映画『オンディーヌ 海辺の恋人』
おとぎ話を下敷きにしたアイルランド映画のレビューです。
あまり有名な作品ではありませんが、個人的にはアイルランドの海辺の風景が美しかったのと、お伽噺と現実の融合が巧みだったので強く印象に残っています。
結末はネタバレしないように書いていますが、中盤までは惜しみなくネタバレしているのでご注意を。
あらすじ
妻と離婚し、アルコール依存症と闘いながら漁師として生計を立てているシラキュース。
別れた妻の元にいる、車いすが必要な娘アニーの面倒を見るのが少ない楽しみの一つ。
ある日彼は、網に若く美しい女性がかかっているのを見つける。
彼女はオンディーヌと名乗り、誰にも見つからないようにしてくれと彼に頼んだ。
娘アニーはオンディーヌが海の精だと信じており、それを裏付けるかのように不思議な幸運がシラキュースについてきたように見えた。
しかし、正体を明かさない彼女にシラキュースが不信感を抱き始めると同時に、不吉な現象が起き始めるのだった。
オンディーヌとセルキー
この映画には、ヨーロッパのあちこちで伝わるオンディーヌの伝説と、アイルランドで伝わるセルキーの伝説とが取り混ぜられて登場します。
オンディーヌ
オンディーヌは水辺の精ですが、海ではなく湖や泉などに住む美しい女性の妖精です。
人間の男性と恋に落ち、結婚することがありますが、幾つかの禁忌があります。
- 水のそばでオンディーヌを罵ると水の中へ帰ってしまう
- 結婚後に別の女性を愛するとオンディーヌによって命を奪われる
オンディーヌと言うのはフランス語での呼び方で、英語での発音はアンディーンとなるかと思いますが、本作ではオンディーヌが採用されています。
オンディーヌを題材とした物語には、ドイツ人のフリードリヒ・フーケが1811年に書いた小説『ウンディーネ』があります。
ドイツ語読みではウンディーネとなるためです。
セルキー
セルキーはアイルランドやスコットランドに伝わる海の妖精の伝説です。
普段はあざらしの姿で生活していますが、陸に上がる時はあざらしの毛皮を脱いで人間の姿になります。
その際、あざらしの毛皮を陸上のどこかへ隠すのですが、それを取られてしまうと海へ戻ることができなくなり、陸で暮らし続けるしかなくなると言われています。
特に人間の男性が、女性のセルキーの皮を隠した場合は、セルキーは人間の妻となって彼のもとに留まり続けます。
しかし、海へ戻りたい気持ちは消えることがないので、皮を見つけられてしまったらセルキーはあざらしに戻って海へ帰ってしまいます。
この映画では、海から突然現れ、不思議な幸運や不運を呼び寄せ、正体のわからない女性の姿をオンディーヌやセルキーと重ねさせています。
お伽噺と現実
主人公シラキュースは、アルコール依存症と闘って懸命に断酒を続けています。
彼は、依存症のため離婚した妻との間の娘アニーの幸せを願う父親です。
彼や彼の人間関係は、とても現実的で、映画としては非常に地味なものです。
しかし、突如現れた美女を船に乗せたところ急に大漁になったり、
アニーの腎臓病を克服できるきっかけがやってきたり、
オンディーヌを迎え入れた日から現実離れした幸運が訪れ始めます。
彼女は自分自身について何も語らず、人前に出ることも嫌がります。
本当にお伽噺の中から出てきた妖精だから、そんなことを言うかのように見えます。
アニーはすっかり彼女が妖精だと信じて好きになっているし、シラキュースも彼女に惹かれていました。
でも次第に、彼女が運んできた幸運を不気味にすら思い始めます。
どれだけ詰め寄ってもオンディーヌは自分のことを語らない。
さらに彼女への追っ手らしき誰かが小さな町に現れ始めます。
オンディーヌは一体誰なんだと疑問に苛まれるシラキュースですが、やがて彼女の正体が明かされることになります。
おわりに
漁師とその小さな娘、突然現れたオンディーヌと、シンプルな人間関係を軸にストーリーが進行します。
派手なところのない舞台だからこそ、素朴なお伽噺が本当に有り得るように見えてくるところが、観ている側の心を掴んでしまうポイントです。
最後までオンディーヌの正体がわからないところも、続きが観たくなる理由の一つでした。
個人的にはもっと注目されて欲しい映画の一つです。
優しいお伽噺が観たいと言う方に是非おすすめしたいです。