本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

ドラマ『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』3

BBCのロングランシリーズのレビュー第三弾です。ネタバレします。

今回は本ドラマのシーズン7からシーズン9に関してのレビューとなります。

シーズン6以前のレビュー記事はこちら。

kleinenina.hatenablog.com

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あらすじ

1960年代のイーストエンドで、相変わらず助産師たちは数多くの出産に立ち会う毎日。

一方で、出産を巡って自身の身体について決定権を持たない女性たちの苦しみにも向き合うことになる。

ナースやシスターたちの私生活の悩みもあるなかで、新しいメンバーを迎えたノンナートゥス・ハウスのドラマが続いていく。


女性たちを取り巻く環境

初期は主にオーソドックスな妊娠・出産のドラマに焦点を当てていた本シリーズ。

シーズンを重ねるごとに不妊や養子縁組、中絶や家族計画、処女割礼など、その周辺のテーマにもフォーカスがされるようになってきました。

その中でもシーズン7-8は、中絶に関わる回が多くなっていました。

中絶をめぐっては、当時イギリスでは法律で禁止されていたこともあり、女性たちは非常に辛い立場に立たされます(中絶手術を提供するだけでなく、手術を受けることも罪に問われる)。

当事者の目線に寄り添いながら、見ている人に「自分の身体について自分で選択する権利」を考えさせる内容です。

妊娠出産したらバリバリ働くことは難しいし、相手の男性に逃げられたらなおさら、生計を立てることは難しい。

出産を諦めるしかないのに中絶は違法で、でも法を犯すような選択をするまで追い込まれなければならない。

だから「必要悪」として違法中絶業者が存在してしまったことを悟らされます。

そして、違法な中絶手術を提供するのは、医療の専門家ではない人々。

当然、安全は保証されず、衛生状態の悪さから重篤感染症に掛かったり、適正量をこえた薬の作用に苦しんだり、臓器の損傷のリスクを負ったりします。

シスター・ジュリエンヌが指摘したように、「相手の男性が負わなかった代償を、女性たちは負わされることになる」のがわかります。


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新しいメンバー

そんな中、ノンナートゥスの助産師に新しい仲間が加わります。

まずはジャマイカからやってきた黒人系の助産師ルシル。

冷静沈着で仕事のできる彼女ですが、ポプラーの一部住人からは心無い視線や言葉を向けられることに。

それでも「英国で暮らしていく以上は向き合わないと」と逃げない姿勢を貫く強さを持っています。

妊産婦や患者に寄り添うことも忘れない、真面目一徹のキャラクターです。

そして、シスター・ウィニフレッドの離脱に伴い、シスター・ヒルダとシスター・フランセスが加わります。

シスター・ヒルダはサバサバした性格の持ち主ですが、細かいことを気にしない豪快さがたたり、たまにポプラ―の人々や助産師たちと気まずくなる模様。笑

シスター・フランセスはメンバーの中で最年少で、最初は不安そうでしたが、初めての分娩を乗り越えて逞しく成長していきます。


メンバーたちの試練

これまでの例にもれず、シーズン6~9にかけても、助産師たちに試練が訪れます。

トリクシーは優しい恋人に出会えたものの、彼は離婚した妻との間に小さな娘アレクサンドラがいることが発覚。

関係は順調でしたが、自分の恋人でいるより、彼女の父親であることを優先してほしい、と身を引くことに。

それをきっかけにアルコール依存症が再発してしまい、やむなく休職します。

幼少期、父親が父親の役割を果たせない家庭に育ったことがトラウマになっていたトリクシーは、同じ経験をアレクサンドラにさせたくなかったのでしょう。

だとしても、せっかく出会えたよりどころの彼と離れることを言い渡す場面は辛かった……この人なら絶対幸せになれる!という相手だったので尚更です。

そして、直近3シーズン一番の驚愕はバーバラの受難でしょう。

シーズン6最終回で幸せいっぱいの結婚を遂げたバーバラですが、トムの赴任での位置離脱を経てノンナートゥスに戻ってきます。

しかし、間もなく髄膜炎を発症し入院、さらに敗血症に冒されたことが発覚。

誰も予想しなかったことに、世を去ってしまいます。

トムをはじめ、打ちひしがれるメンバーとともに、観ている方もどん底に沈みました……

この回の最終盤で、ルシルが訪れた教会で歌われるアメイジング・グレイスは涙を誘うこと必至です。

人生には辛いこともあれば奇跡も起こる、と教えてくれるのがこのドラマですが、バーバラの死は本当に辛かった。

そして、ヴァレリーも大きな試練に直面することに。

ポプラ―界隈で安価に中絶手術を提供している業者の存在は確実ながら、どこの誰なのかがわからず、歯がゆい思いをしていたノンナートゥスの面々。

危険な手術の結果、救命のため子宮摘出をせざるを得なかった女性がいたり、重篤感染症に冒された人がいたりと、被害は深刻。

そんな中、ヴァレリーの祖母が彼女を呼び出します。

祖母の家の二階にいたのは、中絶手術を受け大量出血している女性。

中絶を望む女性に危険な施術をしていたのは自分自身の祖母だったと知り、ヴァレリーは驚愕しショックを受けます(そりゃそうですよね)。

小さな頃から、訪ねるといつでもアイスを買うようお小遣いをくれた優しい祖母、そのお金は困り果てて中絶を試みた女性たちから払われたお金でした。

責めるヴァレリーに対し、祖母は開き直ります。

いつの世も、責任を負わない男性たちの代わりに、自分たちのような存在が必要とされてきた、法外な対価を求めたりせず女性たちの需要に応えてきただけだ、と。

この頃の英国は、中絶手術を受けることでは訴追されないようになっていましたが、手術を提供することは違法でした。

合法的な医療として中絶が提供されるのはまだ先の話。

祖母を許せない一方で、そうしたままならない事情もわかっているヴァレリーは深く葛藤します。

やがて体調を崩してしまった祖母にどう向き合うのか。

それを見守ってくれるノンナートゥスのメンバーの温かさがまた沁みます。


おわりに

相変わらず、希望や勇気を与えられるようなエピソードも数多いですが、この3シーズンは避妊や中絶に関わる重いエピソードが多かった気がします。

しかし、どこまでも真摯に女性たちや家族のドラマを描いてきた本シリーズだからこそ、正面から取り上げてほしいテーマであるとも言えます。

出産の主な舞台が、自宅から大病院へと移りつつある時代背景も描かれており、自治体からの予算が大幅カットされる危機もあったノンナートゥス・ハウス。

シーズン10の制作は決定しているようですので、続きも楽しみに待ちたいと思います。


 



映画『花束みたいな恋をした』

カップルで観に行くと別れる映画」として、話題を博した恋愛映画をご紹介します。

どこかにいそうな感じがする二人なのに、レビューがたくさん出てくるのは、いろんな「あるある」を詰め込んだ作品なのだと実感します。

ネタバレでお送りします。

 

 

あらすじ

終電を逃した夜に偶然居合わせて意気投合し、付き合い始めた大学生の絹と麦。

読書やゲームの趣味がぴたりと一致する二人は、瞬く間に関係を深め、夢のような毎日を過ごす。

間もなく、駅から遠いが理想の家を見つけ、同棲を開始する。

しかし、今後も長く二人で暮らしていくために、麦が夢を諦め就職を決意すると、家の空気は徐々に変わっていく。

さらに、将来との向き合い方を考え直した絹に、彼は思いもよらない反応を示す。

 

学生時代の絹と麦

メインの二人である絹と麦は、都内だったらどこにでもいそうな大学生です。

皆が皆こうではないけど、一定の割合で分布してるよね、というタイプ。

サブカル消費や、知る人ぞ知るお店やスポットの開拓に余念がなく、味のある世界を知っている特別な誰かになりたい、という感じです。

とはいえ、趣味をがっつり語り合える友人もいなかった二人は、偶然の出会いからお互いの趣味嗜好を知ることになり、すぐに意気投合。

好きな作家や漫画、映画が完全に一致している描写が、いっそしつこいくらい続きます笑

正直ここは、もし自分だったら、ここまで全部好きなものが一緒だと、ちょっと怖い&自分と近すぎて刺激がなくて、かえって恋しないかもしれません。

でも二人にとっては、それが出会いに運命を感じるポイントだったんですね。

二人が距離を縮め、付き合い始めて、関係を進展させていく描写は、ありふれているけどとても幸せな瞬間であることが伝わってきます。

 

特徴と見どころ

見どころは一言でいうと「ありふれた二人」「ありふれた恋愛」を丁寧に掘り下げているところです。

どこにでもいそうな二人が、普通のデートを重ね、当事者にしかわからない幸せを積み重ねていく。

その過程は、多くの人が経験したことのある恋愛に共通するもので、だからこそ自分の経験を重ねて懐かしんだり、共感したりできる映画なのだと思います。

絹と麦は、特別な才能があるわけでも、エリートというわけでもありません。

だからこそ、大学を卒業後、フリーランスとして挑戦しても挫折を味わったり、就職活動で気持ちが折れたりするわけです。

上手くいかない人生の中でも、お互いがいれば幸せだった二人ですが、絹との将来を見据えて麦が就職したころから、綻びが生じ始めます。

このへんも、若いカップルあるあるというか、決して珍しい現象ではないと思います。

大学卒業~就職する時期にかけて、おびただしい数の友人が恋人と別れたことを思い出しました……

社会人一年目って、思いもしなかったストレスが大量にかかってきて、自分でも醜いなと思うリアクションをしていることがあります。

それと何とか折り合いをつける過渡期を、学生時代と同じ態度ではなかなか過ごしていられず、変わっていく中で、恋人とも以前のように過ごせなくなるというか。

これらを丁寧に描写しているのが特徴ですが、その一方で説明過多という印象も否めません。

特に映画を見慣れている人にとっては、冒頭から長々と二人のパーソナリティがナレーションで語られたり、同じ場面をもう一人の視点から語り直したりするくだりは長く感じるでしょう。

このへんは、監督や脚本家がテレビ出身ということも影響していそうです。


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理想と現実

麦がフリーのイラストレーター、絹がフリーターをしながら、同棲していた二人。

しかし、麦のイラスト業はなかなか単価が上がらず生活は厳しい。

さらに父親からの仕送りが打ち切られたことをきっかけに、就職を決めます。

想像以上にブラックな仕事に心を蝕まれていきますが、それもこれも、自立して生計を立て、絹とずっと一緒に暮らすため。

がむしゃらに頑張るものの、絹と一緒に楽しめていたことを楽しむ余裕もなくなり、暇つぶしはスマホゲームだけとなっていく麦。

いっぽう、同じく就職したものの、やりたいことを見つけて他業界への転職を模索する絹。

彼女としては前向きな変化ですが、一度はやりたいことを諦めた麦は苛立ちを絹にぶつけてしまいます。

仕事とは辛いもの、生きるためにすることと自分に言い聞かせてきたのに、絹が希望を抱いて転職する様子を見ているのに耐えられなかったのでしょう。

過去の挫折からのアドバイス精神が半分、ブラックな仕事に耐えているゆえのやっかみ半分といったところに見えました。

絹のほうも、刺々した雰囲気の麦を気遣いながら暮らしているうえ、転職に盛大なダメ出しをされ、決定的なすれ違いを実感することになります。

 

恋愛と同棲と結婚

転職をめぐるケンカの中で、「だったら結婚しよう」と半ばやけくそでプロポーズしてしまう、破れかぶれの麦。

もちろん絹が真剣に受け取ることはありません。

それ以前にも、麦から結婚をほのめかす発言はありましたが、スキンシップもない彼からなぜその言葉が出てくるのか、絹にはわかりませんでした。

麦としては、仕事で一杯一杯の自分との距離が開いている絹を、何とか繋ぎ止めたい気持ちが出てしまったのでしょう。

辛い仕事に耐えるのも絹との生活のためなのに、何でわかってくれないんだ(絹だけが夢を追ってしまうんだ)、という苛立ちもあったかもしれません。

経験者でないのでわかりませんが、ここは同棲の難しさが現れた場面ではないか、という気がしました。

同棲なしの恋愛なら、結婚=二人暮らしの開始です。

でも、同棲していたら二人暮らしはすでに達成されている。

同棲から結婚へ踏み出すことは、単に好きな人と暮らすだけでなく、社会的責任を負って、法的裏付けのある関係になること。

一気に重い立場になるわけで、しかも絹と麦の場合はすでに二人暮らしもマンネリ化している……結婚する理由ある?ってなっちゃいますね。

期限の決まった、結婚に向けた同棲というわけでもないので、なおさら引き際も思い切り時もわからなくなってしまったようです。

 

どうすれば良かったのか

絹と麦は学生のうちに出会い、職業観や人生観がまだ固まらないうちに付き合い始めました。

その後、就職などを経て考えを固めていくうちに、お互い別々の方向に進んでいくことになり、別れの原因となりました。

似た趣味をきっかけに付き合い始めた二人ですが、趣味は比較的変わりやすい一方、職業観や人生観はなかなか変わることが難しいものです。

逆に、それが大体合っていたら、趣味などは違っても割とどうにかなる気がします。

就職を経て辿り着いた考え方が互いに似ていたら、ずっと一緒にいられたかもしれません。

しかし、個人的には絹の考え方のほうが精神衛生上良い気がします。

麦は「仕事=辛いこと」と思っていますが、何だかんだ人が仕事を続けるには、給料が高いとか、人間関係が良いとか、楽だからとか、メリットがないと続かない気がします。

本当の本当に割り切りだけで仕事を続けるのは、いつか限界が来るのではないでしょうか。

多少給料が安くても、楽しく続けられるのなら、好きなことを仕事にする絹の働き方も一つの正解に思えます(自活できないほど薄給だったりしたら難しいですが)。

あと、お互いの共通点をきっかけに接近した二人ですが、自分にないものに惹かれて始まる恋愛だったら、もう少し違った過程をたどったかもしれません。

色々な人のレビューを見ていて時々出てきたのが、「二人は何が好きかは語っているけど、なぜ好きかは語れていない」=「サブカル好きな自分が好き」という指摘です。

確かにな、と思わざるを得ないシーンが多々あります。

もっと本質的なところで哲学を共有し、趣味はあくまでその表れ、という二人だったら、もっと深くわかり合えたし、変化も乗り越えられたのかもしれません。

 

ラストとその後

終盤、数年の惰性期間を経て二人は別れます。

最後にファミレスで話し合うとき、かつての自分たちのような学生カップルを見かけ、涙する場面でもらい泣きした人は多いようです(ちょっとセリフで語りすぎなところがあり、私は淡々と見てしまいましたが)。

前回、決定的にすれ違ったときと同じように、今回も麦は結婚の話を持ち出します。

お互いが空気みたいになってる夫婦って沢山いるじゃん、絹ちゃんとならそういう家族になれる、と最後の希望を託したようです。

彼は結婚を、状況を変える魔法と思っている節があります。

でも結婚は、それまでの恋人関係と地続きな部分も少なからずあるはずです(恋愛と結婚は、別物ではあるのですが)。

しがらみの少ない恋愛関係なのに楽しくなくなってしまっているのなら、苦しいことも一緒に乗り越える家族になるのは難しそう。

それに、「お互いが空気みたいになってる」夫婦というのは、自然体で過ごせているということであって、単なる同居人と化してたり、家庭内別居になってるのとは違うはずですから。

ただ、大嫌いになって別れるわけではなかったため、同棲の解消プロセスは穏やかに進んだようでしたね。

関係が終わっても、楽しかった思い出は、自分を作った一部として残り続けていく。

そういうゆるやかな希望を感じさせるラストでした。

 

おわりに

また長ーいレビューになってしまいました。

描写はくどいけど、描いている本質は本当にたくさんの恋愛模様に当てはまるのでは、と思う部分が多かったです。

しかし麦の仕事が大変そうで、もっと採用増やして人員に余裕持てよ……と突っ込みたくなりました。

家族を養えて健康も保てる仕事が少なすぎる社会が悪い、と言いたくもなります。

カップルで観に行くと別れると言われていますので笑、ひとりで静かに恋愛映画を観たいときにおすすめの作品です。

 

 

 

映画『ひとよ』

ここ数年、話題の作品を発表し続けている白石監督の秀作をご紹介します。

重い過去を負った家族の、ぶつかり合いと再生を描いた作品です。

最後までネタバレします。

 

 

あらすじ

茨城県大洗市のタクシー会社社長が、雨の夜に自社の駐車場で殺害される。

犯人は、長年DVに苦しんできた彼の妻だった。

彼女は三人の子どもを残して服役し、その間に子どもたちはそれぞれ大人になった。

長男の大樹は、地元の電器店に婿入りして妻子を養っているが、妻との間に問題を抱えている。

次男の雄二は東京へ出て文筆家を目指しているが、風俗雑誌でのフリーライター兼カメラマンで食いつなぐ毎日。

末っ子長女の園子は、美容師になる夢を諦め、地元スナックで働いているが異性関係は毎回複雑な模様。

そんななか、刑期を終えて数年経った母こはるが帰ってくる。

戸惑いながらも母を迎える大樹と園子、反発を露わにする雄二。

鎮静化していた会社への嫌がらせが再燃する中、家族は再生することができるのか。

 

家族の崩壊

こはるの夫で、三人の父親だった男は、家族全員にひどい暴力を振るっていました。

こはるの殺人が、その暴力を絶ってくれたことは皆の共通認識です。

だから大樹や園子は、戻って来た母にできるだけのことをしようとするのでしょう。

一方で、事件を境に子どもたちの生活が一変してしまったことも事実。

衝撃的な犯罪を犯したこはるの子どもとして、三兄妹は否応なく注目を浴びて生きていくことになります。

一家の住む大洗は、ど田舎とは言えないまでも、人の出入りが少ないのは確かで、大事件があればなかなか忘れてはもらえません。

それを嫌ってか、最も母にあたりの強い雄二は上京して働くことを選びました。

ただ、作家になりたい思いはありつつも芽が出ず、普段の仕事も生きるために不本意ながら続けているようです。

心から打ち解けられる友人や同僚はいないのか、かなり尖った雰囲気を醸し出しています……最早怖いレベルの名演。

地元に残った大樹と園子も、それぞれ人間関係に課題を抱えています。

大樹は妻に心を開ききれず、過去についても話せないまま。

彼女の実家の経営する会社では部下から尊敬されていないことを自覚して苦しみます。

スナックで働いている園子は、恋人はなぜか支配的な男性を毎回選んでしまう様子(「今の彼は優しいから顔は殴らない」という会話が何気ないのにパンチありすぎ)。

もっとも、事件が起こらず父のDVが続いていたとしても、三人はこうした状況に悩まされていたかもしれません。

奇跡的に父親の暴力から逃れ、母と四人家族として再出発していたら、なかったかもしれませんが、それは誰にもわかりません。

いずれにしろ、そんな状況のなか母のこはるがひょっこり帰ってきます。

飄々とした母の様子は、事件前もこんな感じだったのかな、という想像を起こさせる自然さです。

しかしそれは、決して事件を何とも思っていないのではなく、子どもたちに気を遣わせないための最善の選択だったのかもしれません。

 

家族の再生

「母さんは母さんだから」とこはるを受け入れる大樹、失った時間を取り戻そうとするかのような園子と対照的に、雄二は母に心を開きません。

そんななか、こはるの不在中、彼女の甥が経営してくれていたタクシー会社がこはるの件で嫌がらせを受けることになります。

ショックを受ける一同に対しても冷笑的な雄二は、いったい何をしに帰って来たんだとこはるを突き放します。

あろうことか、彼はこはるが帰ってきたことを週刊誌にネタとして売っていました。

それでも動揺しないこはるは、「自分が過去を悔いたら、子どもたちが迷子になる」と静かな覚悟を口にします。

彼女本人が殺人を間違いと認めてしまったら、その間違いのためにつまずいた三人の人生は一体何だったんだ、となります。

乗り越えるべき痛みだと信じていれば、まだ心が支えられる。

おそらくは、こはる自身が罪と向き合うなかで決めたことだったのでしょう。

妻子と別居中の大樹の苦しみにも、こはるは徹底して向き合おうとします。


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新人運転手の葛藤

こはるの帰宅とほぼ同時に、稲村タクシーに運転手として就職した男性・堂下。

彼はこはると同様、罪を犯した過去を抱えているようですが、かつて溺れてしまった酒も断ち、新人運転手として真面目に仕事に取り組んでいます。

離婚した妻と暮らす十七歳の息子との面会を喜ぶ一面も。

一緒に食事をしたり、バッティングセンターに行ったり、何気ない時間を共有することを楽しみ、笑顔で別れます。

しかし間もなく、昔の顔見知りから人に言えない仕事の手伝いをするよう頼まれた彼は、運び屋の移送に協力することになってしまいます。

その運び屋は何と、先日会ったばかりの彼の息子でした。

犯罪やクスリに手を染めた息子を責めてしまう堂下ですが、「お前のせいだ」と逆に罵られて絶望します。

その夜、断っていた酒を飲み、こはるを載せてタクシーを暴走させた彼は、完全に自我のコントロールを失っていました。

一方、こはると堂下の状況を知った三兄妹は、車で彼らを追跡します。

複雑な思いがあっても、やはりこはるを失いたくない三人は埠頭まで猛追することに。

 

家族とは

堂下のタクシーに追いつき、こはると彼を車から降りさせた三人。

混乱した状況で、各人の本音が爆発します。

成功を掴めなければ、あの夜の意味がわからなくなってしまう、父を殺してまで母が作ってくれた自由の意味がなくなってしまう、と吐露する雄二。

こはるに対して、「ああまでして守った子どもからの扱いに何とも思わないのか」と詰め寄る堂下。

幸せだった息子との面会の夜を思い返し、「あの夜は何だったんだ」と叫びます。

しかしこはるは、穏やかな笑顔を浮かべて答えます。

只の夜ですよ。自分にとって特別なだけで、ほかの人からしたらなーんでもない夜なんですよ。でも自分にとって特別なら、それでいいじゃない

このセリフは、家族というものの本質を突いている気がします。

他人から見たら「そんなもん捨てちまえ」と思うような関係でも、家族というだけで捨てられなかったりします。

「どうして相手のそんな言動や行動にこだわるの」と言われがちな思いは、得てして家族に対する思いだったりします。

他の人間関係に置き換えれば、忘れてしまえばいいこと、諦めればいいことでも、家族に関することだとそうはいかない。

家族は替えが利かないからです。

大樹が「母さんは母さんだから」と思い出したように呟いていた意味がわかります。

こはるが殺人までして子どもたちを守ったのは、家族だから。

雄二が成功に拘ったのは、自由をくれたのが母だから。

大樹が過去を妻子に打ち明けられなかったのは家族だから、園子が雄二に事あるごとに食って掛かるのも家族だから。

その家族を支えていたのは、すべてを呑みこむ覚悟を決めた母こはるでした。

単に恋人同士なら、「何を捨てても一緒にいたい」「この人のためなら死ねる」と思えれば充分なのかもしれません。

でも、家族はそれではだめなんだなと思わされます。

守りたい人全員で幸せになれないといけない、そのためには全てを背負いこむ覚悟が必要なんだと訴えてくるようなラストでした。

 

おわりに

白石監督の作品を初めて見ましたが、とにかく質量感がすごかった……

あらすじ上、ヘビーな展開が多めなのですが、稲村タクシーの現社長が良いキャラをしてたりして、重くなりすぎない工夫がされているのなんかも良かったです。

そのうえで骨太なメッセージを伝えている作品でした。

家族について考えたいとき、ぜひおすすめしたい映画です。

 

 

 

映画『世界一キライなあなたに』

めちゃくちゃ泣いてしまうのに元気をもらえるイギリス映画のレビューです。

ネタバレでお送りします。

 

 

あらすじ

地元で働き、家計を支える若い女性ルーは、ある日勤務先の閉店で収入を失ってしまう。

町で一番の富豪の一人息子の介護人に再就職したルーだが、若くして首から下の身体を動かすことができなくなったウィルはひどく気難しい。

辛く当たられていたルーだが、徐々に小さなぶつかり合いを経て人間同士としての絆を深めていく。

ルーが諦めかけていた、ファッションを学ぶ夢に挑戦するようウィルが励ましてくれたり、ウィルが新たな楽しみを見つけられるようルーが奔走したりと、次第に特別な関係になっていく二人。

しかしウィルは、周囲の人々の献身をもってしても埋められない心の空洞に、自分自身で区切りをつけようとしていた。

 

ルーとウィル

主人公のルーは、文字通り元気印の女性です。

ファッションについて学ぶ夢を諦め、家計を支えるため地元で働いている彼女ですが、終始明るく周囲に接します。

のどかな町では浮いているようにも見える明るいファッションも、小さな頃激励してくれた人からのメッセージを忘れず楽しみ続けています。

いっぽうのウィルは、ロンドンでエリートとして働いていたときに遭った交通事故のため、首から下が動かなくなる障害を負った若者。

二十代半ばにしてキャリアや、切磋琢磨し合っていた仲間たちとの絆、恋人も失ってしまい、その絶望を扱いかねたまま生きています。

それまでの人生があまりに輝かしかったからこそ、失ったものが大きすぎて気持ちの整理がつかず、ルーにも辛く当たってしまいます。

ルーの前任者たちも彼の態度に音を上げて辞めていっていますし、元恋人も彼の変貌についていけなかった様子です。

 

ウィルの変化

多くを失ったことを受け止めきれず、そばに留まろうとしてくれた元恋人のことも拒絶してしまったウィル。

自分の招いたことではあってもやはり傷つきますし、それでますます荒れてしまう。

両親が雇ってくれたヘルパーに心を開いている余裕はありませんでしたが、その反面、毅然と内面に踏み込んできてくれる人を待ってもいました。

そこへ現れた気さくでエネルギッシュなルーと、最初はぎこちなく、でもぶつかり合いを経てからは温かく、距離を縮めていきます。

この過程の描き方が本当に丁寧で、観ていると知らないうちに温かい気持ちになります。

ウィルが自分でも持て余していた気持ちを紐解いてくれる、ルーという人に出会えて本当に良かったなあと思えます。

こうしてウィルの日常が少しずつ変わっていくのですが、彼がどうしても変えられない部分もあります。

それは、自分で自分の命を閉じたいという決断でした。


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自分の人生を決める権利

ある日、ウィルがスイスでの尊厳死を実行しようとしていることを知ったルー。

彼の母が過去にそれを止めたにも関わらず、ウィルは再び弁護士と連絡を取って準備を進めていました。

この、一度は手を引っ込めたけどまた、というところが彼の覚悟を感じさせてやるせないです。

突発的に思ったことではなくて、ずっと彼の頭を占め続けていたんだな、という。

身体の自由を失った、現在の人生を充実させようとしても、それ以前の人生があまりに素晴らしすぎて忘れることができない。

ルーと過ごす毎日は幸せだけど、自分はルーを小さな町の介護生活に縛り付けてしまい、彼女を幸せにできない。

だからこれは自分にとって必要な決断なんだ、とルーを諭すウィル。

ウィルを一人の人間として愛するようになったルーは、「私が幸せにしてあげるから一緒にいて」と必死で説得します。

ビーチでのこの場面でボロ泣きしました……究極の愛ですね。

一緒にいると幸せだからそばにいたい、とか、貴方のそばにいると幸せ、とかじゃなくて、私が幸せにするから、って愛が深すぎる。

でも、どんな人でも本質的には「誰かに幸せにしてもらう」ことはできないんだと思います。

自分で決めたことの結果として、幸せになれるのでなければ、どこかに満たされない気持ちが残ってしまうのではないでしょうか。

だからウィルは「ルーに幸せにしてもらう」立場に甘んじることができなかったのだと思います。

それは彼が望む幸せのかたちに届かないと知っていて、彼女のことがどれだけ好きでもその点は変わることがなかったのでしょう。

でも、自分や大切な家族と生きていくことより、ひとり旅立つことを決めたウィルが許せないルーの気持ちも、痛いほど伝わってきます。

どんな形であれ、彼が「ルーと生きる人生を選ばなかった」ことは確かなわけで、拒まれてしまった、どうして受け入れてくれないんだ、という気持ちが湧き上がるのは自然なことです。

いっぽうで、人が自分の人生を自分で決める意志は尊重されて然るべき、というところもあり、尊厳死問題の複雑さが描かれている箇所と言えます。

本作について批判が色々あるのも、主にこの点についてでしょう。

 

他作品との比較

フィクションのラブストーリーで、身体の自由を失った人が「もう以前以上に幸せになれない」「愛する人を幸せにできない」と死を選ぶことは、賛否があって当然かと思います。

似た状況で闘っている方や、そうした人を支える立場の方からしたら、受け入れられる内容ではありません。

尊厳死や、ウィルのように身体の大部分を動かせない状況の人を描いた映画はいくつかあります。

フランス映画の『潜水服は蝶の夢を見る』『最強のふたり』などです。

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前者は片目の瞼を動かすことしかできない、後者はウィルと同じく首から下を動かせないという状況に主人公が置かれています。

『潜水服~』では主人公はいったんは絶望して死を願うものの、まばたきだけで意思を伝えて本を書き上げるという離れ業を達成します。実話です。

ウィルとの違いは、キャリアのピークにある程度達しており(ELLEの編集長だった)、元妻や子どもたちの支えがあったというところ。

無限の可能性があった二十代のウィルとは、状況の受け止め方も違ってくるでしょう。

 

最強のふたり』の主人公は、介護人の若者と絆を深めるだけでなく、精力的に養子を育てたり、恋も楽しんでいます。

ただ、主人公が年配ということもあり、ある程度人生をやり切ってからの身体の変化がだったところが、ウィルとの大きな違いです。

最強のふたり (字幕版)

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最強のふたり (吹替版)

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また、若くして事故で首から下が動かなくなったスペイン人男性、ラモンを描いた映画『海を飛ぶ夢』も。

彼は尊厳死を訴えた人物の先駆けで、やはり二十代で突然身体の自由を失ったことに気持ちの整理がつかなかったことがきっかけでした。

kleinenina.hatenablog.com

一概には言えませんが、やはり若い時に突然多くの可能性を奪われることのしんどさを考えさせられます。

そう思うと、ウィルが生きていくことと折り合いを付けられなかったことも、理由なきことではないのだと感じます。

 

幸せとは

終盤で一番泣いたのは、ルーとウィルが最後に、ルーの幼いころのお気に入りの歌を歌う場面でした。

序盤では、変な歌詞だと言って笑っていたウィルですが、二人だけがわかる特別な思い入れのある事柄でもあります。

他の人から見たら何でもないことについて、特別な感情を分かち合えることこそが、幸せじゃないのかなと思わせるシーンです。

何かを手に入れる、達成することも幸福感をもたらしてくれますが、いずれはその幸せは薄れていきます。

一度達成した夢は、現実になってしまうからです。

でも、満ち足りた人間関係を深めていくことによる幸せは、時間が経っても色あせず、むしろ蓄積していきます。

若いころは、達成の喜びを積み重ねていくことで自信をつけていき、そうやって作った自分をもって、幸福な日常を積み重ねていける相手を見つけ、今度は大切な人と関係を深めることに幸せを見出していく。

前項で言及した『潜水服~』や『最強のふたり』の主人公は、人生がそうしたフェーズに差し掛かっていたのでしょう。

でもウィルはまだ、達成したいことが山ほどあった。

それらをすべて忘れて、次の幸せに移行することが難しかったのでしょう。

そして、「達成できなかったこと」が頭にあるからこそ、そういう自分がルーを幸せにできるかを躊躇ったのかもしれません。

でもこの世を去る彼は、ルーのためにできることを考えつくした結果として、遺産を元手に都会でファッションを学ぶ夢を諦めないよう、背中を押したのでしょう。

人生は何が起こるかわからないから、挑戦できる夢を諦めるなんてするべきじゃない。

できることはすべてやってみるべきだ。

そう激励する人物として、ウィルほど適任な人はいないという事実も、ラストシーンをぎゅっと切なくしていました。

 

おわりに

思いが爆発して長文レビューになってしまいました……

主人公二人の魅力的なキャラクターと、イングランドの田園風景の美しさで時間を感じさせない作品でした。

内容には関係ないですが、『ゲーム・オブ・スローンズ』でデナーリスを演じたエミリア・クラークをはじめ、『ダウントン・アビー』のベイツ、『ザ・クラウン』のマーガレットと、ドラマで活躍している俳優さんを見つけるのも楽しかったです。

悲しい映画ではあるけれど、一度しかない人生を前向きに生きなければ、と激励してくれる物語でした。

泣けるラブストーリーをお探しの方に、ぜひおすすめしたい映画でした。

 

 

 

 

ドラマ『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』2

以前ご紹介した英国BBCのドラマ、『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』のレビュー第二弾です。

第一弾の記事↓ではシーズン3までの内容をご紹介したので、本記事ではシーズン4以降について感想をご紹介します。

kleinenina.hatenablog.com

 

 

あらすじ

1960年代の英ロンドンはイーストエンドで、妊産婦たちの出産・育児のサポートを行うノンナートゥス・ハウスで、シスターや助産師たちは日々新たな課題に直面する。

同性愛や新生児取り違えなど、出産をめぐる家族の葛藤やトラブルもあれば、ノンナートゥスのメンバーが個々に抱える問題も。

トリクシーは心を癒すのに頼っていた恋人との付き合い方に悩み、パッツィーは誰にも言えない秘密を抱えている。

バーバラが着々と経験を積む一方で、シンシアは重大な壁に直面。

新しいメンバーや時代を迎え、さらに盛り上がりを見せる医療ドラマの秀作。

 

新しい仲間たち

当初のメインメンバーだったジェニー、トリクシー、シンシアのうち、主人公ジェニーはシーズン3終盤でシリーズを去っています。

シーズン4からは、前シーズンでちらっと登場したパッツィーとともに、若くて優秀なバーバラが加わります。

パッツィーは中堅ながらベテラン並みの落ち着きと判断力、バーバラは穏やかで熱心な姿勢が頼もしいです。

そして更に、ベテラン看護師であり助産師のフィリス・クレーンも登場。

最初は彼女を脅威と見なしていたシスター・エヴァンジェリーナですが笑、だんだんとお互いを認め合っていきます。

昔気質のエヴァンジェリーナと比較すると、フィリスは相当に先進的なタイプ。

当時女性には珍しかった運転免許を所持して訪問看護も車で行ってますし、ローロデックスを駆使してメンバーのシフト管理も効率化。

苦労人で熱いハートの持ち主でもある彼女は、聖職者の娘でまっすぐな気性のバーバラと、年齢を越えた友情を育んでいきます。

シーズン3までは原作者ジェニーの自伝的回顧録に基づいて書かれた脚本ですが、シーズン4以降は舞台と一部キャラクターだけを引き継いだオリジナルの内容。

しかし、メンバー交代でクオリティや世界観が変わってしまうのでは、という心配を吹き飛ばす、相変わらずの密度と緻密さです。


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出産や看護をめぐるドラマ

このドラマの魅力の核となる要素は、前述の通り引き続き健在です。

同性愛や新生児取り違えなど、21世紀にも通じるテーマもあれば、1960年代の世界を震撼させたサリドマイド薬害事件なども扱われています。

悩みながらも家族の形を模索したり、生まれた子と一緒に成長していこうとする人々を、ノンナートゥスのメンバーが熱意をもってサポートしていきます。

そして、シーズン3までとの大きな違いとしては、「子どもを産む」以外の瞬間を切り取ることが多くなっていることが挙げられます。

無事に妊娠し、子どもを産むという流れがマジョリティではあるものの、望んでもなかなか授かれない人、授かっても流産や死産で子どもとの人生を経験できていない人、望まない妊娠に苦悩する人など、さまざまな状況が描かれています。

出産のドラマというと、妊娠して無事に生まれること、そこからの子育てを想像する人が多いと思いますが、そこに至るまでにもいろんなドラマがあります。

無事に安定期に入ったり、出産したりするまで、有名人でもなければ公表する人もあまりいないのはそういう事情があるからですが、意外と知られていませんよね。

でも、流産を経験する人というのは、妊娠したことがない人が想像するよりずっと多いですし(全妊娠の15%に相当すると言われる)、不妊に悩む方もたくさんいます。

そして、無事の誕生も奇跡なら、無事に育つことも奇跡なのかもしれません。

個人的にはシーズン5の、辛い幼少期を過ごしたことから生まれた娘と向き合えず苦悩する女性の姿が印象的でした。

優しい母という姿が思い描けなくても、自分で人生を踏み出したからこそ出会えた優しい夫との絆を拠りどころに、安心できる家族を築いていってほしいです。

出産の場面以外にも目を背けず向き合っているところが、ドラマのクオリティの高さをさらに保証するものとなっています。

 

メンバーの葛藤

妊産婦たちのみならず、メインメンバーたちの悩みや葛藤も見応えがあるのが、本ドラマの特徴。

トリクシーは牧師のトムと特別な関係になりますが、順調に見えた交際がある時から崩れ始めます。

元からアルコールに頼り気味だった彼女ですが、このことでさらに慰めを求めてしまうように。

幼少期に父親のアルコール依存を見ているからこそ、繰り返された悲劇ということが示唆されていて、やり切れないですね。。。

また、パッツィーは同性愛者であることを隠しながらディリアとお互いをパートナーとしています。

しかし、公にできない関係を維持し続ける苦労は絶えず、さらに二人の関係を困難にする時間も起こります。

ディリアが少し気弱そうなところがあって、それがまたハラハラさせるんですよね。

お母さんが心配してしまうのも一部わかるからこそ、「そこを何とか乗り越えて独り立ちしてパッツィーのそばにいてくれ!!」と訴えたくなります。

初登場のフィリスは、メンバーに打ち明けてはいないものの、事情を抱えた家庭で育った様子。

守ってくれる両親がいて、適切な教育を受けて……というバックグラウンドではなかった模様。

いろいろ乗り越えて手堅い仕事を手にし、今に至っているようですが、それを鼻にかけたりはしません。

たたき上げの人にありがちな、忍耐や理不尽を強いるようなことも言わないし、とても柔軟な人です。

 

おわりに

とにかく中身の濃いドラマシリーズである本作。

それでもネタ切れにならず長く続いているのは、丁寧な医療考証と、女性たちに関わるテーマを書き尽くそうという制作陣の熱意の賜物ですね。

基本的には女性にフォーカスした内容ですが、ぜひ男性にも見てほしい!と思う内容です。

 

 

 

 

 

 

映画『リリーのすべて』

世界で初めて性別適合手術を受けた、デンマークの人物を主人公とした映画のレビューです。

男性の身体に生まれ、女性の心を持った画家が、妻とともに本当の自分を模索していくストーリーです。

思いっきりネタバレします。

 

 

あらすじ

デンマークコペンハーゲン在住の画家アイナー・ヴェイナーは、風景画家としての支持を確立し、妻ゲルダと幸せな生活を送っていた。

ある日、妻の絵のためモデルの代わりに女性の衣装を纏ったとき、アイナーは今までにない感情に見舞われる。

女性の装いをすることに興味を惹かれた彼に、ゲルダもはじめは楽しみながらファッションや化粧を手ほどきしていく。

しかし、夫が女性の人格リリーでいる時間が長くなるにつれ、戸惑いを覚え始めるゲルダ

「かつてのアイナーに、夫としてそばにいてほしい」と望むゲルダに、それはもう叶わないと告げるリリー。

二人は悩みながらも、リリーという人物が生きる道を探り始めるが、精神医療が未発達な時代ゆえの数々の困難に直面する。

 

実在の人物リリー・エルベ

本作の主人公リリー・エルベ(アイナー・ヴェイナー)とその妻ゲルダは、実在のデンマークの画家です。

男女として結婚していたこと、その後リリーが女性の格好をして生活するようになったことも、事実に基づいています。

当時の社会では、性同一性障害の存在が医学界ですら概念として確立しておらず、リリーは様々な偏見や好奇の目線を浴びることになります。

しかし、妻ゲルダはリリーのそばを離れず、リリーがこの世を去るまでパートナーであり続けました。

死の原因は、48歳で受けた性別適合手術の拒絶反応でしたから、ゲルダは最期までリリーの意思と決断を尊重していたわけです。

二人はデンマーク王から婚姻無効を言い渡されてもいるのですが(当時のデンマークでは同性愛が犯罪とされていた)、内面的に深くつながった人同士の前に、書面上の断罪は意味をなさなかったといえます。

 


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リリーの目覚め

ゲルダの絵のモデルが現れなかったことから、代理として衣装を着るよう頼まれたアイナー。

そのときに今までにない感情を抱き、以後女性の装いをすることに興味を持ちます。

最初はノリノリで彼女にメイクやファッションを施し、アイナーの従妹リリーとして、パーティーに連れだって出かけていた妻ゲルダ

しかし、パーティーで声を掛けてきた男性とキスするリリーを見て傷つき、装いを変えることにのめり込んでいく様子にも当惑し始めます。

一方のアイナーは、リリーこそ本当の自分だとの確信を強めていきます。

男性から関心を寄せられることにときめくだけでなく、女性として扱われたい。

このことから、アイナーは自分が同性愛者なのではなく、心が女性に生まれついたのだと気づきます(リリーの姿のときに声をかけ、誘ってくれた知人が、正体を知っていて「アイナー」と呼びかけられた途端に逃げ出しています)。

 

ゲルダの愛

この映画の見どころの半分はリリーという人物の変化ですが、もう半分はゲルダの深い葛藤と愛といえます。

実際、Filmarksなどを見ていても「ゲルダが凄い人すぎる……」という嘆息にも似たコメントが多数寄せられており、私も同意見です。

ゲルダが結婚したのはアイナーであって、リリーではなかったはずですが、夫の変化に戸惑いつつも彼女は最終的にそれを受け入れます。

現代ですら、男性として結婚した相手が、トランス女性だと判明したら大きく動揺する人がほとんどかと思います。

ましてこの時代は性同一性障害そのものが、まったくと言っていいほど知られていません。

何人もの精神科医に会って話をしても、異常ないし治すべき病気として捉えられ、「女性でありたい」という感情は葬られるべきと考える医師がほとんど。

精神分裂病(今でいう統合失調症)と考えた医師に拘束されそうになった場面などは、もう立派な迫害としか思えません。

それでもゲルダは、リリーが望む人生を叶える努力に寄り添い続けます。

生涯のパートナーと決めた相手とは言え、悩みながらもリリーの意思を尊重し続ける姿勢に尊敬の念を禁じえません。

なお実在のゲルダについては、レズビアンだったのではないか、との考察もあるようですが、映画のなかではあくまで異性愛者として描かれています。

 

本当の自分になる

艱難辛苦の末、「身体の性と心の性が一致しないことに悩む人がいる」との見解を持った医師に出会うことができたリリーとゲルダ

身体の性を心の性に適合させる手術が考案されていることを知ります。

ただし、実際に手術を受けた人はまだ一人もおらず、リスクが大きいことを告げられます。

初めは躊躇っていたものの、本当の自分になるために手術を希望するリリー。

甚大な痛みや恐怖に耐え、一回目の手術を乗り越えます(男性としての機能を摘出する手術)。

よりリスクが大きいことを知りながらも、あまり長い間を空けず、今度は女性としての機能を具えるための手術にも果敢に挑みます。

ゲルダや、映画を見ている人間からすると本当にハラハラする決断なのですが、リリーの待ちきれない様子を見ると切なくなります。

既に大きな痛みが待っていることも、リスクも知っているはずなのに、それでも変わりたいというなら、これまでどれほど苦しんだんだろう、と考えてしまいます。

産科の患者さんと「わからないけど、もしかしたら子どもが産めるようになるのかも」と語り合うリリーの楽しそうな顔を見ると、なおさらです。

最終的に、リリーは二回目の手術の拒絶反応が強すぎたため、亡くなってしまいます。

でも、彼女にとっては本当の自分になることの追求は、決してやめられなかったのだと納得してしまう描写でした。

 

映像の美しさ

きめ細かい脚本や、メインの二人の隙のない演技が本作の見どころです。

しかし同時に、映像としての美しさもぜひ堪能していただきたいです。

デンマークの風景は、とくに秋や冬だと寒々しい印象が強いのですが、本作ではその味わいも残しつつ、緊張感ある美しい画面が構成されています。

爽やかさというより重厚感を重視した美しさです。

ヴェイナー家のアトリエや、パーティー会場も、美術や衣装、小道具がいちいち素敵で惚れ惚れします。

二人がパリに移住してからの住居なども、花の都らしい華々しさを演出しつつ、映画全体の雰囲気を壊さない絶妙なバランス。

手術のために渡ったドイツでも、現地の雰囲気を感じさせつつ、落ち着いた風景の美しさが印象的でした。

 

おわりに

終始緊張感ある重厚な映像が続きますが、それも深いメッセージのある脚本があるからこそでしょう。

リリーとゲルダの強い絆や、本当の自分を追い求める切実な気持ちに心を打たれる秀作です。

誰もが自分らしくいられて、好きな人に好きと言える社会になってほしい、という気持ちになります。

 

 

 

 

 

 

映画『レディバード』

カリフォルニア州の田舎町を舞台とした、ある少女の成長物語のレビューです。

高校時代独特の背伸び感やイタさ、混乱の感覚を思い出して「あるある……!」となってしまう秀作でした。

アメリカ本国でも高い評価を受けています。

色々ネタバレしてます。

 

 

あらすじ

カリフォルニア州サクラメントの高校生クリスティーンは、家でも学校でも、本名ではなく「レディバード」と名乗っている。

田舎町の地元や、厳格な高校を離れ、一刻も早く文化のある都市ニューヨークで進学したいと願う毎日。

母に反対されても、父の協力を得て奨学金申請や入学申し込みを試みている。

進路のみならず、日常生活でも自分以上のものを求めてしまうレディバードは、華やかなクラスメイトと仲を深めたり、新しい彼氏を作ってみたりと積極的だが……

 

自分の可能性を信じる

レディバードは、自分の可能性をどこまでも信じているというか、全方位で輝きたいという強い希望を持っている、普通の女の子です。

文化都市ニューヨークに進学したい、裕福な地区の立派な家に住みたい、唯一無二の彼氏が欲しい、華やかなクラスメイトとお近づきになりたい、などなど。

もしかしたらそういう人もいるのかもしれませんが、大抵の人はそうなれません。笑

実際、学費や生活費がかさむのでニューヨーク進学は諦め、州立大にしてと母から言われているし、土地の安い線路の向こう側の地区に住んでいるし、と現実は厳しい。

父は高齢で、メンタルヘルスの問題からなかなか働けていない、などの事情も抱えています。

さらに、兄弟はカリフォルニア大学を出たものの良い職が見つからず、スーパーでのアルバイトで日銭を稼いでいます。

一家の大黒柱となっている母は、誰かが大病でもしたら破産になる現実をわかっているからこそ、レディバードの進学先にコメントするわけです。

それでも、自分の進路に夢を見たい彼女は言うことを聞きません。

こんな田舎町で終わるつもりはない、とばかりに父の協力を取り付け、ひそかにニューヨーク進学を実現しようとします。

 

快進撃

映画前半では、不器用ながらもレディバードの野望は徐々に実現していくように見えます。

シスターに勧められて挑戦した演劇の舞台が成功し、彼氏ができ、数学の成績を成功裏にごまかし、父も進学準備に協力してくれます。

しかも彼氏の祖母は、ずっとレディバードが理想の家と思っていた素敵な邸宅の住人。

「彼と結婚して他の親戚を排除すればあの家が相続できる」とまで豪語する始末(調子乗ってます……)。

親友ジュリーも、淡い恋心を抱く数学の先生に目をかけてもらえて幸せそう。

若いときの「自分は何だってできる」「環境さえよければもっとできる」という根拠のない自信をエネルギーに、どんどん進んでいきます。

しかし、蓄積や裏付けのない絶好調は崩れ去るとき脆いんですね。

 


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気づきの瞬間

ジュリーの儚い失恋(本人的には一大事なんだけど、初々しくて可愛い……)と並行して、レディバードにもスランプが訪れます。

彼氏がゲイであること、男子と浮気していたことが同時発覚、華やかなクラスメイトとの関係を優先して親友ジュリーと気まずくなったりもします。

その後、次にできた彼氏と初めて関係を持つものの、お互いに初めて同士かと思いきや相手は童貞じゃなかったり。

しかも、憧れのあの家に住んでいると嘘をついた結果、友人がその家を実際に尋ねてしまって嘘がバレます。

自分自身の実像を無視して背伸びした結果、すでに持っていた大切なものを失ったり、自分が蔑ろにしていたことの大切さに気づいたり、突っ走っていた自分が虚しくなったり。

どれも青春あるあるなんですが、体験しているその時は危うさに気づかないんですよね。

実際失敗してみて初めて、「ああこういう事って良くないな」と気づかされる。

そして、そういう時に救ってくれる人のありがたみが身に沁みます。

 

本当に守ってくれる人

彼とプロムに行きたかったレディバードですが、新たな友人や彼はサボろうと言って盛り上がってしまいます。

思い立ったレディバードは彼らと袂を分かち、ひとりで家にいたジュリーのもとへ。

仲直りして、二人でプロムに参加し、高校最後の思い出を作ります。

そして、ニューヨークの大学に内緒で出願していたことがばれ、母を激怒させてしまうも、最終的には旅立たせてもらうレディバード

母さん的には、レディバードが、パッとしない地区にある家や、高齢のお父さんを無意識に恥じている(車で送ってもらっても同級生から見えないところで降ろしてもらう)ことがずっと嫌でした。

彼女にしても、人生もう少し順調に行くと思っていたら、いろいろ想定外だったわけです。

夫がメンタルを病んで働けなくなったり、子どもがいい大学を出ても就職できなかったり。

高校生のレディバードに、その大変さの想像がつかないのは仕方ないのですが。

 

故郷を離れて

念願のニューヨーク生活を始めるレディバード

ある夜、飲みすぎてぶっ倒れたあと、教会の賛美歌に癒されます。

カトリックの高校に行っていたときは、まったく興味を持たなかったのに。

そして実家の留守番電話に、故郷サクラメントと家族への思いを吹き込みます。

ダサくてパッとしないと拒絶していたものも、自分の構成要素であると気づいたこと。

それを受け入れようと思えたことは、彼女にとって幸せなことだと思います。

幼少期や思春期が辛い思い出になってしまったために、決別や告白を選んで生きていく人もたくさんいるんけですから。

過去に背中を押され、人生の新しいパートを生きていくレディバードの将来が楽しみなラストです。

 

おわりに

サクラメントカトリック高校出身の、監督の思いが詰まった作品でした。

イタい青春を送った人もそうでない人も、この頃ってこんなことあるよね……と振り返りながら見ていただきたい、珠玉の青春映画です。