映画『シェイプ・オブ・ウォーター』
気鋭の映画監督ギレルモ・デル・トロによる意欲作のレビューです。
結構ネタバレします。
あらすじ
冷戦下のアメリカ。
天涯孤独な掃除婦のイライザは、物心つく前から首筋に大きな引っかき傷の跡がある。
耳は聞こえるが言葉を話せない彼女は、手話で会話し、友人と言えば年老いた隣人と、掃除婦仲間のゼルダくらいと言う静かな暮らしをしている。
しかしある日、職場である政府の研究所に、生きている何かが研究対象として搬入されてくる。
その生き物は、大半の時間を水の中で過ごしているものの、人型をし、知能や意思を持っているように見えた。
ソ連との宇宙開発競争に不思議な生き物の能力を役立てたいというストリックランドは、生体解剖を試みようとしていた。
ストリックランドの意図を知ったイライザは、人生を変える決断をしようとしていた。
素朴で不思議な絆
イライザが研究所で出会った生き物は、人型の両生類のような姿です。
二足歩行ができ、水の外でも呼吸ができますが、塩水に長く触れていないと活力を失ってしまうようです。
彼はイライザの簡単な手話を理解し、音楽を楽しむ知性や感受性も持っていました。
しかし、研究所を束ねる軍人ストリックランドは、宇宙開発競争に役立てるために彼を生体解剖しようとします。
彼と奇妙な友情を育んでいたイライザは彼を救出するために動き出しますが、その際、研究所に潜入していたソ連の諜報員ディミトリとも協力し合うことに。
始めは反対していた隣人ジャイルズや同僚ゼルダも、奇妙に愛らしい彼の仕草を目にしたり、元気になって行くイライザを見て、次第に考えを変えていきます。
おとぎ話という救い
イライザは彼に友情のみならず特別な感情を抱きます。
彼がありのままの彼女を受け入れてくれるから、言い換えれば、彼女が自分に足りていないと周りから思わされてきたことにこだわらないからです。
彼にとってイライザは「声の出せない人」とか、「身寄りのない人」とかではなく、食べ物や音楽をくれる優しい存在でした。
不思議な生き物が出てきたり、悪役ストリックランドに痛めつけられる彼が、心の優しいイライザと絆を深めたりする展開はまるで御伽噺です。
この流れは、同じ監督の『パンズラビリンス』と良く似ています。
主人公オフェリアは、悲惨なスペイン内戦下で鬱屈した環境に置かれていますが、パンの試練をクリアすることで、地下の王国へ導かれます。
過酷な内戦がある世界では、オフェリアの母も、他の人物も、彼女の救いになってはくれません。
そしてその状況から脱する可能性は限りなく低いのです。
そんな彼女が幸せになれる状況があるとしたらそれは魔法か何かの力によってでしかありません。
本作も冷戦下の閉塞感あふれる社会で孤独に暮らすイライザが、命さえ研究の糧にしようとする宇宙開発競争から彼を守ろうとします。
彼は不思議な生命体であるだけでなく、知的でイライザの心を癒し、体の傷を癒す力も持っている。
抑圧された社会の中でも、お伽噺やファンタジーの存在が人間の心を解き放つという流れが共通しています。
そして、孤独な人間の心を救う不思議な存在との対比を極めるかのように、人間のケガや痛みの描写もまた克明です。
不思議な生き物をいたぶるストリックランドの残虐さ、反撃を受けて負ったストリックランドの深手、諜報員の暗殺など、苦手な方にはきついであろう描写が遠慮なく入れ込まれています。
しかし、正直『パンズ・ラビリンス』よりはかなりマイルドになっているので、あの描写に耐えられた方なら問題ありません。
不思議な生き物とストリックランド
不思議な生き物を徹底的に痛めつける存在として、ストリックランドが登場します。
彼は研究対象として容赦なくアマゾンから不思議な生き物を引きずり出しただけでなく、暴力を加えることを明らかに楽しんでいます。
『パンズ・ラビリンス』のヴィダルと同様、残酷な現実と人間の冷酷さを象徴するかのような人物です。
自分以外のものをすべて見下しているかのようなストリックランドは、順調に家族を養っているように見えるものの、彼自身は妻や子どもに深い関心はないようです。
その証拠に、イライザに上から目線で言い寄ったりします。
イライザは当然彼を拒絶し、不思議な生き物を必死で守ろうとします。
冷酷なストリックランドと、不思議な生き物のどちらが深い情緒を抱いているのかは明らかだと思わざるを得ません。
秀逸な脇役たち
全編を通して暗くて怖くてグロかった『パンズ・ラビリンス』と異なり、本作にはコミカルな脇役が登場します。
イライザの隣人ジャイルズと、仕事仲間のゼルダです。
ジャイルズは変わり者の絵描きで、猫とイライザとの静かな生活に勤しんでいますが、彼女から突然、不思議な生き物救出作戦への協力を頼まれドン引きします。
僕は善良な小市民だし、そういうアクロバティックなことに向いてないし、大体そんなことできるわけなくない!?というスタンスです。
しかし、あるきっかけを通して心変わりし、結果として重要な貢献をすることになります。
掃除婦ゼルダも、イライザを気に掛ける数少ない友人の一人です。
特に何もしない亭主関白な夫の愚痴を面白おかしく語り、聞き役のイライザのことを思いやってくれます。
全体的な雰囲気は決して明るくない映画ですが、この2人の存在が、ダークファンタジーの世界に現実感を投影しています。
時々クスッとなりつつ、イライザと友人たちの関係や連携プレーにも引き込まれてしまいました。
映像の美しさ
研究施設内の内装や、不思議な生き物のいる水の色が基調となり、映像の中は大半が青緑色になっています。
しかし、イライザの心が変わったときに彼女の身に着けるものの色が変わったり、時折きらびやかな映画館の場面があるなど、色合いの美しさを感じさせる演出が挿入されていました。
全体的に重厚感を覚える映像ですが、おしゃれな色遣いを眺められるのも見どころの一つです。
おわりに
観終わった後、『パンズ・ラビリンス』との共通点が思い起こされて、ファンタジーの役割は何だろうと考えてしまいました。
現実にはあり得ない存在こそが、孤独な人間の救いになることがあるというのと同時に、
抑圧され人間的要素が排除される世界に、血の通った人間が閉じ込められなきゃいけない理由なんてない、というメッセージもあるように感じます。
長くなりましたが、今日はここまで。