映画『ブラス!』
Brexitに揺れる英国が、サッチャー政権の改革に揺れていたころの映画をご紹介します。
国策によって閉鎖される炭鉱お膝元の町が舞台ですが、Brexitのころ話題になっていたブルーカラー労働者コミュニティの強い結びつきに焦点が当てられています。
産業の喪失に向き合う町の中で、家族のつながりや友情、音楽について描く群像劇です。
あらすじ
60年代から70年代のイギリス病の後、「鉄の女」サッチャーによってサッチャリズムが推し進められる。
政策の一環として、イギリス中で多くの炭鉱が閉鎖されていくなか、グリムリー炭鉱にも白羽の矢が立っていた。
経営陣の提示する割増退職金を選ぶか、炭鉱存続をかけて労働争議を続けるか、労働組合員を対象とした投票が抗夫たちを揺さぶる。
苦しさを増す生活のなか、家族の絆も危うくなり、抗夫たちは所属するブラスバンドにかける情熱を失っていく。
産業と立地自治体
期待以上に見ごたえのある映画で驚いたというのが正直な感想です。
……これもっと有名でいいんでないの。
石炭の産地だった九州の一地域に住んでいたので、しみじみと感慨に浸りつつ観てしまいました。
あの町やあの町でも、炭鉱が終わるときにいろんなドラマがあったんだろうなと考えざるをえませんでした。
国費を注ぎ込んでまで斜陽産業を守ることは非合理的だと思いますし、それでは産業が代謝していきません。
また、職にあぶれたくなかったら、究極的には個人の努力で労働市場での価値を自分で高めていくしかないと思います。
なので、「どうして会社は何もしてくれないんだ」「会社が人生保障してくれ」という趣旨の訴えを聞くと、冷笑的な気分になってしまいます。
(日本のように年功序列制のもと硬直化した労働市場では、年齢が上がると一気に不利になってしまうと言う、個人ではどうしようもない事情もありますが)
ただ、グリムリーのように一つの産業に依存しきった地方自治体は、国を問わず存在します。
震災以降、何かと注目を集めている原発の立地自治体なんかもそうだし、製造業でもそんな町がいろんなところにあります。
そういった町に立地する企業が、住んでいる人々に与える影響は甚大で、彼らの「食べていく」ための営みを背負っている責任は否定できないし、無視もできません。
地元にいい企業があるから人生安泰だってぬくぬくしていたツケだろう、という考えもあるかもしれませんが、「食べていく」ために必死でもがいている登場人物たちを見ると、そういう言葉で切って捨ててしまえなくなります。
リアルな群像劇
この映画では、炭鉱で肉体労働に従事する坑夫たちだけじゃなく、ホワイトカラーであるグロリアや、抗夫たちの妻や子どもも出てきます。
グリムソープという町で起こった実話をもとにしたらしいので、そのへんの背景もより
物語を現実的に見せているのかもしれません。
いずれにしろ、登場人物一人一人だけでなく、お互いの人間関係がどのような結びつきかを自然に描いています。
また、炭鉱の情勢によって、経済的にも精神的にも追い詰められていく彼らの様子は、かなりシビアに描写されています(特に指揮者ダニーの息子フィルについて)。
お金がなくて今日食べるパンに事欠くのは恐ろしいことだけど、お金がなくて周りの誰とも生きたつながりがなくなってしまうのも、血の通った人間には充分残酷なことだと思います。
そういう意味で、「人はパンのみにて生くるにあらず」という言葉は真理を突いています。
だけど、そんなときに音楽が人間の魂を救えるかを問う映画ではないことは書いておきたいと思います。
音楽もみどころの一つ
ブラスバンドの音楽はこんなに楽しかったっけと思える映画です。
どっかで聴いたことのある名曲が散りばめられているというのもあるし、ところどころで登場する音楽が、それぞれ場面にマッチしています。
アランフェス協奏曲…
グロリア初登場時に演奏。
内戦の後、廃墟と化したアランフエスと、スペインの平和を祈って作られた曲。
重々しい炭鉱の状況を示唆する映像とともに流れます。
ウィリアム・テル序曲…
コンクールの大一番で演奏。
圧政から民衆を救うウィリアム・テルをモチーフとした曲。
時代の荒波を生き抜こうとするバンドメンバーの迫力が感じられる演奏でした。
ダニー・ボーイ…
指揮者ダニーのために演奏される一曲。
威風堂々…
ラストシーンで演奏。
イギリスの石炭産業と彼ら自身の退場曲となります。これも胸に迫る演奏でした。
イギリス人の作曲家エルガーの代表作です。
イギリス社会の描写という点でも、とりあえず良いブラスバンド音楽が一杯聴けるという点でも、観て損はない映画です。ぜひぜひ。