本と映画と時々語学

書評、映画評、時々語学学習や時事ネタなど書き綴りたいと思います。

ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』2

ついに完結してしまったシリーズを先日観終えたのでご紹介します。

終わってしまったショックというか、最終回を観た後はGoTロスで暫く悲嘆に暮れておりました。。。

ファンの思い入れがあまりに強すぎて、撮り直しを乞う署名運動が展開されたり、スターバックス・ラテが映り込んだりと、話題にも事欠かない最終シーズンでした。

あらすじを10行以内にまとめることが不可能なので、キャラクター一人一人についてのコメントをまとめていきます!

選出基準はあくまで当方のフィーリングとなります。ネタバレご容赦ください。

 

 

ラムジー・スノウ

この人が出てきてから、観続けることが難しくなりしばらく放置していました。

グロいシーンが多いGoTの中でも突出して残酷な場面を生み出し続ける残虐王子がラムジーです。

(半分くらい自業自得とは言え)シオンへの仕打ちもさることながら、ずっと辛くも暴力を逃れ続けてきたサンサが、とうとう彼の毒牙にかかってしまった時は涙目になりました。

主要キャラでも容赦なく死んでいくGoTにあって、彼ほど早期脱落を願われた人物もいないのではないでしょうか。。。

笑顔の無邪気さと、残虐さを全うするためならあらゆる知恵を尽くす頭の良さがとにかく恐ろしかった人物。

それだけに、演じた役者さん(イワン・リオン)の巧さも際立っていたと言えます。

 

アマンド

最初は恐ろしい野人の一人として登場した彼ですが、最後にはすっかりコメディ要員となっていたような。もちろん良い意味です。

壁の向こうの厳しい環境を生き抜く彼らの中で、ユーモアがあって大らかで豪快な彼は、暗いシーンが続く中での救いのような存在でした。

ブライエニーへの不器用な恋心も観ていて微笑ましかった…笑

ジョンへの熱い友情も忘れちゃいけませんね。

色々乗り越えたからこそのラストシーンは感動的でした。

 

ブライエニー

強くなりたい心を持て余す女性、というモチーフは21世紀のファンタジー巨編にとって大切な役割を持っていたと思います。

男性と同等に戦って勝てる力が欲しい、守るべき人を守りたい、でもその中で顔を出す女性らしさ的要素や、愛したり愛されたりしたい気持ちにどう向き合えばいいのか?という葛藤が詰め込まれた人物です。

現代に生きる女性にも色々と通じる感情があります。

やっとジェイミーへの想いを素直に打ち明けることができ、彼のための涙を流すことができた時に、別れがやってきたのはあまりに辛かった。

特筆すべきは嫉妬というべき感情があまり見えず、ジェイミーのサーセイへの想いにも敬意を払っているように見えたことでしょうか。

不器用さと煩悶がこれほど心を打つ人物もいなかったなと実感します。

 

サー・ダヴォス

玉葱の騎士こと叩き上げのおじさんサー・ダヴォス。

数々の現場を知っているからこその洞察力と、人あしらいの巧さが印象的な人物です。

一方で若者に振り回されてもぎゃーぎゃー言わない、潔さや器の大きさも目立ちます。

こんな管理職になれたら尊敬されるんだろうな…

バラシオン家の令嬢との悲しい別れを乗り越え、最後まで玉座の行方を見届けてくれた頼もしい存在。

 

サンダー・クレゲイン

アリアとの名コンビが印象的な、歩く不器用サンダー・クレゲイン。

サンサへのぎこちない優しさが最後まで気になったのですが、あれは彼女への淡い憧れだったんでしょうか。

原作を読めばわかるのかな。

宿敵である実兄グレガー・クレゲインへの雪辱を果たし、王都で最期を迎えます。

兄を倒そうとする弟って言うモチーフ、ファンタビ2なんかもそうですが良く出てきますね。

時代も文化も超える普遍的なテーマなのかもしれません。

ブライエニーと並ぶ不器用ツートップです。

 

ヴァリス

最初から最後まで真っ当だった、数少ないキャラクターの一人ヴァリス

最終シーズンにして、ずっと名もなき普通の人々のために働いてきた想いが明らかになり、彼の背景も相まって共感を寄せた人が多かったと思います。

しかし、何となく伏線が張られていたとはいえ、豹変した新しい主に処刑されるという悲しい最期を遂げました。

シリーズ序盤では得体の知れない小悪党感が強かったのに、大きく印象の変わった人物の一人です。

ただ、ティリオンと語り合う場面なんかも、哲学的で的を射ている表現が多く、徹頭徹尾知的だったのは変わらなかったですね。

 

ジェイミー・ラニスター

最初と最後で印象が変わった人としてはジェイミーも忘れちゃいけません。

シリーズ序盤ではとにかく嫌な奴、卑怯な奴、人の心がない奴という印象で、「もうこの後の展開とかどうでもいいからキャトリン(またはブライエニー)がこの場で葬ってくれないかな」と思った場面も数知れず。

しかし、終盤に近付くにつれ、サーセイへの想いの一貫性と、ブライエニーとの友情・愛情のある関係が育つ過程を見て、だんだんと憎めない存在になっていきました。

実姉サーセイとの関係は、権謀術数渦巻く人生の中で、呪縛でもあり救いでもあったのかもしれません。

シリーズが進むにつれだんだんと、サーセイやティリオンと比べて毒気のない性格に見えてきました。

実際、三人の中では一番頭が良くないからそう見えてきたのは当然かもしれない。。。

家族の中で唯一ティリオンに理解を示す人物だというところも、ラニスター家の中ではポイントが高かったです。

 

サーセイ・ラニスター

彼女はラムジーほど混じり気なしの残虐気質ではありませんが、ほぼ全編を通して嫌いだった人物です。笑

スターク家、タイレル家やマーテル家への仕打ちの酷さもさることながら、プライドの高さ、傲慢さ、絶えることのない上から目線など、欠点を挙げればきりがない。

この人のせいで誰かが苦しむたびに、「いつかこの人を最上級に苦しめて滅ぼしてくれるんだろうなHBO!」と思っていました。

頭のいい権力者になりたいのは伝わってくるんですが、その実ワイルドファイア以外にあまり有効な手段を持たない。

タイウィン・ラニスターに「賢くないから好きじゃない」と言われて落ち込んだ場面では、タイウィンは言い過ぎだけど(彼よりは賢くないかもしれないが愚かと言うほどでもない)、何でこんな薄情な父親から愛されようとするんだろうと思っていました。

親の愛を人生序盤で得られなかったのは辛くても、一応美人の部類なんだし切り替えて行けばと思っちゃうんですけど、ロバートとの結婚生活も上手く行かなかったし難しいんですかね。

ただ、贖罪の道はあまりにしつこい描写だったので、胸糞悪くて我知らず同情してしまいました。

日本に輸入されるような海外ドラマって、悪役の人もすべからく演技が巧いので、すごく嫌な奴が滅ぶシーンであっても、人間味が絶妙に配合されてて思うようにスカッとできなかったりします。

演技だけじゃなく脚本スキルにも支えられているんですけど。

自分が子どもを持ったことがないのもあり、悪人だけど子どものことは誰より思っている、という設定も心に響きませんでした。

むしろこの人を見ていると、「母の愛」というメッキを施して悪事や裏切りを働くことの欺瞞に目が行ってしまいます。

 

ティリオン・ラニスター

シーズン中盤での受難と活躍が目覚ましく、知恵と交渉術で生き抜く姿に心を打たれた人が沢山いたと思われます。

大好きな主要キャラクターの一人です。

しかし、終盤で一気に精彩を欠くようになったのがファンとしては辛かった。

ヴァリスを救えず、狂っていくデナーリスを止めることもできず。

何となくわかってはいたけど、やっぱりデナーリスを好きになってしまったからだったのか…

タイウィンからの愛を求めてしまう寂しさを抱えた性格も、サーセイより共感しやすかったです。

ジェイミーとのギリギリの兄弟愛も救いがあって良かった。

知恵者ながらも報われない場面が多く、そのたびにファンを涙目にしてきた人物ですが、新しい主は一切を超越した存在なので、人の邪心に振り回されることなく手腕を発揮してほしいなと思います。

 

デナーリス・ターガリエン

序盤はもがきながら、中盤は怒涛の快進撃、終盤は徐々に狂っていく様子で、ファンを魅了してくれたデナーリスさま。

童顔と狂王の血筋のギャップで最後まで目が離せない人物でした。

最終シーズン撮り直し請願運動の理由の一つは、デナーリスの変貌ぶりが唐突に思われ、狂王になる伏線が雑だった、という批判のようです。

しかし、伏線はずっと前から張られていたんだと思います。

彼女の女王然とした態度が確立されてからは、既に長い時が経っています。 

ミーリーンにいた頃から、間違いを認めることは彼女にとって難しいものになり始めていましたし、焼けずのデナーリス、ドラゴンの母、奴隷解放者、などなど沢山の異名を並べ出したあたりから、あれっと感じた人は多いと思います。

あとジョンに対する態度ですかね。

本当に民のための王ならすることは一つなのに、彼を跪かせることへの執着、人望ある彼が玉座に着くことへの恐れも重要なエビデンスです。

長い期間をかけて徐々に徐々に描かれたデナーリスの狂いっぷりが、遂に爆発したのが『鐘』の回だったのでしょう。

あまりに長く周到な伏線だったから、逆に気付かなかったのかもしれません。

最終章の展開が濃すぎたので、駆け足感は否めないし、長年親しんだ側近ミッサンディの死へのリアクションは確かにじっくり観たかった。

だけど、権力へも愛へも凄まじい激情をもって臨んだ一生は、忘れられない爪痕を残しました。

彼女を演じたエミリア・クラークが現在32歳で、まさかの年上だったのが衝撃でした。

 

ジョン・スノウ

この人とにかく暗いな…と思いながら5章くらいまで観てましたが、カースル・ブラックで殺されてからは、個人的にだんだん株が上がり始めました。

悩みながらもトアマンドや周りの人間から信頼を勝ち得ていく様子が、観ている側にジョンの葛藤を共感しやすくしたかもしれません。

デナーリスを好きになるのはやや唐突感ありましたが、ドラゴンに乗れたのも、最後に焼かれなかったのもターガリエンの血のためだったのか、というのは納得。

しかしプラチナブロンドじゃないと全然ターガリエンを感じられませんね。

だからこそ恐怖なしに人を束ねることができたのかもしれませんが。

アリアが彼を評価するのも、サンサがぶつかるのも何だか納得したシリーズ終盤。

 

アリア・スターク

1番好きな登場人物がアリアです。

シリーズ前半で父も兄も殺され、姉とも弟たちとも生き別れて逃げるという超絶ハードモードな状況に追い込まれます。

クレゲインに拾われて逃避行を続けるものの、彼と別れてからはブレーヴォスに渡って顔のない男になるための修行に。

この修行がまた、あどけなさを残す少女にとっては非常にえげつなく、彼女が殴られたり刺されたりするたびに、耐えきれず一時停止ボタンを押していました…

しかし、決して諦めない意志の強さと、どこまでも運命に立ち向かう姿勢が勇気を与え続けてくれました。

序盤では単に気が強くて活発なだけの女の子だったけれど、苦境や試練を乗り越えてどんどん強い女性に進化していきます。

終盤ではぶれない芯の強さと、孤高の存在感がとてもかっこよかった。

彼女にニードルと言う武器を与えたのはGoTシリーズ屈指の名采配と言ってもいい。

あれだけの偉業を成し遂げても「英雄にはなりたくない」とサラッといえる欲のなさも印象的でした。

サンサとの凸凹名コンビ、クレゲインとの不思議な友情も良かった。

特にハウンドとは、お互いに心の底から出会えてよかった相手と言えると思います。

 

サンサ・スターク

好き嫌いが分かれるキャラクターの筆頭と思われますが、好きな人物の一人です。

王都の権謀術数や、ラムジーの暴力の犠牲になりながらも、決して諦めず北部と自分の再起をかけて戦ったというイメージ。

ヴェイルの騎士をウィンターフェルに連れてきてくれて本当に良かった。

前半ではリトル・フィンガーに翻弄されたり(結果的に利用しきったとも言えるかも)、ブライエニーと合流する機会を逃したりと、うまくいかない時間が続きます。

しかし、後半は北部総督に返り咲き、デナーリスにも毅然とした態度を取れる唯一の存在となります。

序盤と比べての美しい成長ぶりも特筆すべき人物です。

視聴者と遠すぎず近すぎない、絶妙な視点人物でした。

 

おわりに

嫌いと書いた登場人物の方が分析たくさん書いたりしてまして、悪役が輝くGoTらしい紹介記事となりました。笑 

人物についてレビューしたのとは別に、印象的だった名言についてもいつかまとめたいと思います。

 

ドラゴンストーン

ドラゴンストーン

 
ウィンターフェル

ウィンターフェル

 

 

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』

不思議な展開で先の読めない邦画をご紹介します。

最後までネタバレしますのでご容赦ください。

 

 

あらすじ

派遣で教師の仕事をしていた皆川七海は、学校での仕事に身が入らず、電話ごしに家庭教師をしている生徒からも芳しい反応を得られないでいる。

七海はネットで出会いを探して知り合った鉄也と、あっさり結婚して教師の仕事を離れる。

ところが、平穏に見えた結婚生活はスタート早々に窮地に追い込まれ、濡れ衣を着せられた七海は、姑と夫に突き放されるようにして離婚となってしまう。

家も仕事もない七海は、結婚式でサクラの手配をしてくれた安室に頼んで家と仕事を探す。

彼の紹介で見つかった仕事は、巨大な無人の一軒家にメイドとして住み込み、誰も来ない家の掃除をするというものだった。

 

七海という女性

前半の七海は、観ていて苦しくなるほど受動的な女性です。

教師になりたくてなったものの、生徒から尊敬される存在にはなれず、見下されているのがわかっていても奮起したり転職したりはできない。

ネットで出会った男性とお付き合いして、特に問題もなかったので結婚し、両家顔合わせから披露宴までやってみるものの、自分でつかみとった幸せという実感はない。

オンラインショッピングみたいに呆気なさすぎるという感想をSNSに呟いたところ、夫にアカウントを見つけられ「こんなこと言う人が嫁なら離婚」と言われてしまいます。

あまり共感できないので想像ですが、「自分は何がしたいのか」と考えることを放棄し続けると、七海のような生き方に辿り着くんでしょうか。

その割に、披露宴までの過程を見ていると世間体とか普通の人としての手順は踏みたがる人に見えます。

自分が何をしたいかより、自分が人並みに見えるかどうかが気になってしまうようです。

両家顔合わせのために、生き別れ状態だった母(エキセントリック)をわざわざ呼んだり、呼べる親戚がほとんどいないことを指摘されるとサクラ参列者派遣サービスを頼んだりします。

母は七海の幸せを心から喜んでいるのかよくわからないので、お父さんだけ呼ぶことを相手の家に相談しなかったのかなと思うし、

親戚が招待できないことはまず鉄也とじっくり話し合うべきだと思うのですが、深いかかわりを避ける方を選んでいる。

鉄也も鉄也の母親も、正統的な手順を重んじる雰囲気が滲み出ているので、元々七海やその家族とは相性が良くなかったでしょう。

ただ、一生のパートナーになるつもりなら、向き合う努力をするべきだったし、その覚悟があれば相手方の反応も少しは違ったかもしれない。

あるいは、長期的な関係は続かないことを見越して結婚しない事こそがベストだったかもしれない。

だけど七海にはどちらもできなくて、流されてしまいます。

結婚式で両親に感謝を伝えるための寸劇みたいのがあるのですが、何だか無機的です。

幼児期の子、少年少女の子、いろいろな年齢の子どもが出てきて、その当時の自分が思い出を振り返って感謝を伝えるのですが、どれも上っ面な言葉に響いて、観ているのが苦しいです。

終盤を差し置いて、一番目のやり場に困ったシーンかも……

七海の態度がいろんな場面でピリッとしないので、もやもやと居た堪れなさに包まれたまま前半は終わります。

 

不思議な仕事と真白

別れさせ屋まで頼まれたうえで離婚させられ、絶望する七海ですが、とにかく生きていくために安室の協力を得て仕事を探します。

別れさせ屋を頼んだのが誰かは最後までわからないのですが、多分お姑さんと思われます。

その別れさせ屋は安室なのですが、七海にはそのことは告げずしれっと関わり続けます。

七海からサクラを受注し、七海と夫を別れさせ、七海に仕事をさせる安室、悪い。。。笑

怪しい安室が持ってくる仕事は、結婚式のサクラ、その次は無人の大屋敷のメイド。

やがて誰も居ない屋敷に、メイド仲間として、かつてサクラを一緒にやった真白がやってきます。

真白は独特な雰囲気を持った女性で、妙に七海と馬が合うのですが、実はがんで死期が迫っていました。

誰かに親切にされることについて、真白が言うセリフが本作の核心を突いていると思います。

でも、そんなに簡単に幸せが手に入ったら、わたし壊れるからさ

だから、せめてお金で買うほうが楽

お金ってさ、多分そのためにあるんだよきっと

人の真心とか優しさとかがさ、そんなにはっきりくっきり見えちゃったらさ、だってもうありがたくてありがたくて、みんな壊れちゃうよ

だからさ、それみんなお金に置き換えてさ、そんなの見なかったことにするんだよ

真白は誰かからの善意を正面から受け取ることが怖い。

だからすべてお金に置き換えて、「何かを提供したから」「対価を支払ったから」その人から報酬を得ることができる、その人との関係があるんだと解釈します。

そうすれば、たとえ人間関係が終わってしまっても、「もう対価を提供してないんだからしょうがない」「お金を払ってないから仕方ない」と思えます。

でも友情や愛でつながっていると信じていた人間関係が終わったとしたらどうでしょうか。

その人はもう自分と会いたいと思っていない、愛していないと言う事実を受け止めねばならなくなります。

お金でつながる関係なら、(理論上)仕事やお金があるかぎり離れていくことはありません。

真白は誰かと愛でつながろうとする、いわば心の無防備な一部分を他人に晒すことを拒み続けたわけですが、それは夫とすら本音で語り合えなかった七海と重なります。

終盤に出てくる七海の母は明らかにアルコール依存症で、真白は愛に飢えた子ども時代・少女時代を過ごしたんだろうと思われます。

その愛情飢餓を癒せないまま大人になり、辛い中で人間関係をうまく築く手段としてひたすらお金を媒介するという考えに辿り着いたのでしょう。

おそらくは、強すぎる見捨てられ不安を克服するためです。

ありのままの自分を好きになってくれる人がいると信じられない時、お金や成果や肩書を介して人間関係を作るしかないと思ってしまう、その気持ちが少しわかる方は意外と多いんじゃないでしょうか。

一方で、お金を介しての関係だと知らなかった七海は、真白と語り合うことで誰かと気持ちでつながる幸せを知ったように見えました。

序盤では決して見せなかった打ち解けた笑顔が、真白との共同生活で目立って増えていきます。

 

真白の母と安室

終盤、真白のお金を彼女の母親に持っていく安室と七海。

お墓用にそのうちのいくらかを受け取った安室と、残りを受け取った母親は、なぜか全裸になって泣くというシーンがあります。

観た時は全くもって意味が分からなかったので、この映画に関するレビューを駆ける気がしませんでした。笑

しかし、真白が全部の人間関係をお金に置き換えていたことを思い出すと筋が通ります。

二人はお金をもらったから、彼女のために泣いたし、生前の彼女の「対価を差し出す方法」であった裸になるという行動に出ました。

つまり二人は全く真白と愛でつながってはいない(代わりにお金でつながっている)のですが、七海はそうではありません。

七海もそうだけど、仕事仲間だった女性たちは真白に敬意を持って認めていました。

仕事を通じてつながる人は、一見お金でつながっていますが、そこから気持ちのつながりが生まれることもあります。

結果としてそれが七海を救います。

真白と過ごした日は、別れが悲しくても大切な思い出になったはずです。

電話指導の女の子もしかり。七海を認めていないかと思いきや、指導を止めないでと母親経由で伝えてきます。

最後に安室が、無料で中古の家具を分けてくれるところも何だか、お金から始まったけどお金を離れた関係を暗示しているように思います。

 

人とつながること

本作は、人との関係を、お金のつながりと、気持ちのつながりを対比させることで様々な角度から伝えている映画です。

前半で時間を割いて描かれている通り、気持ちで人とつながることは簡単な事ではありません。

それっぽい手順や手続きを踏んだだけではだめで、自分も相手も、向き合う覚悟や、心を開く準備がなければ関係を深められません。

辛い時に寄り添ってくれた人、他愛ない時間を楽しく過ごせる人に出会えたら、「簡単じゃないこと」を叶えられる機会を逃してはいけないんでしょう。

真白にもその勇気が持てていたら、違った結末を迎えていたのかなあと思わざるを得ません。

 

おわりに

観終わってから何か月も経って、ようやく意味が分かった映画でした。

映像の透明感とか寒々しさが美しくて、全部の場面が印象に残ります。

七海の状況が何回もどんでん返しになりますが、ぜひ一つ一つをじっくり味わって、真白や七海の気持ちを垣間見ながら観ていただきたいです。

 

 

 

映画『天気の子』

遅くなりましたがせっかく観たのでレビュー書いてみます。

君の名は。』とは一概に比較できない作品で、賛否も分かれているようですが、そのへんも詳しく触れたいと思います。

最後までネタバレしますのでご承知おきください。

 

あらすじ

伊豆諸島に住む高校1年生の帆高は、家出して東京にやってきた。

そして、身分証がないためアルバイトも見つからず、少ない所持金が底を尽きそうになるなか、怪しい男・須賀の営む編集プロダクションに転がり込んで職を得る。

ある日、オカルト雑誌に提供する怪しげな記事の執筆に奔走する中で、帆高は「100%の晴れ女」の都市伝説を目にする。

異常気象で長い雨が続く東京でも、彼女が現れれば局所的・一時的に晴れると言う。

それは、帆高が偶然出会った少女・陽菜のことだった。

小学生の弟・凪と二人暮らしで、金策に困っている陽菜のことを考え、帆高は「晴れ女サービス」を提供することを思いつく。

祈るだけで晴れを呼べる陽菜のおかげで、晴れ女ビジネスは好調なスタートを切るが……

 

前作との比較

構成力や伏線の緻密さ、ストーリーの密度、全体を通してのテンポの良さは『君の名は。』の方が上だと思います。

『天気の子』の前半は展開がゆっくりで、晴れ女の背景が明らかになるまでが長い。

(東京で孤独に奮闘する帆高の様子を丁寧に描きたかったんだと思うのですが)

前半と後半で違った趣向になる『君の名は。』と比べて、必然的に密度の濃さは低下してしまったかもしれません。

ただし、純粋なファンタジー活劇&青春映画だった『君の名は。』にはなかったメッセージを『天気の子』は持っています。

少年少女が互いを思い合う強い気持ちを描いているのは、どちらの作品も共通しているんですが。

『天気の子』のほうが一歩踏み込んだメッセージがあると思うので、後述したいと思います。

 

狂った世界

須賀の娘は、亡くなった妻の母(須賀から見たら義母)に育てられていますが、前半でこの義母が印象的なことを呟きます。

「今の子どもたちはかわいそう。むかしは春も夏も、素晴らしい季節だったのに」。

異常気象で長雨ばかりが続く世界、たまの晴れ間もわずかの間しか訪れない。

そういう世界しか知らないことはかわいそうだと、はっきり言っています。

後半では、陽菜が「狂った天気を正す人柱」だと気づいてしまった夏美に、須賀が「一人の犠牲でこの天気が元に戻るなら、誰だってそうする」と言います。

狂った世界の軌道修正を望む人たちを代表する意見です。

こんな狂った世界より、もとの秩序だった天気の世界が戻ってきてほしい。

帆高は彼らと全く対立する思いを持ちます。

どんなに世界が狂っていても、陽菜と一緒にいたい。

晴れを望む人が沢山いると晴れ女バイトで知っても、天気が人の心をどれだけ動かせるか知っても、陽菜と一緒にいられる世界を選びたい。

陽菜のいない正常な世界より、陽菜のいる狂った世界で生きていたい。

そういう気持ちを「世界なんて、狂ったままでいいんだ!」というセリフが象徴しています。

帆高の姿勢を見ていると、「今の子どもたちはかわいそう」という言葉も虚しく聞こえます。

狂った世界に生まれたこと自体は不幸じゃない。

たった一人、会いたい人、一緒にいたい人を見つけられたら、それはどんな世界の中であっても幸せなことだと思います。

終盤で須賀のいう「世界なんてもともと狂ってる」という言葉は、どんな狂った世界でも幸せは見つけられるということの裏返しにも聞こえます。

こういう、世界とかどうでもいいから私たち二人が一緒にいられればいいんだよ!系のメッセージが大好きなので、監督の前作よりポイント高かったです。

 

役割と迷惑

君の名は。』と本作との違いの一つに、大人の登場人物の比重が高いことが挙げられます。

前作の三葉や滝は、あんまり違和感なく大人のお世話になる生活をしてます。

親やおばあちゃんと一緒に住んで、学校に行っています。

しかし本作では、家出少年の帆高と、子どもだけで暮らす陽菜と凪がメインです。

あんまり解説で触れてる人がいないのですが、結構重要なポイントだと考えてます。

晴れ女になることで「役割を見つけた気がする」、そして子どもだけで暮らしていることを指摘した警察官に「私たち、誰にも迷惑かけてません」と陽菜が言います。

やるべきことをやって、自力で生きて、人に迷惑をかけてないんだから、だから放っておいて、と言いたいように聞こえます。

実際、陽菜も帆高も、三人で暮らすことにすごく拘ります。

それは好きな相手同士だけでいたいと言うだけじゃなく、大人との間に貸し借りを作りたくない姿勢に見えました。(須賀や、晴れ女バイトで知った人との関係は、お金を介しているので情緒的な貸し借りはない)

しかし最終的には、東京を水没させるという最大級の迷惑とも言える行動に出ます。

晴れ女じゃなくなった時、陽菜のチョーカーが壊れているのは、役割の終わりを示しているというのは多くの人が指摘しています。

役割から解放された陽菜は、同時に、世界に借りを作ってしまったのかもしれません。帆高も同様です。

二人は、その日を境に「大人の世話になる」生活に戻っていきます。

誰にも借りを作らない代わりに、自分たちだけの世界で暮らすことに文句を言わせない、ということが最早できなくなりました。

世界にも大人にも借りを作りながら、自分たちだけの閉じたコミュニティを捨てて、社会と関わり合うことにしたんだな、と後から気づきました。

でも、役割を離れたときこそ、「役目なんか果たさなくてもいいから此処にいて」と言ってくれる人に出会えるんじゃないでしょうか。

陽菜にとっては帆高がそういう人だった。

二人が世界と関わる道を選んでくれたのは良かった。

誰にも迷惑をかけず、誰にも借りを作らずに暮らすことなんて長期的には不可能です。

実際には、助けられたり借りを作ったりしながら、それをたまには返して、折り合いをつけていくしか世界や社会と向き合う方法はないし、それができてこそ大切な人との関係も末長く守っていけるんじゃないかと思います。

 

おわりに

本作を観た人が「ひいた」と言ってた意味が、観てみてよくわかりました笑

一人のために東京沈めちゃったわけです。

「世界なんて狂ったままでいい」とこんなに力強く言い切れるのは主人公が若ければこそでしょうね。

大人になったら、須賀や彼の義母のような考えになってしまうと思うので。

須賀の義母のセリフが後半で裏切られる流れは、反出生主義に対する強力な反論のように見えました。

あんまり関係ないですが、水に沈んだ世界の何がいけないの?という問いかけは『崖の上のポニョ』を思い出させたりもします。

書いてみると意外と長いレビューになりました。

また監督の新作が出たら、きっと観に行くだろうなー。

 

小説 天気の子 (角川文庫)

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天気の子 (角川つばさ文庫)

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映画『スウィングガールズ』

邦画を代表する青春コメディをご紹介します。

よく、同じ矢口監督の『ウォーターボーイズ』と対で紹介されていますが、まさに邦画青春コメディ分野の双璧と言っていい面白さでした。

 

あらすじ

東北地方の田舎の山河高校に通う友子は、夏休み中の補習授業に辟易していた。

たまたま、野球部と吹奏楽部の試合出発に弁当の配達が間に合わなかったことから、補習をさぼりたい一心で試合会場までの配達をかって出る。

ところが、届けた弁当により食中毒が発生。

応援の吹奏楽部が全滅したことから、ピンチヒッターとして友子たちが演奏を試みることになる。

ダルそうにしつつも、唯一無事だった吹奏楽部員に導かれ、だんだんと音楽の楽しさに気付き始めた友子たちだったが…

 

自然体だけど個性派

主人公の友子たちには飾ったところが一切ありません。

面倒くさがりで知恵も体力も普通で、だけど何か特別なことを求めている、ごく普通の高校生です。

補習にうんざりし、弁当配達を買って出るも道草や迷子で遅刻、やはり補習をさぼるために代理演奏をすることになるも文句たらたら、とめちゃくちゃわがままです。

しかし優等生でもなくお淑やかでもない自然体なところが、肩の力を抜いて楽しく観られる最大の理由と言えます。

一部の迷いもなく一つのことに青春の時間を捧げられたり、何を犠牲にしてでも試合やコンクールで勝ちたいとか、そんな人々が主人公だったら、この映画の魅力はほぼゼロになってしまうでしょう。

少なくとも私なら、あーはいはい自分と縁のないキラキラした人たちの話ね、と思って絶対に見ません。笑

部活にも入らず、かと言って勉強や他の何かが得意なわけでもない彼女たちが主人公だからこそ、多くの人が共感できると言えます。

部活を頑張っていた人たちももちろん昔を思い出せるし、正統派部活動じゃないからこそ、青春したかったけどしそびれてしまった人にも感情移入しやすいのではないでしょうか。

こんな不真面目な子たちがそれでも取り組もうとするからには、きっとよほどジャズが好きになったんだろうな…と妙な説得力も生まれています。笑

 

音楽をやるための奮闘

部活に所属せず、自腹で楽器を買い、遠征費を広告で稼ぎ、演奏場所を探し回り、あくまでフリーランスで演奏を頑張りたいという奮闘ぶりは、正統派青春展開ではないけど新鮮で面白い重要な部分の一つです。

楽器を買うためのアルバイト、演奏する場所を求めての放浪など、音楽以外のところで次々に障壁が現れるところ、高校生なりの解決策を探していく過程を思わず応援してしまいます。

ここですんなり上手くいってたら現実感が足りないし、この過程が何倍も映画を面白くしていると言っても過言ではありません。

映画の本筋とは関係ないけど、部活動で好きなことができるって状況は、あらゆる面でサポートが整った環境なんだなと実感した映画でもあります。

また、竹中直人さん演じる先生のイキり方も何だかリアルで笑ってしまいます…子どもの立場からしたらおいおいってなると思いますが。

大人になってから音楽始めると、余計についた知恵やらプライドやらで、若い頃に始めるよりかえってハードル高かったりしますね。お金はあるんだけど。

 

盤石のコメディ

ベテランの竹中直人さん演じる数学教師を始め、(甲子園よりハワイに行きたい)吹奏楽部の顧問の先生、気の弱い吹奏楽部男子部員・中村、まだまだ甘えのある女子高生の友子、良江、ど近眼だけど思いはまっすぐな香織、とにかく個性の強いメンバーが揃っています。

人間味あふれる掛け合いが繰り広げられるたびに、思わず笑ってしまいました。

人間味の塊だし特別な能力はないけど、とにかく自分の感情に素直な若者たちの行動は見てて清々しいです。

日本の未来は大丈夫か…と思う一方で、高校生の時の正直ベースの思いを代わりに言ってもらっている気持ちにもなります。笑

泥臭い努力とか、主体的に考えるとか、やったこと  ないけど、何か頑張って成し遂げるってことはしてみたい!という気持ちを思い出させられました。

突飛なコメディに見えつつも、実は丁寧な心理描写だからこそきっと思い切り共感してスカッと笑えるんですね。

 

ラストの演奏シーンは必見

そうした友子たちの奮闘を見守った仕上げに、ジャズファンじゃなくても一度は聞いたことのあるナンバーでまとめられた演奏シーンがやってきます。

ムーンライト・セレナーデに、シング・シング・シングで盛り上がり、最初は格好つけていた先生もだんだんとノリノリに。笑

音楽に詳しい人から見たら色々コメントはあると思いますが、ここまで頑張ってきた部員たちの集大成に目頭が熱くなりました。

ここだけを切り取った映像をみるだけで、なぜか泣きたくなっちゃうんですよね。。。涙腺緩い。

やりたいことを一生懸命やる大切さとか、夢中になって何かをした経験の尊さが去来します。

やっぱり青春映画っていいよね!

 

おわりに

たくさん笑えて、最後には胸がいっぱいになる青春映画の代名詞です。

今では大出世した出演者たちの、若さにそぐわぬ実力派な演技に支えられ、盤石のコメディそして青春映画となっています。

ちょうど夏休みから話が始まるところも今の季節にぴったりです。

夏や青春や音楽を感じたい方におすすめの映画です。

 

 

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ミュージカル『レ・ミゼラブル』

先日、ロンドンでレミゼを観る機会がありましたので行ってまいりました。

ハリウッド映画版(ヒュー・ジャックマン主演)や、フランスTV映画版、原作小説を4/5読破した状態で観劇しました。

当日感想をメモした文章が、後から読み返しても興奮と躍動感に溢れていましたので、原文に忠実にお伝えします!!笑

余すところなくネタバレします。

 

公演開始まで

まずはミュージカルのチケットを押さえるべくアプリをダウンロード。

ハリーポッターの舞台は今日のが表示されなかった(売り切れか、そもそもやってないのか不明)ので、レミゼウィキッドで迷ってレミゼに。

ウィキッドはきっとブロードウェイで観るべきだよね。

アプリより何とかいうウェブサイトのが2000円くらい安かったのでそちらで購入。

レミゼを結構良さそうな席で観ることに。

途中までだけど小説読んどいて良かった。

映画観ておいて良かった。

定番曲は歌詞覚えるくらい聴いてるし、他の曲も大体サビはわかるような感じ。

ありがとうスーザン・ボイル

ありがとうヒュー・ジャックマン

ギリギリにクイーンズシアターに駆け込み、チケットオフィスで5分前に券ピックアップ。

「あと5分!」と発券係の陽気な兄さんに煽られる。

入り口から席へはすぐ。前から5列目の一階席という素敵立地。

 

公演レビュー

映画と同じく、ジャン・バルジャンの服役中の場面から始まるのだが、俳優さんたちの歌唱力もさることながら、オーケストラ生演奏の迫力が凄い。

日本でオペラやレントを観た時はこんなに素敵に聞こえない気がしたんだが、施設の音響のせいもあるのかな?(東京国際フォーラムとかは広すぎるのかなという気もする)

ただ、上野で見たフィガロの結婚と比べても音の安定感や厚みが全然違う気がする。

ていうか、映画のヒュー・ジャックマンですらこんなにも男声の高声が素晴らしく伸びてはいなかった気がする。。。

臨場感を差し引いても、有り余る技能の上に表現が乗っかってる感じが力強くてもう。

映像の世界の外にもこんな素晴らしい演技人たちがいるのか。

ジャン・バルジャンの俳優さんは今までのイメージ通り(ジャックマンよりフランス版のジェラール・ドパルデュー寄り)だったけど、ジャベール警部の役の人はイメージよりかなり若く見えた。

だけどそれが凄く良い方向に出てた気がする。

ジャベールの傲慢さや教条的な断罪の姿勢は、若い方がしっくりくると言うか人間味として受け入れられる(世間知らずの正義漢であるほうが、偏屈な中年よりも目を惹くし親近感が湧く)。

頑迷さが若さゆえだと思うと何かもう美しくすらある。

文学史上最も魅力的な悪役(というのも憚られるけど)の一人であるのは元々間違いないけど、その新しい形を見つけた感ある。

フランス版のジョンマルコヴィッチより、ハリウッド版のラッセルクロウよりこの人が良い。。。

ガラスの仮面』の劇中劇の『たけくらべ』で起こったことを観てるみたい。新しい解釈での表現。

At the end of the day, Lovely ladiesなどなど、役名のない人たちが大勢で歌ってるところも技量に余力があって、音程も迫力も素晴らしくて、ロンドンのミュージカル人材の層の厚さをバリバリ感じる。

控えめに言ってレントの来日公演より感動してる。

映画の方が撮り直しできるし、何度も歌ったうえで最高の回を採用してるはずだし、完成度は上回るかもしれないとか思うじゃないですか。

でも映画を下回ってるところが一個もなくて、むしろ上回ってるところが多々見つかるっていう。

なおファンティーヌの人の情感も素晴らしかった。

I dreamed a dreamの序盤の台詞が少し駆け足じゃないかなと思ったが、最初の一節を歌い出した瞬間からどこを切り取っても深みのある声に一発で変わって、情感も声量もどんどん如何なく発揮されていく。

完全に劇場の空間全部を取り込んでる。泣いた。

そしてコゼットがアフリカ系の少女というダイバーシティ

名前のない役にアジア人の人はいたけど、アフリカ系はこの人以外にはいないように見えた。

ハリーポッターの舞台で、ハーマイオニーを演じるのが黒人の人で話題になってたけど、ハリーポッター以外でも普通にあるんだな。

観衆がちょっとびっくりした気配はしたけど。

大人になってからのコゼットは少し肉厚感があったので、個人的にはフランス版のヴィルジニー・ルドワイヤンがベスト。

そしてテナルディエ夫妻ですよ。

夫人の方は特に、下品な発音を再現してるのか全然聞き取れなかった笑

でも言葉わかんなくても絶賛しちゃうくらいの見事な助演女優男優賞。息ぴったり。

映画では米仏ともに単なる「嫌な奴」だった気がするのだが、こちらはめちゃくちゃコミカルでこれもジャベールと同様新鮮だった。

何かもう、あの二人が現れた瞬間に全部持っていかれるよね。

終盤彼らが出てくると客席が「またお前か!笑」ってなってた。

確かにこの二人の行動様式って、徹頭徹尾人間味の塊なんだよね。。。

『沈黙』でいうキチジローみたいな。滑稽だけど圧倒的既視感があるっていう。

エポニーヌは若さとまっすぐさと不器用さが全面に出る王道な感じで、マリユスに対する態度とか観てて切なかった。

ていうかマリユス、エポニーヌにコゼットの行方を探させるとか鬼かよ。

学生たちの中でも半人前扱いみたいになってたし、どこまでも邪気のないお坊ちゃん。

マリユスはあんまり裁量が与えられない役かもしれない。

ハリウッド版マリユスがエディ・レッドメインだって気づいた時驚愕したよね。

あまりに役を忠実に再現し過ぎててレッドメインその人の印象までイマイチに固定化するところだった。

ファンタビで魔法生物学者を生き生きと演じてるところが観られて本当に良かったよ。

映画では全然記憶になかったけど、学生革命のリーダーのアンジョルラスが結構ウェイトのある配役なのね。

あとガヴローシュもいい感じに目立っててナイス。

ハリウッド版ではそもそも登場したっけってくらいだけど、台詞の中で名前呼ばれててようやく思い出した。

最後の挨拶でリーダーと一緒に礼をして、かつ互いに敬礼するところが粋すぎて死ぬかと思った。

ジャベールが自殺するところ、わかっちゃいたけど悲しくてやるせない。

映画では米仏ともに、自分が間違っていたと知ったジャベールが死を選ぶことについて「なるほどな、これが彼にとっての筋の通し方なんだな」と淡々と観ていたけど、今回は共感度が高かったせいかめちゃくちゃ悲しかった。

間違っていたと認めて生きたっていいのにと思ってしまう。

寿命を迎えたジャン・バルジャンを、ファンティーヌやエポニーヌが迎えにくるところも泣いた。

もうどんな鎖もあなたを縛らない場所へ、って言う台詞で絶句した。

確かにパンを盗んだ罪って言う鎖をずっとジャベールが追ってくる人生だった。

で、One day moreの大合唱を最後に聴いて泣かないわけがないんですね。泣いたよ。泣いた。

音響や舞台美術の迫力も、歌唱力の層の厚さも、演出の作り込みも、どれを取っても隙がない舞台だった。

その根底に、素晴らしい楽曲があり脚本があり原作があるのは勿論なんだけど。本当に観てよかった。

人生のどうにもならなさに必死で向き合いながら生きる情感とか、信念に従って生きたいと思う人間の気持ちとかを強烈に表現してる作曲を改めて実感。

原作がそう言ったテーマを余すところなく描き切ってるから出来ることだと思うけど、だからと言ってそれを余すところなく汲み取れる作曲家もそうそうおらんよね。

個別の人物の人生を描いてるのにとても普遍的で、かつ、原題どおり悲惨な人たちの群像を描いているのに、何でこんなに観た人に希望を持たせるんだろう。

ハリウッド版の「愛とは、生きる力。」っていうコピーが本当にぴったり。

変えることのできない状況の中で、人間の気持ちだけが唯一の救いであり続け、人間すら変えていく。

音楽を効果的に配置して、原作と楽曲の良さを最大限に発揮させている脚本も凄い。

あんな陰鬱で長大な小説を、こんなにもわかりやすくパワフルな演劇にした人って誰なんだ。

フランスが舞台の物語をロンドンで観るってのは思ったより違和感なかった。

ヨーロッパの話だからむしろイギリス英語で観られることに謂れのない安心感を覚える。

Look downからバリバリのイギリス英語を感じた時にうおおーと思った。

ハリウッド版や、日本語吹き替え版にないしっくり感。

フランスは外国なので、イギリスから見て非日常感がありつつも、文化的文脈に共通な部分も多くて違和感はない。

たぶんフランスでやってたとしてもフランス語なまりの英語で聴いたらちぐはぐ感あっただろうし、フランス語で上演されても理解できないし…結果として、遠過ぎず近過ぎない、ベストな距離感のエキゾティシズム。

ハリウッド版のサウンドトラック聴いてみたけど、やっぱり間違いなくミュージカルの方が巧い。声の伸びが全然違う。

男声が物足りなくて口直しにウィーンミュージカルの『エリザベート』聴いちゃったよ。

映画の中ではアン・ハサウェイが一番うまい。

ヒュー・ジャックマンも良かったと思うんだけど、ジャベールは舞台の圧勝。

 

おわりに

世界中で愛されるミュージカルたる理由が大納得できた時間でした!

英語が得意な方でも、ミュージカル映画版やサウンドトラックで予習して行った方がより深く理解でき、楽しいと思います。

ロンドンに行く機会がある方はぜひ検討してみてください!

 

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映画『万引き家族』4

ついに最後の人物、祥太のことを書く記事がやって参りました。

めちゃくちゃ長くなりました。。。

これまでの記事はこちらです。

映画『万引き家族』 - 本と映画と時々語学

映画『万引き家族』2 - 本と映画と時々語学

映画『万引き家族』3 - 本と映画と時々語学

 

祥太

祥太はりんがやってくるより前から、信代と治に育てられていた男の子です。

二人とは血は繋がっていません。

たぶん十歳くらいで、住民票の関係からか学校には行かず、どこからか拾ってきた国語の教科書を熱心に読んでいます。

治が「学校は自分で勉強できない奴が行くところ」と教えていたからです。

でも、何となく学校や他の子どもに興味を持っているのは察せられます。

ここが後半の展開に結びつく、彼の重要な特徴と言えます。

疑似家族の理念をある程度納得して加わったであろう亜紀と違い、祥太は物心つく前に信代と治によって家族に入れられました。

そして、りんよりは周りのことを理解できる年齢になっていますから、初枝の死がなくとも自分の環境に疑問を抱き始めたであろう気配があります。

祥太は治から教えてもらった万引きで、家族の生計を支えるのに一役買っていますが、だんだんと盗みをすることの意味について悩み始めました。

万引きの常連だった駄菓子屋さんで、ある日店主のおじさんから「妹にはやらすなよ」と言われたことがきっかけです。

万引きのせいで駄菓子屋さんが潰れたと思った(実際は店主が亡くなり閉店した)ことが悩みに拍車をかけます。

信代に、店のものは誰のものなのか訊いて、「まだ誰のものでもない(から盗っていい)」と言われても、もちろん納得できません。

お金を払ってものを買う理由も、

万引きは人にばれないようにしないといけない理由も、

「妹にはやらすなよ」と言われた理由も、

信代の答えでは説明できていないからです。

治も車上荒らしの意味を訊かれてうまく答えられていません。

切ないけど、この流れが説明していることは、信代や治の一つの限界と言えます。

親から学べなかったことも、子どもは社会から学んでいく。

とくに祥太は賢い子なので、大人のご都合主義の言葉なのか、本当に彼を思って出てきた言葉なのか、直感的に察知している。

治も信代も人並みの煩悩を持つふつうの人間だと理解してしまった経験も、祥太と外の世界を引きつける力を補強しています。

序盤では、りんがやってきて万引きの手引きを受けることに対し「何で慣れてない小さな女の子と一緒にやらなきゃいけないの」と不満に思う子どもらしさもありましたが、後半は俄然、自分の意思を持ち、今まで見えていなかった親の人間的な部分が見えてきてしまう、子どもから少年への成長が見て取れます。

りんを庇うために目立つ逃げ方をしてしまうところなんか、りんへの向き合い方が序盤と全然違います。

逃げた時の怪我で入院した彼を置いて、親たちが夜逃げしようとした行動との対比が切ないです。

話を少し戻すと、親から学べなかったことを学ぶために、普通の社会で暮らしていくために、祥太は保護された警察で、これから学校に行くことを告げられます。

「学校は自分で勉強できない奴が行くところ」と信じていた祥太から、「学校でなければできないことってなに?」と訊かれた刑事は「『出会い』かな」と答えます。

この男性刑事、スクリーンに登場する時間は短いのですが、高良健吾さんがそれはそれは素晴らしく演じてらっしゃいます。

祥太に向かってそう答える時の顔が優しくて優しくて感動しました。

答えている内容もこれ以上ないほど的確です。

たぶん祥太は、家族という小さな世界ではわからなかったことを、学校を始めとした外の世界で学んでいく。

駄菓子屋のおじさんはもういないし、この刑事に会うことも恐らくもうないけれど、祥太はこれからもいろんな人から少しずつ学びを得ていく。

家族に限らず、小さな世界でできる成長には限界があるからこそ、学校や何かをきっかけに広い世界へ行くことに意味があるんだと思います。

(祥太と背景は全然違うけど)家族から学べなかった大切なことを学校その他の社会からたくさん教えてもらった一人としては、高良さんの台詞がとくに印象的でした。

実際、家族の離散後、しばらくして治と会った祥太は逞しく成長して、友達もできたみたいです。

治たちが彼を置いて逃げたと聞かされた祥太は、治に何も言うことなく施設に帰るバスに乗ります。

治は発車したバスを祥太の名を呼びながら追いかけ、祥太はその姿をずっと見つめていますが、バスを降りたり、泣いたりはしません。

別れるべき時が来たこと、自分は外の世界へ行く準備ができていることを、どこかで理解していたからでしょう。

祥太とは本来、治の本名なんだと刑事が指摘していました。

治は、おそらくは愛情に恵まれなかった小さな頃の自分を、同じ名前の子どもに愛情を注ぐことで自ら育て直していたのかもしれません。

そのことにもし治が深く癒されていたとしたら、祥太との別離は眠っていた小さな頃の寂しさを思い起こさせるものだったかもしれません。

 

子どもたちのその後

この映画を観て間もないころ、家族が離散したあとの亜紀や祥太やりんのことを考えてこんなツイートをしていました。

しかし、いつも悲しい映画も感動する映画もほぼ百発百中泣くのに、この映画では泣かなかったなと思って少し考えが変わりました。

泣かなかったのは寂しい子どもがいなかったからです。

亜紀や祥太やりんは、少なくともこの家族にいる間は守られていて、心理的支えがあります。

だからこの子たちは、血の繋がった相手でないけれども、家族から(誰かの身代わりや、親の人生の敗者復活戦としてでなく)自分自身として愛されたことがあります。

とくに亜紀は4番さんからも自分自身を必要とされた気持ちをもらえています。

よく言われる自己肯定感や自尊心は、自分自身を見てもらえたこと、愛されたことで築かれるなら、この3人はきっと「自分を愛してくれる人は確かにいる」「ある場所で会うことができなくても、世界のどこかには絶対いる」という気持ちを今後も持つことができるのではないでしょうか。

そうした気持ちで広い世界へ出ていくことができれば、安心できる友人やパートナーや家族をもうけることはきっとできます。

だから、あの家族は離散してしまったけれど、3人のなかに「愛された記憶」という大切なよりどころを残していったと思えてきました。

それは理屈を超えて心の奥で、これから3人の人生を支え続けるんじゃないかと感じます。

亜紀には、彼女と向き合ってくれるパートナーに巡り合って自分を大事にしながら生きて欲しいです。

離散後に家を見に来ていたし、初枝の隠し事にショックを受けていたので、立ち直るまでには少し時間がかかるかもしれませんが。

祥太も、万引きの習慣や非就学など、イレギュラーな幼少期を消化しつつ、たくさんの人と満ち足りた人間関係を築けたらいいですね。

友達いっぱいできそうだし、優しいし賢いから大きくなったらモテそうだし、これから大変だとは思うけど心配なさそうです。

一番心配なのはりんです。

親元に戻されてしまったりんは、再び虐待を受けながら生活することになってしまいました。

しかしりんは、自分を本当に大切にしてくれる人の存在を知ったので、身勝手で情緒不安定な母親に縋り付くことはもうありません。

自分を好きでいてくれる人はどんな風に接してくれるものか、体験として知っているからです。

だから、自分を愛してるならするはずのない行動を繰り返す人たち相手に、「良い子にすれば愛してくれるかも」と儚い期待を持ちつづけることはないでしょう。

すぐに経済的に自立できるならそれで万事解決ですが、りんはまだ親の養育なしに生きていくことはできません。

子どもの感情に寄り添う気持ちがないのに、自分は子どもにとって唯一最愛の親でなければ嫌、という歪んだ親もいます。

そうした人は、冷たくしたあと、暴言を吐いたあとに子どもが泣いて追い縋ってくる様子を見て、自分の優位を確かめます。

また、ストレス発散の八つ当たりをする相手がいなくなるのは嫌という思考回路の可能性もあります。

りんの両親がそういうタイプかはわかりませんが、もしそうだったら簡単に彼女を手放したりしないでしょう。

しかし、りんがいなくなっても何ヶ月も警察に届けなかった両親ですから、まだ希望があるかもしれません。

 

声に出して呼んで

この映画のタイトル候補には万引き家族のほか、『声に出して呼んで』というものがあったそうです。

振り返ってみると、

お母さんと呼ばれたかった信代、

吃音で思うように話せない4番さんから(さやかであれ亜紀であれ)名前を呼ばれたことのない亜紀、

お父さんと呼ばれたかった治、

追いかけてくる治にバスの中で何かを呟いた祥太、

放置された屋外で何かを呼ぼうとしたりん、

など、それぞれこのフレーズに当てはまりそうな場面が目に浮かびます。初枝だけわからないけど…。

戸籍上の名前や、法律上の関係性ではなく、普段交わす言葉や行動だけによって家族関係を作っていた彼らには、これもぴったりのタイトルだったかもしれません。

しかし、わかりやすさや初見の人への訴求力のために『万引き家族』に落ち着いたと予測します。

結果としてタイトルのわかりやすさも多くの人に見てもらえることに貢献したなら何よりですね。

家族や、人の心を支える愛は何かということについて考えるのに、これほど重厚な問いを持った映画はないと思うからです。

 

家族の持続可能性

大人も子どもも帰る場所になっていた疑似家族、

実の家族にはない愛情を得られた柴田家ですが、物語の終わりに離散します。

面会に来た祥太に信代が、祥太を誘拐した時のことを話していました。

パチンコ屋の駐車場で、車内に放置されていた祥太を連れ去ったこと、その車のナンバー、会おうと思えば車のナンバーを辿って実の両親に会えることを伝えます。

その場にいて、戸惑っていた治に「私たちじゃダメなんだよ」とすっきりした表情で言い切ります。

確かに、死体遺棄のみならず、りんや祥太の連れ去りが明るみに出たときから、家族の離散は避けられないことでした。

信代や治が祥太を守ることはもうできません。

だから信代は祥太がこれからの人生で自分の実の家族を知りたいと思った時に、せめて邪魔はしたくないと思ったのでしょう。

血の繋がりや法律上の家族は、イコール安心できる居場所を意味しない。

しかし、血縁や法律で繋がっていなくても、愛情や信頼で繋がることはできる一方で、

長期的に、誰からも何からも守りたい家族がいるなら法律の力を味方にすることは必要となる。

そうした法律的・心理的家族のかたちについて、大人が責任を負えなければ、子どもたちが安心できる居場所を持ち続けることはできない。

この現実的な状況を克明に切り取ったのがこの映画だと言えます。

本作は血や法律を徹底的に関係なくしたところでの愛や信頼を描いていますが、同時に現実世界で生きていくために法の支配の文脈を受け入れる必要も無視しません。

家族の心の機微を描く有機的な目線と同時に、冷静なバランス感覚が窺えました。

大人が家族のかたちに責任を持つというのは、何も一人一人の親個々人に限った義務ではないと思います。

一つでも多くの家族が健全な繋がりを築き、一人でも寂しい子ども、寂しい大人が生まれないようにするためには、何をしたらいいのか。

それを問い続けるという責任が、どんな大人に対しても存在すると考えます。

 

おわりに

感情を刺激されて泣いたり感動したりというより、じっくり考え込むのをいつまでもやめられなかった作品です。

最も感情を動かされた場面を挙げるとすれば、家族で音だけの花火大会を楽しんだり、海へ出かけて遊んだりするところでしょうか。

小さい頃花火大会や海に行った思い出がなかったので、単純にとても羨ましかったし、なんて温かい家族なんだろうと感銘を受けてました。

そして、大人になってからの人生で一緒に海にも花火にも出かけてくれる家族や友人に会えたことの幸せをじわじわ噛み締めてました。

お金と時間をかけて、損得なしに誰かと出かける理由って、単純に「その人と過ごしたいから」ですよね。

映画の展開上も重要なシーンだったと思います。

祥太が言っていた通り、一人では生きていけない人間でも、誰かと一緒にいて強くなれることはいくらでもあります。

一緒にいたいと思えて、一緒にいれば強く生きていける人に会えたら、その人生はとても幸せだと思います。

 

有機的でありながら論理的で、真摯に家族とは何かを問いかけた映画でした。家族について考えたいとき、是非お勧めしたい映画です。

 

 

万引き家族【映画小説化作品】 (宝島社文庫)

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映画『万引き家族』3

思いが有り余る『万引き家族』のレビュー3記事目です。

これまでの記事はこちら。

映画『万引き家族』 - 本と映画と時々語学

映画『万引き家族』2 - 本と映画と時々語学

 

本記事では亜紀について書きます。

亜紀と祥太について書くつもりが、亜紀ソロで一記事になってしまった。

 

亜紀

初枝をおばあちゃんと慕い、口うるさい姉のような信代をあしらい、時々りんを可愛がってあげる亜紀。

若いし健康そうだし、天真爛漫な可愛い少女です。

風俗店でアルバイトしているので、家族のなかでは自由になるお金が多い方ですが、家にお金を入れないことを信代に咎められたりします。

でもおばあちゃんに甘えて絡んで乗り切ります。笑

初枝が訪ねて行った亜紀の実家を見るに、どうやら亜紀は一般的なサラリーマン家庭で金銭的には不自由なく育ったようです。

半分廃屋で、水回りもめちゃめちゃ古くて、そこらじゅうとっ散らかっている初枝の家と、新しくて、ちょっと息苦しいくらい整然として清潔な亜紀の実家は、鮮烈な対比です。

父母と妹の四人家族で、妹はまだ中学生か高校生の様子。

短い場面なのですが、ああこの家庭内カーストに耐えられなくて家出たんだろうな…と察しがつきます。是枝監督恐るべし。

家庭内カーストの最上位は母親でしょう。

セリフは一言二言しか言わないけど、そこから余すところなく「不機嫌なVERY妻」ぶりが伝わってきます。

家の中を不機嫌で支配したり、気に入った子ども(次女)だけ優遇したり、この人なら絶対してるだろ…と確信させるに余りある圧迫感。

亜紀の父である夫は引き攣った表情でそれを宥めています。

パートナーたる妻とまともに話し合えずに「お、お母さんが言ってるんだからしょうがないだろ」「お姉ちゃんなんだから言うこと聞きなさい」とか言って亜紀ちゃんを我慢させてたであろうことが目に浮かびます。

扱いに耐えられず亜紀の方から飛び出して行ったのに、初枝の家にいることはわかっているのに、その初枝相手にすら、亜紀が海外留学している体を貫き通して話し続ける。

問題があってもないふりをし続ける不自然で緊張した家庭、なのに次女が出かけるときは連れ立って見送る、これだけで亜紀が飛び出した理由が表現されています。

形骸化した家族なのに、なぜ亜紀がいなくなった事実を直視できないのかといえば、「付き合いを続ける気はもうないけど、あんな奴に自分が『フラれた』という状況には我慢ならない」からでしょうか。

「見放すのは私であってお前ではない」と思ってるからでしょうか。

それとも、娘を愛してない親と世間様から思われるのが嫌だからなのでしょうか。

それらが入り混じった理由なんじゃないかとうっすら想像はつきます。

ただその考えには全く共感できないし、心底したくないです。

こうした父母に素直に甘えるなんて夢のまた夢だったでしょう。

だからこそ対照的に初枝の家では、今まで甘えられなかった分も甘えていたのではないかと推測します。

信代がいるから長女ポジションは負わなくていいし、親子より祖母と孫の方が緊張感はずっと少ない関係です。

亜紀は年金を下ろす初枝に着いて行ってご飯を食べたり、アルバイト先での話をしたり、初枝といると楽しそうで和気藹々としています。(「1192作ろう鎌倉幕府」に亜紀が突っ込むところや、「ドテゴロってなあに?」「童貞殺しだよ」のくだりはいつ思い出しても笑ってしまう。。。)

初枝に話したアルバイト先での働き方は特に印象的です。

彼女の源氏名はさやかで、実の妹の名前を拝借しています。

妹の名前で風俗バイトをすることで間接的に妹を貶めているわけで、初枝はそんな亜紀を「あんたも悪いねえ」と言ってやんわり受け止めます。

いやーあの不機嫌なVERY妻が聞いたら発狂しそうなエピソードですね。

そのバイト先で、亜紀はいつもガラス越しに自分を指名してくれる客と対面することになります。

お客さんは上手く喋れない男性だけれど、他の誰でもなく亜紀を必要としてくれることに気付き、(さやかとして働いているにも関わらず)自分が亜紀だと強く実感できたみたいです。

この経験はきっと、信代とシンクロする部分じゃないでしょうか。

生まれた家族の中に安心できる場所がなくても、家の外に出てそんな人間関係を見つけることはできる。

亜紀と恋話をする信代が「私も店のお客さん好きになった」と言われている場面があったことから、意識して重ね合わせている経過ではないかと思います。

そんな亜紀は、初枝の死後、警察で親が自分の居場所を知っていたこと、親が初枝にお金を渡していたことを知ります。

その絶望は如何ばかりだったか。

屈託なく自分を受け入れてくれるはずだった初枝にとって、亜紀は復讐の道具だったのか、金づるだったのか、と悩んだに違いありません。

お金に関しては、使わずに取ってあったのが見つかっており、すぐさま初枝自身のために使ったわけじゃないことがわかっています。

復讐の道具だったのかという点については、多分その側面は否定できないのではと思う一方で、細かいことはどうでも良くて亜紀を可愛がるのが楽しかったんじゃないかとも思えます。

復讐が動機だったとしても、亜紀に対して大切に思う気持ちを少しでも持っていたのであってほしいと思わざるを得ません。

 

次は最後の人物、祥太について書きます!