映画『リメンバー・ミー』
メキシコに実在する祭日「死者の日(los muertos)」をテーマにしたアニメ映画です。
家族向け・子ども向けの映画ではありますが、観た大人が次々に勧めるのを見てトライしたところ、号泣しました。。。
途中までネタバレします。
あらすじ
メキシコのサンタ・セシリアに住む少年ミゲルは音楽が大好きで、将来は音楽家になりたいと思っていた。
しかし、高祖父が音楽家になりたいと家族を置いて出て行ってしまったため、家族や親戚から音楽を禁止されていた。
リヴェラ一族には曽祖母ココ以下、誰も音楽をする者はいない。
死者の日の祭壇へご先祖の写真を飾るときも、高祖父の写真はその中になかった。
ミゲルは祖母や家族から、靴作りを継ぐよう言われるものの、全く興味を持てない。
ある日彼は、自分の高祖父が有名な音楽家デラクルスかもしれないと知り、反対を押し切って音楽コンテストに出ようと奮闘する。
しかし、コンテスト用の楽器にデラクルスの遺品のギターを使おうとしたミゲルは、突然、生きた人間から見えない存在になってしまう。
死者の日とは
死者の日は、ラテンアメリカとくにメキシコで毎年盛大に祝われるお祭りです。
11月1日が子どもの、2日が大人の魂が戻って来る日とされています。
期間中には、死者の花とされるマリーゴールドで街中や家の中が飾り付けられます。
また、アルタールと呼ばれる祭壇に遺影や十字架、故人の好きだったものを飾って、魂が帰ってくるのを待つそうで、映画の中でも祭壇に写真を飾ることが重要な意味を持ちました。
日本のお盆と似た意味合いがあるものの、内輪でしめやかに先祖を迎えるというよりは、明るく楽しくお祝いして死者の帰還を楽しむようです。
本作に出てくるサンタ・セシリアの人々も、賑やかなお祭りを楽しんでいたし、死者の国の人々も生者の世界におめかしして出かける様子が描かれていました。
死者の国と生者の国
ミゲルは死者デラクルスの楽器を盗もうとしたため、死者の国に飛ばされてしまい、生者からは見えず、死者とのみ見たり話したりできる存在になってしまいます。
生者の世界に戻るため、血縁の誰かに許しのまじないをかけてもらわなければならないのですが、幸いすぐに故人の親類縁者たちに見つけてもらったミゲルは、高祖母ママ・イメルダの許しをもらうことに。
しかし、イメルダは「今後2度と音楽をしないこと」を条件にするため全く折り合いません。
音楽を諦められないミゲルは、自分の高祖父であるはずのデラクルスに許しを得ようと、親族から逃げて彼を探します。
夜明けまでに許しをもらわなければ戻れなくなるので、急いでデラクルスを探さなければなりません。
そんな中、生者の国へ行きたいはぐれ者ヘクターに、彼の写真を存命の娘に届ける交換条件で助けてもらうことになりました。
死者の日に誰でも生者の世界に行けるわけではなく、生者に写真を飾ってもらえなければ帰ることはできないらしいのです。
人はいつ死ぬのか
調子の良いことを言っているだけに見えるヘクターに、しぶしぶ着いていったミゲルは、彼の友達が死ぬ瞬間を目の当たりにします。
死者は骸骨の姿になって永遠に生きるのではなく、生きている人間に彼を覚えている人が誰もいなくなれば消えてしまうのでした。
誰かが覚えていてくれれば生き続けられる、祭壇に写真を飾ってくれれば生者の国へ行って子どもや孫に会える。
死者の日に盛大に亡くなった魂を迎えられるということは、死=消滅ではないのかもしれません。
でも、もし誰からも迎えられなくなったら、魂が帰ってくる場所はないし、死んでいるから誰かと関われる機会はないわけです。
そして、程なくしてミゲルはデラクルスという人物に重大な秘密があったことに気づきます。
しかし、気づいたその時にはヘクターの写真を取り上げられ、ミゲルも一緒に町外れの洞窟に放り込まれます。
ヘクターは意気消沈して、自分にも二度目の死が近づいていること、ずっと前に生き別れた娘のココが彼を忘れたら自分は死んでしまうと打ち明けます。
ミゲルはようやく、ヘクターが曽祖母ココの父であり、自分の高祖父であると気づいたのでした。
完成度と密度の高さ
子ども向けの90分程度の映画にも関わらず、ストーリーの密度が高いのであらすじ解説にかなりの字数を割きました。
オーソドックスで熱苦しい家族の絆物語かと思いきや、ミゲルは家族に理解されなくて寂しい思いをするし、二度目の死という重要な課題を解決するために奔走するし、デラクルスの秘密という意外なミステリーまで盛り込まれているしで、全く飽きさせない高密度な展開でした。
現れた問題を感情的なものとして登場人物の気持ちで解決させたり、偶然の幸運でごまかすのではなく、現実として整理をつけるところも誠実です。
前半で散りばめた伏線が後半に一気に回収されていくのも楽しかった。
ママ・イメルダを頂点としたリヴェラ一族の結束が固く、最初はそれに苦しむミゲルが終盤で彼らに助けられるところも、スカッとするわ感動するわで良かったです。
感動する一方で、メキシコらしい明るさやコメディ要素が強いのもあって、全然押し付けがましくないのも好感度高しです。
ミゲルとヘクター
映画の魅力を高めているのは、緻密な脚本に加えて主人公2人のキャラクターであることは間違いありません。
音楽をやりたい気持ちをミゲルが家族にわかってもらえない時には一緒に切なくなるし、
死者の国を奔走している時には思わず応援してしまいます。
それもこれもミゲルの真面目で賢い性格が共感を誘わずにいられないからでしょう。
ヘクターは最初ヘラヘラしたお調子者に見えるものの、妻イメルダや娘のココのことを一途に想い続ける気持ちは本物です。
また、二度目の死を迎える友達に寄り添ったり、多少の下心があるとは言えミゲルを助けたり、基本いいヤツです。
二人の家族を思う気持ちや一途な音楽愛に元気付けられる作品でした。
おわりに
家族のつながりが強く、死者との交流も明るく楽しく行うメキシコの風景を、鮮やかに取り出した映画でした。
メキシコ行ったことないから大層なこと言えないけど、メキシコに留学してた友人も絶賛してましたので良作と言えると思います。
家族を思う気持ち、夢を追う気持ちが揺さぶられる素敵な作品です。