映画『花束みたいな恋をした』
「カップルで観に行くと別れる映画」として、話題を博した恋愛映画をご紹介します。
どこかにいそうな感じがする二人なのに、レビューがたくさん出てくるのは、いろんな「あるある」を詰め込んだ作品なのだと実感します。
ネタバレでお送りします。
あらすじ
終電を逃した夜に偶然居合わせて意気投合し、付き合い始めた大学生の絹と麦。
読書やゲームの趣味がぴたりと一致する二人は、瞬く間に関係を深め、夢のような毎日を過ごす。
間もなく、駅から遠いが理想の家を見つけ、同棲を開始する。
しかし、今後も長く二人で暮らしていくために、麦が夢を諦め就職を決意すると、家の空気は徐々に変わっていく。
さらに、将来との向き合い方を考え直した絹に、彼は思いもよらない反応を示す。
学生時代の絹と麦
メインの二人である絹と麦は、都内だったらどこにでもいそうな大学生です。
皆が皆こうではないけど、一定の割合で分布してるよね、というタイプ。
サブカル消費や、知る人ぞ知るお店やスポットの開拓に余念がなく、味のある世界を知っている特別な誰かになりたい、という感じです。
とはいえ、趣味をがっつり語り合える友人もいなかった二人は、偶然の出会いからお互いの趣味嗜好を知ることになり、すぐに意気投合。
好きな作家や漫画、映画が完全に一致している描写が、いっそしつこいくらい続きます笑
正直ここは、もし自分だったら、ここまで全部好きなものが一緒だと、ちょっと怖い&自分と近すぎて刺激がなくて、かえって恋しないかもしれません。
でも二人にとっては、それが出会いに運命を感じるポイントだったんですね。
二人が距離を縮め、付き合い始めて、関係を進展させていく描写は、ありふれているけどとても幸せな瞬間であることが伝わってきます。
特徴と見どころ
見どころは一言でいうと「ありふれた二人」「ありふれた恋愛」を丁寧に掘り下げているところです。
どこにでもいそうな二人が、普通のデートを重ね、当事者にしかわからない幸せを積み重ねていく。
その過程は、多くの人が経験したことのある恋愛に共通するもので、だからこそ自分の経験を重ねて懐かしんだり、共感したりできる映画なのだと思います。
絹と麦は、特別な才能があるわけでも、エリートというわけでもありません。
だからこそ、大学を卒業後、フリーランスとして挑戦しても挫折を味わったり、就職活動で気持ちが折れたりするわけです。
上手くいかない人生の中でも、お互いがいれば幸せだった二人ですが、絹との将来を見据えて麦が就職したころから、綻びが生じ始めます。
このへんも、若いカップルあるあるというか、決して珍しい現象ではないと思います。
大学卒業~就職する時期にかけて、おびただしい数の友人が恋人と別れたことを思い出しました……
社会人一年目って、思いもしなかったストレスが大量にかかってきて、自分でも醜いなと思うリアクションをしていることがあります。
それと何とか折り合いをつける過渡期を、学生時代と同じ態度ではなかなか過ごしていられず、変わっていく中で、恋人とも以前のように過ごせなくなるというか。
これらを丁寧に描写しているのが特徴ですが、その一方で説明過多という印象も否めません。
特に映画を見慣れている人にとっては、冒頭から長々と二人のパーソナリティがナレーションで語られたり、同じ場面をもう一人の視点から語り直したりするくだりは長く感じるでしょう。
このへんは、監督や脚本家がテレビ出身ということも影響していそうです。
スポンサードリンク
理想と現実
麦がフリーのイラストレーター、絹がフリーターをしながら、同棲していた二人。
しかし、麦のイラスト業はなかなか単価が上がらず生活は厳しい。
さらに父親からの仕送りが打ち切られたことをきっかけに、就職を決めます。
想像以上にブラックな仕事に心を蝕まれていきますが、それもこれも、自立して生計を立て、絹とずっと一緒に暮らすため。
がむしゃらに頑張るものの、絹と一緒に楽しめていたことを楽しむ余裕もなくなり、暇つぶしはスマホゲームだけとなっていく麦。
いっぽう、同じく就職したものの、やりたいことを見つけて他業界への転職を模索する絹。
彼女としては前向きな変化ですが、一度はやりたいことを諦めた麦は苛立ちを絹にぶつけてしまいます。
仕事とは辛いもの、生きるためにすることと自分に言い聞かせてきたのに、絹が希望を抱いて転職する様子を見ているのに耐えられなかったのでしょう。
過去の挫折からのアドバイス精神が半分、ブラックな仕事に耐えているゆえのやっかみ半分といったところに見えました。
絹のほうも、刺々した雰囲気の麦を気遣いながら暮らしているうえ、転職に盛大なダメ出しをされ、決定的なすれ違いを実感することになります。
恋愛と同棲と結婚
転職をめぐるケンカの中で、「だったら結婚しよう」と半ばやけくそでプロポーズしてしまう、破れかぶれの麦。
もちろん絹が真剣に受け取ることはありません。
それ以前にも、麦から結婚をほのめかす発言はありましたが、スキンシップもない彼からなぜその言葉が出てくるのか、絹にはわかりませんでした。
麦としては、仕事で一杯一杯の自分との距離が開いている絹を、何とか繋ぎ止めたい気持ちが出てしまったのでしょう。
辛い仕事に耐えるのも絹との生活のためなのに、何でわかってくれないんだ(絹だけが夢を追ってしまうんだ)、という苛立ちもあったかもしれません。
経験者でないのでわかりませんが、ここは同棲の難しさが現れた場面ではないか、という気がしました。
同棲なしの恋愛なら、結婚=二人暮らしの開始です。
でも、同棲していたら二人暮らしはすでに達成されている。
同棲から結婚へ踏み出すことは、単に好きな人と暮らすだけでなく、社会的責任を負って、法的裏付けのある関係になること。
一気に重い立場になるわけで、しかも絹と麦の場合はすでに二人暮らしもマンネリ化している……結婚する理由ある?ってなっちゃいますね。
期限の決まった、結婚に向けた同棲というわけでもないので、なおさら引き際も思い切り時もわからなくなってしまったようです。
どうすれば良かったのか
絹と麦は学生のうちに出会い、職業観や人生観がまだ固まらないうちに付き合い始めました。
その後、就職などを経て考えを固めていくうちに、お互い別々の方向に進んでいくことになり、別れの原因となりました。
似た趣味をきっかけに付き合い始めた二人ですが、趣味は比較的変わりやすい一方、職業観や人生観はなかなか変わることが難しいものです。
逆に、それが大体合っていたら、趣味などは違っても割とどうにかなる気がします。
就職を経て辿り着いた考え方が互いに似ていたら、ずっと一緒にいられたかもしれません。
しかし、個人的には絹の考え方のほうが精神衛生上良い気がします。
麦は「仕事=辛いこと」と思っていますが、何だかんだ人が仕事を続けるには、給料が高いとか、人間関係が良いとか、楽だからとか、メリットがないと続かない気がします。
本当の本当に割り切りだけで仕事を続けるのは、いつか限界が来るのではないでしょうか。
多少給料が安くても、楽しく続けられるのなら、好きなことを仕事にする絹の働き方も一つの正解に思えます(自活できないほど薄給だったりしたら難しいですが)。
あと、お互いの共通点をきっかけに接近した二人ですが、自分にないものに惹かれて始まる恋愛だったら、もう少し違った過程をたどったかもしれません。
色々な人のレビューを見ていて時々出てきたのが、「二人は何が好きかは語っているけど、なぜ好きかは語れていない」=「サブカル好きな自分が好き」という指摘です。
確かにな、と思わざるを得ないシーンが多々あります。
もっと本質的なところで哲学を共有し、趣味はあくまでその表れ、という二人だったら、もっと深くわかり合えたし、変化も乗り越えられたのかもしれません。
ラストとその後
終盤、数年の惰性期間を経て二人は別れます。
最後にファミレスで話し合うとき、かつての自分たちのような学生カップルを見かけ、涙する場面でもらい泣きした人は多いようです(ちょっとセリフで語りすぎなところがあり、私は淡々と見てしまいましたが)。
前回、決定的にすれ違ったときと同じように、今回も麦は結婚の話を持ち出します。
お互いが空気みたいになってる夫婦って沢山いるじゃん、絹ちゃんとならそういう家族になれる、と最後の希望を託したようです。
彼は結婚を、状況を変える魔法と思っている節があります。
でも結婚は、それまでの恋人関係と地続きな部分も少なからずあるはずです(恋愛と結婚は、別物ではあるのですが)。
しがらみの少ない恋愛関係なのに楽しくなくなってしまっているのなら、苦しいことも一緒に乗り越える家族になるのは難しそう。
それに、「お互いが空気みたいになってる」夫婦というのは、自然体で過ごせているということであって、単なる同居人と化してたり、家庭内別居になってるのとは違うはずですから。
ただ、大嫌いになって別れるわけではなかったため、同棲の解消プロセスは穏やかに進んだようでしたね。
関係が終わっても、楽しかった思い出は、自分を作った一部として残り続けていく。
そういうゆるやかな希望を感じさせるラストでした。
おわりに
また長ーいレビューになってしまいました。
描写はくどいけど、描いている本質は本当にたくさんの恋愛模様に当てはまるのでは、と思う部分が多かったです。
しかし麦の仕事が大変そうで、もっと採用増やして人員に余裕持てよ……と突っ込みたくなりました。
家族を養えて健康も保てる仕事が少なすぎる社会が悪い、と言いたくもなります。
カップルで観に行くと別れると言われていますので笑、ひとりで静かに恋愛映画を観たいときにおすすめの作品です。