本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『殯の森』

河瀨直美監督が、故郷の奈良を舞台に撮影した映画をご紹介します。

カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した、国際的にも評価の高い作品です。

ネタバレします。

 

あらすじ

大切な人を亡くしたのち、奈良県東部の山あいにあるグループホームで働き始めた介護福祉士の真千子。

ホームには、亡くなった妻との思い出に生きるしげきがおり、真千子としげきは不思議な絆を育んでいく。

職場仲間との人間関係にも恵まれ、次第に新たな暮らしに慣れていく真千子だったが、ある日しげきが独り森へと分け入って行ってしまう。

彼を追って森へ入った真千子は、生と死のあわいにある不思議な場所へと足を踏み入れることになる。


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古代の死生観

映画の舞台となるのは、日本の古代史が息づく奈良県内。

そして、タイトルにもある殯とは古代の葬送習慣を意味する言葉です。

亡くなった人の遺体を、埋葬する前に腐敗するまで安置しておく風習を指します。

現代人からするとびっくりですが、死後、ある程度の日にちを一緒に過ごし、身体が朽ちていく様子を目にすることによって、死者との別れを実感するための儀式だったのではないでしょうか。

なお、実はつい最近まで、皇室では生きていたイニシエーションです。

昭和天皇崩御された際などには、50日間の殯が行われたようです。

現在ではそれも廃止されていますが、日本古来の死生観を受け継ぐ神道の本家だからこそ残っていた儀式だと言えます。

なお作品の舞台となった地域では今も土葬文化が残っており、葬列の場面は地元住民の方々がエキストラとして出演しているそうです。

 

自然なセリフや演技

本作は女優の尾野真千子が出演していますが、もう一人のメインの人物は専業俳優ではありません。

認知症の男性しげきさんを演じるのは、奈良市で飲食店や書店を経営するうだしげきで、演技は初めてというから驚きです。

それもあってか、本作でのセリフや演技も非常に自然で、いわゆる芝居がかった印象がまったくありません。

ホーム内のおばあちゃんたちの会話も、おそらく台本なしで撮ったんだろうなと思われます。

方言や自然に湧き出てきた感触があふれる日本語に、すっと作品世界に引き込まれるような感じがしました。

河瀨監督は同じく奈良県を舞台に撮った『萌の朱雀』でも、地元出身で演技経験なしの尾野真千子をスカウトして撮影しています。

監督はトークショーでこの点について、「芸能プロダクションから女優の打診は受けていたけれど、実際にこの地域にいそうな子はいなかった。だから地元で探すことにした」と語っていました。

地元で暮らしている人を俳優に採用するのは、現地の空気感を忠実に伝える映像にしたいからこその、監督の強いこだわりのようです。

真千子や同僚のセリフも、セリフっぽさを極力まで排しており、説明ゼリフは皆無。

その分、映像が雄弁に情景を語ります。

奈良の森の熱気や、草いきれまで伝わってきそうな映像は、小説でいうと地の文の役割をすべて負っているように見えます。

 

生と死のあわい

33年前に亡くなった妻・真子を思い続けながら生きるしげき。

彼はある日、真千子に連れられての外出の途中で、森の中へと分け入って行ってしまいます。

なかなか追いつけないうえ、連れ戻そうとしても振り切られてしまう真千子。

次第に、しげきが真子を追い求めるための道のりなのだとわかってきます。

真子は亡くなってかなりの年月が経っていますが、しげきにとってはまだ生きているのに近い状態。

その彼女に少しでも近づき、安らかに自然に還れる殯の場所を探しているのかな、という気がしました。

(説明ゼリフやそれっぽい描写が本当にないので、このへんは観る人の想像力に任されている部分だと思います)

初神道では神社に建物がなく、森そのものを社殿としていたという説があり、その点でも森の中で生と死の境目を辿る映像は非常にしっくりくるものがあります。

どう死ぬかはどう生きるかだ、とよく言われますが、老年期で死に近づいている男性の姿を写し取ることで、どう生きたかを投影しているという印象です。

亡くした真子さんのことが本当に大切だったんだな、と思うと同時に、彼にとって死とは真子さんとの再会でもあり、決して恐ろしいだけのことではないのだと感じられました。

 

大切な人の死

真千子自身も、大切な人の死を経験したと示唆するシーンがあります。

その死に責任を感じなければならない経緯もあったようです。

時折見せる思いつめた顔から、自責の念を抱えている気配が感じられます。

しかし、生と死が地続きであることを実感したら、死後の世界でまた会えると信じられるのではないでしょうか。

生と死のあわいの世界に飛び込んだ彼女は、いずれ死を通して自然に還り、亡くなった人とも再会できるのではないかと感じました。

 

おわりに

多くを説明しない映画のため、難解な部分も多い作品だと思います。

しかし、奈良の自然を舞台に日本的な死生観について写し取った、唯一無二の映画であることは確かです。

個人的には真千子の同僚の「こうせなあかんてこと、ないから」という一言が印象的でした。

生と死の受け止め方は、生き方がそうであるように人それぞれでいいのかもしれません。

現代では死=人生の断絶と考えがちですが、時にはこうした価値観を垣間見てみるのも世界を広げてくれると思いました。

 

 

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映画『麦の穂をゆらす風』

アイルランドの歴史の一場面を切り取った、ケン・ローチ監督の映画のレビューです。

最後まで余すところなくネタバレしていきます。

主演は近年ドラマ『ピーキー・ブラインダーズ』シリーズで活躍したキリアン・マーフィです。

 

 

あらすじ

アイルランド南部のコークに暮らす兄テッドと弟ダミアン。

優秀なダミアンは医師になる勉強をするため、ロンドンへ行く予定だった。

しかし、出発の日に英国人警察官の理不尽な暴力を目にし、兄とともにIRAの闘士になることを決意する。

アイルランドの独立を目指し、IRAの戦いは苛烈さを増していき、やがてそれは身内の粛清にもつながっていく。

また、ようやく英国から条約締結を勝ち取ったかと思いきや、それは北アイルランドの独立を認めない内容だった。

譲歩的な条約に憤慨したダミアンたちは、テッドたちのいる穏健派と分裂。

アイルランド独立戦争は内戦へと発展してしまう。

 

徹底的に戦うということ

英国とIRAの戦いが苛烈を極めたことはよく知られていますが、それは単なるゲリラ戦に留まりませんでした。

IRA内にいた密告者の処刑なども厳しく行われ、ダミアン自身も仲間を処罰することになります。

しかも相手は、自分より年下の少年クリス。

「怖い」と訴える彼を処刑した時、ダミアンは引き返せない一線を越えてしまったのだと否応なく伝わってきました。

もしこの後に戦いをやめてしまったら、クリスの死も、殺人者になった自分の選択も否定することになってしまう。

心の喪失を埋めるかのように、ますます闘争に身を投じていくダミアン。

そして長い戦いの末、アイルランドと英国は停戦を迎えます。

アイルランド島全島の独立が勝ち取れれば、IRAの戦いは文句なく報われたかもしれません。

しかし、プロテスタント住民の多い北部地域は独立せず、北アイルランドとして英国に留まることに。

これにより、アイルランド全体の独立を目指してきた闘士たちの不満に火が点いてしまいます。


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戦争が内戦に

南部だけでも独立しようと妥協をした指導役マイケル・コリンズたちに非難が向けられ、独立派のなかでも、妥協を受け入れる穏健派と、あくまで全島の独立を目指す急進派の間で、内部分裂が発生。

それまで、独立を勝ち取るために英国相手に戦ってきたIRAですが、内部分裂が穏健派と過激派の内戦に発展してしまいます。

これにより、一緒に戦ってきた仲間どうしで殺し合う事態を呼ぶことに。

当初は誰も望んでいなかったはずの展開なのに、誰も止めることができない。

長い歴史のなかではありがちな展開かもしれませんが、ドラマとして観ると本当にやるせないですね……

穏健派の兄テッドは、過激派に身を投じたダミアンを案じます。

 

兄弟の分かれ道

テッドは新たに樹立されたアイルランド自由国の将校に、ダミアンは医師になります。

しかし、独立後も好転しない故郷の経済状況に、ダミアンは心を痛めます。

アイルランド人が豊かになるには、アメリカに移民するしかないのか、と吐き捨てたところに忸怩たる思いが滲んでいました。

アイルランドをルーツに持つ米国人が多いのは、一つには自国で生計を立てることを諦めた人が多かったから、というのは事実でしょうし。

過激派として、かつての仲間までも攻撃し始めたダミアンを、テッドは自由国軍将校として罰する立場に立たされます。

穏健派に転じるよう説得するテッドですが、ダミアンはあくまで拒絶し、死刑を受け入れることに。

何のための戦いだったのか、というやり切れない余韻を残して映画は終わります。

 

何を求めて戦うか

ケン・ローチ監督らしい、救いのないラストでした。

独立派が戦いを始めたのは祖国の独立を勝ち取るため、それはアイルランドの人々のためだったはずなのに、いつの間にか仲間同士の殺し合いになってしまう。

そのやるせなさを真摯に写し取った映画だと思います。

同時に、当初は誰も望んでいなかった状況になってしまったのはなぜなのか、それが伝わってくるストーリーでもありました。

ただ、ダブリンなど政治的状況の中心地が舞台ではないため、マイケル・コリンズやエイモン・デ・ヴァレラと言った歴史的人物がどう動いていたかは、お話の中からはあまりわかりません。

そのへんは別の映画を観たり、自分で調べたりして知識を補強したほうが、より分かりやすいかなと思います。

同時に、そのあたりが詳しくわからず、映画館のニュースで顛末を知る場面などではより、「情勢に振り回された」というやり切れなさが伝わってきます。

こんなに戦ったのに、IRAのトップたちには何も伝わってないんじゃないか、という苛立ちにもつながってしまいますね。

 

おわりに

後にバーミンガムを舞台としたドラマ『ピーキー・ブラインダーズ』で主演を務めるキリアン・マーフィの存在感が印象的でした。

ダミアンの少し儚い雰囲気を演じるのに、ぴったりの俳優さんだったと思います。

苛烈な戦いにアイルランドの人々自身が疲弊していく様子も、IRAの闘士たちのみならずその家族や女性たちにも光を当てて描写されていました。

アイルランド独立戦争から内戦へと発展した過程を理解したいという方に、ぜひおすすめしたい映画です。

 

 

 

 

ドラマ『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』3

BBCのロングランシリーズのレビュー第三弾です。ネタバレします。

今回は本ドラマのシーズン7からシーズン9に関してのレビューとなります。

シーズン6以前のレビュー記事はこちら。

kleinenina.hatenablog.com

kleinenina.hatenablog.com




あらすじ

1960年代のイーストエンドで、相変わらず助産師たちは数多くの出産に立ち会う毎日。

一方で、出産を巡って自身の身体について決定権を持たない女性たちの苦しみにも向き合うことになる。

ナースやシスターたちの私生活の悩みもあるなかで、新しいメンバーを迎えたノンナートゥス・ハウスのドラマが続いていく。


女性たちを取り巻く環境

初期は主にオーソドックスな妊娠・出産のドラマに焦点を当てていた本シリーズ。

シーズンを重ねるごとに不妊や養子縁組、中絶や家族計画、処女割礼など、その周辺のテーマにもフォーカスがされるようになってきました。

その中でもシーズン7-8は、中絶に関わる回が多くなっていました。

中絶をめぐっては、当時イギリスでは法律で禁止されていたこともあり、女性たちは非常に辛い立場に立たされます(中絶手術を提供するだけでなく、手術を受けることも罪に問われる)。

当事者の目線に寄り添いながら、見ている人に「自分の身体について自分で選択する権利」を考えさせる内容です。

妊娠出産したらバリバリ働くことは難しいし、相手の男性に逃げられたらなおさら、生計を立てることは難しい。

出産を諦めるしかないのに中絶は違法で、でも法を犯すような選択をするまで追い込まれなければならない。

だから「必要悪」として違法中絶業者が存在してしまったことを悟らされます。

そして、違法な中絶手術を提供するのは、医療の専門家ではない人々。

当然、安全は保証されず、衛生状態の悪さから重篤感染症に掛かったり、適正量をこえた薬の作用に苦しんだり、臓器の損傷のリスクを負ったりします。

シスター・ジュリエンヌが指摘したように、「相手の男性が負わなかった代償を、女性たちは負わされることになる」のがわかります。


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新しいメンバー

そんな中、ノンナートゥスの助産師に新しい仲間が加わります。

まずはジャマイカからやってきた黒人系の助産師ルシル。

冷静沈着で仕事のできる彼女ですが、ポプラーの一部住人からは心無い視線や言葉を向けられることに。

それでも「英国で暮らしていく以上は向き合わないと」と逃げない姿勢を貫く強さを持っています。

妊産婦や患者に寄り添うことも忘れない、真面目一徹のキャラクターです。

そして、シスター・ウィニフレッドの離脱に伴い、シスター・ヒルダとシスター・フランセスが加わります。

シスター・ヒルダはサバサバした性格の持ち主ですが、細かいことを気にしない豪快さがたたり、たまにポプラ―の人々や助産師たちと気まずくなる模様。笑

シスター・フランセスはメンバーの中で最年少で、最初は不安そうでしたが、初めての分娩を乗り越えて逞しく成長していきます。


メンバーたちの試練

これまでの例にもれず、シーズン6~9にかけても、助産師たちに試練が訪れます。

トリクシーは優しい恋人に出会えたものの、彼は離婚した妻との間に小さな娘アレクサンドラがいることが発覚。

関係は順調でしたが、自分の恋人でいるより、彼女の父親であることを優先してほしい、と身を引くことに。

それをきっかけにアルコール依存症が再発してしまい、やむなく休職します。

幼少期、父親が父親の役割を果たせない家庭に育ったことがトラウマになっていたトリクシーは、同じ経験をアレクサンドラにさせたくなかったのでしょう。

だとしても、せっかく出会えたよりどころの彼と離れることを言い渡す場面は辛かった……この人なら絶対幸せになれる!という相手だったので尚更です。

そして、直近3シーズン一番の驚愕はバーバラの受難でしょう。

シーズン6最終回で幸せいっぱいの結婚を遂げたバーバラですが、トムの赴任での位置離脱を経てノンナートゥスに戻ってきます。

しかし、間もなく髄膜炎を発症し入院、さらに敗血症に冒されたことが発覚。

誰も予想しなかったことに、世を去ってしまいます。

トムをはじめ、打ちひしがれるメンバーとともに、観ている方もどん底に沈みました……

この回の最終盤で、ルシルが訪れた教会で歌われるアメイジング・グレイスは涙を誘うこと必至です。

人生には辛いこともあれば奇跡も起こる、と教えてくれるのがこのドラマですが、バーバラの死は本当に辛かった。

そして、ヴァレリーも大きな試練に直面することに。

ポプラ―界隈で安価に中絶手術を提供している業者の存在は確実ながら、どこの誰なのかがわからず、歯がゆい思いをしていたノンナートゥスの面々。

危険な手術の結果、救命のため子宮摘出をせざるを得なかった女性がいたり、重篤感染症に冒された人がいたりと、被害は深刻。

そんな中、ヴァレリーの祖母が彼女を呼び出します。

祖母の家の二階にいたのは、中絶手術を受け大量出血している女性。

中絶を望む女性に危険な施術をしていたのは自分自身の祖母だったと知り、ヴァレリーは驚愕しショックを受けます(そりゃそうですよね)。

小さな頃から、訪ねるといつでもアイスを買うようお小遣いをくれた優しい祖母、そのお金は困り果てて中絶を試みた女性たちから払われたお金でした。

責めるヴァレリーに対し、祖母は開き直ります。

いつの世も、責任を負わない男性たちの代わりに、自分たちのような存在が必要とされてきた、法外な対価を求めたりせず女性たちの需要に応えてきただけだ、と。

この頃の英国は、中絶手術を受けることでは訴追されないようになっていましたが、手術を提供することは違法でした。

合法的な医療として中絶が提供されるのはまだ先の話。

祖母を許せない一方で、そうしたままならない事情もわかっているヴァレリーは深く葛藤します。

やがて体調を崩してしまった祖母にどう向き合うのか。

それを見守ってくれるノンナートゥスのメンバーの温かさがまた沁みます。


おわりに

相変わらず、希望や勇気を与えられるようなエピソードも数多いですが、この3シーズンは避妊や中絶に関わる重いエピソードが多かった気がします。

しかし、どこまでも真摯に女性たちや家族のドラマを描いてきた本シリーズだからこそ、正面から取り上げてほしいテーマであるとも言えます。

出産の主な舞台が、自宅から大病院へと移りつつある時代背景も描かれており、自治体からの予算が大幅カットされる危機もあったノンナートゥス・ハウス。

シーズン10の制作は決定しているようですので、続きも楽しみに待ちたいと思います。


 



映画『花束みたいな恋をした』

カップルで観に行くと別れる映画」として、話題を博した恋愛映画をご紹介します。

どこかにいそうな感じがする二人なのに、レビューがたくさん出てくるのは、いろんな「あるある」を詰め込んだ作品なのだと実感します。

ネタバレでお送りします。

 

 

あらすじ

終電を逃した夜に偶然居合わせて意気投合し、付き合い始めた大学生の絹と麦。

読書やゲームの趣味がぴたりと一致する二人は、瞬く間に関係を深め、夢のような毎日を過ごす。

間もなく、駅から遠いが理想の家を見つけ、同棲を開始する。

しかし、今後も長く二人で暮らしていくために、麦が夢を諦め就職を決意すると、家の空気は徐々に変わっていく。

さらに、将来との向き合い方を考え直した絹に、彼は思いもよらない反応を示す。

 

学生時代の絹と麦

メインの二人である絹と麦は、都内だったらどこにでもいそうな大学生です。

皆が皆こうではないけど、一定の割合で分布してるよね、というタイプ。

サブカル消費や、知る人ぞ知るお店やスポットの開拓に余念がなく、味のある世界を知っている特別な誰かになりたい、という感じです。

とはいえ、趣味をがっつり語り合える友人もいなかった二人は、偶然の出会いからお互いの趣味嗜好を知ることになり、すぐに意気投合。

好きな作家や漫画、映画が完全に一致している描写が、いっそしつこいくらい続きます笑

正直ここは、もし自分だったら、ここまで全部好きなものが一緒だと、ちょっと怖い&自分と近すぎて刺激がなくて、かえって恋しないかもしれません。

でも二人にとっては、それが出会いに運命を感じるポイントだったんですね。

二人が距離を縮め、付き合い始めて、関係を進展させていく描写は、ありふれているけどとても幸せな瞬間であることが伝わってきます。

 

特徴と見どころ

見どころは一言でいうと「ありふれた二人」「ありふれた恋愛」を丁寧に掘り下げているところです。

どこにでもいそうな二人が、普通のデートを重ね、当事者にしかわからない幸せを積み重ねていく。

その過程は、多くの人が経験したことのある恋愛に共通するもので、だからこそ自分の経験を重ねて懐かしんだり、共感したりできる映画なのだと思います。

絹と麦は、特別な才能があるわけでも、エリートというわけでもありません。

だからこそ、大学を卒業後、フリーランスとして挑戦しても挫折を味わったり、就職活動で気持ちが折れたりするわけです。

上手くいかない人生の中でも、お互いがいれば幸せだった二人ですが、絹との将来を見据えて麦が就職したころから、綻びが生じ始めます。

このへんも、若いカップルあるあるというか、決して珍しい現象ではないと思います。

大学卒業~就職する時期にかけて、おびただしい数の友人が恋人と別れたことを思い出しました……

社会人一年目って、思いもしなかったストレスが大量にかかってきて、自分でも醜いなと思うリアクションをしていることがあります。

それと何とか折り合いをつける過渡期を、学生時代と同じ態度ではなかなか過ごしていられず、変わっていく中で、恋人とも以前のように過ごせなくなるというか。

これらを丁寧に描写しているのが特徴ですが、その一方で説明過多という印象も否めません。

特に映画を見慣れている人にとっては、冒頭から長々と二人のパーソナリティがナレーションで語られたり、同じ場面をもう一人の視点から語り直したりするくだりは長く感じるでしょう。

このへんは、監督や脚本家がテレビ出身ということも影響していそうです。


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理想と現実

麦がフリーのイラストレーター、絹がフリーターをしながら、同棲していた二人。

しかし、麦のイラスト業はなかなか単価が上がらず生活は厳しい。

さらに父親からの仕送りが打ち切られたことをきっかけに、就職を決めます。

想像以上にブラックな仕事に心を蝕まれていきますが、それもこれも、自立して生計を立て、絹とずっと一緒に暮らすため。

がむしゃらに頑張るものの、絹と一緒に楽しめていたことを楽しむ余裕もなくなり、暇つぶしはスマホゲームだけとなっていく麦。

いっぽう、同じく就職したものの、やりたいことを見つけて他業界への転職を模索する絹。

彼女としては前向きな変化ですが、一度はやりたいことを諦めた麦は苛立ちを絹にぶつけてしまいます。

仕事とは辛いもの、生きるためにすることと自分に言い聞かせてきたのに、絹が希望を抱いて転職する様子を見ているのに耐えられなかったのでしょう。

過去の挫折からのアドバイス精神が半分、ブラックな仕事に耐えているゆえのやっかみ半分といったところに見えました。

絹のほうも、刺々した雰囲気の麦を気遣いながら暮らしているうえ、転職に盛大なダメ出しをされ、決定的なすれ違いを実感することになります。

 

恋愛と同棲と結婚

転職をめぐるケンカの中で、「だったら結婚しよう」と半ばやけくそでプロポーズしてしまう、破れかぶれの麦。

もちろん絹が真剣に受け取ることはありません。

それ以前にも、麦から結婚をほのめかす発言はありましたが、スキンシップもない彼からなぜその言葉が出てくるのか、絹にはわかりませんでした。

麦としては、仕事で一杯一杯の自分との距離が開いている絹を、何とか繋ぎ止めたい気持ちが出てしまったのでしょう。

辛い仕事に耐えるのも絹との生活のためなのに、何でわかってくれないんだ(絹だけが夢を追ってしまうんだ)、という苛立ちもあったかもしれません。

経験者でないのでわかりませんが、ここは同棲の難しさが現れた場面ではないか、という気がしました。

同棲なしの恋愛なら、結婚=二人暮らしの開始です。

でも、同棲していたら二人暮らしはすでに達成されている。

同棲から結婚へ踏み出すことは、単に好きな人と暮らすだけでなく、社会的責任を負って、法的裏付けのある関係になること。

一気に重い立場になるわけで、しかも絹と麦の場合はすでに二人暮らしもマンネリ化している……結婚する理由ある?ってなっちゃいますね。

期限の決まった、結婚に向けた同棲というわけでもないので、なおさら引き際も思い切り時もわからなくなってしまったようです。

 

どうすれば良かったのか

絹と麦は学生のうちに出会い、職業観や人生観がまだ固まらないうちに付き合い始めました。

その後、就職などを経て考えを固めていくうちに、お互い別々の方向に進んでいくことになり、別れの原因となりました。

似た趣味をきっかけに付き合い始めた二人ですが、趣味は比較的変わりやすい一方、職業観や人生観はなかなか変わることが難しいものです。

逆に、それが大体合っていたら、趣味などは違っても割とどうにかなる気がします。

就職を経て辿り着いた考え方が互いに似ていたら、ずっと一緒にいられたかもしれません。

しかし、個人的には絹の考え方のほうが精神衛生上良い気がします。

麦は「仕事=辛いこと」と思っていますが、何だかんだ人が仕事を続けるには、給料が高いとか、人間関係が良いとか、楽だからとか、メリットがないと続かない気がします。

本当の本当に割り切りだけで仕事を続けるのは、いつか限界が来るのではないでしょうか。

多少給料が安くても、楽しく続けられるのなら、好きなことを仕事にする絹の働き方も一つの正解に思えます(自活できないほど薄給だったりしたら難しいですが)。

あと、お互いの共通点をきっかけに接近した二人ですが、自分にないものに惹かれて始まる恋愛だったら、もう少し違った過程をたどったかもしれません。

色々な人のレビューを見ていて時々出てきたのが、「二人は何が好きかは語っているけど、なぜ好きかは語れていない」=「サブカル好きな自分が好き」という指摘です。

確かにな、と思わざるを得ないシーンが多々あります。

もっと本質的なところで哲学を共有し、趣味はあくまでその表れ、という二人だったら、もっと深くわかり合えたし、変化も乗り越えられたのかもしれません。

 

ラストとその後

終盤、数年の惰性期間を経て二人は別れます。

最後にファミレスで話し合うとき、かつての自分たちのような学生カップルを見かけ、涙する場面でもらい泣きした人は多いようです(ちょっとセリフで語りすぎなところがあり、私は淡々と見てしまいましたが)。

前回、決定的にすれ違ったときと同じように、今回も麦は結婚の話を持ち出します。

お互いが空気みたいになってる夫婦って沢山いるじゃん、絹ちゃんとならそういう家族になれる、と最後の希望を託したようです。

彼は結婚を、状況を変える魔法と思っている節があります。

でも結婚は、それまでの恋人関係と地続きな部分も少なからずあるはずです(恋愛と結婚は、別物ではあるのですが)。

しがらみの少ない恋愛関係なのに楽しくなくなってしまっているのなら、苦しいことも一緒に乗り越える家族になるのは難しそう。

それに、「お互いが空気みたいになってる」夫婦というのは、自然体で過ごせているということであって、単なる同居人と化してたり、家庭内別居になってるのとは違うはずですから。

ただ、大嫌いになって別れるわけではなかったため、同棲の解消プロセスは穏やかに進んだようでしたね。

関係が終わっても、楽しかった思い出は、自分を作った一部として残り続けていく。

そういうゆるやかな希望を感じさせるラストでした。

 

おわりに

また長ーいレビューになってしまいました。

描写はくどいけど、描いている本質は本当にたくさんの恋愛模様に当てはまるのでは、と思う部分が多かったです。

しかし麦の仕事が大変そうで、もっと採用増やして人員に余裕持てよ……と突っ込みたくなりました。

家族を養えて健康も保てる仕事が少なすぎる社会が悪い、と言いたくもなります。

カップルで観に行くと別れると言われていますので笑、ひとりで静かに恋愛映画を観たいときにおすすめの作品です。

 

 

 

映画『ひとよ』

ここ数年、話題の作品を発表し続けている白石監督の秀作をご紹介します。

重い過去を負った家族の、ぶつかり合いと再生を描いた作品です。

最後までネタバレします。

 

 

あらすじ

茨城県大洗市のタクシー会社社長が、雨の夜に自社の駐車場で殺害される。

犯人は、長年DVに苦しんできた彼の妻だった。

彼女は三人の子どもを残して服役し、その間に子どもたちはそれぞれ大人になった。

長男の大樹は、地元の電器店に婿入りして妻子を養っているが、妻との間に問題を抱えている。

次男の雄二は東京へ出て文筆家を目指しているが、風俗雑誌でのフリーライター兼カメラマンで食いつなぐ毎日。

末っ子長女の園子は、美容師になる夢を諦め、地元スナックで働いているが異性関係は毎回複雑な模様。

そんななか、刑期を終えて数年経った母こはるが帰ってくる。

戸惑いながらも母を迎える大樹と園子、反発を露わにする雄二。

鎮静化していた会社への嫌がらせが再燃する中、家族は再生することができるのか。

 

家族の崩壊

こはるの夫で、三人の父親だった男は、家族全員にひどい暴力を振るっていました。

こはるの殺人が、その暴力を絶ってくれたことは皆の共通認識です。

だから大樹や園子は、戻って来た母にできるだけのことをしようとするのでしょう。

一方で、事件を境に子どもたちの生活が一変してしまったことも事実。

衝撃的な犯罪を犯したこはるの子どもとして、三兄妹は否応なく注目を浴びて生きていくことになります。

一家の住む大洗は、ど田舎とは言えないまでも、人の出入りが少ないのは確かで、大事件があればなかなか忘れてはもらえません。

それを嫌ってか、最も母にあたりの強い雄二は上京して働くことを選びました。

ただ、作家になりたい思いはありつつも芽が出ず、普段の仕事も生きるために不本意ながら続けているようです。

心から打ち解けられる友人や同僚はいないのか、かなり尖った雰囲気を醸し出しています……最早怖いレベルの名演。

地元に残った大樹と園子も、それぞれ人間関係に課題を抱えています。

大樹は妻に心を開ききれず、過去についても話せないまま。

彼女の実家の経営する会社では部下から尊敬されていないことを自覚して苦しみます。

スナックで働いている園子は、恋人はなぜか支配的な男性を毎回選んでしまう様子(「今の彼は優しいから顔は殴らない」という会話が何気ないのにパンチありすぎ)。

もっとも、事件が起こらず父のDVが続いていたとしても、三人はこうした状況に悩まされていたかもしれません。

奇跡的に父親の暴力から逃れ、母と四人家族として再出発していたら、なかったかもしれませんが、それは誰にもわかりません。

いずれにしろ、そんな状況のなか母のこはるがひょっこり帰ってきます。

飄々とした母の様子は、事件前もこんな感じだったのかな、という想像を起こさせる自然さです。

しかしそれは、決して事件を何とも思っていないのではなく、子どもたちに気を遣わせないための最善の選択だったのかもしれません。

 

家族の再生

「母さんは母さんだから」とこはるを受け入れる大樹、失った時間を取り戻そうとするかのような園子と対照的に、雄二は母に心を開きません。

そんななか、こはるの不在中、彼女の甥が経営してくれていたタクシー会社がこはるの件で嫌がらせを受けることになります。

ショックを受ける一同に対しても冷笑的な雄二は、いったい何をしに帰って来たんだとこはるを突き放します。

あろうことか、彼はこはるが帰ってきたことを週刊誌にネタとして売っていました。

それでも動揺しないこはるは、「自分が過去を悔いたら、子どもたちが迷子になる」と静かな覚悟を口にします。

彼女本人が殺人を間違いと認めてしまったら、その間違いのためにつまずいた三人の人生は一体何だったんだ、となります。

乗り越えるべき痛みだと信じていれば、まだ心が支えられる。

おそらくは、こはる自身が罪と向き合うなかで決めたことだったのでしょう。

妻子と別居中の大樹の苦しみにも、こはるは徹底して向き合おうとします。


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新人運転手の葛藤

こはるの帰宅とほぼ同時に、稲村タクシーに運転手として就職した男性・堂下。

彼はこはると同様、罪を犯した過去を抱えているようですが、かつて溺れてしまった酒も断ち、新人運転手として真面目に仕事に取り組んでいます。

離婚した妻と暮らす十七歳の息子との面会を喜ぶ一面も。

一緒に食事をしたり、バッティングセンターに行ったり、何気ない時間を共有することを楽しみ、笑顔で別れます。

しかし間もなく、昔の顔見知りから人に言えない仕事の手伝いをするよう頼まれた彼は、運び屋の移送に協力することになってしまいます。

その運び屋は何と、先日会ったばかりの彼の息子でした。

犯罪やクスリに手を染めた息子を責めてしまう堂下ですが、「お前のせいだ」と逆に罵られて絶望します。

その夜、断っていた酒を飲み、こはるを載せてタクシーを暴走させた彼は、完全に自我のコントロールを失っていました。

一方、こはると堂下の状況を知った三兄妹は、車で彼らを追跡します。

複雑な思いがあっても、やはりこはるを失いたくない三人は埠頭まで猛追することに。

 

家族とは

堂下のタクシーに追いつき、こはると彼を車から降りさせた三人。

混乱した状況で、各人の本音が爆発します。

成功を掴めなければ、あの夜の意味がわからなくなってしまう、父を殺してまで母が作ってくれた自由の意味がなくなってしまう、と吐露する雄二。

こはるに対して、「ああまでして守った子どもからの扱いに何とも思わないのか」と詰め寄る堂下。

幸せだった息子との面会の夜を思い返し、「あの夜は何だったんだ」と叫びます。

しかしこはるは、穏やかな笑顔を浮かべて答えます。

只の夜ですよ。自分にとって特別なだけで、ほかの人からしたらなーんでもない夜なんですよ。でも自分にとって特別なら、それでいいじゃない

このセリフは、家族というものの本質を突いている気がします。

他人から見たら「そんなもん捨てちまえ」と思うような関係でも、家族というだけで捨てられなかったりします。

「どうして相手のそんな言動や行動にこだわるの」と言われがちな思いは、得てして家族に対する思いだったりします。

他の人間関係に置き換えれば、忘れてしまえばいいこと、諦めればいいことでも、家族に関することだとそうはいかない。

家族は替えが利かないからです。

大樹が「母さんは母さんだから」と思い出したように呟いていた意味がわかります。

こはるが殺人までして子どもたちを守ったのは、家族だから。

雄二が成功に拘ったのは、自由をくれたのが母だから。

大樹が過去を妻子に打ち明けられなかったのは家族だから、園子が雄二に事あるごとに食って掛かるのも家族だから。

その家族を支えていたのは、すべてを呑みこむ覚悟を決めた母こはるでした。

単に恋人同士なら、「何を捨てても一緒にいたい」「この人のためなら死ねる」と思えれば充分なのかもしれません。

でも、家族はそれではだめなんだなと思わされます。

守りたい人全員で幸せになれないといけない、そのためには全てを背負いこむ覚悟が必要なんだと訴えてくるようなラストでした。

 

おわりに

白石監督の作品を初めて見ましたが、とにかく質量感がすごかった……

あらすじ上、ヘビーな展開が多めなのですが、稲村タクシーの現社長が良いキャラをしてたりして、重くなりすぎない工夫がされているのなんかも良かったです。

そのうえで骨太なメッセージを伝えている作品でした。

家族について考えたいとき、ぜひおすすめしたい映画です。

 

 

 

映画『世界一キライなあなたに』

めちゃくちゃ泣いてしまうのに元気をもらえるイギリス映画のレビューです。

ネタバレでお送りします。

 

 

あらすじ

地元で働き、家計を支える若い女性ルーは、ある日勤務先の閉店で収入を失ってしまう。

町で一番の富豪の一人息子の介護人に再就職したルーだが、若くして首から下の身体を動かすことができなくなったウィルはひどく気難しい。

辛く当たられていたルーだが、徐々に小さなぶつかり合いを経て人間同士としての絆を深めていく。

ルーが諦めかけていた、ファッションを学ぶ夢に挑戦するようウィルが励ましてくれたり、ウィルが新たな楽しみを見つけられるようルーが奔走したりと、次第に特別な関係になっていく二人。

しかしウィルは、周囲の人々の献身をもってしても埋められない心の空洞に、自分自身で区切りをつけようとしていた。

 

ルーとウィル

主人公のルーは、文字通り元気印の女性です。

ファッションについて学ぶ夢を諦め、家計を支えるため地元で働いている彼女ですが、終始明るく周囲に接します。

のどかな町では浮いているようにも見える明るいファッションも、小さな頃激励してくれた人からのメッセージを忘れず楽しみ続けています。

いっぽうのウィルは、ロンドンでエリートとして働いていたときに遭った交通事故のため、首から下が動かなくなる障害を負った若者。

二十代半ばにしてキャリアや、切磋琢磨し合っていた仲間たちとの絆、恋人も失ってしまい、その絶望を扱いかねたまま生きています。

それまでの人生があまりに輝かしかったからこそ、失ったものが大きすぎて気持ちの整理がつかず、ルーにも辛く当たってしまいます。

ルーの前任者たちも彼の態度に音を上げて辞めていっていますし、元恋人も彼の変貌についていけなかった様子です。

 

ウィルの変化

多くを失ったことを受け止めきれず、そばに留まろうとしてくれた元恋人のことも拒絶してしまったウィル。

自分の招いたことではあってもやはり傷つきますし、それでますます荒れてしまう。

両親が雇ってくれたヘルパーに心を開いている余裕はありませんでしたが、その反面、毅然と内面に踏み込んできてくれる人を待ってもいました。

そこへ現れた気さくでエネルギッシュなルーと、最初はぎこちなく、でもぶつかり合いを経てからは温かく、距離を縮めていきます。

この過程の描き方が本当に丁寧で、観ていると知らないうちに温かい気持ちになります。

ウィルが自分でも持て余していた気持ちを紐解いてくれる、ルーという人に出会えて本当に良かったなあと思えます。

こうしてウィルの日常が少しずつ変わっていくのですが、彼がどうしても変えられない部分もあります。

それは、自分で自分の命を閉じたいという決断でした。


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自分の人生を決める権利

ある日、ウィルがスイスでの尊厳死を実行しようとしていることを知ったルー。

彼の母が過去にそれを止めたにも関わらず、ウィルは再び弁護士と連絡を取って準備を進めていました。

この、一度は手を引っ込めたけどまた、というところが彼の覚悟を感じさせてやるせないです。

突発的に思ったことではなくて、ずっと彼の頭を占め続けていたんだな、という。

身体の自由を失った、現在の人生を充実させようとしても、それ以前の人生があまりに素晴らしすぎて忘れることができない。

ルーと過ごす毎日は幸せだけど、自分はルーを小さな町の介護生活に縛り付けてしまい、彼女を幸せにできない。

だからこれは自分にとって必要な決断なんだ、とルーを諭すウィル。

ウィルを一人の人間として愛するようになったルーは、「私が幸せにしてあげるから一緒にいて」と必死で説得します。

ビーチでのこの場面でボロ泣きしました……究極の愛ですね。

一緒にいると幸せだからそばにいたい、とか、貴方のそばにいると幸せ、とかじゃなくて、私が幸せにするから、って愛が深すぎる。

でも、どんな人でも本質的には「誰かに幸せにしてもらう」ことはできないんだと思います。

自分で決めたことの結果として、幸せになれるのでなければ、どこかに満たされない気持ちが残ってしまうのではないでしょうか。

だからウィルは「ルーに幸せにしてもらう」立場に甘んじることができなかったのだと思います。

それは彼が望む幸せのかたちに届かないと知っていて、彼女のことがどれだけ好きでもその点は変わることがなかったのでしょう。

でも、自分や大切な家族と生きていくことより、ひとり旅立つことを決めたウィルが許せないルーの気持ちも、痛いほど伝わってきます。

どんな形であれ、彼が「ルーと生きる人生を選ばなかった」ことは確かなわけで、拒まれてしまった、どうして受け入れてくれないんだ、という気持ちが湧き上がるのは自然なことです。

いっぽうで、人が自分の人生を自分で決める意志は尊重されて然るべき、というところもあり、尊厳死問題の複雑さが描かれている箇所と言えます。

本作について批判が色々あるのも、主にこの点についてでしょう。

 

他作品との比較

フィクションのラブストーリーで、身体の自由を失った人が「もう以前以上に幸せになれない」「愛する人を幸せにできない」と死を選ぶことは、賛否があって当然かと思います。

似た状況で闘っている方や、そうした人を支える立場の方からしたら、受け入れられる内容ではありません。

尊厳死や、ウィルのように身体の大部分を動かせない状況の人を描いた映画はいくつかあります。

フランス映画の『潜水服は蝶の夢を見る』『最強のふたり』などです。

kleinenina.hatenablog.com

 

前者は片目の瞼を動かすことしかできない、後者はウィルと同じく首から下を動かせないという状況に主人公が置かれています。

『潜水服~』では主人公はいったんは絶望して死を願うものの、まばたきだけで意思を伝えて本を書き上げるという離れ業を達成します。実話です。

ウィルとの違いは、キャリアのピークにある程度達しており(ELLEの編集長だった)、元妻や子どもたちの支えがあったというところ。

無限の可能性があった二十代のウィルとは、状況の受け止め方も違ってくるでしょう。

 

最強のふたり』の主人公は、介護人の若者と絆を深めるだけでなく、精力的に養子を育てたり、恋も楽しんでいます。

ただ、主人公が年配ということもあり、ある程度人生をやり切ってからの身体の変化がだったところが、ウィルとの大きな違いです。

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また、若くして事故で首から下が動かなくなったスペイン人男性、ラモンを描いた映画『海を飛ぶ夢』も。

彼は尊厳死を訴えた人物の先駆けで、やはり二十代で突然身体の自由を失ったことに気持ちの整理がつかなかったことがきっかけでした。

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一概には言えませんが、やはり若い時に突然多くの可能性を奪われることのしんどさを考えさせられます。

そう思うと、ウィルが生きていくことと折り合いを付けられなかったことも、理由なきことではないのだと感じます。

 

幸せとは

終盤で一番泣いたのは、ルーとウィルが最後に、ルーの幼いころのお気に入りの歌を歌う場面でした。

序盤では、変な歌詞だと言って笑っていたウィルですが、二人だけがわかる特別な思い入れのある事柄でもあります。

他の人から見たら何でもないことについて、特別な感情を分かち合えることこそが、幸せじゃないのかなと思わせるシーンです。

何かを手に入れる、達成することも幸福感をもたらしてくれますが、いずれはその幸せは薄れていきます。

一度達成した夢は、現実になってしまうからです。

でも、満ち足りた人間関係を深めていくことによる幸せは、時間が経っても色あせず、むしろ蓄積していきます。

若いころは、達成の喜びを積み重ねていくことで自信をつけていき、そうやって作った自分をもって、幸福な日常を積み重ねていける相手を見つけ、今度は大切な人と関係を深めることに幸せを見出していく。

前項で言及した『潜水服~』や『最強のふたり』の主人公は、人生がそうしたフェーズに差し掛かっていたのでしょう。

でもウィルはまだ、達成したいことが山ほどあった。

それらをすべて忘れて、次の幸せに移行することが難しかったのでしょう。

そして、「達成できなかったこと」が頭にあるからこそ、そういう自分がルーを幸せにできるかを躊躇ったのかもしれません。

でもこの世を去る彼は、ルーのためにできることを考えつくした結果として、遺産を元手に都会でファッションを学ぶ夢を諦めないよう、背中を押したのでしょう。

人生は何が起こるかわからないから、挑戦できる夢を諦めるなんてするべきじゃない。

できることはすべてやってみるべきだ。

そう激励する人物として、ウィルほど適任な人はいないという事実も、ラストシーンをぎゅっと切なくしていました。

 

おわりに

思いが爆発して長文レビューになってしまいました……

主人公二人の魅力的なキャラクターと、イングランドの田園風景の美しさで時間を感じさせない作品でした。

内容には関係ないですが、『ゲーム・オブ・スローンズ』でデナーリスを演じたエミリア・クラークをはじめ、『ダウントン・アビー』のベイツ、『ザ・クラウン』のマーガレットと、ドラマで活躍している俳優さんを見つけるのも楽しかったです。

悲しい映画ではあるけれど、一度しかない人生を前向きに生きなければ、と激励してくれる物語でした。

泣けるラブストーリーをお探しの方に、ぜひおすすめしたい映画でした。

 

 

 

 

ドラマ『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』2

以前ご紹介した英国BBCのドラマ、『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』のレビュー第二弾です。

第一弾の記事↓ではシーズン3までの内容をご紹介したので、本記事ではシーズン4以降について感想をご紹介します。

kleinenina.hatenablog.com

 

 

あらすじ

1960年代の英ロンドンはイーストエンドで、妊産婦たちの出産・育児のサポートを行うノンナートゥス・ハウスで、シスターや助産師たちは日々新たな課題に直面する。

同性愛や新生児取り違えなど、出産をめぐる家族の葛藤やトラブルもあれば、ノンナートゥスのメンバーが個々に抱える問題も。

トリクシーは心を癒すのに頼っていた恋人との付き合い方に悩み、パッツィーは誰にも言えない秘密を抱えている。

バーバラが着々と経験を積む一方で、シンシアは重大な壁に直面。

新しいメンバーや時代を迎え、さらに盛り上がりを見せる医療ドラマの秀作。

 

新しい仲間たち

当初のメインメンバーだったジェニー、トリクシー、シンシアのうち、主人公ジェニーはシーズン3終盤でシリーズを去っています。

シーズン4からは、前シーズンでちらっと登場したパッツィーとともに、若くて優秀なバーバラが加わります。

パッツィーは中堅ながらベテラン並みの落ち着きと判断力、バーバラは穏やかで熱心な姿勢が頼もしいです。

そして更に、ベテラン看護師であり助産師のフィリス・クレーンも登場。

最初は彼女を脅威と見なしていたシスター・エヴァンジェリーナですが笑、だんだんとお互いを認め合っていきます。

昔気質のエヴァンジェリーナと比較すると、フィリスは相当に先進的なタイプ。

当時女性には珍しかった運転免許を所持して訪問看護も車で行ってますし、ローロデックスを駆使してメンバーのシフト管理も効率化。

苦労人で熱いハートの持ち主でもある彼女は、聖職者の娘でまっすぐな気性のバーバラと、年齢を越えた友情を育んでいきます。

シーズン3までは原作者ジェニーの自伝的回顧録に基づいて書かれた脚本ですが、シーズン4以降は舞台と一部キャラクターだけを引き継いだオリジナルの内容。

しかし、メンバー交代でクオリティや世界観が変わってしまうのでは、という心配を吹き飛ばす、相変わらずの密度と緻密さです。


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出産や看護をめぐるドラマ

このドラマの魅力の核となる要素は、前述の通り引き続き健在です。

同性愛や新生児取り違えなど、21世紀にも通じるテーマもあれば、1960年代の世界を震撼させたサリドマイド薬害事件なども扱われています。

悩みながらも家族の形を模索したり、生まれた子と一緒に成長していこうとする人々を、ノンナートゥスのメンバーが熱意をもってサポートしていきます。

そして、シーズン3までとの大きな違いとしては、「子どもを産む」以外の瞬間を切り取ることが多くなっていることが挙げられます。

無事に妊娠し、子どもを産むという流れがマジョリティではあるものの、望んでもなかなか授かれない人、授かっても流産や死産で子どもとの人生を経験できていない人、望まない妊娠に苦悩する人など、さまざまな状況が描かれています。

出産のドラマというと、妊娠して無事に生まれること、そこからの子育てを想像する人が多いと思いますが、そこに至るまでにもいろんなドラマがあります。

無事に安定期に入ったり、出産したりするまで、有名人でもなければ公表する人もあまりいないのはそういう事情があるからですが、意外と知られていませんよね。

でも、流産を経験する人というのは、妊娠したことがない人が想像するよりずっと多いですし(全妊娠の15%に相当すると言われる)、不妊に悩む方もたくさんいます。

そして、無事の誕生も奇跡なら、無事に育つことも奇跡なのかもしれません。

個人的にはシーズン5の、辛い幼少期を過ごしたことから生まれた娘と向き合えず苦悩する女性の姿が印象的でした。

優しい母という姿が思い描けなくても、自分で人生を踏み出したからこそ出会えた優しい夫との絆を拠りどころに、安心できる家族を築いていってほしいです。

出産の場面以外にも目を背けず向き合っているところが、ドラマのクオリティの高さをさらに保証するものとなっています。

 

メンバーの葛藤

妊産婦たちのみならず、メインメンバーたちの悩みや葛藤も見応えがあるのが、本ドラマの特徴。

トリクシーは牧師のトムと特別な関係になりますが、順調に見えた交際がある時から崩れ始めます。

元からアルコールに頼り気味だった彼女ですが、このことでさらに慰めを求めてしまうように。

幼少期に父親のアルコール依存を見ているからこそ、繰り返された悲劇ということが示唆されていて、やり切れないですね。。。

また、パッツィーは同性愛者であることを隠しながらディリアとお互いをパートナーとしています。

しかし、公にできない関係を維持し続ける苦労は絶えず、さらに二人の関係を困難にする時間も起こります。

ディリアが少し気弱そうなところがあって、それがまたハラハラさせるんですよね。

お母さんが心配してしまうのも一部わかるからこそ、「そこを何とか乗り越えて独り立ちしてパッツィーのそばにいてくれ!!」と訴えたくなります。

初登場のフィリスは、メンバーに打ち明けてはいないものの、事情を抱えた家庭で育った様子。

守ってくれる両親がいて、適切な教育を受けて……というバックグラウンドではなかった模様。

いろいろ乗り越えて手堅い仕事を手にし、今に至っているようですが、それを鼻にかけたりはしません。

たたき上げの人にありがちな、忍耐や理不尽を強いるようなことも言わないし、とても柔軟な人です。

 

おわりに

とにかく中身の濃いドラマシリーズである本作。

それでもネタ切れにならず長く続いているのは、丁寧な医療考証と、女性たちに関わるテーマを書き尽くそうという制作陣の熱意の賜物ですね。

基本的には女性にフォーカスした内容ですが、ぜひ男性にも見てほしい!と思う内容です。