映画『セントラル・ステーション』
人生で初めて観たブラジル映画のレビューです。
ヒューマンドラマでありながら、ブラジルという国の多様性と自然の雄大さを伝える映像にも圧倒される作品でした。
かなりネタバレしてます。
あらすじ
リオデジャネイロで暮らす中年女性ドーラは、字の書けない人々のために手紙を書く代書屋。
毎日セントラル・ステーションに出向き、恋人や家族への手紙の代筆料金を取るものの、書いた手紙は出さずに切手代をせしめていた。
そんなある日、ドーラに元夫への手紙を頼んだ女性が目の前で交通事故に巻き込まれる。
亡くなった彼女の幼い息子を、見かねて家に連れて行くドーラ。
自身で養うことはできないため、養子縁組の斡旋業者に引き渡すが、間もなく業者が臓器売買の取引人だと気づく。
極悪ではないが善良でもない主人公
冒頭で映し出されるリオデジャネイロの駅の光景は、都会らしい喧騒と混乱に満ち溢れています。
多くの人が行きかう駅で、数多の人生の悲喜こもごもも繰り返されていく。
ドーラはそんな大都会で淡々と人生を送るひとりの女性です。
家族はなく、おしゃべりに付き合ってくれる女友達以外、仲のいい人もいない模様。
郵送する約束で代筆した手紙をちゃんと出さないし、警察官に追われた少年がその場で射殺されても、顔色一つ変えない。
都会の淀みに埋没しながら生きていくうちに、物事の善悪や正義感に感情を左右されることをやめてしまった人だとわかります。
多分、もとからそうだったわけではないでしょう。
けれど、自分一人が一喜一憂しても、善人が死に悪人が生きる、弱肉強食の世を変えられるわけもない、という諦念が見えるような表情です。
だったら、自分だって生きるために多少汚いことをしても良いでしょ、という自己弁護もあるかもしれません。
善人とは言えない主人公ドーラですが、ジョズエを引き渡した業者が人身売買の仲買人だと知り、さすがに動揺します。
ジョズエを紹介して受け取ったお金でテレビを買ってしまい、返金と引き換えに彼を返してもらうことはできない。
けれど、罪のない男の子が悪人に殺されるのを見過ごせるほど、良心を忘れてしまったわけでもない。
一か八かで、ドーラはジョズエ奪還を試み、何とか彼を連れ出すことに成功。
しかし、リオにいては捕まってしまうので、離婚して離れ離れになったジョズエの父親を探す旅に出ます。
踏んだり蹴ったりの旅
ジョズエの亡き母親が出そうとした手紙の住所をもとに、旅をするドーラ。
もともとドーラとジョズエのあいだに信頼はないし、自分をどこかへやろうとしたドーラに対しジョズエの態度は険悪。
もう無理!と思ったドーラは、ジョズエにお金だけ渡してあとは一人で旅させようとします。
しかし、ドーラがいないと気付いたジョズエがバスを降りてしまい、しかもお金はバスに置いてきてしまったりします。
その後も、ヒッチハイクで助けてくれたトラック運転手と良いムードになるものの、ドーラが積極的になった途端に振られてしまったり。
送金を頼んだ女友達が宛先の支店名を間違えていて受け取りができなかったり。
とにかくトラブルばかり続き、最後は文無し状態に追い込まれます。
そんな中、大人数が集まる祭りの広場ではぐれてしまうドーラとジョズエ。
旅の序盤ではみずからジョズエと離れようとしたドーラですが、今度は必死にジョズエを探します。
踏んだり蹴ったりであっても、時間を分かち合い、ここまで一緒に旅したジョズエとの不思議な絆が芽生えているとわかるシーン。
以前は、ドーラといるためにバスを降りてきたのはジョズエのほうで、ドーラはそのことに憤慨していました。
でも今度は、なんとかジョズエを見つけたドーラが、安堵した表情を見せます。
旅は道連れのなし崩しであっても、最後に寄り添う相手がいるのはいいな、と思わされました。
共同作業
旅を続けるために、というか最早生きるために、お金を稼ぐ必要に迫られたドーラとジョズエ。
ここでドーラの本領発揮というか、ふたたび町の広場で代書屋をすることに決めます。
ジョズエが呼び込みをして、さまざまな人への手紙の代筆を請け負い、今度はちゃんと出発前に投函。
考えてみると自然な流れではあるのですが、前述の踏んだり蹴ったりの過程をこえての発想の転換にちょっと感動します。
ふたりで商売をするドーラとジョズエの息の合った連携、稼いだお金で市場で買い物する場面など、何気ないやり取りに関係の深化が窺えます。
そして、ドーラが今度は手紙をきちんと出すところに彼女の成長を感じました。
本当に追い詰められた時に、何とかジョズエに再会でき、曲がりなりにも続けてきた仕事にも救われたドーラ。
もうだめだ、と思ったときに、見えないものに助けられたドーラは、自分も誰かに何かを返したいと思えたのではないでしょうか。
たくさんの人が、大人になる途中で少しずつ経験したであろう感情を、掘り起こしてくれる感じがしました。
旅の終わりとドーラの成長
ジョズエの父親の住所に行ってもここにはいないと言われ、ようやく辿り着いた田舎でも、ジョズエは父に会うことはできませんでした。
しかし、母親違いの二人の兄に会います。
穏やかで温かい彼らの人格を知り、この兄さんたちとならジョズエは幸せになれると確信するドーラ。
字の読めない彼らが大事に持っていた父親からの手紙を、代わりに読んであげます。
そして、三人が眠っている間にひそかに一人だけ街を出ます。
ジョズエと稼いだお金で買ったワンピースを着て、普段化粧をしない彼女が口紅をつけて長距離バスに乗ります。
本作の演出には終始わざとらしさがなく、笑いも涙も露骨に誘う場面はありません。
というより、抑えすぎなくらい抑えめです。
まるで観客に、殺生当たり前の大都会で麻痺したドーラの感情の鈍さを、追体験させるかのよう。
だけど、その分ラストシーンでドーラと一緒に泣いてしまう。
自分を励ますように笑っている顔が切なかったし、口紅とワンピースも、自分を鼓舞するためのおしゃれだったのでしょう。
特別な装いをするからには、恥ずかしい出発は許されないんだという。
大人と子どものバディものロードムービーは、『ペーパー・ムーン』『都会のアリス』『パリ、テキサス』など色々あります。
しかし個人的には、本作が一番、大人側の成長と変化を感じられました。
軽微な詐欺ともいえる仕事をしていたドーラが、人として真っ当さを取り戻す。
それだけでなく、封じ込めていた感情も取り戻す過程が印象的でした。
映像作品として
最初に目にするのは、名前だけはよく聞く都会リオデジャネイロですが、その後は聞いたこともない地名が続々と登場します。
ブラジルに関する予備知識ゼロで見たのですが、雄大な景色(荒涼とした砂漠や、広大な山並み)、見たこともない祭りの景色、人種民族の多様性などを、随所で切り取っています。
さまざまなルーツの人々が暮らすなかで、カトリックが広く息づいていることが何となく感じ取れます。
ジョズエがお兄さんたちと出会う街も、ほんっとに何もないだだっ広い砂漠のなかに、まったく同じ家を何軒も建てている不思議な光景。
国際映画祭で、ブラジルという国をプレゼンする意図も少しだけあった作品かなと思ったりします。
おわりに
抑えめの感情描写ながら、「悪い大人にも心がある」ことを教えてくれる作品でした。
わかりやすく泣かせに来る映画ではないのですが、それがかえって余韻を残します。
ジョズエもドーラも、この後の人生でどうか幸せを見つけてほしい、と願ってしまうラストでした。