本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『わたしを離さないで』

カズオ・イシグロ原作の小説を映像化した作品のレビューです。

原作にかなり忠実に映画化されています。

切ない映画を観て泣きたい時におすすめしたい作品です。

原作の小説もとても好きです。

 

 

あらすじ

幼い頃から寄宿学校で兄妹のように育ったキャシー、トミー、ルース。

3人の暮らす学校ヘイルシャムは外界から隔絶されており、生徒たちは買い物すらしたことがないまま成長した。

一定の年齢に達すると学校を卒業し、提供者ないしは介護人になる。

小さな頃から想いを寄せていたトミーがルースと付き合いだしたのを横目に、介護人としての仕事を始めたキャシー。

彼女は介護人になってから9年が経過。

同じくヘイルシャムで育った人々が提供を終え、命を閉じていくのに何度も立ち会っていた。

 

 

不思議な子ども時代

同名の原作小説『わたしを離さないで』は、キャシーの一人称による語りで進みます。

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

映画もそれに忠実に、キャシーの目線で、キャシーの幼少期の回想から話が始まります。

ヘイルシャムで、寄宿学校の外に決して出てはならない生活を長年送る子どもたち、

窺い知れない外の世界など、絶対に何か理由がある不思議な設定が語られます。

喫煙などを厳しく禁じられ、身体を健康に保つことがつとめだと諭す先生の言葉で、 

きっとこの子たちの役割は臓器提供なんだと悟らされます。

そして、彼ら彼女らがどこからか持ってこられた人間の遺伝子によってつくられたクローンであることも分かります。

 

寂寥感ある映像

イングランドの田舎の風景や、浜辺の景色は劇中で寂寥感ある美しさを醸し出しています。

主人公たちはクローンとしてこの世に送り出され、

外界と隔絶された毎日を送り、

卒業とともに介護人・提供者としての役目が近づいてきます。

将来の夢を与えられずに過ごす青春は、景色の見えない道を延々歩く旅のようかもしれません。

でも、全てを諦めるには彼らは若すぎるし、

感受性も豊かすぎるし、

エネルギーもありすぎます。

だから彼らは、自分たちの人生にもどこかに救いがあるはずと希望を持っている。

「真剣に愛し合っている恋人同士なら、提供猶予があるはず」と、本当かどうかわからない噂を信じて生きています。

荒涼として、色彩が乏しいながらも美しいイングランドの自然が、彼らのそうした青春時代とよく合っていると感じました。

キャシー、トミー、ルースは3人仲の良い幼馴染ですが、キャシーとルースが両想いだった一方、トミーと付き合い始めたのは積極的なルースのほうでした。

トミーとルースを眺めながら過ごしたキャシーの時間もまた、寂寥感あふれる記憶だったに違いありません。

 

人間であり人間でない

キャシーたちは臓器提供のために生まれてきた存在ですが、一方で前述の噂がありました。

真剣な恋愛関係にある者たちは臓器提供を猶予してもらえる。

ルースの告白のあと、ついに本当の想いを打ち明けあったキャシーとトミーは、

ヘイルシャムの支援者だったマダムのもとに提供猶予を依頼しに行きます。

トミーが描いたたくさんの絵を持って。

映画の中ではあまり説明されていませんが、マダムはヘイルシャムの子どもたちが描いた絵などを外界の人に見てもらうことによって、彼らにも人間としての感受性があることを訴える活動をしていたのでした。

臓器提供のために生まれてきたという以外、ヘイルシャムの子どもたちと、提供を受ける人たちは、違いのない同じ人間です。

絵を描いて自分を表現したり、

音楽を聴いて涙したり、

真剣に人を愛したりします。

それなのになぜキャシーたちには、自由に生きて夢を追うことも、愛する人と過ごすこともできないのでしょうか。

人間に提供する臓器は人間のものでなければならないからクローンが作られた、

だけど感受性を持った1人の人間としての生き方は認められない。

大袈裟な心理描写はありませんが、人間味のある3人の生き方と成長を淡々と追うことで、

提供者としての彼らを生み出した社会の、激しい欺瞞や矛盾を痛感させられる映画となっています。

 

生命と倫理

この作品は完全なフィクションであり、悲劇の中での人間の美しさを描いた哲学的な作品だと認識しています。

しかし同時に、生命倫理について深く考えさせられる映画でした。

サイエンス・フィクションだからこそ問いかけられるメッセージだったと思います。
現実に即した設定だったら、映画の中でこんな問いは立てられないし、立てたとしても机上の空論で終わってしまいます。

臓器提供自体は人を助けることだし、クローン技術によっていずれ人間を生み出せるようになるかもしれないけれど、そのためだけに命を創り出すことの恐ろしさを実感しました。

人間と同じ遺伝子を持ちながら、生まれた瞬間から人間性を否定される存在になるわけです。

ES細胞やiPS細胞の話が出て来る前は、クローンを創り出すことが、拒絶反応のない完璧な臓器移植を実現する手段と思われていましたから、

このストーリーによる問いかけは尚更深い意味を持ったことでしょう。

同時に、ドナーのプライバシーが徹底して守られるべき理由や、

提供を待つ患者からドナーへの直接交渉が禁じられる背景を、

間接的に思い知らされました。

 

おわりに

この映画の原作が初めて読んだカズオ・イシグロ作品でしたが、あっという間に読み終わってしまったのを覚えています。

語り手の1人称で話が展開し、しかも読みやすい文章なのでどんどん読み進められてしまいました。

ですが、読み終わった後の余韻がいつまでも頭の中でぐるぐる回り続けていたのもまた印象に残っています。

切なさに思いっきり浸りたいときにおすすめの作品です。

 

      

 

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