久しぶりにフランス映画のレビューです。
叙情的で内省的な文章と、美しく壮大な映像が惜しみなく綴られる一方、人間味に溢れた主人公のモノローグが印象的な映画でした。
静かに人間の内面を顧みるような作品です。
なお潜水服とは、彼を閉じ込め、自由から隔絶している状態を表現した言葉です。
あらすじ
ファッション雑誌『ELLE』の編集長ジャン=ドミニクは、ある日突然脳溢血に襲われ、生死の境を彷徨う。
3週間の昏睡の末に彼は再び目覚め、意識を取り戻すが、全身が麻痺しており動かせるのは左目のまぶただけだった。
意識や思考は正常なのに、身体の自由だけが奪われるロックトイン・シンドローム(閉じ込め症候群)と呼ばれる状態に陥ったのだ。
言語聴覚士の提案した方法により、ジャン=ドミニクは左目のまぶただけを使って意思の疎通を行う方法を獲得していく。
そしてある日、その方法を用いて自伝を出版することを決意するのだった。
ジャン=ドミニクの目線
この作品のほとんどは、主人公であるジャン=ドミニクの目線から映像が映し出されます。
ベッドや車いすに横たわったまま、病室や病院を訪れる医療スタッフや見舞客などを眺める時間が大半です。
意識が定まらないことによる目の焦点のぼやけから、瞬き、集中していないことによる目線の移ろいなど、すべてをジャン=ドミニクと一緒に追体験することになります。
連れ出されて外に出てみたり、見舞い客に会ったり、言語聴覚士や理学療法士によるレクチャーや治療を受けたりする日常の場面も多々あります。
動けなくなった彼のもとを何人かの人が訪れますが、中でも大きな影響を彼に与えたのは、ベイルートで数年間の人質生活を送ったピエールでしょう。
ピエールは印象的なメッセージを残して去っていきます。
自分の中にある人間性にしがみつくこと
そうすれば生きられる
彼に言葉を綴る方法を辛抱強く指導した言語聴覚士アンリエットとの交流も手伝って、ジャン=ドミニクは自伝を書くことを決意します。
アンリエットが提案した方法は、順番に呟かれるアルファベットのうち、自分が示したい文字が来た時に瞬きをして、一文字一文字意思を伝えていくというもの。
対話の相手は繰り返しアルファベット(実際に使われる頻度順に並べ直してある)を呟き、ジャン=ドミニクは目的のアルファベットが来るまで辛抱強く待つ必要があります。
何より、気の遠くなるような時間がかかる作業です。
しかし、アンリエットが「E S A...」とアルファベットを呟く速度、ジャン=ドミニクにより言葉が綴られる速度がだんだんと早くなるのを見ていると、人間の意思の力の強さをしみじみ実感させられます。
美しい文章と映像
ジャン=ドミニクが左目のまぶたを使って綴る文章は叙情的でとても美しいです。
また、彼の想像の世界を映し出した映像には、氷河や砂漠、熱帯雨林など、彼が訪れ得ることのない壮大な世界を見ることができます。
そこにある自然の景色は美しく鮮やかです。
ジャン=ドミニクの視線から写し出される限られた範囲の光景とは対照的でした。
また、彼が入院しているベルクの病院の周囲の景色も、地平線まで広がる丘陵や、広い水平線を湛える海など、自然の大きさを実感するような光景ばかりです。
しかし、彼の眼前に広がっているけれど、実際に行くことができない場所がたくさんある世界を見せつけるのではなく、目の前に広がる光景を超えて、思考の力でどこへでも行けることを強烈に示していました。
モノローグの中で特に印象的だった一文があります。
記憶と想像力で僕は時や場所を超える
虚構の世界を見る力は人間だけが持っているとされます。
彼はまさにピエールの言った通り、自分の中にある人間としての一面を掘り起こし、掘り下げて、生きていくことを決意したのです。
人間味のある言葉
叙情的な言葉が耳に心地よく、虚構の映像が鮮やかな一方で、左目に映し出される光景を前にしてのジャン=ドミニクの独白には人間味しか感じられません。
自分を担当する言語聴覚士と理学療法士が美人なのに手が出せないことを悔しがったり、周りからかけられる言葉に心の中で冷たい言葉を返したり、今までの人生でしなかったことを後悔したり。
実際はもっと、自分の不運や辛い境遇を呪い、嘆いた言葉も多かったかもしれません。
リアリティを感じさせるにはよりネガティヴな演出でも良かったかもしれない。
でも、「あーこの美女と付き合えたらな…」系の妄想をはじめ、生身の人間の独白が繰り返しあることは、この信じられない創作活動が1人の人間の手によって行われたという事実を、観客に信じさせるには充分だったなあと感じます。
おわりに
この映画は実話に基づいて製作されており、現地フランスを始めとした各国で同名の書籍が出版されています。
同じく身体の自由の利かない状態で生きることになった実在の人物を主人公とした映画に、スペイン映画『海を飛ぶ夢』があります。
しかし、あらすじを見る限り2つの作品は大きく異なり、『海を飛ぶ夢』は重々しい問いを観ているものに投げかけるようです。
こちらはまだ観たことがないので、近いうちに視聴して本作との比較検証をしてみたいです。
- 作者: ジャン=ドミニックボービー,河野万里子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/03/05
- メディア: 単行本
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