的に見ていた人も多いトピックを、その事件のために命を絶った人、亡くなった人の無念を晴らしたい部下、真実を知りたい記者の動きを軸に描き出していきます。

大学の件だけじゃなく、もう一つ取り上げられていた事件も、杉浦の子どもが娘というところに効果的に結びついていました(本当は性別関係なく被害に遭いうる事件ではありますが)。

不透明な許認可手続きも、刑事事件への介入も、杉原が担うネット上の印象操作も、「国民に仕えるはずの政権が行政組織を私物化していいのか」というメッセージに沿って切り取られています。

 

国という組織

組織のあり方については、正直官公庁と関わる仕事をしたことがある人には「さもありなん」と思わせるリアリティがあります。

毎年の辞令や、誰が誰の下で働いていたか、どんな部署でどんな昇進をしたか、相互に四六時中関心を注いでいる様子はその一つです。

物やサービスを売って売上を確保して、という仕事ではないため、どうしても、組織として何を成し遂げたかより、内部の人間関係に注意が向くのでしょう。

加えて、杉原のいる内閣府をはじめとした国家行政の仕事は、優秀な人でなければできない仕事ではありますが、転職なんかはつぶしが利くか微妙なところ。

同業他社ってものがほぼないので、別に仕事が見つかっても同じやりがいや待遇を得られるかは厳しいと思われます。

だから一層、内部の人間関係で失点をして、出世ルートが絶たれることは致命傷になってしまう。

その現実を生きる杉原が、「でも自分は、社会のために働きたくてこの仕事についたはずなのに」と葛藤する場面が多かったです。

雇われて働いていれば誰しも「俺いま何してんねやろ……」と遠い目をしたくなった経験はあるでしょう。

しかし、国家公務員は理想と現実のギャップがひときわえげつなさそうで、絶対自分には務まらないなと感じます。

執務室暗すぎるし……(目が悪くなりそう)

しかもあんな良い家、公務員叩きの激しい昨今、少なくとも官舎じゃありえない気がしてしまいました。

 

メディアの在り方について

神崎の葬儀に押し掛けたマスコミが、遺族に「今のお気持ちは?」と迫る場面で、吉岡は「それって、今聞かなきゃいけないこと?」 と投げかけます。

とにかくセンセーショナルなもの、人の耳目を引くものばかりを報じたいあまり、取材対象への配慮や、社会に必要な情報を掘り下げることをやめている業界体質への、本質的な問いかけと言えるでしょう。

いっぽうで、社会の仕組みの根幹が揺るがされようとしているとのニュースは、なかなか取り扱うことができない。

スポンサーや行政が嫌な顔をするかもしれないし、何なら露骨に圧力がかかることもあるかもしれません。

ネガティブで影響が大きなニュースであればあるほど、スポンサーや行政への影響も大きい。

そうした資金力・権力のある関係者に関わるニュースこそ、社会的余波のある重要な情報だったりします。

しかし、広告主や行政にとって都合のいい情報だけを流し、社会のための情報が発信できないのであれば、報道機関の仕事とは言えない。

官民の大組織の広報機関となってしまう。

そうしたメッセージが見受けられます。

 

大学の謎

ネタバレしてしまうと、大学新設の背景には軍事研究を行いたい国の思惑がありました。

生物兵器の研究を実現する場として大学を新設しようとした、と明らかになります。

これに関しては、終盤で脚本が大きくフィクション側に触れたな、という印象がありました。

というのも、原子力発電政策すら自分で決められず、アメリカさんの意向が関わる日本で、生物兵器の研究なんぞできるのか?という問いが不可避だからです。

しかも生物兵器化学兵器は条約で使用が禁止されているため、アメリカだろうとロシアだろうと使用は許されません。

そんなものを日本で作ってどうするの?という疑問がまずあります。

目下戦争の見込みがない日本で、自衛隊がそれを使用する機会があるとは考えにくい。

じゃあお世話になってる米軍で使うのか?とも思いましたが、米国とのつながりは特にない。

むしろ、日本に731部隊を蘇らせるようなこと、国内どうこうよりアメリカさんが許さないのでは。

個人的にはここで若干トンデモ感を覚えてしまい、できればもう少し現実感のある着地点にして欲しかった。

大きな事業を始める場合、地元関係者、ひいては議員に協力を仰ぐ、ということ自体は、昔から行われてきたことだと思います。

実際問題として、地元の代表者である議員に筋を通すことは、必要な側面もあるかと。

しかし、一足飛びに国政トップと懇意にしたら、国への許認可が厚遇される、というのは確かに公正性に問題があると言えるでしょう。

コネクションなしに、正規ルートで一生懸命書類をそろえて許認可申請している人に、どう説明するのか、と言われれば答えはないはずです。

そうした本筋の議論のなかにストーリーを留め、大学新設の真意を過度にセンセーショナルなものにする必要はなかったのではないか、という感想です。

 

おわりに

終盤で若干違和感はあったものの、行政やマスメディアのありかたについて考えさせる作品です。

現実の事件をトレースしていることで、観ている人の注意を否応なく引きます。

どこまで現実で、どこからフィクションか、冷静に切り分けたうえで沢山の人に観て、考えるきっかけにしていただきたい映画でした。

 

 

 

新聞記者

新聞記者

  • 発売日: 2019/10/23
  • メディア: Prime Video
 
新聞記者 [DVD]

新聞記者 [DVD]

  • 発売日: 2019/11/22
  • メディア: DVD
 
新聞記者 [Blu-ray]

新聞記者 [Blu-ray]

  • 発売日: 2019/11/22
  • メディア: Blu-ray
 

 

映画『セントラル・ステーション』

人生で初めて観たブラジル映画のレビューです。

ヒューマンドラマでありながら、ブラジルという国の多様性と自然の雄大さを伝える映像にも圧倒される作品でした。

かなりネタバレしてます。

 

 

あらすじ

リオデジャネイロで暮らす中年女性ドーラは、字の書けない人々のために手紙を書く代書屋。

毎日セントラル・ステーションに出向き、恋人や家族への手紙の代筆料金を取るものの、書いた手紙は出さずに切手代をせしめていた。

そんなある日、ドーラに元夫への手紙を頼んだ女性が目の前で交通事故に巻き込まれる。

亡くなった彼女の幼い息子を、見かねて家に連れて行くドーラ。

自身で養うことはできないため、養子縁組の斡旋業者に引き渡すが、間もなく業者が臓器売買の取引人だと気づく。

 

極悪ではないが善良でもない主人公

冒頭で映し出されるリオデジャネイロの駅の光景は、都会らしい喧騒と混乱に満ち溢れています。

多くの人が行きかう駅で、数多の人生の悲喜こもごもも繰り返されていく。

ドーラはそんな大都会で淡々と人生を送るひとりの女性です。

家族はなく、おしゃべりに付き合ってくれる女友達以外、仲のいい人もいない模様。

郵送する約束で代筆した手紙をちゃんと出さないし、警察官に追われた少年がその場で射殺されても、顔色一つ変えない。

都会の淀みに埋没しながら生きていくうちに、物事の善悪や正義感に感情を左右されることをやめてしまった人だとわかります。

多分、もとからそうだったわけではないでしょう。

けれど、自分一人が一喜一憂しても、善人が死に悪人が生きる、弱肉強食の世を変えられるわけもない、という諦念が見えるような表情です。

だったら、自分だって生きるために多少汚いことをしても良いでしょ、という自己弁護もあるかもしれません。

善人とは言えない主人公ドーラですが、ジョズエを引き渡した業者が人身売買の仲買人だと知り、さすがに動揺します。

ジョズエを紹介して受け取ったお金でテレビを買ってしまい、返金と引き換えに彼を返してもらうことはできない。

けれど、罪のない男の子が悪人に殺されるのを見過ごせるほど、良心を忘れてしまったわけでもない。

一か八かで、ドーラはジョズエ奪還を試み、何とか彼を連れ出すことに成功。

しかし、リオにいては捕まってしまうので、離婚して離れ離れになったジョズエの父親を探す旅に出ます。

 

踏んだり蹴ったりの旅

ジョズエの亡き母親が出そうとした手紙の住所をもとに、旅をするドーラ。

もともとドーラとジョズエのあいだに信頼はないし、自分をどこかへやろうとしたドーラに対しジョズエの態度は険悪。

もう無理!と思ったドーラは、ジョズエにお金だけ渡してあとは一人で旅させようとします。

しかし、ドーラがいないと気付いたジョズエがバスを降りてしまい、しかもお金はバスに置いてきてしまったりします。

その後も、ヒッチハイクで助けてくれたトラック運転手と良いムードになるものの、ドーラが積極的になった途端に振られてしまったり。

送金を頼んだ女友達が宛先の支店名を間違えていて受け取りができなかったり。

とにかくトラブルばかり続き、最後は文無し状態に追い込まれます。

そんな中、大人数が集まる祭りの広場ではぐれてしまうドーラとジョズエ

旅の序盤ではみずからジョズエと離れようとしたドーラですが、今度は必死にジョズエを探します。

踏んだり蹴ったりであっても、時間を分かち合い、ここまで一緒に旅したジョズエとの不思議な絆が芽生えているとわかるシーン。

以前は、ドーラといるためにバスを降りてきたのはジョズエのほうで、ドーラはそのことに憤慨していました。

でも今度は、なんとかジョズエを見つけたドーラが、安堵した表情を見せます。

旅は道連れのなし崩しであっても、最後に寄り添う相手がいるのはいいな、と思わされました。

 

共同作業

旅を続けるために、というか最早生きるために、お金を稼ぐ必要に迫られたドーラとジョズエ

ここでドーラの本領発揮というか、ふたたび町の広場で代書屋をすることに決めます。

ジョズエが呼び込みをして、さまざまな人への手紙の代筆を請け負い、今度はちゃんと出発前に投函。

考えてみると自然な流れではあるのですが、前述の踏んだり蹴ったりの過程をこえての発想の転換にちょっと感動します。

ふたりで商売をするドーラとジョズエの息の合った連携、稼いだお金で市場で買い物する場面など、何気ないやり取りに関係の深化が窺えます。

そして、ドーラが今度は手紙をきちんと出すところに彼女の成長を感じました。

 

本当に追い詰められた時に、何とかジョズエに再会でき、曲がりなりにも続けてきた仕事にも救われたドーラ。

もうだめだ、と思ったときに、見えないものに助けられたドーラは、自分も誰かに何かを返したいと思えたのではないでしょうか。

たくさんの人が、大人になる途中で少しずつ経験したであろう感情を、掘り起こしてくれる感じがしました。

 

旅の終わりとドーラの成長

ジョズエの父親の住所に行ってもここにはいないと言われ、ようやく辿り着いた田舎でも、ジョズエは父に会うことはできませんでした。

しかし、母親違いの二人の兄に会います。

穏やかで温かい彼らの人格を知り、この兄さんたちとならジョズエは幸せになれると確信するドーラ。

字の読めない彼らが大事に持っていた父親からの手紙を、代わりに読んであげます。

そして、三人が眠っている間にひそかに一人だけ街を出ます。

ジョズエと稼いだお金で買ったワンピースを着て、普段化粧をしない彼女が口紅をつけて長距離バスに乗ります。

本作の演出には終始わざとらしさがなく、笑いも涙も露骨に誘う場面はありません。

というより、抑えすぎなくらい抑えめです。

まるで観客に、殺生当たり前の大都会で麻痺したドーラの感情の鈍さを、追体験させるかのよう。

だけど、その分ラストシーンでドーラと一緒に泣いてしまう。

自分を励ますように笑っている顔が切なかったし、口紅とワンピースも、自分を鼓舞するためのおしゃれだったのでしょう。

特別な装いをするからには、恥ずかしい出発は許されないんだという。

大人と子どものバディものロードムービーは、『ペーパー・ムーン』『都会のアリス』『パリ、テキサス』など色々あります。

しかし個人的には、本作が一番、大人側の成長と変化を感じられました。

軽微な詐欺ともいえる仕事をしていたドーラが、人として真っ当さを取り戻す。

それだけでなく、封じ込めていた感情も取り戻す過程が印象的でした。

 

映像作品として

最初に目にするのは、名前だけはよく聞く都会リオデジャネイロですが、その後は聞いたこともない地名が続々と登場します。

ブラジルに関する予備知識ゼロで見たのですが、雄大な景色(荒涼とした砂漠や、広大な山並み)、見たこともない祭りの景色、人種民族の多様性などを、随所で切り取っています。

さまざまなルーツの人々が暮らすなかで、カトリックが広く息づいていることが何となく感じ取れます。

ジョズエがお兄さんたちと出会う街も、ほんっとに何もないだだっ広い砂漠のなかに、まったく同じ家を何軒も建てている不思議な光景。

国際映画祭で、ブラジルという国をプレゼンする意図も少しだけあった作品かなと思ったりします。

 

おわりに

抑えめの感情描写ながら、「悪い大人にも心がある」ことを教えてくれる作品でした。

わかりやすく泣かせに来る映画ではないのですが、それがかえって余韻を残します。

ジョズエもドーラも、この後の人生でどうか幸せを見つけてほしい、と願ってしまうラストでした。

 

 

 

セントラル・ステーション [DVD]

セントラル・ステーション [DVD]

  • 発売日: 1999/12/03
  • メディア: DVD
 

 

ドラマ『アンオーソドックス』

ニューヨーク、ブルックリンのウィリアムズバーグに住むユダヤ教徒の主人公が、超正統派ユダヤコミュニティからベルリンへ出奔するドラマをご紹介します。

知られざるユダヤ教の世界を目にして驚く半面、主人公エスティの力強さに勇気づけられる珠玉の作品です。

 

 

あらすじ

ウィリアムズバーグの超正統派ユダヤ教徒エスティは、閉鎖的な宗教生活や、男尊女卑的結婚生活に倦み疲れていた。

ある日、通っていたピアノレッスンの講師の助けを得て、彼女はニューヨークを出る。

向かった先は、エスティが幼いころ出奔した実母が暮らすベルリン。

偶然出会った音大生たちと交流するうちに、一つ一つ年齢相応の体験を重ねていくエスティ。

しかし夫ヤンキーは、親戚とともにエスティを連れ戻すべくベルリンに行くことを決意する。

 

実話を基にした原作

このドラマを観て最も驚いたのは、実話ベースだということです。

しかし、作品全体の説得力を考えると、実体験が基になっていることにも頷けます。

ウィリアムズバーグ生活のディティールの考証がとにかく凄まじいので。

同じNetflix制作のドラマ『ザ・クラウン』のような気迫を感じます。

衣食住や冠婚葬祭やジェンダー観、家族観まで、圧倒的な説得力と手触り感があり、まるで自分がエスティになってウィリアムズバーグに放り込まれたかのよう。

絶対的な戒律を守り、女性が男性に従うしか生きる道のないコミュニティは、単なるユダヤ教への批判ではなく、世界じゅうにあった(一部では今もある)クラシックな社会の投影でもあります。

しかし、ユダヤ教の本気の戒律について、あまりに知らないことが多く驚きの連続でした。

アメリカの映画やドラマを観ていれば、たまにユダヤ教に関わる描写は見かけることがあります。

ただ、結婚式で男性が筒を踏んで壊してるなーくらいのもので、ここまですべての戒律を守る生活の描写はありません。

実際、他宗教の人もいるコミュニティで、実践できる範囲の宗教生活を送っている方のほうが、圧倒的に多数なわけですし。

また、そうした生活を送っていると、大抵のハリウッド映画のような出来事には全く出くわせないのは間違いありません。

 

閉じられた世界の外へ

実際には、エスティやヤンキーのようにウィリアムズバーグに閉じこもり、ガチガチの正統派生活をするのではなく、俗世とも行き来しながら生きている人は多いらしいです。

実際、そうした立場のウィリアムスバーグ出身者の方のキャスティング協力によって、本作がここまで本格的な作品に仕上げられたとか。

しかし、もし小さなコミュニティ内でしか過ごしたことがなく、男権社会のカースト観念を叩き込まれて育ったら、ヤンキーのように軌道修正のきっかけがないまま大人になってしまうかもしれません。

その点に関しては、そりゃそうだよなと思うところも。

重度のマザコンなのはまた別問題なのですが。

エスティやヤンキーはスマホの使い方やネット検索の仕方すら知らず、自分の目や耳で見聞きした情報のなかだけで生きているわけですから。

浮世の楽しいこといかがわしいこと一切から隔離されて育ったあと、同世代の人と比べて「なんで私はこんなに何も知らないの?」と思う気持ち、厳しい親に育てられた人なら少し共感してしまうのではないかと思います。

エスティだけでなく、ヤンキーもベルリンで戸惑っていたのを見ると、出会う環境が違えばいい友達になれたかもしれません。

 

ホロコーストユダヤ教

この便利な世の中で、超正統派の人々が戒律を厳守するのはなぜか。

それは、ベルリンにも深く関わりのある出来事が理由となっているのがわかります。

劇中でラビが、「ホロコーストが起こったのは他宗教に迎合し融和したための神罰だった」と発言しているからです。

また、妊娠が発覚したエスティが「私たちの故郷では子どもは宝物なの。失われた六百万人を取り戻すためにも」と語る場面があります。

つまり、ナチス・ドイツによるホロコーストで命を奪われたユダヤ人口を、再び回復することが使命と考えているわけです。

エスティが迷いなく出産を選択できたこと自体は良いと思いつつ、やはり彼女たちが先祖の無念を晴らすために生きていることを思い知らされます。

結婚してすぐ子どもを作るよう凄まじく露骨なプレッシャーがかかっていたこと、伝統的に避妊しないのもすべてそのため。

当事者の方たちにとって、ホロコーストを「時代が悪かった」「とんでもないことに巻き込まれた」だけじゃ片付けられないのは自然な気持ちだと思いますが、呑気な仏教徒が想像できる範囲を色々と超えていました。

結婚したら女性は髪を剃ってかつらにする伝統を初めて知りましたが、剃髪の場面では(絶対に言ってはいけない例えかもしれないが)絶滅収容所を思い出してしまいます。

もっと緩い戒律に従って暮らしているユダヤ教徒なら、髪を失って涙を流すことはないのに。

 

主人公エスティ

故郷で教えられたことを守って生活しても、エスティは結婚による幸せを得ることはできませんでした。

夫との夜の生活がうまくいかないばかりか、それに姑や親戚一同が露骨に介入してくる描写は、恐ろしいを通り越してどこかシュールです。

ピアノを習うことすら一苦労の、自由のまったくない生活を飛び出し、エスティはドイツへ向かいます。

祖先の思いのためにすべて捧げて生きることを強いられてきたエスティが、ヴァンゼーで泳ぐときの、ようやく呼吸ができた!という表情は圧巻です。

つねに自分の意思を抑えてきたエスティの顔つきが、少しずつ変わっていきます。

もちろん、(彼女に非はないにしろ)世間知らずに育ってしまったため、外の世界は知らないことだらけです。

そして、音楽を学びたい無邪気な思いにも、音大生が強烈な洗礼を浴びせます。

しかし、同世代の仲間と過ごすうちに、エスティは自分の魂が知らないうちに求めていたものを徐々に手に入れていきます。

正直、ウィリアムズバーグの場面と比べ、ベルリンではややリアリティが足りない(音大生たちとの友情がうまくいきすぎ)のですが、エスティ役の女優さんの演技に大きく支えられていました。

 

おわりに

個人的に最も印象に残った場面は、エスティが「神は存在するか?」とネット検索するシーンです。

表示された結果の多さに、「答えが多すぎる」と呟くエスティへ、友人が「最終的には答えは自分で決める」と答えます。

今まで年長者の与える「答え」を愚直に信じるしかなかった彼女が、自分の頭で考えることと直面する過程こそ、このドラマの本質だと思います。

ユダヤ教って何だろう、という興味が少しでもある方に、そしてそうでない方にも笑、ぜひおすすめしたい作品です。

 

 

 

 

ドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』

ネットフリックスによる、米国政治の世界を舞台としたドラマシリーズをご紹介します。

ゲーム・オブ・スローンズ』が好きだった人ならきっと刺さる、権謀術数とパワーゲームの物語です!

頑張りますが一部ネタバレします。

 

 

あらすじ

米国ホワイトハウスにて、民主党議員のギャレット・ウォーカーが新大統領に任命された。

民主党議員のフランシス・アンダーウッド(フランク)は、選挙戦勝利のあかつきには国務長官に指名される予定だった。

しかし、ウォーカーの大統領就任直後、約束を反故にされてしまう。

怒りに燃えるフランクは、何としても望む権力を手にするため、妻クレアや秘書ダグとともに壮大な計略を企てる。

 

ドラマとしての見どころ

主人公フランクの望みはシンプルです。

それは、圧倒的な権力を手にすること。

「消えたり目減りしたりする可能性のある富より、持続するパワーである権力のほうがはるかに魅力的だ」という信念を持つ彼。

とにかく権力を持てれば良いので、自分の行動が正しいかどうか、などという問いはフランクの前でまったく意味を持ちません笑

演技、懐柔、合法違法の脅迫、ハニートラップ、あらゆる手段で権力を求めます。

当然、その強引さや、権謀術数の招く結果に違和感を覚える周囲から反発が出ることもあります。

しかし、相手を黙らせる手段もばっちり用意してあるので、彼らのこともとにかく押さえつけて前へ前へと進みます。

ホワイトハウスの面々はフランクとどっこいどっこいの腹黒さを誇るため、たいてい叩けばホコリが出てくるんですよね笑

人間としては極悪なはずのそんなフランクのことが、あまりに信念ブレなくて嫌いになれません。

現実世界ではこんな人が権力の頂点に立つのは嫌だと思うんですが、ドラマを観ているうちに気付けば共感し、応援していた人も多いのでは。

「何かを変えたいなら、正当な手段orクリーンな方法云々より、決定権限者に掛け合え」という社会人の鉄則も教えてくれる作品です笑

 

クレアというパートナー

フランクを支える結婚30年の妻がクレア・アンダーウッドです。

テキサスの裕福な家庭出身で、ハーバード大学法学部出身の彼女は、才色兼備のセレブリティ。

議員として駆け出しだったフランクを、実家の資金力で選挙戦に勝たせたという戦略的パートナーでもあります。

そして何より、フランクの権力への欲望を分かち合い、腹黒さも含めて認め合っている特別な絆がある。

なので、理屈でいえばフランクにとって最強のパートナーのはずなのに、ちょくちょく予測できない行動を引き起こします。

元カレになびいてみたり、世間からの目が気になるタイミングで出奔してみたり。

フランクの情動がブレずにわかりやすい分、クレアが不確定なパラメータになってストーリーを引っ掻き回す役割になっています。

議会の腹黒い面々をいかに出し抜くか、世間の目をいかに躱すかだけでなく、最愛の妻であり戦略的パートナーであるクレアとの関係をいかに維持するか、も重要な意味合いを持っているんですね。

 

チームの面々

クレア以外にも、フランクを支える重要なメンバーがいます。

筆頭秘書のダグ・スタンパーや、警護のエドワード・ミーチャム、ロビイストレミー・ダントン、ほかにも広報担当官や伝記作家、選挙対策コンサルタントなどが登場。

彼らの人間模様もまた、見逃せない要素の一つです。

出世したい野心は誰にでもあるうえ、フランクとの特別な絆を維持したい気持ち、いっぽうで偶然かかわった一般人への思いがせめぎあったり。

というわけで、彼らもクレアとどっこいどっこいに不安定です。

基本的にメリットのあるときにしか強調せず、ビジネスと割り切った議員仲間との関係のほうが健全じゃないかと思うくらい。

ダントツで不安定、かつ出番も多いのがベテラン秘書のダグ・スタンパー。

仕事一筋の独身男性で、アルコール依存症を克服した過去があります。

しんどい仕事をこなしつつ、アルコールの誘惑に打ち勝とうとする彼は、フランクを後押しするとある作戦の過程で、ひとりの女性と親しくなります。

この関係が後々まで尾を引き、ダグを明に暗に苛むことに。

広報担当のセスへの嫉妬や、選挙コンサルであるリアンへの対抗意識など、ある意味でもっとも人間味にあふれた人物と言えます。

 


スポンサードリンク
 

 

シーズンごとの楽しさ

ほかの海外ドラマの名作と同じく、本作も脚本の密度が高く、展開が速いという特徴があります。

そのため、シーズンを追うごとにフランクたちを取り巻く環境も変わっていきます。

国務長官になる約束を覆され、絶対に復讐してやると誓うのがシーズン1冒頭。

そして、転んではただでは起きないというか、手に入るはずだった権力をただ取り返すだけでは済みません。

手段を選ばず、当初の目的を達成してもさらにその先へと進みます。

シーズン2になるとある程度の権力を手にし、闘う相手が絞られてきます。

そのためシーズン1ほどの盛りだくさん感(フロントラインにいるからこその泥臭さや、どこから弾が飛んでくるかわからない緊張感)はないかもしれません。

しかし、フランクのターゲットがより高みに引き上げられ、クレアとの連携も深まっていく展開は見ごたえがあります。

出世してポジションが上がれば上がるほど、野望を叶えるハードルは下がり、敵を倒すパワーは増していくなかで、次シーズン以降どう緊迫の展開が続いていくのか……と思いましたが、そこは心配無用。

ついに大統領の椅子を手にしてシーズン3に突入すると、強敵が現れます。

これまでは国内で権力闘争していれば良かったのに、今度は外交上の敵が登場。

すなわち、「これ明らかにプーチンだろ」というロシアトップが出て来たことで、シーズン2の停滞が打破されました。

さらに、今まであまりに手段を選ばなかったことの因果が返ってくる形で、フランクの足元が揺らぎだします。

汚い手段も厭わなかったせいで、きれいごとを言っても最早誰も信じてくれません。笑

情緒ではなく損得勘定に訴えて味方につけようとしても、「たとえメリットがあってもこいつと組んで大丈夫なのか?」と警戒されまくりです。

組むメリットがなくなったらあっさり切り捨てられるのは皆知ってますし。

これにより、ストーリーが先の見えなさを取り戻しました。

クレアも絶好調に不安定で、特に後半で揺さぶりをかけてきます。

しかし『ザ・クラウン』のフィリップといい、本作のクレアといい、人は誰かに幸せにしてもらうことはできないんだなと思わされます。

自分で築いたと思える場所でないと本当に満たされることはできなくて、どんなに豊かでも正体不明の焦りや劣等感がつきまとう。

シーズン3序盤でクレアの言った「そろそろ助手席から運転席に移りたい」というセリフがすべてかもしれません。

続くシーズン4でも大事件が起き、ここでもフランクとクレアの関係が大きく変わります。

ふたりの足元を揺るがす新たな因子も着々と力をためていて、さらに先が見逃せません。

 

映像作品として

やや暗めの色合いの落ち着いた映像や、バリっと決まったビジネスファッション、隅々までリアリティとクールさに満ち溢れた美術など、映像のクオリティは折り紙付き。

さすがは莫大な資金力を持つネットフリックスの御業です。

そして主演のケヴィン・スペイシーロビン・ライトの安定感がすごい。

脇を支える面々ももちろん強力なのですが、特にクレア役のロビン・ライトの無敵感はときに後光が差して見えます笑

こんなにカメラ映えして、頭脳明晰で、社会貢献NPOまで運営してたパートナーがいたら、いろんな意味で平常心でいられませんね……

演出としては、ときどき主人公のフランクが視聴者のほうをむいて説明を加えたり、感想をつぶやいたりするところが特筆すべきポイント。

最初は何だこれと思うかもしれませんが、世界観が紹介され切っていくにつれ、説明は抑えめになります。

同時に面白さも加速していくので、ちょっと違和感があっても堪えて見続けてください!笑

 

おわりに

権力闘争をドラマとして芸術的に面白く描き出した作品です。

悪人が主人公という、背徳感のある構成も手伝って、ついつい先を追いたくなります。

ときに展開がずっしり重くなり、見続けるのがつらい時もありますが、それも展開が濃ければこそ。

権力に騙されないために、敵を知るという意味でも、たくさんの方に観ていただきたい作品です。

 

 

 

第1章

第1章

  • 発売日: 2014/05/21
  • メディア: Prime Video
 
第1章

第1章

  • 発売日: 2016/07/06
  • メディア: Prime Video
 


ハウス・オブ・カード 野望の階段 <シーズン1> ダイジェスト映像 - Netflix [HD]