映画『ライフ・イズ・ビューティフル』
イタリア映画不朽の名作その2をご紹介します。
結構ネタバレします。
観たことがなくても名前は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
あらすじ
1939年、北イタリアの静かな町にやってきたユダヤ系イタリア人の男性グイド。
彼は、小学校の先生をしている女性ドーラに一目ぼれして猛烈にアプローチする。
明るいグイドの愛に応えたドーラは彼とともに駆け落ちして結婚。
その後生まれた一人息子ジョズエと幸せに暮らしていた3人家族だが、次第に第二次世界大戦の影が忍び寄る。
ユダヤ系のグイドと、彼の血を引くジョズエは収容所に連行されてしまい、母と離ればなれになったジョズエは寂しさを隠せない。
息子のために、グイドはある「壮大な嘘」をつくことを決める。
そして、2人の大切な人であるドーラもまた、重大な決意を固めていた。
愛する人のためのユーモア
グイドは陽気な人物で、愛するドーラを楽しませるためにあらゆるユーモアを駆使します。
まるでファンタジーの世界のように、グイドといる時は、ドーラを取り巻く出来事が全て明るく優しくなるかのようです。
ドーラは彼と恋に落ち、二人の子ジョズエも明るい家庭ですくすくと育ちます。
グイドの冗談もユーモアも、全ては愛するドーラを笑わせ、大切なジョズエを幸せにするためなんだと実感する場面が続きます。
しかし、ユダヤ系のグイドとその子どもジョズエは強制収容所へ連行されることに。
ドーラがいないわずかな間に連れ去られた2人を追って、ドーラは自分もユダヤ人たちが連行される列車に乗り込みました。
グイドの嘘とは
ドーラを恋しがるジョズエに、グイドはあることを言い聞かせます。
「これはゲームだ」
「1000点集めたら勝ち」
「優勝すると本物の戦車がもらえる」
グイドは収容所生活をゲームに見立て、怖がって泣いたり、我儘を言ったら減点だと教えます。
辛さや寂しさを耐える理由と、家に帰ってママに会うという目標を与えたおかげで、ジョズエは上手いこと毎日生き抜きます。
収容所のルールを兵士がドイツ語で説明する時、一言もわからないグイドが翻訳に立候補し、対ジョズエのゲームの説明に変えてしまう場面があります。
周りの大人があっけにとられる中で、ジョズエだけが納得していた様子が思わず笑ってしまいました。
悲しみに明るさで立ち向かう
収容所内では、男性と女性は別々にされているため、ドーラとグイドたちは会えません。
そんななか、放送室に忍び込んで「今日は君の夢を見たよ!」と全所内にグイドが放送し、それをドーラが聞く場面では号泣不可避です。
離れていてもドーラに思いを伝えるグイドが、本当に幸せそうだからかもしれません。
グイドは常にドーラとジョズエのことを一番に考えています。
二人の幸せが、彼の幸せにとって最も重要なことだからです。
人が幸せを感じるのは感情に他なりませんが、グイドは誰よりも真剣に、大切な人の感情に寄り添っていました。
妻や息子を幸せにするためなら、彼は冗談も言うし、嘘もつくし、真実を隠しておどけることもできます。
グイドのユーモアは、戦争という重い影がかかる世界で、多くの人が心を蝕まれていた喪失感や悲しみ、恐怖から何よりも強く2人を守っていたのではないでしょうか。
大切な人の命を守るだけでなく、心も守ることで、人間を人間たらしめる部分が真摯に取り上げられているとも言えます。
戦争映画なのに暗さを感じない本作を観て、権力でもお金でもなく明るさで家族を守るグイドの姿に心底衝撃を受けました。
おわりに
戦争映画ではありますが、現実の出来事を知るための作品ではなく、「社会全体が悲しみや恐怖で抑圧されている時、人間が人間を守るために何ができるか?」が伝えられている映画だと思います。
家族のつながりが強いイタリアらしい光景も微笑ましく、こんな家族いたらいいなと感じてしまいます。
爽やかに号泣できる映画と言えばまずこの作品をお勧めしたいです。