映画『ガタカ』
人間のDNAを操作できる近未来を舞台とした作品です。
レビューを書くのが難しそうで先延ばしにしてきましたが、このたび鋭意トライすることに決めました。
ラストまでネタバレします。
- あらすじ
- 別人を生きる孤独
- 可能性の設計図がある残酷さ
あらすじ
遺伝子操作で身体的・知能的に優れた子どもを産むことができる近未来。
その技術により、優れた資質を与えられて生まれた者は「適格者」として社会の上位に位置し、
そうでない者は「不適格者」として不遇な人生を送る定めにあった。
遺伝子操作を経ずに生まれたヴィンセントは心臓疾患を抱えており、30歳まで生きられないだろうと言われている。
「適格者」である弟との差に悩みながら、「不適格者」である限り叶わない宇宙飛行士になる夢を何としても夢を叶えたかったヴィンセント。
彼は、違法な取引の末に「適格者」ジェローム・モローの身分を手に入れ、宇宙局ガタカに入社する。
ジェロームとして生きることで、「適格者」として夢を実現しようとしていたのだ。
しかし、念願の惑星探査メンバーに選ばれた後、局内で殺人事件が起こる。
現場からは、「不適格者」ヴィンセント・フリーマンの髪の毛が発見され、ヴィンセントの夢と社会的立場は窮地を迎えようとしていた。
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映画『道』2
前回の記事の続きです。
イタリア映画『道』のレビューです。
ザンパノの後悔
ジェルソミーナは既に死んでおり、彼がしてやれることは何もありません。
彼女が慕っていた綱渡り芸人は彼自身が殺してしまい、これまた彼にできることは何もありません。
しんどいのは、ジェルソミーナがそんなザンパノにも愛を示してくれたこと、それが彼の心にとって恩恵があったことに、(遅すぎるけど)気づいたことでしょうか。
彼はその愛情を無碍に扱っただけでなく、大切な存在を奪う行為によって彼女に報いました。
1度はイル・マットを殺すことによって、
もう1度は彼女を置き去りにすることによって。
ザンパノは彼女に愛を与えなかっただけでなく、彼女からの愛にまともに気づいてすらいなかったのでした。
神の愛は信じぬ者にも及ぶ
フェデリコ・フェリーニ監督は、「神の愛は信じぬ者にも及ぶ」との思いでこの映画を作ったと聞きました。
映画の登場人物は誰もがその日暮らしで、貧しく、教会に通う様子もありません。
神の愛は一体誰に及んだのでしょうか。
ジェルソミーナは冒頭の母親の言葉を聞く限り、大人だけど働いたことがない。
おそらく軽い知的障害があり、働けなかったものと思われます。
彼女は自分がなかなか人の役に立てないと思い、「私は何の役にも立たない」と嘆きます。
そんな彼女には綱渡り芸人が手を差し伸べました。
彼は綱渡りの衣装に天使の羽をつけている場面がありました。
多くの方がレビューで指摘しているように、彼は神の愛の比喩的存在で、ジェルソミーナに優しい言葉をかけたのは愛を説くためのように見えます。
ザンパノに差し伸べられた愛は言うまでもなくジェルソミーナでしょう。
粗暴な彼にも優しく付き従う彼女は、力も打算もなくただ素直なばかりで、天使を暗喩しているように思われます。
しかしザンパノは、その愛に気づきもしなければ、失って初めて彼女を好きだったことに気づきました。
まるで小さな子どもが家族と喧嘩して「嫌いだ」と自分から言った後に、相手から突き放されて激しく動揺したり、
あるいは綱渡り芸人が言うように、愛する者にも吠えることしか知らないけだもののようです。
神の愛はけだものをも変えると言ったところでしょうか。
変わったところで既に時遅しであることは変わりませんが。
予備知識なしで映画を観たときにも、「愛は人を変える」というメッセージは比較的察知しやすかったのですが、「神の愛は…」のフレーズを聞いてなるほどと思いました。
DV人間にも添い遂げよとかそう言ったことではなく、誰でも誰かに何かを与えられること、神の愛の比喩としてジェルソミーナが必要だったのでしょう。
おわりに
この映画を観て驚いたのは、シンプルな物語に深遠なテーマを込めるストーリーテリングの凄さです。
戦後すぐに作られた映画で、登場人物たちは電話も使わなければテレビも見ていないし、勿論インターネットなんてありません。
ストーリーもいたって単純で、複雑な展開も幾重もの伏線もありません。
それなのに、これほど心にいつまでも残り続ける作品に出会ったのは初めてでした。
また、このような映画を現代において作ることは不可能でしょう。
名作には名作たる理由があるんだと教えてくれた映画です。
愛というテーマについてじっくり思考したい時におすすめの作品です。
映画『道』
ものすごく久しぶりにイタリア映画のレビューです。
愛って何なんだ!と考えたい方にご紹介したい映画です。
イタリア映画屈指の名作であり、アカデミー賞最初の外国語映画賞を受賞した作品でもあります。
製作は1954年で、全編モノクロフィルムです。
惜しみなくネタバレしています。
- あらすじ
- 粗暴な男ザンパノ
- 綱渡り芸人イル・マット
- ジェルソミーナとの別れ
あらすじ
旅芸人の男ザンパノは、助手の女が死んだためその姉妹のジェルソミーナを新たな助手として二束三文で買い取る。
実家が貧しく、知恵も反抗心もないジェルソミーナは、横暴なザンパノにも素直についていくが、女と遊び回っては彼女を邪魔者にする彼にある日嫌気が差し、1人で街へ出かける。
街で見たのはサーカス団の一員で綱渡り芸人の朗らかな男。
ジェルソミーナがザンパノに連れ戻されたあと、2人は綱渡り芸人のいるサーカス団と合流し、ともに興行を行うことになる。
しかし、綱渡り芸人がジェルソミーナに優しく接し、彼女との距離を縮めるのを見たザンパノは、彼に対する激しい憎悪を膨らませていく。
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映画『7月4日に生まれて』
トムクルーズの代表作の1つであり、ベトナム戦争に対し大きな反省を投げかけた映画をご紹介します。
もうすぐ7月4日なのでこの映画を思い出しました。
あらすじ
アメリカ独立記念日が誕生日の主人公ロンは、高校卒業後すぐに海兵隊へ入隊し、ベトナム戦争に従軍する。
死線をくぐり抜け、大きなトラウマを負い、車椅子が手放せない体になりながらも生き残った彼は、生まれ育った街に戻ってくる。
しかし、ベトナム戦争は彼に対する周りの見方も、帰還兵としての彼の立場にも大きな負の影響を及ぼしていた。
従軍により失ったものの大きさと、新たな人生を始めることの困難さに直面し、苦悩する帰還兵の姿を描いた映画。
一兵卒と戦争
ロンは第二次世界大戦を戦った父を尊敬し、国のために戦う兵士に憧れを抱き、その仕事に人生を捧げるつもりで入隊します。
兵士本人にとって、入隊は人生を変える決断です。
しかし、国家にとってその戦争の戦略的意味合いが変われば、戦争の意味や意義は簡単に失われます。
また、ベトナム戦争には、第二次世界大戦のように「人権弾圧の象徴ヒトラーやムッソリーニを倒し、自由な世界を守る」という輝かしい大義はありません。
共産主義と資本主義、ひいてはソ連とアメリカの代理戦争のためにアメリカの若者が死ぬのは避けねばならない、
ということで米国内での反戦機運が高まり、結果として撤兵することになります。
同時に、戦地ベトナムで行われた残虐な戦闘行為や、民間人犠牲者の状況もまた、戦争反対を訴える人の増加に拍車をかけました。
本作は、国を守る仕事に夢を抱いて入隊した若者が、戦争に対する国のスタンスや世論の変化に翻弄された過程を描いた作品です。
国の戦略にとっては1つの歯車でしかない兵士ですが、
国の戦略は兵士の人生を大きく変えてしまったわけです。
英雄になれない帰還兵
第二次世界大戦の帰還兵は、ヨーロッパを圧倒した枢軸国を倒し、世界の平和を守ったと言う名誉があったようです。
しかし、同じく激しい戦いをくぐり抜け、さらに脊髄損傷のため胸から下が不随になって生還したロンを待っていたのは、賞賛ではありませんでした。
国に帰ると、弟や、好きだった女性が反戦運動に参加しています。
それはロンにとって、彼の行動を否定するかのように映ります。
遠く離れた戦地のことなど考えず、自分自身の順風満帆な人生しか知らない友人もいる。
そういった背景から、ロンは帰還後に故郷や家族に馴染めず、鬱屈した日々を送ります。
深夜に酔って家族に当たり散らし、近所中が目を覚ますような騒ぎを引き起こした後、彼は故郷を離れメキシコへ旅立つことを決めました。
戦地でのトラウマ
ベトナム戦争が米国の軍人たちにもたらした爪痕として、もう1つよく語られるのが戦地でのトラウマです。
ロンもまた、戦地で深刻なトラウマを負います。
しかしそれは、命の危機を経験し、その時の状況を思い出させるものに恐怖すると言ったような、戦争の被害者になったためのものではありません。
彼は自分が人を殺してしまったというトラウマに激しく苛まれることになります。
ベトコンが潜んでいるという村の掃討作戦を実施したロンたちは、ほどなくして自分たちが皆殺しにしたのが罪のない民間人であったことを悟ります。
生き残った赤ん坊が泣き叫ぶ声を後に、迫り来るベトコンから逃れて走り去るロンたち。
追われる恐怖で半狂乱になったロンは、砂の丘の後ろから現れた人物を必死で撃ちますが、それは敵兵ではなく同じ隊のウィルソンでした。
民間人を虐殺したうえ、同じ海兵隊の仲間も殺してしまった。
決して癒えないトラウマを抱え、彼は生き続けねばならなくなります。
メキシコで彼を知っている人がいない生活を送り、自堕落な毎日の中で「落ちるところまで落ちた」彼は、このトラウマに対する負い目を清算すべくある行動に出ます。
そして、入隊した時とは違う信念を持って、新たな人生をスタートさせることを決めます。
おわりに
この映画には原作の書籍があり、実在の人物ロン・コーヴィックの体験が記されたものです。
7月4日に生まれたことも含め、事実の経過がかなり忠実に反映されているようです。
どんな立場で立ち会ったとしても、やはり戦争はその場にいた人全てを傷つけるのだと実感させられる映画でした。
傷ついたベトナムの人々からしてみれば、米国軍人のトラウマがとか言われても、「自分の意志で武器を持ってやってきて人を殺しておいて何を言うのか?」と言いたくなるかもしれません。
それに反論できる人はいないでしょう。
しかし、武器を構えている人間も、武器を向けられている人間も、等しく血の通った存在であることは覚えていなければならないと思います。
どちら側に立っていたとしても傷つくのだと言うこともまた然りです。
ロンがベトナム戦争で負った傷跡は深刻なものでした。
ただ、癒えない傷を抱えてもがき、痛々しいまでの葛藤を見せながらも立ち直るロンの姿に、救いのあるラストになっています。
ベトナム戦争や、帰還兵問題について知りたい方に是非お勧めしたい映画です。
小説『椿姫』
フランス文学を代表する小説の1つをご紹介します。
純愛を描いた名作文学と言うと、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』が有名かと思いますが、個人的にはこちらの方が好きです。
すべての小説の中でもかなり上位に食い込む作品です。
あらすじ
パリの街中で、ある屋敷の中の家財が競売に出されていた。
屋敷の女主人が亡くなったためだったが、その女主人とは名の知られた美しい娼婦だった。
語り手である私は、競売の会場をうろつく若い青年と知り合い、生前の彼女との関係を聞かされる。
それは無垢な青年アルマンの純粋すぎる恋心と、娼婦マルグリットの優しさが引き起こした美しくも悲しい恋の物語であった。
世間知らずなアルマン
アルマンはマルグリットのことを知るとすぐに恋に落ちます。
しかし、マルグリットは娼婦であり、伯爵のお気に入りの女性でもありました。
仕事以外で男性の相手をする事は本来難しい立場のマルグリットに、アルマンは心からの告白をし、お金の介在しない関係を築くように頼みます。
マルグリットは彼の純粋さをかってそれに応じます。
長く病を患っており、自分の人生が短く終わることを薄々感じていたからかもしれません。
ところが、アルマンは自分のものだけにならず、自分以外の相手との人間関係を断ち切らないマルグリットに苛立ちます。
恋人以外の人間とも会わなきゃ生きていけないので、ある意味当然ですが、マルグリットを好きな気持ちの強すぎるアルマンは怒りを抑えきれず激してしまいます。
社会性を保つマルグリット
何度も怒っては「許して」と泣きつくアルマンと、アルマンが理解しなければならないことを諭すマルグリットは、何度目かの喧嘩でようやく落ち着きます。
「そりゃそうだ」と、マルグリットの膝に頭を埋めながら、私は言いました。「しかしぼくは、まるで気ちがいのようにあなたを愛してるんだ」
「そうだったら、あたしをそれほどまでに愛さないようにするか、でなかったら、もっとよくあたしと言うものを理解するか、どちらかにしてくださらなきゃだめだわ。…」
そして、2人で楽しい時間を過ごすうちに、マルグリットは自分を冒す病のことも忘れ、今までになかった幸せを味わいます。
マルグリットは美しさにより名前が知られていても、唯一無二の存在と思える相手を持ったことはなかったでしょう。
互いに本気の恋ができたのは彼女の人生で初めてのことだったに違いありません。
しかし、ある日アルマンの父親がやってきて彼女を諭します。
社交界の人間としてバランス感覚を残している彼女だったからこそ、アルマンの父の説得は彼女の心を動かします。
若く愚かな愛
別れを選んだ彼女に対し、アルマンがとった態度はお世辞にも大人と言えるものではありませんでした。
なんかこうして書いているとアルマンてほんといいとこないですね…。
彼女同じりあるいは挑発するようなアルマンの態度に、マルグリットは憔悴していきます。
そして、アルマンとマルグリットの関係は、別離の後さらに最悪の形で終わりを迎えることになります。
アルマンは若く純粋ですが、マルグリットを守ってやれるだけの立場や、権力、経済力、バランス感覚などは、何も持ち合わせていません。
彼にあるのは純粋さと情熱だけです。
しかしそれだけでは、娼婦として生きてきたマルグリットを厳しい目で見る社交界において、彼女を守ってあげることはできませんでした。
そしてマルグリットは、自分が彼のそばにいるだけでアルマンの評判や将来性を奪ってしまうことが痛いほどわかっていました。
おわりに
身分や立場の違うふたりの恋愛と、社交界で生きていくことの折り合いがつかなかったことによる悲劇を、リアリティのある心理描写と共に描いています。
マルグリットがとても好きなのでご紹介しましたが、前述の通りアルマンに対しては愚かな若者と言う言葉がぴったりだと思います。
彼ほど、「好きだけじゃダメなんだ」と言う言葉の意味を学んで欲しい人物は他にいません。
アルマンの情熱と、マルグリットの社会性を見ていると、この小説は純愛による悲劇を描いた物語であると同時に、男と女の噛み合わなさを描いた話とも言えると思います。
愛になり得なかった恋を読んでみたいと言う方にお勧めの1冊です。
- 作者: デュマフィス,Alexandre Dumas Fils,吉村正一郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1971/01/01
- メディア: 文庫
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映画『めがね』
久々に邦画のレビューです。
『かもめ食堂』の小林聡美、もたいまさこを迎えて作られた、ゆるやか非日常映画です。
劇中の風景が初夏や夏に観るのにぴったりだなーと思いながらご紹介します。
あらすじ
春先の南の島に、スーツケースを持った女性タエコが降り立つ。
携帯電話の電波がつながらない場所を求めて旅して来た彼女だが、島には観光地が全くないどころか、飲食店もほとんどない。
宿屋の主人ユージまでが「冷蔵庫にあるもの適当に食べてください」とのたまう商売っ気のなさに唖然とする。
たそがれるくらいしかすることがない島、
毎年カバン一つでやってくるという謎の女性・サクラ、
しょっちゅう遅刻する高校教員、
不思議な島のリズムにタエコはいつの間にか引き込まれていく。
南の島の都会人
序盤のタエコは「あーこの人首都圏から来たな」と一瞬でわかる都会人ぶりです。
やたらと距離感の近い島の住人達との付き合い方に戸惑い、
なぜ放っておいてくれないのかと、ちょくちょくイラッとしています。
朝ご飯も、夕ご飯も、宿の主人ユージや謎の女性サクラと一緒に食べるし、
まだ眠っていたいのに朝はふとんの脇までサクラが起こしに来るし、
運んでおきますよと言われたスーツケースがいつまでも外に置かれているし、
何だか都会人が苦手なものがずらっと取り揃えられている環境です。
しかし、ユージやサクラは自然体で、宿も開放的なインテリアで(特にキッチンは建物とすら言えないようなオープンな造り)、のびやかな雰囲気のある場所です。
マリンパレス
放っておいてくれない人間関係に耐え兼ねて、島にもう一つある宿マリンパレスへ移ろうと決めたタエコ。
しかし、そこは色あせたモルタルで塗り込められた無機質な建物。
さらに、建物の裏では何人もの人間が黙々と野菜作りに励んでいます。
宿の女主人だけが今風のヒッピーのような格好をして、満面の笑みで「自分で作った野菜を料理してみんなで食べるのが世界一美味しい」的な演説をぶちます。
張り付いたような笑顔が怖い。
この人以外全然楽しそうじゃないし。
もちろんすぐさま逃げ出すタエコ。
遠大な距離の道を、スーツケースを引きずりながらユージの宿へ戻ります。
ゆるやかな非日常
いくら真面目にやってても、休憩は必要です!
そうでしょ?
サクラの店でたそがれるハルナは自信満々にそう言います。
ハルナの場合は休憩のが長そうですが。
携帯の電波も通じず、貨幣経済すら離れることもある島で、タエコはゆっくりとたそがれる心地よさを習得していきます。
たまに邦画のテンポはゆったり過ぎて退屈だと感じてしまうことがありますが、この映画は不思議とそんなことがありませんでした。
緩やかにのんびりした時間が流れていても、
せりふのない時間があっても、
それがこの島の雰囲気を伝えるのに必要な間なので違和感がありません。
作品のこうした良さを伝えるのに、もたいまさこさんの「雰囲気で語る」演技が絶大な力を発揮しています。
マリンパレスから脱走してきたタエコと、サクラが出会う場面は、この映画きっての名シーンの一つです。
おわりに
どおりで外国のような南国っぷりを醸し出しているわけですね。
それでいて、食事の場面で映し出される料理が素朴で美味しそうな家庭料理なためなのか、なぜか懐かしさも感じてしまう映画でした。
俗世を離れてゆったりしたい気分の時におすすめの映画です。