本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『そして父になる』

今年のカンヌ映画祭パルムドールを受賞した是枝監督が、前回カンヌで賞をとった作品です。

ネタバレです。

 

あらすじ

何不自由なく暮らし、一人息子・慶多の教育に力を入れる野々宮家と、

裕福でも教育熱心でもないが愛情を持って琉晴をはじめとする子どもたちを育てている斎木家。

両家はある日、同じ日に生まれた互いの息子が、病院で取り違えていたと知らされ愕然とする。

野々宮家の父親・良多は、子どもが入れ替わった時に気付かなかった妻・みどりを責め、金銭的な優位を主張して子どもを二人とも引き取ろうとする。

しかし、斎木家から反発され、みどりからも反感を抱かれてしまう。

二つの家族の再構成の道を探る中で、良多は今まで無頓着だった家族との向き合い方について、自らを省みることになる。

 

 

対照的な二つの家庭

良多は大手建設会社に勤めるエリートサラリーマンで、収入も高ければ学歴も高い男性です。

みどりが慶多を産んだ時は個室を手配し、行き届いた医療が受けられるようにしているし、

慶多が優秀に育つように小学校受験をさせ、受験対策の塾にも通わせています。

でもどちらも、良多自身が家族と向き合おうとして行っていることではなく、自分の満足のためにしていたことだと、大抵の人にはわかると思います。

取り違えが発覚した時、良多は「そういうことだったのか」と独白します。

慶多がいまいち優秀ではないことに疑念を感じていて、取り違えだと知らされた時「実の子ではないから自分のように優秀ではなかったんだ」と納得した情動は、愛情深い父親とは程遠いものです。

反対に斎木家は、学はあまりないかもしれませんが、子どもたちの心に何が起こっているか、関心を持って向き合っているように見えます。

金銭的な事実だけを盾に、子どもがもう一人くらい増えたってどうってことないから引き取る、という彼の提案を、斎木夫妻はすぐさま拒みます。

そんな風に引き取られた琉晴がどう感じるか、そんな理由で子どもと引き剥がされた夫妻がどう思うか、全く想像が及んでいないところにドン引きです。

この辺りで明らかに、良多が慶多を一人の個性を持った人間として愛しているのではないことを確信させられます。

出生時や小学校受験時に惜しみない費用が割かれていたのも、慶多の将来のためと言いつつトロフィーチャイルドが欲しかっただけでしょう。

慶多が小学校受験に受からなかったら、きっと露骨に冷たくしていたと想像できます。

 

心が育つ場所

慶多は大人しくてよく両親のことを聞く従順な子ですが、感情を天真爛漫に解放する子どもらしさはあまりありません。

良多がお風呂も勉強も一人でできるようにさせる方針を持っていて、人間の感情に興味がないため、誰かと時間を共有して楽しむことや、素直に表現した感情を受け止めてもらえる安心感を知らないためと思われます。

どう見たって琉晴のほうが素直で楽しそうなのですが、その差に絶対気づいてないだろ良多。

人の心の機微なんかより学力の方が大事、

友達より学歴を得た方が人生上手くいく、

と言う信念の親と一緒にいたら、人と楽しく過ごす時間の大切さを学ぶ機会はないです。

斎木夫妻のことも明らかに見下してるし。

妻のみどりもだんだんと、斎木家と関わるうちに良多に対する疑問が膨らんでいったようです(じゃあ何で結婚したんだって話ではありますが)。

 

家族と自分と向き合う

両家は生みの親のもとに子どもたちを戻そうと決意し、良多は「これは強くなるためのミッションだ」と慶多に言い聞かせます。

良多は寂しい幼少期を送ったであろうことが描写されているので、家族に甘えられない寂しさを乗りこえる=強くなる、という考えを無意識のうちに抱いていたかもしれません。

そして野々宮夫妻なりに琉晴と仲良くなろうとするものの、あまり上手くいきません。

二人の愛情不足ではなく、育ての家族、育てた子慶多との絆を自分の中で簡単に断ち切れないと気付いてしまったからでした。

今まで人の感情に関心のなかった良多は、血のつながりがない家族にも心のつながりができることに動揺します。

二人の子どもを意図的に入れ替えた看護師を、彼女の継子が「僕のお母さんだから」と庇ったこと、

いつも素っ気なく接することしかできなかった自分の継母が、昔も今も良多を温かく受け入れてくれること、

そうした体験も徐々に良多の気持ちを変えていきます。

最後に、寂しさから斎木家に帰りたいと言った琉晴とともに、良多とみどりは斎木家を訪れます。

慶多は二人を見て立ち去ってしまいますが、良多は彼を追いかけて「もうミッションなんか終わりだ」と話しかけ、再会を喜びます。

愛している人と「一緒にいたい」「一緒にいられて嬉しい」と表現し、その気持ちを良多も慶多も諦めずに済んだことが、何より良かったと思えるラストでした。

 

おわりに

子どもの教育のために充分なお金を出していれば、良い親認定された時代もあったのかもしれませんが、良多が生まれた時代はそうではないし、自分の人間らしい感情に向き合った後の方が幸せそうに見えます。

良多は寂しい気持ちを抑え続ける子ども時代を過ごして、知らず知らずのうちに家族の温かさを期待しないようにしていたのかもしれません。

でも、継母やみどり、斎木家の人々、何より慶多と関わる中で、小さな頃から本当に求めていたことに気づけたようです。

戸籍上家族であるだけでなく、血の通った人間関係を築くことについて考えたい、という方に是非観て欲しい映画です。

本作はフィクションですが、実際にあった新生児取り違え事件をベースにしています。

そのケースでも、2つの家族を統合するというかたちが模索されたそうです(大抵の場合、生みの家族に戻った子どもは育ての家族にその後会わない)。

この映画とは別の出来事としてではありますが、いつかこちらも書籍等読んでみたいと思います。