本と映画と時々語学

書評、映画評、時々語学学習や時事ネタなど書き綴りたいと思います。

映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』

士郎正宗の漫画『攻殻機動隊』を原作とした実写映画が、ハリウッドで、スカーレット・ヨハンソン主演で撮影されました。

SFのライトなファンで、原作未読の私が楽しく観られましたのでご紹介します。

映画鑑賞後に原作漫画を読んだので、ゆるりと比較します。

 

 

あらすじ

人間と、電脳の宿る機械との境目が限りなく曖昧になった近未来。

公安9課のメンバー、ミラ・キリアン少佐は、かつて命を失いかけたものの意識(ゴースト)だけが救出され、義体にインストールされた初の成功例。

9課のボスである荒巻大輔の指揮の下、同僚のバトーやトグサとともに、テロ組織の捜査に当たる。

しかし、危険を顧みず捜査を進めるミラは、ゴーストを移植される前の自分の記憶が何者かに操られていたことに気づき始める。

 

人間の意識と電脳

攻殻機動隊の世界観は、『マトリックス』の監督であるウォシャスキー兄弟にも影響を与えたと言われています。

舞台となっている街並みが、天を突くような高層ビルが乱立しながら、その足元では貧富も外見も様々な人間が暮らしている、というのは比較的珍しくない設定でしょう。

香港に行けばそれに近い光景が見られますし。

この世界に特徴的なのは町の風景より、機械(ないし器械)と人間の入り混じり方です。 

ミラの義体は言わずもがな、バトーの義眼、その他もろもろ、人間が体の一部や全部をカスタマイズして機械や器械に変えて生きています。

さらに、首の後ろのジャックにコードを繋げば、人間の意識が直接インターネットや他人の思考にアクセスできる。

人間の思考も脳を走る電気信号の塊で、コンピュータ内の情報も0と1の信号だからという理屈なんでしょうか、これ以上喋ると頭悪いのがバレそうなんでやめます。

こうした世界観は原作に忠実に表現されており、後から原作を読んでも今回の映画化作品に違和感なく反映されていると思えました。

 

クールな登場人物たち

ヒロインのミラ・キリアンは、原作の草薙素子少佐を映画化に当たり設定変更した人物です。

主要登場人物がみんなアジア人なのに、白人俳優を出演させるためのホワイトウォッシングだとして批判を浴びていました。

映画におけるホワイトウォッシング - Wikipedia

個人的には、髪型や服装、名前ではなく「少佐」と呼ばれる場面が多かったことから、原作へのオマージュが感じられました。

スカーレット・ヨハンソンも好きなので、素直にかっこいいと思って楽しんでいました。

バトーもほぼ違和感を覚えなかったのですが、映画鑑賞後に原作を読んだ今となっては、「日本人の演じる2人が観たかった!」という人の気持ちはよく理解できます。

草薙少佐かっこいいし。

バトーのお茶目なおっさん的雰囲気も日本人キャストで観てみたかった。

しかし、期待は別にしても、現在の日本の演技人にこれらの役を全うできる人材がいるのかは、素人の私にはわかりません。

ビジュアル的には、草薙素子役に柴咲コウさんを据えてみてほしかった。

なお、原作漫画にはちょくちょくコメディ的な場面が入るのですが、映画ではそれが一切排除され、硬派で無機的な空気が一貫して流れています。

原作のメリハリある9課メンバーたちも人間味があって好きですが、

映画は終始シリアスでクールな登場人物たちを中心に据えた、別の作品として楽しむことができました。

 

ストーリーについて

漫画『攻殻機動隊』はとにかく展開が濃く速いので、読み解くのが大変です。

しかし、映画では比較的世界観の説明も、ストーリーの展開も、観ている人間を置いていかないように作られていたと思います。

後から漫画を読んで「なんて親切な映画だったんだ」と感じました。笑

危険を顧みない操作で、ハッキングされたロボットのデータにダイブした少佐は、ハッカーのクゼの手掛かりをつかみますが、そのうち先方の狙いが彼女の意識を移植したオウレイ博士と判明。

オウレイ博士は、時々生じる電脳のバグ等についても少佐をケアしており、近しい存在です。

少佐の電脳に生じるバグが何なのか、見え隠れするクゼの存在は何を意味するのかが、物語をリードする主要な謎となっていきます。

ハードボイルドな世界観と物語の展開がぴったりで、作りこみに隙がないのはさすがハリウッド映画と言わざるを得ません。

そして、改編は色々とあったにしろ、原作の世界観に敬意が払われているのもあちこちで感じられ、好感度高かったです。

2時間の映画と言う制約の中で、「人間の自我や意識とは何か」「人間とデータの境目はどこなのか」といったテーマを、新たに再構成しつつ引き継いでいるところも見どころの一つでしょう。

原作と別の作品として楽しめる点を作りつつ、原作の要所を失わない構成になっていました。

 

おわりに

原作が初めて世に出たのは1989年ですから、ワードプロセッサですら一般家庭にあるのは珍しい時代。

その頃に、このような世界観を登場させられたのは詳細な知識と抜きんでたセンスの賜物と言えると思います。

ハリウッド版と原作しか知らない状態でレビューを書いていますので、アニメ版映画を観たらまた違った感想が出てくるかもしれません。

来年は押井守監督の映画も観ていきたいです。