本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『この素晴らしき世界』

第二次世界大戦下のチェコの片田舎を描いたヒューマンドラマをご紹介します。

ナチス占領下の小さな村で生活する人々の姿を通じて、人間同士を分断することの愚かさを伝えてくれます。

ネタバレです。

 

あらすじ

ナチスドイツに占領されたチェコの、片田舎の村に住むヨゼフとマリエは長年子どものいない夫婦。

彼らはある日、家族を連れ去られ住む場所も失ったユダヤ人の村人ダヴィドを保護する。

ナチスに心酔する隣人ホルストや、村にやってきたドイツ軍の役職者から、若いダヴィドの存在を懸命に隠す日々が始まる。

その後、2人の家にドイツ軍人が同居する危機を回避するため、マリエは子どもが生まれると嘘をついてしまう。

追い詰められたヨゼフたちはある方法で窮地を脱しようとする。

 

小さな村の日常

ヨゼフとマリエは、かつて子どもを望んだものの、ヨゼフに原因があって子宝を授かっていません。

長閑そのものの村で、長年の隣人である人々と交流しながら穏やかに暮らしています。

社会の変化とはあまりに隔絶された村の中で、戦争の気配はあるにしてもどこか遠いです。

ひとりナチスを信奉するホルストへの目線にも、「あーはいはい」という(まるで意識高い系の人を遠巻きに見るような)生温かさを感じます。

とは言え、こんな村にもドイツ軍の軍人が駐留したりするので、ダヴィドはヨゼフの家に来る前に他の村人に遭遇するも冷たく追い払われていました。

やはり誰かに彼の存在を知られるわけにはいきません。

しかもホルストは既婚者マリエに思いを寄せているので、その辺もマリエの手腕でいなしたり躱したり正面突破したりしなければなりません。

戦争の緊迫感と反ユダヤの波が訪れてはおりますが、人間味あふれる村人たちの日常も脈々と続いている様子が描かれています。

ホルストのようなしょーもないおっさんもいれば、そんなおっさんの相手をしてやるヨゼフやマリエのような人もいて、人間の集まりっていつの時代もそんなもんよねと思わされます。

ナチス体制が揺らいでくるとホルストが考えを変えてくるのも人間味の固まり感。

遠く離れた国でもこんな共感の仕方があるなんて、生活様式や文化は違っても人間の行動の根底はやはり似通っているなーと感じました。

 

秘密を守り通す

村に駐留するドイツ軍人がヨゼフたちの家の部屋を借りたいと言ったとき、マリエは「子どもが生まれるので子ども部屋が要ります」と言って入居を断ります。

しかしヨゼフ側の原因で子どもが長年できなかった夫婦ですから、いずれ嘘がばれます。

窮地に陥った2人は、匿っている青年ダヴィドの力を借りて乗り切ることを決めました。

割と予想のつく流れではありますが、ヨゼフとマリエという名前から、キリストの両親である夫婦を想像していたので、ダヴィドが父親になるのが意外と言えば意外。

マリエは妊娠して順調に胎児が育つのですが、彼女の出産に関してヨゼフたちのつく嘘がストーリーの重要なカギを握ります。

 

特別な嘘と救済

連合軍による解放の日にマリエが産気づいたので、ヨゼフは懸命に医師を探すものの、親ナチだった医師は連合軍が進駐してすぐに自殺してしまっていました。

ただ、死んだ彼が医師だというのは連合軍に気づかれていない様子。

そんなヨゼフの前には、親ナチだったとして取り調べを受けているホルスト

…。

…。

ヨゼフはホルストこそが主治医かのように嘘をついて、彼を連れ出します。

陣痛に耐えて医師を待っていたマリエは、ホルストが現れて驚愕するものの(そりゃそうだ)、出産するしかない。

そんななか、「ホルストは自分が匿われていることを黙っていてくれた」とダヴィドが証言して、ホルストは命びろい。

かつて、逃げ惑うダヴィドを追い払った村人のおっさんが、にわかレジスタンスのコスプレをして連合軍に証言していたのは笑っちゃいます。

ダヴィドが生きて現れたのを見て、心底ぎょっとしてました(そりゃそうだ)。

解放の日は本作のハイライトであり、コメディとしての集大成と言っていい盛り上がりを見せます。

こんな小さな村で人間を善と悪に分断してなんになるのか、

明日も明後日も顔を合わせて暮らしていくのにそんなことに何の意味があるのか、

と考えてしまう場面でした。

ナチスを裁こうとする連合軍の前で、お互いの脛の傷まで知っている人々が、悪を徹底的に潰すよりみんなで全部呑み込んで生きることを選ぶ機転が忘れられません。

 

喜劇で善悪も清濁も併せ呑む

ダヴィドの命がかかった隠れ家生活、匿っている夫婦の命も危ない毎日など、緊張感溢れる場面もあります。

苦しい場面に陥ってもダヴィドを守ろうとしたヨゼフとマリエの勇気や、

どんな状況でもお互いを大切にするヨゼフとマリエの姿に励まされたり、

シリアスな要素ももちろんあります。

だけどこの映画で最も大切なのはコメディ要素です。

世界大戦下の民族迫害や他国の占領は、重苦しく描こうと思えばいくらでも重く辛い映画になります。

でも、ありふれた毎日を生きる、普通の人々の人間味や滑稽さを排除せず描くことで、観ている人と登場人物たちの距離が格段に縮められています。

身構えずストーリーに入り込んでいたら、思わず笑ってしまう展開の中で「人間ってこういう時あるよね」とふと思ったり、

辛い時代を生き抜いたのは自分と同じ人間だったんだなと考えたりしました。

善いことをするのも悪いことをするのも人間だけど、ある人が絶対的な善とも悪とも言い切れない。

そして、戦争という特殊な環境が人の立場を分断したり、変えてしまうことも、コミカルに描くことで伝わりやすくなった。

人間の弱さを指摘するには、シリアスな展開よりもコメディのほうが受容しやすくなります。

間違ったり、立場によって人を守れなかったとしても、それも登場人物への愛ある喜劇として伝えられることで、現実として受け入れられた気がします。

また、暗い思い出は変えられないかもしれないけど、失敗や苦しみも、温かい共感で笑い飛ばしてもらえたら、後から思い出す時の気持ちが少し楽になります。

記憶に蓋をしてしまうのではなく、冷静に振り返ることもできるようになります。

辛い戦争の時代をコメディのように描いたことで、そうした効果も生まれているかもしれません。

 

おわりに

激しく重いナチ映画なら次々に思い浮かびますが、この映画に類するような戦争映画は思い浮かびません。

戦争の時代をコメディで描くという斬新ながらも素晴らしい映画でした。

残酷な場面やしんどい展開に気後れしてしまうという方にも、多くを教えてくれる戦争映画としてお勧めしたい作品です。

 

 

 

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映画『勝手にふるえてろ』

邦画屈指の鬱屈ラブコメをご紹介します。

ヒロインの松岡茉優ちゃんが好きということもあり、最初から最後まで楽しかったです。

妄想好き陰キャには間違いなく共感の嵐になります。

 

あらすじ

今まで誰とも付き合ったことのないOLのヨシカには、中学生の時からずっと片思いを続けている同級生イチがいた。

みんなから注目されるイチに、在学中アプローチすることはおろか、卒業してからも何もコンタクトはないまま20代中盤を迎えていた。

ある日、働いている会社の同僚であるニから告白され、人生初の経験に歓喜するものの、やはりイチのことは頭から離れない。

ヨシカは、いつ死ぬかわからない人生ならいつ死んでも悔いのないようにと一念発起し、別人になりすまして同窓会を企画する。

一方ニは、ヨシカの煮え切らない態度にも関わらず何の疑念もなしに彼女と過ごしていた。

 

奥手なこじらせ女子

ヨシカは自分の欲望や感情を素直に身近な人にさらけ出すことはできないけれど、一方で常に誰かにわかってほしい気持ちも持っている女性です。

日々の妄想や、絶滅した生物のリストに思いを馳せながら、感情を発散しています。

欲望のままに生きたり、素直な感情を優先して振舞うことは、ヨシカにとっては「野蛮で承服しかねる」事態なので、恋愛に対しても行動が起こせません。

結果、中学生の時からクラスの人気いじられキャラだった、ミステリアスなイチに心の中で何年も片思いしています。

クラスで目立たず、友達が多いタイプでもないヨシカは、在学中はおろか卒業後も恋心をただ持つだけでした。

しかし、危うく死にかけた経験をしてから、人生一度きりだと開き直り、別のクラスメイトになりすまして同窓会の招集をかけます。

ここで爆発する火事場の行動力も、こじらせ感あふれてて好きです。

あと、上司に変なあだ名つけてディスったり、経理課の仕事なめんなという気持ちを営業課に対して出しちゃう人間味も好きです。

人に好かれて当然と思ってない分、打ち解ける勇気もないけど、好かれたいと思ってないからこそ、失うものもないんですよね。

 

ヨシカを思う人々

ヨシカに思いを寄せる営業課のニは、当初は調子に乗ったないしはイキってる凡庸な若者に見えます。

でも、だんだんと一途さやヨシカに対する優しさが伝わってきて好感度が爆上がりします。

器用さはない反面、裏表もなく素直な人物です。

ヨシカの経理課の同僚の来留美も、恋愛経験ゼロのヨシカに押し付けないアドバイスをしてくれる頼もしい存在。

客観的に見れば、イチへの思い出なんか捨てて、いまヨシカを大切にしてくれる人を大事にして生きていきなよ!と思うのですが、そうはいきません。

なぜならこじらせているから。

誰かにわかってもらうことより、自分の内面世界を大事に生きてきたヨシカには、長年の思いを捨てることなど簡単にはできません。

彼女が劇中で口にするとおり、ヨシカが内面を明かさないのは、「自分の気持ちになんて誰も興味ない、わかってもらえるわけない」という思いからです。

だからこそ、明らかに彼女に興味を示しているニの前で安心して気持ちを解放したらいいじゃん!と思うのですが、そんなことはできません。

これまで孤独にイチを思い続けてきた気持ちが、なかったことになるなんて寂しすぎるからです。

片思いだからこそ、ヨシカが忘れてしまったらその気持ちを認める存在がいなくなってしまうからです。

 

世界とぶつかること

今まで内面世界で生きてきたヨシカが、ついに世界と向き合わざるを得ない瞬間がやってきます。

同窓会をきっかけにイチとの交流に成功したからですが、そこで彼女は予想外の結果に向き合います。

そして、ほぼ時を同じくしてニにも、絶対に知られたくなかった恋愛経験ゼロの事実を(信頼していた来留美経由で)知られてしまいます。

ヨシカが内面を隠すのは「情けない(と自分で思う)部分を知られたくない」のも理由の一つでしょうから、この事実はかなりの破壊力をもって彼女に襲いかかります。

全力で社会とのつながりを絶って引きこもるわけですが、絶望を乗り越えてこそ成長や発見があるわけで、ヨシカは思ってもみなかった結末を迎えます。

破れかぶれだけどよく頑張ったよヨシカ!

多分これからも色々あるけど、殻を破った後の発見を胸に生きていくことが重要なんよ!

と言いたくなるラストでした。

 

おわりに

学校時代を紛れも無い陰キャとして過ごした私には、あるあるすぎる場面が多々ある映画でした。

あと数年観るのが早かったら、胸が苦しくて最後まで見られなかったかも。笑

松岡茉優ちゃんが、もがき苦しむこじらせ女子を好演しています。

邦画ラブコメのおすすめを訊かれたら、迷わず推薦したい作品です。

 

 

 

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映画『ボヘミアン・ラプソディ』

初日に行った方たちが絶賛していたので、観に行ってみました。

映画館で観て大正解だったと思ったのでネタバレにてご紹介します。 

 

 

あらすじ

70年代のロンドンで、ペルシャ系インド人の青年ファルークは空港の荷役の仕事をしていた。

彼は、お気に入りのバンド・スマイルからボーカリストが脱退して困っていたところに、自身を加入させるよう売り込む。

ギターのブライアンと、ドラムのロジャーは彼の加入を承諾し、ベースにジョンを引きれて新しいバンドをスタートさせる。

ファルークは後にフレディ・マーキュリーと改名し、バンドは後に音楽史に伝説を残すQUEENの始まりとなった。

伝説的な成功の軌跡と、活動期間の後半に訪れた決裂、そして1985年のライヴエイドの舞台までを描く伝記的映画。

 

クイーンとボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディはクイーンの楽曲の中でも驚異的なセールスを記録した一曲であり、多くの人に知られています。

有名曲のためそもそも引用される回数の多さもありますが、一度聴いたら忘れられないインパクトがあることから、誰もが聞き覚えがある曲の一つではないでしょうか。

前衛的な表現が多々盛り込まれていることに加え、6分と言う長さ、バラードやオペラやロックと言った複数の分野の曲が組み合わされていること、歌詞の奔放さなど、どの部分を取り出しても規格外な楽曲です。

まさに芸術は爆発だと体現しているような狂想曲。

ロックミュージックの枠に囚われず、あらゆる音楽を表現の対象とした彼らの活動を象徴する一曲と言っても良いと思います。


Queen - Bohemian Rhapsody (Official Lyric Video)

本作には、タイトルにも掲げられているボヘミアン・ラプソディを始め、数々のクイーンの代表曲が挿入されています。

クイーンのメンバーであるブライアン・メイロジャー・テイラーが音楽プロデューサーを務めていることもあり、音楽の大盤振る舞いです。

また、『We will rock you』や初期の代表曲が生まれた背景や、レコーディング風景も物語に織り込まれています。

聴いたことのある名曲を聴ける楽しみと、「こんな風にあの曲が生まれたのか!」という驚きがありました。

個人的には、『We will rock you』がブライアン・メイの「オーディエンスと一つになりたい」「バンドと一緒に曲に参加してほしい」という思いを背景に作られたということを初めて知って感動しました。

あのスタンピングとクラップにはそんな理由があったんですね。


Queen - We Will Rock You (Official Video)

 

成功と孤独

フレディは無名の時代から知っているメアリーと結婚しますが、バイセクシュアルであることをカミングアウトした後、彼女と別れます。

彼女を失った後の孤独と悲しみは、常にフレディの心について回ったことが描写されていました。

メアリーはずっとフレディのことを真に思いやる友人であり続けるのですが、セクシュアリティを捧げるパートナーの席をフレディが占めることはその後なかったようです。

バンドの他のメンバーと違い、フレディだけに自分自身の家族がいないという点も彼の寂しさを募らせます。

孤独に付け込んだマネージャーのポールに、ソロ活動開始後は公私ともに手綱を握られ、本当に彼を思いやる人々から隔絶され、精神的にはますます追い詰められていきました。

連絡がつながらないことを怪しんだメアリーが彼のもとを訪ねたことで憑き物が落ち、ポールを叩き出すと、バンドメンバーに謝ってクイーンに戻ります。

事実を辿ると、メアリーとの破局はカミングアウトではなくフレディの浮気によるもののようです(他のメンバーも浮気はしていたようなので映画では掘り下げなかったのかも)。

音楽メインの映画なので、ドラマとしての完成度は標準的ですが、どんな成功も寂しさを埋め合わせることはできないんだと思わされます。

そう考えると、映画冒頭で流れる曲が『Somebody to Love』だったのは秀逸な采配です。

できれば彼のセクシュアリティによる葛藤や、ソロ活動誘致による亀裂だけではなく、バンド活動の中での4人のぶつかり合いを(描かれているよりもっと多く)見たかったですが、時間の制限上難しそうなので致し方なし。

全編を通じて印象的だったのは、多少調子に乗ったり、無神経な発言をすることはあっても、フレディが基本的には素直な人に見えたことです。

音楽に対する真剣さや、メアリーへの思い、猫への愛着など、人間としての素朴な感情が伝わってくる場面が多かっただけに、終盤の運命はやりきれないものがありました。

フレディの無邪気さを受入れていたからか、そして各人が高学歴なこともあってか(なぜか全員理系)、他の3人のメンバーは理性的にフレディを支えていたように見えます。

 

バンドメンバーの再現度

主役でボーカルのフレディ・マーキュリー、ギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラー、ベースのジョン・ディーコン、それぞれについてかなり高い再現度でした。

特にブライアンとジョンは生き写しで、スクリーンを観ながら何度も「もうこれ本人じゃん…」と思っておりました。笑

当時の映像や、本人との交流などを通して振る舞いや雰囲気を研究しているらしいのですが、もはや再現のレベルを超えてました。

一番似ている人を決めるとしたらブライアンだと思いますが、それもそのはず、ブライアンが最も俳優陣の役作りに積極的に貢献したようです。

『ボヘミアン・ラプソディ』役作りの苦労をキャストらが語る - シネマトゥデイ

ロジャーは本人のほうがスレた感じがあるのと、フレディは体格がめちゃくちゃいいので演じたラミ・マレックと若干サイズ感が違いますが。

なおフレディの音声は、ほとんど本人の歌声を映像に当てているそうです。

私はそれを知らずに観ていて「本人みたい!」と勝手に感激していました(本人でした)。

 

おわりに

この映画の特徴は一にも二にも、クイーンの名曲が惜しみなく盛り込まれていることでしょう。

楽曲の魅力に充分に浸るためにも、少しでも興味のある方には映画館で観ていただくことを強く勧めます。

大抵の映画について「面白い作品は映画館で観たってPCで観たって魅力は味わえる」と思っている私ですが、本作については見解を改めております。

特に、クイーンにとって特別な場所であるウェンブリー・スタジアムでのライヴシーンは圧巻です。

クイーンをよく知らない方にも、彼らの楽曲を知る導入編として、是非お勧めしたいと思える映画でした。

 

 

 

Night at the Opera

Night at the Opera

 

映画『ペーパー・ムーン』

不朽の名作ロードムービーをご紹介します。

静かで淡々としているように見えて、でも2人を見守りたくなる不思議な映画です。

1973年のアカデミー賞で、本作のテイタム・オニールが史上最年少の9歳で助演女優賞を受賞しています。

 

あらすじ

1935年、大恐慌期のアメリカ中西部。

詐欺師のモーゼは、事故で亡くなった恋人の9歳の娘アディを、ミズーリ州の伯母のもとまで連れて行くことになる。

モーゼは事故の相手の元へ行って慰謝料をせしめ、アディを電車に乗せて送り出そうとするが、アディは慰謝料が彼女のものだと主張。

通報されるのを恐れたモーゼは、アディに返す金を詐欺で稼ぎながら、ミズーリ州まで彼女を車で送ることにする。

嫌々ながら2人旅を始めたモーゼだったが、アディは呑気な大人を出し抜く強かさを持った、驚異的に賢い少女だった。

 

聖書詐欺師モーゼ

モーゼは地方新聞の死亡欄を見ては、遺族の元を訪ね、聖書を売りつける詐欺師をしています。

あたかも故人が妻や家族のために聖書を注文していたのが届いたかのように話し、何も知らない遺族から小金をせしめます。

遺族は「まあ、あの人が私のために…?」と心を動かされたり、「死んだ人が注文したものなんて知らん」というのも気が引けるし、と思ったりするので、まあまあな回収率です。

有り難い名前を名乗っておきながら何てことをしているんだ。。。

モーゼはこの仕事で学んだ話術で、アディの母が亡くなった事故の相手先から慰謝料をむしり取ります。

で、自分の懐に入れようとしますが賢いアディは見逃しません。

使い込んだ慰謝料を返すまで、彼女を放り出さず一緒に旅をするよう詰め寄ります。

詐欺師だけど何やかんや極悪人ではないモーゼは、根負けしてアディの伯母がいるミズーリまでの道中、詐欺を続けながら返済をしていくことになります。

 

天才助手の出現

アディはモーゼの詐欺の助手として、天賦の観察眼と機転を発揮します。

聖書の代金として要求する金額を、相手の家や身なりから判断して上げさせたり、

子どもという立場を利用してお釣りをちょろまかして儲けたり、

スタートはモーゼの真似であるものの、すぐに彼以上のパフォーマンスを見せます。 

飲み込みが良くて頭の回転が速く、胆力もあり、それらの才能をフル活用しています。

しかも、モーゼが踊り子のトリクシー・ディライトにうつつを抜かし、お金を浪費した時には、他者を抱き込んで2人が分かれるよう工作する天才です。

それどころか禁酒法を逆手にとって商売する悪者すら手玉に取ります。

9歳とは思えない現実離れした頭の良さなのですが、手段は原始的なのでなるほどと納得してしまいました。

 

アディの気持ち

劇中、モーゼに言うことを聞かせ、大抵のことは思い通りにしてしまう(ように見える)アディですが、ほとんど笑いません。

感情をほとんど出さず、何だか寂しそうに見えますが、後半はモーゼとの絆が深まり、やや心を開いているようにも見えてきます。

彼女はモーゼが自分の父親ではないかと考えて、何度もそう尋ねていました。

その度に否定されますが、それでも何度も訊いていること、優しく裕福な叔母の家をすぐに飛び出してモーゼを追いかけるところを見ると、アディはモーゼが父だと信じているようです。

事故で突然母を失い、挙句に一緒に旅した父からも離れるのは嫌だったのかもしれません。

まして悪行に失敗してぼろぼろになったモーゼはなおさら心配だったのでしょう。

アディが子どもらしからぬ知恵と冷静さを身に付けたのには、寂しい背景があったんじゃないかと勘ぐってしまいますが、2人で選んだ結末の先に少しでも楽しい時間が控えているといいなと思います。

なお原題そのままのペーパー・ムーンという言葉には、作りもの、まやかしという意味があります。

モーゼが本当にアディの父親かはさておき、疑似家族のちぐはぐした温かさを予感させるキーワードです。

 

ライアン&テイタム・オニール

実はモーゼ役は、アディを演じたテイタム・オニールの実の父なのですが、その割にアディはめちゃくちゃ表情が硬い。

気になってWikipediaを見てみたら、テイタムは幼少期に親から虐待を受けていたとのことで、アディの纏っていた寂しさの理由はもしかしたらこれかも、と思うと遣る瀬無い気持ちになりました。。。

愛されて天真爛漫な子どもが、アディを演じるためだけにあのオーラを出していたなんてことがあるのか?と不思議だったのですが、実体験からアディの気持ちを一部知っていたのかもしれません。

完全に信頼はできない、無償の愛を期待できない相手でも、自分自身の知恵で武装しながら追いかけていくと言う姿勢を感じてしまいました。

まだ200ドル貸しがある、とモーゼを呼び止めるのではなく、置いていかないでと言えれば良かったと思うのは、そういうことはエンターテイメント作品に期待する話じゃないかもしれません。

実際、アディの「孤高の子ども」感がこの映画を特別にしているのは間違いないので、彼女が普通の子どもみたいだったら、ただのほのぼのロードムービーになってしまったでしょう。

でもいつか、そうやって素直な気持ちをぶつけられる相手にアディが出逢えたらいいなと思います。

 

おわりに

普遍的な物語になるようシンプルな脚本を目指した、という製作者の意図が見事に奏功して、時代関係なく引き込まれる映画になっていました。

各種レビューの点数が高いのも頷けます。

モノクロ画面や、アメリカ中西部の荒涼とした雰囲気もあいまって、寂しさを常に感じる映像ですが、「広い世界に2人きり」感があってストーリーによく合っていました。

素朴なロードムービーが観たい方にお勧めしたい映画です。

 

 

 

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諸々の映画つぶやき

ブログをお休みしている間、Twitterで映画情報を集めたり、大喜利に参加したり、映画に対する想いを雑多に呟いたりしておりました。

一部のツイートはいつか記事に仕上げたいので、備忘も兼ねてまとめます。

 

 

 

 

 

 

やっぱりツイートの集合ではすぐに読み終わっちゃいますね。

またレビューを書きますので、引き続きよろしくお願いします。

 

 



映画『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』

時間をどう過ごして行くかについて考えたくなる、ヒューマンドラマ兼ラブコメディをネタバレしつつご紹介します。

Twitterで沢山の10代・20代の映画ファンから好きな作品として支持されていたので、気になって観てみました。

 

あらすじ

イギリスはコーンウォール出身のティムは、21歳の新年に父からある秘密を打ち明けられる。

彼の家系の男性は皆、過去にタイムトラベルできる能力を持っているという。

信じられないティムだったが、やがてタイムトラベルの力を利用して恋人を得たいと奮闘するようになる。

実家を出てロンドンで働き始めた彼は、望み通りタイムトラベルの力を借りて、意中の女性との恋をスタートさせた。

全て上手くいくかに見えた人生だったが、しばらくして彼はタイムトラベルでは解決できない問題に直面してしまう。

 

幸せな愛の物語

本作が魅力的な理由は、第一に笑いの沢山詰まったラブコメディとしての完成度です。

恋人が欲しいという若者らしい感情からスタートし、出会えた素敵な女性と距離を縮めるためにトライ&エラーを繰り返し、時にはそのために男友達を利用し、ぞんざいに扱い(ジェイとローリーの扱いが度々かわいそう)、何とか恋人になろうと手を尽くします。

奮闘ぶりや上手くいかない展開に思わず笑ってしまう場面は数え切れません。

恋人を作る以外にも、大家兼友人のハリーの職業的危機を救ったり、彼の誰にも知られない奮闘ぶりだけで別の映画が作れそう。

しかし、イギリスらしいひねったジョークを交えつつも、ティムが意中の人を褒めたり想いを伝える台詞はいつも一生懸命で温かいです。

メアリーと結婚してからは特に、彼女や彼女との子どもを大切に思う気持ちが常に感じられます。

息の合ったメアリーとのやり取りは、いつも笑いの要素とお互いへの安心感があって、見ていて飽きません。

そんな2人の結婚式は、とんでもない悪天候に見舞われ、ゲストも主役の2人もずぶ濡れになる大混乱になります。

けれどティムはタイルトラベルして日程を変えるでもなく、メアリもーまた「別の日が良かった?」と聞かれても否定し、ただ大切で賑やかな思い出として結婚式の思い出をそのままにします(一部若干の補正は入りますが)。

多少大変なことが起こっても、この2人なら笑いあって乗り越えていけそうなことを象徴する場面だと思いました。

メアリーはレイチェル・マクアダムスが演じる優しく愛情溢れる女性で、ティムといる時の自然体な明るさや、彼の家族とも打ち解けている様子から、彼女の温かい人柄が伝わってきます。

 

戻れない時間を生きること

順風満帆かに見えたティムの人生ですが、ある日大事な妹キットカットが交通事故を起こして重傷を負います。

腐れ縁の恋人と長年上手く行っていなかったことからアルコール依存になり、起こしてしまった事故でした。

ティムはタイルトラベルで事態を解決しようとするものの、数年前に戻ってキットカットと恋人の運命を変えると、なぜか自分の娘ポージーが別人になってしまいます。

一瞬でも人生の経過が変わると、子どもを作る遺伝子が変わってしまい、タイムトラベル前とは違う子が生まれてしまうためでした。

ティムはタイルトラベルでの解決を諦め、事故後のキットカットを恋人と別れるよう諭します。

起こってしまったことから逃げず、今ある結果と向き合うしかない時があるのだと実感させられます。

大好きな父が不治の病に冒されたとき、そして亡くなった後も、この「子どもが生まれる前には戻れない」という展開が重要な鍵を握ります。

父の体を冒す肺がんは喫煙によるものですが、ティムが生まれる前からの習慣なのでタイムトラベルして変えることはできません。

そして、死後もタイムトラベルして生前の父に会うことはできるけれど、その後に子どもができれば、もう二度と会えなくなってしまうためです。

 

タイムトラベルが教えるもの

ティムの父は、何気ない1日を普通に過ごした後、その1日をもう一度生き直すことをティムに勧めます。

「1度目は忙しさや慌ただしさで気づかなかった小さな良いことに、2回目では気づくことができるから」です。

しかし、キットカットの事故や父の死によって、特別な力があっても、人生には引き返せないポイントがあることに気づいたティムはあることを決めます。

1日1日を「未来からタイムトラベルしてきた自分がこの日を過ごす最後のチャンス」だと思って生きることです。

前半でタイムトラベル乱発のコミカルな場面が続いた後、静かに後半のシリアスな展開に移行しますが、教訓臭さや唐突感はなく、むしろ前半あってこそのメッセージです。

序盤から時々映し出されるコーンウォールの美しい風景が、終盤でたまらなく大切な思い出に結びつく場面があり、その意味でも全体の流れが巧みだと感心させられました。

 

おわりに

タイムトラベルで日々の何気ない問題を解決しようとしてみるものの、後々もっと大切なことに気づく、という展開自体はどこかで見た感があるかもしれません。

しかし、前半のコメディとしての面白さに浸るうちにティムやその家族やメアリーのことが好きになり、後半の哲学にもすっかり引き込まれていく、という流れの完成度が高かった。

ティムも、彼の両親や妹、不思議なデスモンド叔父、メアリーも、個性溢れる面白さを持っているうえに、お互いを大切に思う気持ちが映画全体の雰囲気を優しくしています。

特に、キレキレのイングリッシュジョーク全開の父は名言満載で、笑いあり涙ありのラブコメディ兼ヒューマンドラマにぴったりの人材です。

ティムの父を始めとした彼の家族が態度で伝えているように、別れやつまずきなど、悲しいことがあっても、大切な人と大切に過ごす時間があるから人生は愛おしいのかもしれません。

恋人やパートナーなど、大切な人と時間の過ごし方について考えたい時におすすめの映画です。

 

 

 

 

 

映画『君の名前で僕を呼んで』

Twitter界隈で今年話題になっていた本作を観てみました。
ネタバレします。

 

 
あらすじ

学者の父と博識な母を持つエリオは、自身も読書や作曲に親しむ知的で穏やかな少年だった。

毎年夏に北イタリアの別荘で過ごす際、父はいつも教え子を連れてくる。

その年の学生はアメリカ人のオリヴァーだった。

エリオは知的で穏やかながら逞しいオリヴァーに惹かれていく。

彼はオリヴァーの気持ちを図りかねて距離を取ったり、顔馴染みの少女との仲を深めたりと、悩み多き夏を送る。


初恋の儚さ

繊細な少年エリオは、知性と逞しさを兼ね備えたオリヴァーに心を掻き乱されます。

人生経験も心の余裕もある歳上の相手に対する純粋な憧れと、生身の人間への欲望が入り混じった若さ溢れる恋心が、エリオの表情や挙動から痛いほど伝わってきます。

演技に見えない自然さも相まって、自分の10代の頃の恋を振り返ってしまう人続出間違いなしの、隅から隅まで素晴らしい演技でした。

初恋の儚さ云々は勿論ありつつ、エリオを演じるティモシー・シャラメ自身が持つ雰囲気の儚さも、映画全体の魅力を大幅に底上げしています。

憧れも弱さもそれを隠そうとしている気持ちも、あまりに如実に伝わってくるので、物語の起伏は少ないものの手持ち無沙汰になりません。

端々から滲み出る抜き身の感情も、容赦なく思春期の不安定さを思い起こさせ、共感を鷲掴みにします。

この危うさこそが、それを受け止めるオリヴァーの優しさを、ますます頼もしいものに見せているかもしれません。


映像と音楽の美しさ

こんな映画は他にないと思わせるもう一つのポイントは、映像と音楽の美しさです。

映像については、イタリアの夏の明るさ、でも南部ほどアクが強くない北イタリアのちょうど良さが全開です。

別荘がある田舎の自然豊かな風景も、少し離れたところにある小綺麗な街並みも、静かで特別な夏の思い出の背景にぴったりでした。

台詞が少なく、エリオが自室や庭で1人で考え込んでいる場面が多いのですが、どの場面を切り取っても美しい画面しかない気がします。

彼の心象風景として完璧な表現が用意されていると言ってもいいかもしれません。

衝撃的なラストシーンの前に、冬の景色が長めに差し入れられるのも効果的でした。

音楽はエリオが弾く曲を含め、シンプルなピアノ曲が多いです。

思考を邪魔せず上品に入ってくるけれど、映像の美しさを引き立てるところもあり、絶妙な心地よさです。

音楽だけでも聞いてみたいなと鑑賞中から思ってしまいました。

 

辛くても美しい

エリオの両親はエリオとオリヴァーの思いに気づきつつ温かく見守っています。

明に暗にエリオの背中を押す母は、知的な多ヶ国語話者で、彼を迷いごと受け入れる優しさも持っています。

観てるだけで好きになっちゃいそうな素敵な女性でした。

考古学者の父は沈黙を守っていたけれど、夏の終わりのオリヴァーとの別れに打ちひしがれるエリオを穏やかに慰めます。

今は辛いだろうし、もう何も感じたくないと思うかもしれないが、感じないよう心を抑え込んでは自分をすり減らしてしまう。

辛い気持ちを受け入れ、喜びも悲しみも、自分の感情をこれからも認めていくよう励まします。

多くの人が恋愛で辛い思いをしたことがあると思いますが、だからと言って「恋愛なんて良くない」「あんな思いしない方がいい」と思う人は少ないでしょう。

辛さや悲しい思い出も、感情の奥行きや幅を広げ、心の血となり肉となるからです。

次項でも述べますが、それは恋の相手が異性でも同性でも変わらないことです。

初恋の相手と結婚まで行かない限り、誰もがどこかで別れや失恋を経験します。

本作は初恋の思い出というモチーフで、同性愛と異性愛の差異を忘れさせ、誰にでもある悲しいが大切な思い出を描きだした物語と言えます。

 

同性愛に普遍性を描く

舞台は1983年なので、エリオの両親は当時としてはかなり先駆的な価値観の持ち主だったでしょう。

エリオたちの恋愛感情をあるがままに受け入れ、異性愛者の恋と何ら変わるところなく激励する場面に、懐の深さと聡明さがあふれていました。

人が人を好きになる気持ちの本質は、異性愛だろうと同性愛だろうと変わらないのだと思います。

気になる相手がいても近づけなかったり、

気を引こうとして思ってもない行動に出たり、

嫉妬してうまく気持ちを伝えられなかったり、

一緒にいれば他愛ないことも楽しかったり、

別れの時がたまらなく辛かったり。

そうした情動はヘテロセクシュアルの恋愛映画と全く同じです。

ハリウッド映画の『ブロークバック・マウンテン』を観た時も同じことを思いましたが、その時は「共感できない濡れ場って辛いな」という素直な感想がありました。

ただ今回は、エリオを演じるシャラメの中性的な雰囲気も相まって、がっつり引き込まれ、強い魅力を感じました。

恋する中で誰もが感じる気持ちを丁寧に描き、また、エリオとオリヴァーの接触を徹底して美しく描写することで、恋愛感情の普遍的な部分を巧みに取り出していると言えます。

前項の初恋を乗り越える経験という点も相まって、2人の恋愛感情を特別なもの、同性愛として目立たせるのではなく、普遍的な淡い恋愛として描いています。

 

おわりに

本作は『ビフォア』3部作のように続編を前提としているらしいので、楽しみに待ちたいと思います。

原作の小説も読んでみたいです。

想像以上に物語の起伏はなかったけれど、不思議なほど余韻が残り続ける映画でした。

人生の辛さ悲しさも美しく写し取ってしまう点において、イタリア映画やフランス映画にはいつも驚かされます。

儚く切ない恋愛映画をお探しの方に、おすすめしたい作品です。

 

 

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