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本と映画と時々語学

書評、映画評、時々語学学習や時事ネタなど書き綴りたいと思います。

映画『ミス・ポター』

《あらすじ》

イングランドが誇るうさぎ、ピーター・ラビットの作者の半生を描いた映画。

ビアトリクス・ポターは書きためていた絵と物語を作品にするため各所を訪ね回っていたが、ある日小さな出版社との交渉に成功する。担当編集者との出版プロジェクトはおぼつかない足取りで始まったものの、やがて彼と深い信頼関係を築き、作家として絵や物語を発表していくことになる。また、妙齢にも関わらず独身だった彼女に対する家族の認識も変わっていく。

絵や自然と戯れていられれば幸せだったビアトリクスの考え方にも、新しい人間関係の中で変化が訪れる。

 

イングランドの美しい風景を背景に、ピーターラビットたちがほのぼのと世界に羽ばたいていくのですが、ヒロインのビアトリクスが人生で上手くいかなかったことや満ち足りなかったことも盛り込んでいるので、明るいお伽噺というだけでなく、ほろ苦い時もありつつだけど優しいハッピーエンド、という感じです。

 

妙齢の独身女性ということで、この時代ならきっと難しかったであろう両親との関わりもお話の重要な一部になっていました。

ビアトリクスの母は、お見合いをセットした相手と結婚しなかった娘に複雑な気持ちを抱きつつ、いざ彼女が家を出ようとすると反対するんですね…

当時なら心配性で少しへそ曲がりな母親、くらいで済まされたのでしょうが、今の時代なら人格否定とも取られかねないかもしれません。ユーモアをもって描かれていますが、自分がこの人の娘だったらひねくれてしまいそう。

対照的にビアトリクスの父は、彼女の絵や物語の創作を歓迎し応援してくれます。作家としてのキャリアが成功し出した時にも背中を押してくれます。

出版社の関係者も温かく個性豊かで、それぞれにビアトリクスの味方になってくれてます。家の外の現実世界で、人間同士の関係を構築する幸せを教えてくれたのはこの人たちだと思います。

 

皮肉の効いたやりとりや、ヒロインが空想の世界で遊ぶところがイギリス的要素全力なので、イギリスファンの期待は決して裏切られない内容です。

個人的には、ビアトリクスの家を訪れた男性が並べてあるピーターラビットたちの挿絵に向かって「住み心地はどう?」と話しかける場面が微笑ましくて、その手前までの展開も相まってほろりとなってしまいました。

 

穏やかな気持ちで映画を楽しみたいなーというときにお勧めの作品です。

映画『くちびるに歌を』

『沈黙』に続き九州ネタでお送りします。

 

《あらすじ》

五島列島の中学校に、美人で気だるげな音楽教諭・柏木ゆりが赴任してくる。

彼女が東京の音大を出たプロのピアニストだとわかると学校中が湧き立つが、当の本人はピアノは決して弾かないと言い放つ。彼女の影響で突如男子部員を受け入れることになった合唱部の女子部員たちは当初反感を持つものの、ゆりの内面を知るにつれ互いの溝が埋まっていく。

また、ゆりも15歳の生徒たちがそれぞれに葛藤を抱えた人間であることを理解し、彼らへの関わり方を徐々に変えていくことになる。

 

アンジェラ・アキの『手紙〜拝啓 十五の君へ〜』をモチーフに、合唱部の部員たち先生たちの群像劇を描くドラマです。この曲は、過去実際にNHK合唱コンクールの課題曲になったことがあります。

 

中学生の頃の、知識や情緒はどんどん発達していくのに、自分で決められることやできることは全然増えていかない苛立ちとか、住んでいる世界を全然変えることができない無力感とか、色々思い出してしまいました。

爽やか生徒たちのぶつかり合いと成長、という美しいところばかりでなく、大人の事情に揉まれ振り回されながら生きていく苦しさも描写されています。部員を「こども」ではなく1人の人間として扱っている感じがします。

ヒロインの柏木ゆりは最初部員たちに対し冷淡な態度を取りますが、言わば最初から手加減なしだったという意味で、観ていくうちにだんだん評価が高まっていきます。笑

 

さらに、生徒たちの青春葛藤ドラマだけでなく、大人になってからも悲しいことや悩みには向き合っていかなければならなくて戦いは続くのだ、というメッセージも込められていると思いました。『手紙』の歌詞に忠実に沿った内容です。

年齢が年齢なので生徒たちよりもゆりの方に感情移入してしまい、ガッキー演じるゆりが辛い過去と向き合う場面では思わずしんみりしました。

 

群像劇の伝えるメッセージということを差し引いても、細かいディティールでくすっとしたり、各登場人物のキャラクターを楽しく観たり、伏線回収に感心したり、五島の風景を楽しんだりするだけでも充分に楽しめる映画だと思います。

観終わったあとにポジティブになれる邦画が観たいなーというときにお勧めしたい作品です。

 

映画『沈黙』

公開からしばらく経っていますが、せっかく観たので感想を書き残したいと思います。

また、長崎の隠れキリシタンの歴史や関連作品についてご紹介します。

 

《あらすじ》

江戸時代、日本で布教活動をしていたイエズス会の宣教師フェレイラが、迫害に屈して棄教したとの情報を聞きつけ、彼の弟子である2人の若い宣教師は日本に行くことを決意。誰よりキリスト教に身を捧げていたフェレイラが信仰を捨てるはずはないという思いを持って、彼らは真相を確かめるため長崎に上陸した。

案内人のキチジローとともに小さな島や村を巡るうちに、彼らは隠れキリシタンの信仰の実態や、江戸幕府による迫害を目の当たりにし、やがて自らも棄教・改宗を迫られる。凄惨な状況に向き合う中で、宣教師は「信仰のため試練に耐えている彼らを前に、神はなぜ沈黙しているのか?」と自問し続けるようになる。

 

偉大な大作だと思います。巨匠スコセッシって凄いんですね。

ポルトガルの宣教師たちは勿論、キチジローを始め、日本人の俳優陣も良い味を出していました。キチジローの「どうしようもない人間」像は聖書の「放蕩息子」の象徴だったりするんじゃないかと思います。

特に私は、浅野忠信演じる幕府の役人が宣教師に畳み掛ける場面が印象に残りました。

「お前たちが日本に来なければ、キリスト教などというものを伝えなければ、あのキリシタンたちは拷問されることもなく普通に暮らしていた」という趣旨の発言です。九州で隠れキリシタンのことを色々調べていた時に、いつも頭を離れなかった疑問でもあります。

映画の中でも描写されている通り、キリシタンに棄教を迫る拷問は凄惨を極めます。雲仙の地獄から湧く熱湯を体にかける、海の中で磔にして何日も波の中に晒す、手足を縛ってござで体を巻き、ござに火をつけるなど。それでも、劇中の隠れキリシタンや、史実に残っている少なからぬ人が棄教せず亡くなっています。

それほど強く人間の心を支配する信仰と出会ったことは、彼らにとって幸せなことなのか。海を越えても伝わる信仰があると言うこと自体は凄い現象かもしれないけど、結局はイエズス会の大人の事情で始まったであろう布教活動によって、なぜこうした犠牲者が出なければならないのか?

最初は長崎の人々の一途な信仰心に触れて驚き喜んでいた宣教師が、その信仰心ゆえに苦しむキリシタンたちを見て心を苛まれていく様子が、余すところなく描写されています。キリシタンたちがこれほど信じても神は沈黙を守ったまま、手を差し伸べるわけもない。一体何のための信仰なのか、という問いかけが生まれます。

日本人がキリスト教文化圏に入っていこうとするとき、宗教に対する理解はハードルの一つですが、そこで多くの人が感じる疑問と、それに向き合って苦悶するキリスト教徒の内面とを、容赦なく対比した内容であると思います。

 

この映画は舞台は主に、五島列島と長崎本土です。

五島列島は、島々に小さな教会が何十もひしめきあっていることで有名ですが、これらの教会はほとんどが明治~大正時代に建てられたものです。江戸時代は迫害が厳しかったため、迫害が終わった明治時代以降に教会が建立されました。

日本では、長いキリスト教迫害の時代、一人の宣教師もいないまま過ごしたキリシタンのコミュニティが数多くあったはずですが、数百年の潜伏期間を経ても信仰が息づいたままだったという現象は世界でも類を見ないものだったと言います(九州在住時代に長崎でキリシタンゆかりの地を回っていた時、そんなことを聞きました)。

しかし、開国および明治政府への大政奉還後すぐにキリスト教が解禁になったわけではなく、明治時代初期には激しい弾圧が行われていました。そのあたりを背景に描かれた小説が、長崎出身で自身もキリスト教徒である永井隆の『乙女峠』です。

 キリスト教徒の国に日本が開かれた後、寺の檀家を抜けてキリスト教徒として暮らしていこうとしたところ、明治政府からの凄惨な迫害を受けることとなったキリシタンの物語です。

彼らに対する迫害が途絶えたのは外圧が理由でした。欧米列強から、キリスト教徒を弾圧するとは何事だという激しい批判が浴びせられたため、明治政府は迫害をやめざるを得ませんでした。

この『乙女峠』に、「自分は信仰が固いから大丈夫と思っている人ほど棄教する。自分に自信のない者の方が、かえって全身全霊で神に縋るので棄教しない」という趣旨の記述があります。映画『沈黙』でも、宣教師と話した江戸幕府の役人が「傲慢な奴だからすぐに転ぶ(棄教する)だろう」と言う場面があり、『乙女峠』と重なるものを感じました。

 

この映画の原作は遠藤周作の同名小説『沈黙』。まだ読んだことがありませんが、同氏の『海と毒薬』は数年前に読みました。

『海と毒薬』は九州大学で戦時中に行われた生体解剖実験を下敷きにした話ですが、少しだけキリスト教への言及があります。象徴的なのはキリスト教徒の女性が、看護師に「どうして悪いとわかっていてこんなことができるんですか。神様に恥ずかしくないのですか(言い回しうろ覚え)」と詰め寄る場面。

キリスト教は信徒個々人と、唯一の存在である神とが一対一の個別契約を結びます。だから、自分の存在は「組織の中の誰か」ではなく、「神と相対契約を結んでいる契約当事者」という位置づけになる。

という、高校生の時に倫理の授業で聞いた話を、今さらながら思い出しました。

 

キリスト教隠れキリシタンに関する知識を総動員して観るのがよかと思います。ぜひ。

 

 

初投稿!

初めまして。

アンダー30でアラウンド30の社会人ですが、ブログを始めてみることにしました。

映画、読書、語学学習、旅行などなどを中心に書いていきたいと思います。

できれば色々な方に楽しんでいただけるように書きたいなと思っています。

ご縁があって読んでいただける方、ぜひよろしくお願いします。