本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『ノマドランド』

アカデミー賞作品賞を受賞した、米国の放浪生活を切り取った映画をご紹介します。

抒情的で、でもサラッと終わらず人生について考えさせられる深い作品でした。

 

 

あらすじ

産業都市エンパイアで暮らしていた米国人の中年女性ファーン。

企業の撤退によって町自体が消失すると、彼女は放浪生活を行うノマドとなる。

ときにアマゾンの倉庫作業、ときに国立公園のスタッフ、店員などの期間限定の労働で生計を立てながら、車で暮らす生活。

孤独なはずの暮らしは、しかしどこまでも自由だった。

いくつもの出会いと別れを繰り返しながら、ファーンのノマド生活は続いていく。

 

放浪生活を抒情的に綴る

すっかり定着した、アカデミー賞作品賞の社会派な視点という要請に応えつつ、哲学的で詩的な物語です。

社会を切り取った作品は、多かれ少なかれ監督のメッセージが見えるものですが、本作はアメリカ社会の一面を描き出しつつも批判はほぼ皆無。

ファーンたち個人の生き方を丁寧に辿る映像描写は優しく詩的で、見終わった直後は「アカデミー賞よりパルムドール獲りそうじゃない?」と思いました。

ノマド生活は、国民皆保険も、厚い社会保障もないアメリカだからこそ出てくる生き方かもしれません。

だから、それらの恩恵を受けるための定住生活よりも、自由を求めた放浪生活に移行するハードルが低いのかもしれません。

けれどクロエ・ジャオ監督は、「こんなの間違ってる」という目線での撮り方をしていない。

社会的弱者の実態を告発するとか、小さな政府を糾弾するとか、そういった視点の批判をするための作品ではありませんでした。

ノマドの人々の横顔を淡々と写し取り、放浪生活の厳しさも自由さも伝えつつ、彼らがその暮らしを選んだ理由がわかるような映像になっています。

 

ノマドノマドである理由

ファーンがなぜ定住を選ばないのかは、折々に触れ眺めている写真や、ぽつぽつ語る夫との思い出から明らかになってきます。

彼とのエンパイアでの思い出が本当に大切だから、別の町、別の人間関係でそれを多少なりとも上書きして生きていく選択肢は、彼女にはないのです。

過去は過去として、大切に記憶のなかにしまったまま、それを抱いてまったく別の世界で生きていく。

それこそが、ファーンがしたい生き方です。

とくに冒頭のカットは寒々しく、放浪生活の厳しさを鋭く伝えてくるのですが、徐々にその中の温かさが解き明かされていきます。

ショッピングセンターで出会ったかつての知り合いに言う、「ハウスレスだけどホームレスではない」というセリフが、ノマドライフを象徴しているように思います。

家がないことは、帰ることがない場所とイコールではない。

保つべき生活の仕方そのものが、ファーンたちにとって家なのだと気づかされます。

 


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様々なノマドライフ

最初は思い出だけをホームに生きていたかもしれないファーンですが、劇中ではノマド同士の緩やかで温かい絆も心を支えていることが描かれます。

ファーンはアマゾンの倉庫内作業で出会った仲間たちと、食事の時間などに打ち解けて過ごしている様子。

かつての教え子や知人に会った際も、とくに身構えることなく話しています。

ノマドであることを気負うことも、過剰に誇りにすることもありません。

そして、ノマドの人々が集まる場にも顔を出しています。

何もない自然の空間で、何百人もの人々が集っている様子は、儀式的・神秘的なものを感じさせます。

でも実態は怪しい宗教や、社会批判に生きるヒッピーというものではなく、あくまで放浪生活に居場所を求めた人たちが、同じ思いを分かち合いにきた場という感じ。

喪いたくない思い出を大切に抱えて生きていきたいから、向き合うべき喪失のある「定住の日常」に戻ることが耐えられなかった、など背景は様々。

そして、定住生活に戻る道を見出したり、死ぬ前にひと目見たい光景を目指して走り続けたいなど、これから迎える運命もそれぞれ。

保険がないこと、安定的に続く人間関係を築くには不向きなことなども、無視することなく綴りつつも、各人の生き方を模索し続けるノマドたちの横顔には、不思議な満足があるようにも見えます。

自分のように定住生活で不自由を感じない人間は、何があっても基本的には、放浪生活を選ぶことはないだろうと思います。

そんな自分でも、なるほどこんな思いや理由があって、この人たちはノマドという生き方を選んだんだ、と納得させる不思議な力がありました。

押し付けがましくなく、かと言って夢物語でもない、監督の巧みなバランス感覚が発揮されています。

 

おわりに

生活は大変だし自然も厳しいけど、孤独を抱えながらも孤独じゃない、不思議な暮らしを送るノマドたち。

彼らの生活を垣間見るうちに、美しい映像も相まってどこか癒されていくような感覚があります。

定住する住居や、定常的な仕事、年中行事などがすべて取り払われた暮らしの中でこそ、人間が「生きること」のなかに本当は何を求めているのか、問われるようです。

でもその問いは厳しい糾弾ではなく、見ている人の中のゆるやかな共感や、ファーンの示唆する思いの中に、自然と見出されていきます。

静かに考え事をしたい気分のときに、ぜひおすすめしたい映画です。