映画『トールキン 旅のはじまり』
『ロード・オブ・ザ・リング』原作者の半生を追った映画のレビュー・紹介記事です。
基本的には『ロード・オブ・ザ・リング』を観た方、原作の『指輪物語』を読んだ方向けのお話です。
私は映画視聴済み、原作読了済みなので、もちろん隅々まで堪能してまいりました。
ネタバレしながらレビューをお送りします。
あらすじ
世界中で読まれる児童文学の傑作『指輪物語』を生み出したJ.R.R.トールキン。
しかし、彼の子ども時代は決して裕福でも穏やかでもなかった。
幼少時代のトールキンは弟とともに、母によるたくさんの自作の物語を聴きながら育った。
十二歳で母を亡くしたトールキンは、後見人のモーガン神父のはからいで裕福な老婦人に引き取られる。
老婦人は愛情深い人物とは言えなかったが、名門高校へ彼を送り出してくれ、そこで出会った学友たちとT.C.B.Sなる仲間を結成し、芸術の力で世界を変えることを誓い合う。
また、同じ家に引き取られて暮らす三歳年上のエディス・ブラットと恋に落ちる。
しかし、大学進学を前にエディスとの仲を神父に反対されてしまう。
旅の仲間
原題は”Tolkien”のみですが、日本語題の『旅のはじまり』は、『指輪物語』の第一部『旅の仲間』を意識しているのがわかります。
そして本作を観ると、『指輪物語』の旅の仲間のホビットが四人だった意味もわかります。
フロドについてきてくれる仲間の名前がサムと言うことも。
T.C.B.Sを結成した四人の仲間は、戯作や詩作など、芸術の力で世界を変える決意を固めています。
戦争で亡くなった仲間たちの存在も、物語を書くトールキンの心を支え続けたはず。
そのことが、『指輪物語』で異なる旅路を行くことになっても、それぞれ闘い続けたホビットたちの姿と重なります。
そして、第一次世界大戦のソンムの戦いで、トールキンについてきてくれたサム。
主人公フロドから絶対に離れなかったサムの姿を思い起こさせました。
映画は、トールキンの幼少時代から始まる過去の記憶と、ソンムの戦い以降の場面を行き来する構成です。
これが若干わかりにくいor展開がぶつ切りになり見づらい、というレビューも時々あり、確かに少しもったいないと感じました。
作り手の意図としては、夢と情熱を持っていた少年が、戦いで命の危機にいるという対比を強調したかったのかもしれません。
トールキンが従軍してソンムの戦いに参加していたことは、この映画で初めて知りました。
同時に、『指輪物語』で戦いが決して武勇伝の場として語られず、辛い犠牲としての一面が描かれた下地になったのかもしれないと思いました。
子供向けの本だからと言って、楽しさや明るさだけを前面に押し出すのではなく、長旅の大変さや、戦いで出る犠牲の悲しさも描くこと。
そうした読者への真剣さと、人間への冷静な向き合い方のルーツがわかった気がします。
寂しさと物語
トールキンは『指輪物語』の著者として有名ですが、それ以前にオックスフォード大学の教授でもあります。
そのことだけは知っていたので、何となく「きっと知的な上流家庭の出身なのだろう」と思っていました。
実際にはそうではなく、裕福ではなくても母との思い出が詰まった子ども時代と、母の不在を友情や恋で補うことを知った少年時代を過ごしています。
友人や恋人に恵まれたから乗り切れたものの、人によっては鬱屈して生きづらくなっても不思議はない環境だったことに驚きました。
でも、だからこそ、寂しい子ども時代に居場所をくれた友人や恋人、妻との原体験が物語の底に生きているのかなという納得感もあります。
貧しさや寂しさのなかでも虚構が一部心を支えたのを見ていると、フィクションだからこそ人間を救えることがあると思わされました。
教訓を与えてくれるような物語でなくても、日常を忘れられるようなストーリーに思い切り浸るだけで、次の日を迎えるための元気が得られる。
小さな頃の読書体験を振り返ると、そんな気持ちが大きかった気がします。
トールキンも、母と物語の世界を楽しんだ経験から、自分自身も子どもが心を解放し、飛び込める世界を作りたかったのかもしれません。
実際、母がトールキンに言い聞かせる教えは、内面の幸せを見出すことを強く訴えています。
でも宝は目に見えるとは限らないでしょ 見えない宝もある
幸せさえ感じれば、そこが我が家だ
彼のようにいくつもの言語に通じて世界を変える物語を書きたい、と毎日思っていた十代の頃を思い出しました。
この人がもし戦争で亡くなってしまっていたら、世界中を夢中にさせた物語は書かれず、自分の青春もどうにもなってなかったのかなと思って感慨深かったです。
原作や映画に夢中になった十代の頃を思い出しました。
ファンタジーで人間を描く
T.C.B.Sの仲間が口にする印象的なセリフがあります。
どう死ぬかは運命の女神次第 自分じゃ決められない でもどう生きるかは自分で決められる 女々しく生きるか 男々しく生きるか
その言葉通り、彼らは戦争すらも生き延びて芸術で世界を変える時を待ち望んでやみません。
友情と情熱にあふれた一貫した生き方には、派手な英雄的要素はなくても心を打つものがあります。
トールキンが描く世界はハイファンタジーと呼ばれ、私たちが生きる21世紀の世界とも、トールキンが生きた20世紀の世界とも全く違います。
しかし、そこに生きる人々は私たちを同じ心を持ち、感情を共有することができます。
どんな状況で生きていようと、大切なのは魂や心の在り方なんだとしたら、どんな世界に生きている人のところにも、言葉や物語は読者を連れて行ける。
同じ心を持って生きている人のもとへなら。
また、ファンタジーだからこそ、現実世界でのリアリティを度外視してメッセージの純度を高めることもできます。
そうした物語の在り方は、内面の幸せや誇りを大切にしたトールキンの生きざまをぶつける世界として、何より適したものだったかもしれません。
おわりに
脚本や展開については、やや地味な映画と言えます。
しかし、トールキンのファン、『指輪物語』のファンであれば、ぜひご覧いただきたい映画です。
子どもにも大人にも、冒険を通じた成長を教えてくれた著者トールキンの半生を垣間見たい方に、ぜひおすすめしたい作品です。