映画『殯の森』
河瀨直美監督が、故郷の奈良を舞台に撮影した映画をご紹介します。
カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した、国際的にも評価の高い作品です。
ネタバレします。
あらすじ
大切な人を亡くしたのち、奈良県東部の山あいにあるグループホームで働き始めた介護福祉士の真千子。
ホームには、亡くなった妻との思い出に生きるしげきがおり、真千子としげきは不思議な絆を育んでいく。
職場仲間との人間関係にも恵まれ、次第に新たな暮らしに慣れていく真千子だったが、ある日しげきが独り森へと分け入って行ってしまう。
彼を追って森へ入った真千子は、生と死のあわいにある不思議な場所へと足を踏み入れることになる。
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古代の死生観
映画の舞台となるのは、日本の古代史が息づく奈良県内。
そして、タイトルにもある殯とは古代の葬送習慣を意味する言葉です。
亡くなった人の遺体を、埋葬する前に腐敗するまで安置しておく風習を指します。
現代人からするとびっくりですが、死後、ある程度の日にちを一緒に過ごし、身体が朽ちていく様子を目にすることによって、死者との別れを実感するための儀式だったのではないでしょうか。
なお、実はつい最近まで、皇室では生きていたイニシエーションです。
昭和天皇が崩御された際などには、50日間の殯が行われたようです。
現在ではそれも廃止されていますが、日本古来の死生観を受け継ぐ神道の本家だからこそ残っていた儀式だと言えます。
なお作品の舞台となった地域では今も土葬文化が残っており、葬列の場面は地元住民の方々がエキストラとして出演しているそうです。
自然なセリフや演技
本作は女優の尾野真千子が出演していますが、もう一人のメインの人物は専業俳優ではありません。
認知症の男性しげきさんを演じるのは、奈良市で飲食店や書店を経営するうだしげきで、演技は初めてというから驚きです。
それもあってか、本作でのセリフや演技も非常に自然で、いわゆる芝居がかった印象がまったくありません。
ホーム内のおばあちゃんたちの会話も、おそらく台本なしで撮ったんだろうなと思われます。
方言や自然に湧き出てきた感触があふれる日本語に、すっと作品世界に引き込まれるような感じがしました。
河瀨監督は同じく奈良県を舞台に撮った『萌の朱雀』でも、地元出身で演技経験なしの尾野真千子をスカウトして撮影しています。
監督はトークショーでこの点について、「芸能プロダクションから女優の打診は受けていたけれど、実際にこの地域にいそうな子はいなかった。だから地元で探すことにした」と語っていました。
地元で暮らしている人を俳優に採用するのは、現地の空気感を忠実に伝える映像にしたいからこその、監督の強いこだわりのようです。
真千子や同僚のセリフも、セリフっぽさを極力まで排しており、説明ゼリフは皆無。
その分、映像が雄弁に情景を語ります。
奈良の森の熱気や、草いきれまで伝わってきそうな映像は、小説でいうと地の文の役割をすべて負っているように見えます。
生と死のあわい
33年前に亡くなった妻・真子を思い続けながら生きるしげき。
彼はある日、真千子に連れられての外出の途中で、森の中へと分け入って行ってしまいます。
なかなか追いつけないうえ、連れ戻そうとしても振り切られてしまう真千子。
次第に、しげきが真子を追い求めるための道のりなのだとわかってきます。
真子は亡くなってかなりの年月が経っていますが、しげきにとってはまだ生きているのに近い状態。
その彼女に少しでも近づき、安らかに自然に還れる殯の場所を探しているのかな、という気がしました。
(説明ゼリフやそれっぽい描写が本当にないので、このへんは観る人の想像力に任されている部分だと思います)
原初神道では神社に建物がなく、森そのものを社殿としていたという説があり、その点でも森の中で生と死の境目を辿る映像は非常にしっくりくるものがあります。
どう死ぬかはどう生きるかだ、とよく言われますが、老年期で死に近づいている男性の姿を写し取ることで、どう生きたかを投影しているという印象です。
亡くした真子さんのことが本当に大切だったんだな、と思うと同時に、彼にとって死とは真子さんとの再会でもあり、決して恐ろしいだけのことではないのだと感じられました。
大切な人の死
真千子自身も、大切な人の死を経験したと示唆するシーンがあります。
その死に責任を感じなければならない経緯もあったようです。
時折見せる思いつめた顔から、自責の念を抱えている気配が感じられます。
しかし、生と死が地続きであることを実感したら、死後の世界でまた会えると信じられるのではないでしょうか。
生と死のあわいの世界に飛び込んだ彼女は、いずれ死を通して自然に還り、亡くなった人とも再会できるのではないかと感じました。
おわりに
多くを説明しない映画のため、難解な部分も多い作品だと思います。
しかし、奈良の自然を舞台に日本的な死生観について写し取った、唯一無二の映画であることは確かです。
個人的には真千子の同僚の「こうせなあかんてこと、ないから」という一言が印象的でした。
生と死の受け止め方は、生き方がそうであるように人それぞれでいいのかもしれません。
現代では死=人生の断絶と考えがちですが、時にはこうした価値観を垣間見てみるのも世界を広げてくれると思いました。