映画『パンズ・ラビリンス』
初めてスペイン映画のレビュー記事を投稿してみます。
あらすじ
内戦終結直後のスペイン。
少女オフェリアは妊娠中の母に連れられ、山小屋に居を移す。
そこは、母の再婚相手のビダル大尉が共産主義者の残党狩りをしている軍の拠点だった。
大尉は母が宿している息子と職務以外に関心がなく、母も体調が芳しくない。
オフェリアは心細く抑圧された生活を強いられるが、地下の遺跡のような場所で迷宮の番人パンと出会い、自分が地底の王国の王女だと告げられる。
そして、自分が真に王女であると証明するための試練を、満月の夜までに達成するよう指示されるのだった。
むかしむかし、地底の世界に病気も苦しみもない王国がありました。その国には美しい王女様がありました。王女様はそよ風と日の光、そして青い空をいつも夢見ていました。ある日、王女様はお城をこっそり抜け出して人間の世界へ行きました。ところが明るい太陽の光を浴びたとたん、彼女は自分が誰なのか、どこから来たのかを忘れてしまったのです。地底の王国の王女様はその時から寒さや痛みや苦しみを感じるようになり、ついには死んでしまいました。姫を亡くした王様は悲しみましたが、いつか王女様の魂が戻ってくる事を知っていました。そしてその日をいつまでも、いつまでも待っているのでした。
ファンタジー映画らしからぬ重さ
内戦直後、第二次世界大戦前のスペインを舞台にしています。
主人公は子どもだけど映画のほのぼの感はゼロです。
むしろ時代に揉まれて一杯一杯な大人たちに翻弄されて痛々しい。
ファンタジーの場面に出てくる妖精やパンや怪物もどこか不気味で、信用して良いかどうかよくわからない相手でもあります。
そして共産主義の残党ゲリラ狩りの戦いの様子は遠慮会釈なくグロいです。
オフェリアがパンの試練を通過するのを手に汗握って眺めつつ、他の場面では共産主義ゲリラとビダル大尉の対決に肝を冷やす映画。
ただ、そう言うと良いところ1つもないように聞こえるので、もう少し丁寧に書きます。
まずは映画の中の登場人物について。
登場人物たち
パン
ファンタジーの場面に出てくる、地下の王国の番人パン。
ヤギのような角があるのは、ギリシャ神話の牧羊神パンがモチーフになっているためです。
Wikiによると、同じくヤギの角を持つ悪魔のイメージも組み込まれているらしい。
初対面ではオフェリアを「地底の国の王女の再来」と讃えますが、試練をこなせていないと知るや激昂するなど、良い存在か悪い存在か、観ている我々とオフェリアの心を揺さぶります。
怖いです。
図体でかいし。
パンの課す試練はハードで、ぬらぬらと気持ち悪い舌を持つカエルと対峙しなければならなかったり、子どもを殺す怪物の目の前をすり抜けて物を取って来なければならなかったりします。
ビダル大尉
現実の場面で圧倒的悪役として描かれるビダル大尉は、冷酷無比な軍人です。
潔癖症(強迫症?)で、身辺を自らの定めたルールで絶対的に支配することに執着します。
生まれてくる子どもは絶対に息子だと信じていたり、臨月の妻を自分の執着のためだけに延々旅させたりします。
父(同じく軍人)の遺品の時計を肌身離さず持ち歩き、丁寧に髭剃りをし、靴を磨きます。
狂気じみた描写に余念がないです。
オフェリア
最後に主人公のオフェリア。
特別な能力を持つわけでもない普通の小さな女の子です。
ビダル大尉の冷酷さを嫌っていますが、母は体調が悪く絶対安静なので、いつでも彼女を守ってあげられる状態ではありません。
ファンタジーの場面ではパンの危うい試練に翻弄され、基本的に居場所がありません。
常に心細そうですが、女中メルセデスが共産主義者のスパイをしていることに気付き、秘密を共有する彼女と少しの一体感を持っています。
スペイン内戦とは
他のドラマや映画でもそうですが、スペイン内戦の描写はとても暗く陰鬱で救いがない。
第二次世界大戦を描いたヨーロッパ映画はごまんとあるけど、それと違った暗さがあります。
違いが出るのは、第二次世界大戦が国境の外にある「敵国」との戦いであるのに対して、スペイン内戦は「隣人」との戦いだったからでしょう。
また、この映画でも描写されている通り、内戦終結後も敗者側への熾烈な迫害や残党狩りが続きました。
1つの国の中がどこかの境界を境にすっぱりと2つに分断されるわけではなく、同じ町や村で暮らしていた人たちが、ある日敵味方になってしまいました。
これはスペイン内戦だけに留まらず、ユーゴスラヴィア内戦の時にも見られた現象で、事態の悲惨さを一層加速させる要因になりました。
Wikiから一部引用します。
「他の内戦の場合と同様にこのスペイン内戦でも家族内、隣近所、友達同士が敵味方に別れた。共和国派は新しい反宗教な共産主義体制を支持し、反乱軍側の民族独立主義派は特定複数民族グループと古来のカトリック・キリスト教、全体主義体制を支持し、別れて争った。戦闘員以外にも多数の市民が政治的、宗教的立場の違いのために双方から殺害され、さらに1939年に戦争が終結したとき、敗北した共和国派は勝利した民族独立派によって迫害された。」
外国との戦争であれば、普段目にすることのない敵国と、どこか遠い戦場で軍人が戦い、勝敗がつけば終結します。
戦勝国による占領等はあるかもしれませんし、一般市民の住む場所に攻撃が加えられる時もあると思いますが、戦争が終われば相手は引き揚げていきます。
内戦の場合は、昨日まで同じコミュニティにいた人たちが敵味方に分かれ、最悪殺し合うことになります。
勝敗がついても、互いに同じ国の中で再び暮らしていかなければなりません。
かつて自分や近しい人を殺したり、傷つけた人もまだ近くで暮らしているかもしれない。
また危険な目に遭うことのないように、徹底的に相手を叩き潰さねばならない、となったでしょう。
『パンズ・ラビリンス』の中でも、女中のメルセデスや村の医師がビダル大尉の山小屋に潜入し、スパイとして情報や物資をゲリラたちに流しています。
命を懸けて戦う敵と味方が、すぐそばで息を潜めあっていました。
こうした背景が、スペイン内戦とその後遺症を引きずる時代の陰鬱な雰囲気につながっていると思います。
映画の中では、ビダル大尉が怪しいと睨んだ村人や、ゲリラ、スパイを痛めつける場面において、内戦の陰惨さや、生きている人々の感じる痛みが抑えることなく描写されています。
ファンタジーと現実が交錯する意味
なぜスペイン内戦と、ファンタジーの世界を同じ映画の中で展開させる必要があったのか、という点について。
重要なのは、地底の王国が苦しみのない世界として描かれていることだと思います。
現実の世界でオフェリアは寂しい日々を送り、安心できる場所がありません。
一歩外に出れば、納屋や森で凄惨なゲリラ狩りが繰り広げられている。
地底の王国の王女が見た、苦しみや痛みのある世界がどんなところだったか、という描写なのではないかと考えています。
結果的にオフェリアは最後の試練を乗り越え、地底の王国に迎え入れられるラストになっています。
この時現実世界でも、彼女の魂は内戦のある世界から離れます。
オフェリアは苦しみや痛みのある世界を離れ、平和な地底の王国に帰って来られた=内戦の中に地底の王国は存在しえなかった、という意味にとれると思います。
ファンタジーの場面はオフェリアの空想か
ネット上のレビューや考察を読むと、ファンタジーの場面はオフェリアの妄想や空想であるというコメントが多数見られます。
ですが、私は地底の王国の世界はこの映画の中で実在の存在だったと思います。
理由は、試練の中でオフェリアが根元に巣食うカエルを撃退した木が、小さな花を咲かせている場面があること(カエルのせいで花が咲かないとの言及があった)、試練のために渡されたチョークがなければオフェリアが部屋を抜け出せなかったはずの場面があることです。
パンにもらったチョークがないなら、どうして閉じ込められていた部屋から脱出できたのか。
オフェリア妄想説の根拠は、パンと話しているオフェリアをビダル大尉が目撃する場面で、ビダル大尉にパンが見えていないことのようです。
これは単純に、オフェリア以外の人物にはパンが見える必要がないからだと思います。
パンが話しかけたいのは彼女だけなので。
暗くて怖くてグロい映画であることには疑いありませんが、それでもスペイン映画の名作として推薦したいです。
またスペインの映像作品を紹介する記事を書きたいと思います。