本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『この素晴らしき世界』

第二次世界大戦下のチェコの片田舎を描いたヒューマンドラマをご紹介します。

ナチス占領下の小さな村で生活する人々の姿を通じて、人間同士を分断することの愚かさを伝えてくれます。

ネタバレです。

 

あらすじ

ナチスドイツに占領されたチェコの、片田舎の村に住むヨゼフとマリエは長年子どものいない夫婦。

彼らはある日、家族を連れ去られ住む場所も失ったユダヤ人の村人ダヴィドを保護する。

ナチスに心酔する隣人ホルストや、村にやってきたドイツ軍の役職者から、若いダヴィドの存在を懸命に隠す日々が始まる。

その後、2人の家にドイツ軍人が同居する危機を回避するため、マリエは子どもが生まれると嘘をついてしまう。

追い詰められたヨゼフたちはある方法で窮地を脱しようとする。

 

小さな村の日常

ヨゼフとマリエは、かつて子どもを望んだものの、ヨゼフに原因があって子宝を授かっていません。

長閑そのものの村で、長年の隣人である人々と交流しながら穏やかに暮らしています。

社会の変化とはあまりに隔絶された村の中で、戦争の気配はあるにしてもどこか遠いです。

ひとりナチスを信奉するホルストへの目線にも、「あーはいはい」という(まるで意識高い系の人を遠巻きに見るような)生温かさを感じます。

とは言え、こんな村にもドイツ軍の軍人が駐留したりするので、ダヴィドはヨゼフの家に来る前に他の村人に遭遇するも冷たく追い払われていました。

やはり誰かに彼の存在を知られるわけにはいきません。

しかもホルストは既婚者マリエに思いを寄せているので、その辺もマリエの手腕でいなしたり躱したり正面突破したりしなければなりません。

戦争の緊迫感と反ユダヤの波が訪れてはおりますが、人間味あふれる村人たちの日常も脈々と続いている様子が描かれています。

ホルストのようなしょーもないおっさんもいれば、そんなおっさんの相手をしてやるヨゼフやマリエのような人もいて、人間の集まりっていつの時代もそんなもんよねと思わされます。

ナチス体制が揺らいでくるとホルストが考えを変えてくるのも人間味の固まり感。

遠く離れた国でもこんな共感の仕方があるなんて、生活様式や文化は違っても人間の行動の根底はやはり似通っているなーと感じました。

 

秘密を守り通す

村に駐留するドイツ軍人がヨゼフたちの家の部屋を借りたいと言ったとき、マリエは「子どもが生まれるので子ども部屋が要ります」と言って入居を断ります。

しかしヨゼフ側の原因で子どもが長年できなかった夫婦ですから、いずれ嘘がばれます。

窮地に陥った2人は、匿っている青年ダヴィドの力を借りて乗り切ることを決めました。

割と予想のつく流れではありますが、ヨゼフとマリエという名前から、キリストの両親である夫婦を想像していたので、ダヴィドが父親になるのが意外と言えば意外。

マリエは妊娠して順調に胎児が育つのですが、彼女の出産に関してヨゼフたちのつく嘘がストーリーの重要なカギを握ります。

 

特別な嘘と救済

連合軍による解放の日にマリエが産気づいたので、ヨゼフは懸命に医師を探すものの、親ナチだった医師は連合軍が進駐してすぐに自殺してしまっていました。

ただ、死んだ彼が医師だというのは連合軍に気づかれていない様子。

そんなヨゼフの前には、親ナチだったとして取り調べを受けているホルスト

…。

…。

ヨゼフはホルストこそが主治医かのように嘘をついて、彼を連れ出します。

陣痛に耐えて医師を待っていたマリエは、ホルストが現れて驚愕するものの(そりゃそうだ)、出産するしかない。

そんななか、「ホルストは自分が匿われていることを黙っていてくれた」とダヴィドが証言して、ホルストは命びろい。

かつて、逃げ惑うダヴィドを追い払った村人のおっさんが、にわかレジスタンスのコスプレをして連合軍に証言していたのは笑っちゃいます。

ダヴィドが生きて現れたのを見て、心底ぎょっとしてました(そりゃそうだ)。

解放の日は本作のハイライトであり、コメディとしての集大成と言っていい盛り上がりを見せます。

こんな小さな村で人間を善と悪に分断してなんになるのか、

明日も明後日も顔を合わせて暮らしていくのにそんなことに何の意味があるのか、

と考えてしまう場面でした。

ナチスを裁こうとする連合軍の前で、お互いの脛の傷まで知っている人々が、悪を徹底的に潰すよりみんなで全部呑み込んで生きることを選ぶ機転が忘れられません。

 

喜劇で善悪も清濁も併せ呑む

ダヴィドの命がかかった隠れ家生活、匿っている夫婦の命も危ない毎日など、緊張感溢れる場面もあります。

苦しい場面に陥ってもダヴィドを守ろうとしたヨゼフとマリエの勇気や、

どんな状況でもお互いを大切にするヨゼフとマリエの姿に励まされたり、

シリアスな要素ももちろんあります。

だけどこの映画で最も大切なのはコメディ要素です。

世界大戦下の民族迫害や他国の占領は、重苦しく描こうと思えばいくらでも重く辛い映画になります。

でも、ありふれた毎日を生きる、普通の人々の人間味や滑稽さを排除せず描くことで、観ている人と登場人物たちの距離が格段に縮められています。

身構えずストーリーに入り込んでいたら、思わず笑ってしまう展開の中で「人間ってこういう時あるよね」とふと思ったり、

辛い時代を生き抜いたのは自分と同じ人間だったんだなと考えたりしました。

善いことをするのも悪いことをするのも人間だけど、ある人が絶対的な善とも悪とも言い切れない。

そして、戦争という特殊な環境が人の立場を分断したり、変えてしまうことも、コミカルに描くことで伝わりやすくなった。

人間の弱さを指摘するには、シリアスな展開よりもコメディのほうが受容しやすくなります。

間違ったり、立場によって人を守れなかったとしても、それも登場人物への愛ある喜劇として伝えられることで、現実として受け入れられた気がします。

また、暗い思い出は変えられないかもしれないけど、失敗や苦しみも、温かい共感で笑い飛ばしてもらえたら、後から思い出す時の気持ちが少し楽になります。

記憶に蓋をしてしまうのではなく、冷静に振り返ることもできるようになります。

辛い戦争の時代をコメディのように描いたことで、そうした効果も生まれているかもしれません。

 

おわりに

激しく重いナチ映画なら次々に思い浮かびますが、この映画に類するような戦争映画は思い浮かびません。

戦争の時代をコメディで描くという斬新ながらも素晴らしい映画でした。

残酷な場面やしんどい展開に気後れしてしまうという方にも、多くを教えてくれる戦争映画としてお勧めしたい作品です。

 

 

 

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