映画『ガタカ』2
映画『ガタカ』のレビューの続きです。
深いテーマがある映画はついついレビューも長くなってしまいます。
閉ざされた可能性の悲劇
誰にだってできることとできないことがあり、努力で越えられない壁が多くあるのは事実です。
しかし、自分が実現できることの範囲が予め明らかになっていたら、
それ以外の何かに打ち込むことは極めて非効率なこととされます。
(ヴィンセントは宇宙飛行士になれないのは分かりきっているから諦めろと諭された)
もし遺伝子解析で持病や身体的能力が究明されず、頑張れば宇宙飛行士になれるかもしれないと思える世界であれば、
当然ながらヴィンセントは身分を偽る必要もなく、前向きな挑戦ができたはずです。
努力しても無駄なことは最初から挑戦しても無駄だと判ればよかったのに、と思うこともあるかもしれません。
でも、生まれた瞬間にすべての可能性が算出し尽くされてしまうなら、この世は「挑戦しても無駄なこと」ばかりで溢れ返ってしまい、多くの人から経験や成長、出会いの機会を奪ってしまうのではないでしょうか。
開かれた可能性の悲劇
かつて水泳選手として偉大な成果を出せると期待されたジェロームもまた、悲劇的な過去を持っています。
というのも、彼は最高の遺伝子によって最高の可能性を与えられていると診断されていました。
ジェロームは水泳で世界一になれて当然とのプレッシャーを受けましたが、
結果として銀メダリストに収まったことに耐えられず、自殺未遂をしていました。
遺伝子解析では、実現しえないことが明らかにされる一方、その人が何を成し遂げうるかも語られます。
そして、その人が実現できる可能性の中で当然の結果を求められることになります。
ジェロームは水泳選手として大きな期待を寄せられ、輝かしい注目を浴びたかもしれませんが、結果として期待に押しつぶされてしまいました。
遺伝子解析などない世界なら、水泳で世界一になるかもしれなかったがなれなかった、やはり世界の舞台と言うのは厳しいね、で終われたかも知れません。
可能性は未知だからこそ生きる希望がある
自分の持つ可能性の中身がよくわからないからこそ、あれやこれやと将来の姿を思い描いたり、そのために努力することが幸せなのだと痛感しました。
目標を達成できるかもしれないし、できないかもしれないからこそ、
成長しようとか努力しようと思えます。
しかし、頑張っても目標に絶対に届かないとわかっていたら、努力はすぐに苦痛に変わってしまいます。
一方、できて当然だと思われても、実現までの過程に大きなプレッシャーが加わります。
結果の決め手となったのが自分自身の努力の多寡だと思えれば、ある種自分で選び取った結果である(努力するもしないも自分次第)と納得できるでしょう。
でも遺伝子はそれを許してくれません。
文字通り一生ついて回ります。
おわりに
ラストシーンで、ヴィンセントは探査に向かい、ジェロームはヴィンセントが自分の痕跡を消すために使っていた焼却炉で命を絶ちます。
ヴィンセントのラストシーンはどこか死を感じさせます。
彼は持病を持ちながら、宇宙での任務に堪えることができたのでしょうか。
ジェロームは遺体の身元がばれてヴィンセントに迷惑がかからないよう、焼却炉で人生を終えることを選びました。
自分自身の設計図に押しつぶされた2人を見て、自分自身に未知の可能性を抱えながら生きていけることの素晴らしさを痛感させられる映画です。
大きな葛藤を抱える登場人物たちですが、あざとい心理描写や過剰な表現はなく、
むしろ全編にわたって淡々とした演出が続きます。
近未来感のある背景やデザインのほか、ファッションもスタイリッシュで画面を観ていて飽きません。
硬派なSF映画をお探しの方に、是非おすすめしたい作品でした。