本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

ドラマ『アンオーソドックス』

ニューヨーク、ブルックリンのウィリアムズバーグに住むユダヤ教徒の主人公が、超正統派ユダヤコミュニティからベルリンへ出奔するドラマをご紹介します。

知られざるユダヤ教の世界を目にして驚く半面、主人公エスティの力強さに勇気づけられる珠玉の作品です。

 

 

あらすじ

ウィリアムズバーグの超正統派ユダヤ教徒エスティは、閉鎖的な宗教生活や、男尊女卑的結婚生活に倦み疲れていた。

ある日、通っていたピアノレッスンの講師の助けを得て、彼女はニューヨークを出る。

向かった先は、エスティが幼いころ出奔した実母が暮らすベルリン。

偶然出会った音大生たちと交流するうちに、一つ一つ年齢相応の体験を重ねていくエスティ。

しかし夫ヤンキーは、親戚とともにエスティを連れ戻すべくベルリンに行くことを決意する。

 

実話を基にした原作

このドラマを観て最も驚いたのは、実話ベースだということです。

しかし、作品全体の説得力を考えると、実体験が基になっていることにも頷けます。

ウィリアムズバーグ生活のディティールの考証がとにかく凄まじいので。

同じNetflix制作のドラマ『ザ・クラウン』のような気迫を感じます。

衣食住や冠婚葬祭やジェンダー観、家族観まで、圧倒的な説得力と手触り感があり、まるで自分がエスティになってウィリアムズバーグに放り込まれたかのよう。

絶対的な戒律を守り、女性が男性に従うしか生きる道のないコミュニティは、単なるユダヤ教への批判ではなく、世界じゅうにあった(一部では今もある)クラシックな社会の投影でもあります。

しかし、ユダヤ教の本気の戒律について、あまりに知らないことが多く驚きの連続でした。

アメリカの映画やドラマを観ていれば、たまにユダヤ教に関わる描写は見かけることがあります。

ただ、結婚式で男性が筒を踏んで壊してるなーくらいのもので、ここまですべての戒律を守る生活の描写はありません。

実際、他宗教の人もいるコミュニティで、実践できる範囲の宗教生活を送っている方のほうが、圧倒的に多数なわけですし。

また、そうした生活を送っていると、大抵のハリウッド映画のような出来事には全く出くわせないのは間違いありません。

 

閉じられた世界の外へ

実際には、エスティやヤンキーのようにウィリアムズバーグに閉じこもり、ガチガチの正統派生活をするのではなく、俗世とも行き来しながら生きている人は多いらしいです。

実際、そうした立場のウィリアムスバーグ出身者の方のキャスティング協力によって、本作がここまで本格的な作品に仕上げられたとか。

しかし、もし小さなコミュニティ内でしか過ごしたことがなく、男権社会のカースト観念を叩き込まれて育ったら、ヤンキーのように軌道修正のきっかけがないまま大人になってしまうかもしれません。

その点に関しては、そりゃそうだよなと思うところも。

重度のマザコンなのはまた別問題なのですが。

エスティやヤンキーはスマホの使い方やネット検索の仕方すら知らず、自分の目や耳で見聞きした情報のなかだけで生きているわけですから。

浮世の楽しいこといかがわしいこと一切から隔離されて育ったあと、同世代の人と比べて「なんで私はこんなに何も知らないの?」と思う気持ち、厳しい親に育てられた人なら少し共感してしまうのではないかと思います。

エスティだけでなく、ヤンキーもベルリンで戸惑っていたのを見ると、出会う環境が違えばいい友達になれたかもしれません。

 

ホロコーストユダヤ教

この便利な世の中で、超正統派の人々が戒律を厳守するのはなぜか。

それは、ベルリンにも深く関わりのある出来事が理由となっているのがわかります。

劇中でラビが、「ホロコーストが起こったのは他宗教に迎合し融和したための神罰だった」と発言しているからです。

また、妊娠が発覚したエスティが「私たちの故郷では子どもは宝物なの。失われた六百万人を取り戻すためにも」と語る場面があります。

つまり、ナチス・ドイツによるホロコーストで命を奪われたユダヤ人口を、再び回復することが使命と考えているわけです。

エスティが迷いなく出産を選択できたこと自体は良いと思いつつ、やはり彼女たちが先祖の無念を晴らすために生きていることを思い知らされます。

結婚してすぐ子どもを作るよう凄まじく露骨なプレッシャーがかかっていたこと、伝統的に避妊しないのもすべてそのため。

当事者の方たちにとって、ホロコーストを「時代が悪かった」「とんでもないことに巻き込まれた」だけじゃ片付けられないのは自然な気持ちだと思いますが、呑気な仏教徒が想像できる範囲を色々と超えていました。

結婚したら女性は髪を剃ってかつらにする伝統を初めて知りましたが、剃髪の場面では(絶対に言ってはいけない例えかもしれないが)絶滅収容所を思い出してしまいます。

もっと緩い戒律に従って暮らしているユダヤ教徒なら、髪を失って涙を流すことはないのに。

 

主人公エスティ

故郷で教えられたことを守って生活しても、エスティは結婚による幸せを得ることはできませんでした。

夫との夜の生活がうまくいかないばかりか、それに姑や親戚一同が露骨に介入してくる描写は、恐ろしいを通り越してどこかシュールです。

ピアノを習うことすら一苦労の、自由のまったくない生活を飛び出し、エスティはドイツへ向かいます。

祖先の思いのためにすべて捧げて生きることを強いられてきたエスティが、ヴァンゼーで泳ぐときの、ようやく呼吸ができた!という表情は圧巻です。

つねに自分の意思を抑えてきたエスティの顔つきが、少しずつ変わっていきます。

もちろん、(彼女に非はないにしろ)世間知らずに育ってしまったため、外の世界は知らないことだらけです。

そして、音楽を学びたい無邪気な思いにも、音大生が強烈な洗礼を浴びせます。

しかし、同世代の仲間と過ごすうちに、エスティは自分の魂が知らないうちに求めていたものを徐々に手に入れていきます。

正直、ウィリアムズバーグの場面と比べ、ベルリンではややリアリティが足りない(音大生たちとの友情がうまくいきすぎ)のですが、エスティ役の女優さんの演技に大きく支えられていました。

 

おわりに

個人的に最も印象に残った場面は、エスティが「神は存在するか?」とネット検索するシーンです。

表示された結果の多さに、「答えが多すぎる」と呟くエスティへ、友人が「最終的には答えは自分で決める」と答えます。

今まで年長者の与える「答え」を愚直に信じるしかなかった彼女が、自分の頭で考えることと直面する過程こそ、このドラマの本質だと思います。

ユダヤ教って何だろう、という興味が少しでもある方に、そしてそうでない方にも笑、ぜひおすすめしたい作品です。