本と映画と時々語学

書評、映画評、時々語学学習や時事ネタなど書き綴りたいと思います。

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』

不思議な展開で先の読めない邦画をご紹介します。

最後までネタバレしますのでご容赦ください。

 

 

あらすじ

派遣で教師の仕事をしていた皆川七海は、学校での仕事に身が入らず、電話ごしに家庭教師をしている生徒からも芳しい反応を得られないでいる。

七海はネットで出会いを探して知り合った鉄也と、あっさり結婚して教師の仕事を離れる。

ところが、平穏に見えた結婚生活はスタート早々に窮地に追い込まれ、濡れ衣を着せられた七海は、姑と夫に突き放されるようにして離婚となってしまう。

家も仕事もない七海は、結婚式でサクラの手配をしてくれた安室に頼んで家と仕事を探す。

彼の紹介で見つかった仕事は、巨大な無人の一軒家にメイドとして住み込み、誰も来ない家の掃除をするというものだった。

 

七海という女性

前半の七海は、観ていて苦しくなるほど受動的な女性です。

教師になりたくてなったものの、生徒から尊敬される存在にはなれず、見下されているのがわかっていても奮起したり転職したりはできない。

ネットで出会った男性とお付き合いして、特に問題もなかったので結婚し、両家顔合わせから披露宴までやってみるものの、自分でつかみとった幸せという実感はない。

オンラインショッピングみたいに呆気なさすぎるという感想をSNSに呟いたところ、夫にアカウントを見つけられ「こんなこと言う人が嫁なら離婚」と言われてしまいます。

あまり共感できないので想像ですが、「自分は何がしたいのか」と考えることを放棄し続けると、七海のような生き方に辿り着くんでしょうか。

その割に、披露宴までの過程を見ていると世間体とか普通の人としての手順は踏みたがる人に見えます。

自分が何をしたいかより、自分が人並みに見えるかどうかが気になってしまうようです。

両家顔合わせのために、生き別れ状態だった母(エキセントリック)をわざわざ呼んだり、呼べる親戚がほとんどいないことを指摘されるとサクラ参列者派遣サービスを頼んだりします。

母は七海の幸せを心から喜んでいるのかよくわからないので、お父さんだけ呼ぶことを相手の家に相談しなかったのかなと思うし、

親戚が招待できないことはまず鉄也とじっくり話し合うべきだと思うのですが、深いかかわりを避ける方を選んでいる。

鉄也も鉄也の母親も、正統的な手順を重んじる雰囲気が滲み出ているので、元々七海やその家族とは相性が良くなかったでしょう。

ただ、一生のパートナーになるつもりなら、向き合う努力をするべきだったし、その覚悟があれば相手方の反応も少しは違ったかもしれない。

あるいは、長期的な関係は続かないことを見越して結婚しない事こそがベストだったかもしれない。

だけど七海にはどちらもできなくて、流されてしまいます。

結婚式で両親に感謝を伝えるための寸劇みたいのがあるのですが、何だか無機的です。

幼児期の子、少年少女の子、いろいろな年齢の子どもが出てきて、その当時の自分が思い出を振り返って感謝を伝えるのですが、どれも上っ面な言葉に響いて、観ているのが苦しいです。

終盤を差し置いて、一番目のやり場に困ったシーンかも……

七海の態度がいろんな場面でピリッとしないので、もやもやと居た堪れなさに包まれたまま前半は終わります。

 

不思議な仕事と真白

別れさせ屋まで頼まれたうえで離婚させられ、絶望する七海ですが、とにかく生きていくために安室の協力を得て仕事を探します。

別れさせ屋を頼んだのが誰かは最後までわからないのですが、多分お姑さんと思われます。

その別れさせ屋は安室なのですが、七海にはそのことは告げずしれっと関わり続けます。

七海からサクラを受注し、七海と夫を別れさせ、七海に仕事をさせる安室、悪い。。。笑

怪しい安室が持ってくる仕事は、結婚式のサクラ、その次は無人の大屋敷のメイド。

やがて誰も居ない屋敷に、メイド仲間として、かつてサクラを一緒にやった真白がやってきます。

真白は独特な雰囲気を持った女性で、妙に七海と馬が合うのですが、実はがんで死期が迫っていました。

誰かに親切にされることについて、真白が言うセリフが本作の核心を突いていると思います。

でも、そんなに簡単に幸せが手に入ったら、わたし壊れるからさ

だから、せめてお金で買うほうが楽

お金ってさ、多分そのためにあるんだよきっと

人の真心とか優しさとかがさ、そんなにはっきりくっきり見えちゃったらさ、だってもうありがたくてありがたくて、みんな壊れちゃうよ

だからさ、それみんなお金に置き換えてさ、そんなの見なかったことにするんだよ

真白は誰かからの善意を正面から受け取ることが怖い。

だからすべてお金に置き換えて、「何かを提供したから」「対価を支払ったから」その人から報酬を得ることができる、その人との関係があるんだと解釈します。

そうすれば、たとえ人間関係が終わってしまっても、「もう対価を提供してないんだからしょうがない」「お金を払ってないから仕方ない」と思えます。

でも友情や愛でつながっていると信じていた人間関係が終わったとしたらどうでしょうか。

その人はもう自分と会いたいと思っていない、愛していないと言う事実を受け止めねばならなくなります。

お金でつながる関係なら、(理論上)仕事やお金があるかぎり離れていくことはありません。

真白は誰かと愛でつながろうとする、いわば心の無防備な一部分を他人に晒すことを拒み続けたわけですが、それは夫とすら本音で語り合えなかった七海と重なります。

終盤に出てくる七海の母は明らかにアルコール依存症で、真白は愛に飢えた子ども時代・少女時代を過ごしたんだろうと思われます。

その愛情飢餓を癒せないまま大人になり、辛い中で人間関係をうまく築く手段としてひたすらお金を媒介するという考えに辿り着いたのでしょう。

おそらくは、強すぎる見捨てられ不安を克服するためです。

ありのままの自分を好きになってくれる人がいると信じられない時、お金や成果や肩書を介して人間関係を作るしかないと思ってしまう、その気持ちが少しわかる方は意外と多いんじゃないでしょうか。

一方で、お金を介しての関係だと知らなかった七海は、真白と語り合うことで誰かと気持ちでつながる幸せを知ったように見えました。

序盤では決して見せなかった打ち解けた笑顔が、真白との共同生活で目立って増えていきます。

 

真白の母と安室

終盤、真白のお金を彼女の母親に持っていく安室と七海。

お墓用にそのうちのいくらかを受け取った安室と、残りを受け取った母親は、なぜか全裸になって泣くというシーンがあります。

観た時は全くもって意味が分からなかったので、この映画に関するレビューを駆ける気がしませんでした。笑

しかし、真白が全部の人間関係をお金に置き換えていたことを思い出すと筋が通ります。

二人はお金をもらったから、彼女のために泣いたし、生前の彼女の「対価を差し出す方法」であった裸になるという行動に出ました。

つまり二人は全く真白と愛でつながってはいない(代わりにお金でつながっている)のですが、七海はそうではありません。

七海もそうだけど、仕事仲間だった女性たちは真白に敬意を持って認めていました。

仕事を通じてつながる人は、一見お金でつながっていますが、そこから気持ちのつながりが生まれることもあります。

結果としてそれが七海を救います。

真白と過ごした日は、別れが悲しくても大切な思い出になったはずです。

電話指導の女の子もしかり。七海を認めていないかと思いきや、指導を止めないでと母親経由で伝えてきます。

最後に安室が、無料で中古の家具を分けてくれるところも何だか、お金から始まったけどお金を離れた関係を暗示しているように思います。

 

人とつながること

本作は、人との関係を、お金のつながりと、気持ちのつながりを対比させることで様々な角度から伝えている映画です。

前半で時間を割いて描かれている通り、気持ちで人とつながることは簡単な事ではありません。

それっぽい手順や手続きを踏んだだけではだめで、自分も相手も、向き合う覚悟や、心を開く準備がなければ関係を深められません。

辛い時に寄り添ってくれた人、他愛ない時間を楽しく過ごせる人に出会えたら、「簡単じゃないこと」を叶えられる機会を逃してはいけないんでしょう。

真白にもその勇気が持てていたら、違った結末を迎えていたのかなあと思わざるを得ません。

 

おわりに

観終わってから何か月も経って、ようやく意味が分かった映画でした。

映像の透明感とか寒々しさが美しくて、全部の場面が印象に残ります。

七海の状況が何回もどんでん返しになりますが、ぜひ一つ一つをじっくり味わって、真白や七海の気持ちを垣間見ながら観ていただきたいです。