映画『海を飛ぶ夢』
尊厳死について考えさせられる、実話を基にしたスペイン映画をご紹介します。
主人公ラモン・サンペドロは実在の尊厳死活動家です。
あらすじ
ガリシア地方に住む中年の男性ラモンは、20代の頃に首の骨を損傷して以来、首から下の体が動かせない生活を送っている。
他者と意思の疎通ができ、家族の介護に支えられて生きている彼だったが、自分の人生を生きられないことを悩んだ結果、尊厳死を選びたいと考える。
ラモンは弁護士を呼び、TV出演や訴訟を通して自らの意思を世間に訴えようとする。
彼を励まそうとする者、諌めようとする者、賛成を唱える者、世間からは様々な反応が返ってくる。
尊厳死という選択
ラモンは健康な若者でしたが、ある日泳ごうと海に飛び込んだ時に首の神経を損傷します。
四肢麻痺になった彼は、首から上しか動かすことができなくなりました。
口に咥えた専用のペンで文字を書き、家族を口笛で呼んで電話をかけさせてもらったりします。
食事や排泄も自分ではできないので、義姉マヌエラが毎日彼の介護に心を砕いていました。
ラモン本人が言う通り「自由もプライバシーもない生活」です。
ラモンは考え抜いた結果、自ら死を選びたいと訴えます。
生きることは義務ではなく権利である。
生きていても自分の人生には苦しみしかない。
ならば自分で、人生を終わらせることを選択する自由が欲しい。
彼は弁護士を立てて裁判を起こし、国に自分の訴えを認めさせようとします。
裁判の内容を知ってもらうためTVにも出演しました。
彼の元には「死のうと言うのは神への冒涜だ」とのたまう神父や、
彼を励まそうとするシングルマザーなどの来訪者がありました。
しかしラモンの意思は決して揺るぎません。
裁判のために奔走する尊厳死団体のジェネや弁護士フリアは、彼と関わるうちにラモンに死んでほしくない気持ちを持ちますが、それも彼の気持ちを変えるには至りません。
海を飛ぶ夢
ラモンの書き溜めた詩や文章は『地獄からの手紙(Las cartas desde infierno、邦題『海を翔ぶ夢』)』という原題で書籍化されています。
その中に収められている詩の一編が、『海を飛ぶ夢( Mar adentro:直訳で内なる海)』です。
弁護士のフリアが驚いたように、彼が書き溜めたものは彼の知性や感受性を証明し、
死の選択が決して自暴自棄や短期的な感情で決められたのではないことを裏付けるものでした。
詩の全文は劇中では紹介されませんが、内容は、ラモンが夢の中で見る海の幻想です。
夢の中ではどこへでも飛んでいけて、壮大な幻影を目撃し、その一部になることもできる。
けれどいつも目が覚めてしまい、絶望しかない現実に引き戻される。
前半の壮麗な描写から終盤の深刻さへの展開が強い印象を残します。
本作でラモンを演じたハビエル・バルデムによる朗読がYouTubeにありました。
選択する自由
自由が認められている国の人々は大抵、行く場所や、食べるもの、働くことや休むことなど、概ね自分の意思に従って生きることが許されています。
しかし、ラモンにはそれがなく、誰かに依存しなければ生きることができません。
体が自由に動かせれば、人は死ぬことすらも自分で選択できるのにも関わらず、です。
彼の兄が言う通り、マヌエラや甥ハビエルがラモンの世話をしてくれる中で「死にたい」ということは、家族にとって酷なことです。
報われない気持ちや、やりきれない悲しさを抱かせてしまうでしょう。
しかし、健康な体を失ったら、自分の人生についての選択権を持つことができなくなって良いのでしょうか。
自分で動くことができなくなったら、大人しく生かされていることしかできないというのは、本人に死んでほしくない周りの意思でしかないのではないか。
本人の意思はただ黙殺されるしかないのか。
自分の人生のなかに幸せは存在しない、
この苦しみを終わらせたいと願うラモンの姿は、
選択する自由の重要さを強く訴えています。
おわりに
同じく道半ばで肉体の自由を失った人物の映画として、『潜水服は蝶の夢を見る』があります。
こちらの映画の主人公ジャン=ドミニクも一度は「死にたい」と訴えますが、あるきっかけを経て前向きさを取り戻し、自らのアイディアを本にすることを決めます。
体が動かせない状態で生きた時間が、ラモンより圧倒的に短かったので比較は難しいですが、
死を願うラモンと、自分を表現することに生きがいを見出したジャン=ドミニクの違いが印象的でした。
ジャン=ドミニクは仕事で確固たる地位を築き、家族も持ち、43歳という年齢だったこと、
ラモンは世界を旅する船の整備工で、25歳にして自由を失い、その後できるはずだった職業的な成長も、パートナーも失ったという違いが大きいかもしれません。
ガリシア地方の美しい自然や、ケルトの面影を感じる音楽など、映像作品として秀逸な作品でもありますが、
観ながらぜひ尊厳死というテーマに向き合っていただきたい作品です。