本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

カズオ・イシグロの長編小説一挙紹介 、受賞理由分析

最新作以外すべての長編を読破している大好きな作家、カズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞しました。

イギリスの有名小説は『デヴィッド・コパフィールド』から『ハリー・ポッター』まで色々ありますが、エンターテインメント重視に感じるものが多いなか、イシグロ作品には哲学を感じることができます。

「記憶」をテーマとした一人称の作品は、癖がない文章の力もあって読者を物語に引き込みます。

より沢山の方に魅力を知っていただけるよう、これまでに読んだ長編小説を刊行順にご紹介します。

 

 

 

遠い山なみの光

戦後しばらくの長崎を主な舞台とした小説。

現在ではイギリスに住んでいる主人公の日本人女性が、夫や舅とともに暮らした長崎生活を回想します。

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

 

まるで自分もその場に立ち会っているかのように思えてしまう、自然な会話の文章力に驚かされる作品です。

イシグロ氏は幼少期にイギリスへ転居し、日本で暮らした時間は短いはずなのですが、「家」に対する考え方や、長崎地域の三菱造船所愛など、現役長崎人が書いたのではないかと思うほどディティールが正確です。

舅と夫の世代間の考え方の違いなど、日本人の思考を理解しつつ、きわめて客観的に描写しています。

 

浮世の画家

こちらも戦後の日本を舞台とした作品です。

中年の画家が、戦時中に体制側に回り、軍国主義を援助したことを回想します。

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

 

 他の作品と同様、自然な文章に引き込まれてあっという間に主人公の目線で物語に没入してしまいます。

しかし、徐々に娘の発言や、周りの人の反応から違和感を覚え、「信頼できない語り手」であることに気づかされます。

イシグロ氏の小説は一人称の語り手がいることで、物語に入り込みやすい反面、語り手の主観が覆されるという展開もままあります。

特に主人公が齢を重ねた男性の場合にその確率が高いです。

この小説は読み終わった後「客観性を失わない生き方をしよう」と強く思わされました…。

 

日の名残り

以前、当ブログで小説と、映画化作品をご紹介しております。

英国の美しい田園風景のなかに佇むダーリントン・ホールで働く執事が、戦前の時代を回想する物語です。

執事という職業に対する信念、かつての主人ダーリントン卿への尊敬、同僚ミス・ケントンへの淡い思いなどが振り返られます。

 

kleinenina.hatenablog.com

美しい文章は健在、舞台となったイングランドの美しさや雰囲気を写し取ることにも成功しています。

インタビューで「誰か個人の記憶を描くことで、その世代を代表する記憶を表現できるのではないかと考えていた」と語っていましたが、本作はその手法が典型的に用いられているかもしれません。

執事という職業を軸に、変わりゆく英国を描写し、古き良き時代を後悔と少しの美化とともに振り返っています。

イシグロ氏は「後になってから、そんな手法は良くないと気づいた」と言っていましたが、それでも本作の地位は揺るがないと感じます。

本作はイギリスの文学賞ブッカー賞を受賞しており、これによりイギリス国内、ひいては世界に名前を知られることになりました。

 

充たされざる者

レンガのように分厚い実験的作品です。

中年のピアニストが仕事のためヨーロッパのある街にやってきますが、会う人会う人彼に頼み事したり、話をして引き留めたり、本番まで時間がないのにまったく思い通りの行動をとらせてくれません。 

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

 

読んだあと「わけのわからない話だった」と思いましたが、こちらのインタビューを見る限り夢の中の展開をモチーフとしていたようです。

Paris Review - Kazuo Ishiguro, The Art of Fiction No. 196

短編集『夜想曲集』もそうですが、一時期音楽で食べていくことを目指していたからなのか、音楽の存在が重要な位置を占めています。

 

わたしたちが孤児だったこ

戦前・戦中の上海が主な舞台となる作品です。

イギリス人の主人公は、小さなころ家族と上海の租界に暮らしていましたが、父親と母親が相次いで失踪してしまいます。

大人になった彼は上海に再び戻り、両親の行方を探しはじめます。 

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

 

主人公クリストファーの記憶(反アヘン活動をしていた母、幼少時の友人アキラ、面倒を見てくれた男性など)をたどりつつ、再訪して出会った女性サラ・ヘミングスとのやりとりを通して、上海で彼の運命が翻弄されます。

あからさまにドラマチックな展開の少ないイシグロ作品には珍しいことですが、戦争中の息詰まるスリリングなシーンも描かれています。

何で上海なんだろうと思っていたら、前項のインタビューでイシグロ氏の父が上海育ちだと紹介されていました。

 

わたしを離さないで

こちらもかつてご紹介しております。

外界と完全に隔絶された寄宿学校で育った幼馴染3人の運命を描く小説です。

3人の育ったヘイルシャムが何のための場所だったかも明らかになります。

kleinenina.hatenablog.com

個人の命と人格について考えさせられる内容となっていますが、小難しさは全くなく、一人称の語り手キャシーにひたすら共感するだけでも充分味わいがあります。

「感傷的すぎるSF」との批判もあったようですが、SFだからこそ描ける世界を見せてくれたという意味で、とても好きな作品です。

 

授賞理由について

スウェーデン・アカデミーは授賞理由を下記の通り述べています。

「心を揺さぶる力を持った小説を通じ、私たちが世界とつながっているという偽りの感覚の下に深淵があることを明らかにした」

 イシグロ氏の作品は、語り手兼主人公の一人称により物語が進みます。

最初は客観的に見えても、語り手が記憶を思い起こす有機的な作業の中に、主観や歪みのあることが示唆されていきます。

私たちはいつでも正確に世界を捉えていると思いがちですが、実は自分の目や思いを通してしか何かを見ることはできません。

この「偽りの感覚」の下に広がる美化や欺瞞も、一人称の語り手を見せる過程で明らかにするという巧みな構成は、他の小説では見たことがありません。

読みやすく美しい文章もイシグロ作品の好きなところの一つですが、哲学的な意味の込められた作品を作り上げられるところに特別感を感じます。

イシグロ氏は「記憶」を重要なテーマとして描いていることは知られていますが、それについて生物学者の福岡伸一さんと対談していた内容が印象的でした。

福岡さんは、ざっくりこんな発言をしていました。

私たちの体を構成する物質は日々入れ替わっており、数週間前の自分と今の自分では別の物質で組成されている。

では、何が数週間前の自分と今の自分との同一性を担保するのかというと、それはその人の記憶だと思う。

記憶がその人をその人たらしめる。

以前の自分を構成していた物質はもう此処になくても、先週あの場所に行き、昨年あの人と会い、10年前にあの学校に通っていたのは此処にいる自分でしかない。

自分しかもっていない記憶が、自己同一性のよりどころである。

記憶を一人称で語るという手法は、記憶を通して登場人物個人の存在を突き詰めることにこれ以上ないほど適しているのではないでしょうか。

 

おわりに

長編小説では、こちらで紹介した作品のほかに最新作『忘れられた巨人』が刊行されています。

また、短編集『夜想曲集』も邦訳されています。

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

 
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

 

 多作な作家とは言えないので、今後も楽しみに次の作品をじりじり待ちたいです。

少しでもイシグロ作品の良さが伝われば幸いです。

長くなりましたが、今日はここまで。

 

 

 

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