本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『嫌われ松子の一生』

邦画のなかでトップクラスにおすすめな作品をご紹介します。

海外の邦画ファンからも絶大な支持を誇る名作です!

いろいろネタバレしております。

 

 

あらすじ

うだつの上がらない学生生活を送る大学生・川尻笙は、ある日父から、会ったこともない伯母・川尻松子がいることを知らされる。

何者かに殺された彼女の遺品整理を頼まれた笙は、遺された品や、訪ねてくる人々との対話から、松子の一生を紐解いていくことに。

福岡県は大川で中学校教諭をしていた松子が、いかにして地元を離れ、中洲や雄琴でナンバーワンになり、そして転落の人生を辿って行ったのか。

彼女の死の間際に何が起こったのか。

決して幸せとは言えなかったはずの松子の人生を辿るなかで、笙は彼女と出会った人々の様々な思いを知っていく。

 

松子という女性

昭和の時代、福岡県南部で教員として働いていた松子。

厳格な父の期待に応えるため、勉学に励み先生となった彼女ですが、父は相変わらず病弱な妹・久美にばかり関心を向けていました。

そんななか、修学旅行で持ち上がった盗難疑惑で、その場しのぎの対応をしたために一方的に罪を負わされてしまいます。

職場での居場所がなくなり、家にもいられないと自暴自棄になり地元を飛び出した松子は、小説化を目指す若者・八女川と同棲を開始。

しかしこの八女川が情緒不安定な暴力男で、松子を痛めつけるのみならず、風俗で働いて来いと言い出したりと最低な所業を……

と、もう序盤から松子の人生がいかに踏んだり蹴ったりか、わかっていただけるかと思います。

この後も、雄琴で男に騙されたことに逆上して事件を起こしてしまったり、そのことで後に仲を深めた人とも引き裂かれたり、松子には次々としんどすぎる出来事が襲いかかります。

出会ったどの男性とも、普通の幸せを手に入れることができない松子。

でも、その愚直とも言える姿勢がなぜか視聴者の目を離さない不思議な映画です。

たった一つ、本当の意味で満たしてくれる愛を探して、どの相手とも全力で向き合っているからでしょうか。

松子が愛を渇望するのは、生まれ育った家庭での満たされなさのためで、映画の中でも折にふれ、父への複雑な思いが言及されています。

小さなころ、関心を惹きたかった父がもっと構ってくれていたら、ここまで報われない愛に身を捧げる人生にはならなかったのかもしれません。

 

コミカルなミュージカル仕立て

松子の人生が超絶ハードモードなのは上記の通りで、原作小説でも映画でもそれは変わりません。

映画が原作と大きく異なっているのはコミカルな演出と、ところどころミュージカル仕立てになっていることです。

主演の中谷美紀さんをはじめとした出演者陣の顔芸、小ネタは推挙に暇がなく、ジェットコースター的なドラマのなか、随所にクスッとなる演出があります。

松子の一生を辿っていく甥・笙のとぼけっぷりもいい癒しになっている感じです。

正直、小説の内容をただ素直に映像化したら、とんでもなくシリアスで重い映画になっていた可能性が高いと思います(それはそれで観てみたい気もしますが)。

文字で読むより、映像で観るほうが、松子の転落っぷりやしんどさが生々しく鮮やかに伝わってくると思うからです。

しかし、映像化の際にコミカルに仕立てることで、物語の消化に必要とするエネルギーをうまく均して、観た人が辛すぎないストーリーに仕上げられた。

また、不幸体質ともいえる松子の行動は、普通の人には不可解な部分も多いかもしれません。

小説では心理描写でそのへんも丁寧に説明されていますが、映像ではそれが不可能。

「何でここでその人を信じてしまうのか」「幸せになれないかもしれないのに何でそんな選択肢を取るのか」という疑問を抱かれがちな部分も、独特なコミカルさに包むことで「松子はこういう人」と納得させるパワーを持たせられたのかもしれない。

これらのことによって、より多くの人の感情移入を呼び込めた映画と言えるでしょう。

印象的な挿入歌も、ストーリーの内容に違和感なく寄り添っていて、かつ昭和からゼロ年代の雰囲気を感じさせます。

『まげてのばして』『Love is Bubble』などは映画が終わったあともついつい口ずさみたくなってしまいます。

 


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松子と出会った人々

笙の前には、亡くなった松子のアパートを訪ねて、松子と人生が交差した人々が現れます。

その一人が、女子刑務所で松子と同時期に服役していた沢村めぐみ。

現在はアダルトコンテンツのプロダクション社長である彼女は、笙のことを「松子に似ている」と言い、松子の人生について語ります。

出所後に再会し、松子は美容師、めぐみはアダルトビデオの制作と、新たな世界で暮らし始めていた二人。

しばしば会って近況報告しながら、楽しい時間を分かち合っていた友人同士でしたが、ある日めぐみが夫と話す様子を見た松子は、ふっと彼女の前から姿を消してしまいます。

あれほど時間を共有していたのに、と思うめぐみですが、笙は松子の内面の変化を言い当てます。

同じように見えても、めぐみには夫や仕事の目標があったけれど、松子は淡々と美容師の仕事をしていただけ。

一緒にいると彼女と差を感じてしまい、辛くなったのではないか。

後年、松子を助けようとしためぐみの手を、松子が掴まなかった理由の一部も、そのへんにあるような気がします。

もう一人の重要人物は、松子のかつての教え子である龍洋一。

修学旅行の盗難騒ぎで、松子がその場しのぎの対応をしたと暴露し、教員の職を辞める原因を作った生徒でした。

二十代になってから、美容師時代の松子と再会した彼は、ずっと彼女のことが好きだったと打ち明けます。

彼の気持ちを受け入れるか、松子は迷います。

再会した龍はヤクザの奥方の付き人をしていて、彼と一緒になったところで平穏な幸せが待っているわけではありません。

でも、彼を拒んだところで、また孤独な人生が続くだけです。

彼といても地獄、彼がいなくても地獄、どちらも地獄なら、孤独でないほうを選ぶ。

その決意のもと、龍の車に再び戻るシーンは鬼気迫るものがあります。

暴力を振るうようになった龍からも離れない松子を、めぐみが助け出そうとしますが、彼女はそれを拒否します。

ひとりぼっちは嫌

と言い切る松子は、寂しそうだけれど決然とした美しさもあって、めぐみが何も言えなくなってしまった理由もわかってしまうのです。

帰るところがなく、支えてくれる家族もいない松子は、何があっても龍と人生を共にすることを決めますが、さらなる試練に巻き込まれていくことに。

 

キリスト教の愛の概念

龍はしばらく松子と暮らしますが、組織からの制裁で殺されそうになり警察に自首。

服役した刑務所でキリスト教に出会います。

どんな悪人も救う神の愛の教えに惹かれる龍ですが、何年も自分を待っていてくれた松子の愛は受け入れられませんでした。

これまでの人生で誰からも大切にされてこなかった彼は、松子の無償の愛が得体の知れないものと映り、怖気づいてしまったためです。

終盤、笙の口からは、「あんなに不幸だった松子おばさんを、龍さんは神様だと言った」と語られていました。

自分を救う奴なんかいない、と思っていた彼は、誰もにあまねく向けられるのが神様の愛だ、と刑務所で聞かされます。

今までさんざんヤクザ生活に巻き込んだのに、何年も龍を塀の外で待っていてくれた松子、その深い愛は、龍にとって神の愛と同様に畏れの対象になってしまったのでしょう。

その後も聖書を持ち歩き、キリスト教を心の支えにしていた様子の龍。

神様ではなく松子に救いを求められていたら、彼女の死の前にお互いの心が通じたかもしれません。

映画では尺の関係か、さらっと触れられているキリスト教徒の関連ですが、気になった方はぜひ原作小説をご覧になってみてください。

龍と笙の対話の中で、愛の概念についてもっと掘り下げられていますし、それがストーリーとどう重なるかもより理解できるかと思います。

キリスト教的愛を下地にしているところが、海外の邦画ファンからの評判が高い理由の一つでもあるんでしょうね。

 

松子の一生

映画序盤で明かされている通り、松子の人生は五十数年で幕を閉じてしまいます。

その一生は華やかとも幸せとも言い難いものでしたが、映画を見終わると何とも言えない深い余韻が残ります。

愛が報われないことを嘆くことなく、出会った相手をひたすら愛し続けた松子の姿に、一つの信念を感じるからではないでしょうか。

孤独に怯えたからこそ愛を選んだのかもしれませんが、それでも強い情熱がなければ一人の人をずっと待ち続けることは難しいわけで。

生きている間、松子の想いは報われなかったけれど、その後の世界では分かり合えなかった父や妹と、和やかに再会してほしい。

思わずそう願ってしまうラストでした。

 

おわりに

主にストーリーについて語ったレビューになりましたが、忠実に再現された昭和のファッションやメイク、髪型なども本作の一つの見どころかもしれません。

あと、今見るとキャストの面々がとにかく豪華です。

当時は若手だった柴咲コウ、奥山瑛太伊勢谷友介劇団ひとりなどなど、押しも押されぬメンバーがずらりと揃っています……

でも、それらの人々も極めてサラッと出演していて、気が散ってしまうような豪華さではないのでご安心を。

グッと心を動かされる邦画が観たい! という方にぜひおすすめしたい映画です。