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本と映画と時々語学

書評、映画評、時々語学学習や時事ネタなど書き綴りたいと思います。

映画『サラの鍵』

第二次世界大戦下、ナチスドイツに占領されたフランス国内で、ヴィシー政権ナチスによるフランス傀儡政権)により多数のユダヤ人が一斉検挙される事件がありました。

ヴェル=ディヴ事件と呼ばれるこの出来事を扱ったフランス映画をご紹介します。

 

 

あらすじ

2009年のパリ。

アメリカ人ジャーナリストのジュリアは、ヴェル=ディヴ事件の取材をしていたところ、現場付近に住んでいた人物から、ユダヤ人一斉検挙の惨状について衝撃的な証言を聞かされる。

更に、娘やフランス人の夫と住もうとしていた家が、事件時に検挙されたユダヤ人から没収された家であることが判明する。

ジュリアはかつてその家に住んでいたユダヤ人について真実を突きとめようと動き出すも、夫たちはあまり良い顔をしない。

また、第2子を授かったことについても、夫は出産と子育てに否定的だった。

 

1946年のパリでは、サラという小さな女の子が、両親と弟とつましく暮らしていた。

しかしある日、ヴィシー政権による一斉検挙が行われ、ユダヤ人地区の人々は根こそぎ連行される。

連行先は冬季競輪場(通称ヴェル=ディヴ)。

サラはとっさに弟を寝室の納戸に隠し、鍵をかけて両親とともに家を出る。

すぐに家に戻り、納戸から弟を出して再会するつもりだった。

しかし、サラは両親とともに遠方の収容所へ送られることになってしまうのだった。

 

ヴェル=ディヴ事件について

恥ずかしながら、この映画を観るまで事件について知りませんでした。

ドイツ国内のユダヤ人迫害や、占領下地域でのゲットーについては知っていましたが、留学中も特段この事件について知ることはありませんでした。

戦勝国フランスにとっては、わざわざ振り返りたくはない歴史の一部です。

ナチス占領下で命令されてやったこととは言え、フランス警察が組織的に行った一斉検挙だったためです。

当時置かれていたナチス傀儡政権であるヴィシー政権は「フランスではない」と位置付けられているものの、組織立った関与がある以上、フランス自身の責任に触れることになります。

劇中でジュリアが「なぜフランス人の貴方たちがこの事件を知らないのか」と発言していますが、知名度が低い理由にはそうした事情もあるかもしれません。

迫害の歴史自体は学ぶべき教訓があるけれど、自国の犯した犯罪には触れたくない。

敗戦国ドイツ側からは「フランスだってヴェル=ディヴの実行部隊だったから有罪」などとは言えなかったでしょうから、余計に触れられずに来たのでしょう。

しかし、シラク元大統領が在任中、公式にフランス政府の責任を認めて謝罪しており、この時ヴェル=ディヴ事件の位置づけが変わったと言えるでしょう。

 

パリで大量検挙されたユダヤ人たちは、冬季競輪場を始めとした施設に、劣悪な状態で閉じ込められます。

充分な食糧などない。真夏なのに水さえない。

トイレなどの施設も圧倒的に足りない中、彼らは何日も過ごさねばなりませんでした。

5日後に各地の収容所に送られたユダヤ人たちは、そのほとんどが収容所での死を迎えることになります。

 

ジュリアの視点

なぜ単にサラの物語を語るのではなく、 現代にジュリアという人物を登場させたのか。

 私は、生きた時代も生まれた国も違う人間が、サラの人生を目撃したという物語にするためだと思います。

サラはホロコーストを生き延びた後、人生の舞台を変え、自分について多くを語らないまま生きていきます。

しかし、アメリカ人のジュリアが彼女の過去を紐解いていったことによって、これまで誰も最初から最後までを知ることのなかったサラの軌跡が知られることになります。

サラ自身が隠そうとしてきた彼女の過去が、なかったことになってしまうのではなく、ジュリアという一人の人間によって目撃された。

過去が過去として封印されるのではなく、後に生きたジュリアへの問いを与え、彼女の人生を間接的に変えた。

サラの経験自体は悲しく重いものでありながらも、この構成は観ている側に少しの希望を与えてくれるものとなりました。

この映画の原題は“Elle s'appelait Sarah(彼女の名はサラ)”です。

閉じられていた辛い人生が、ジュリアによって語り直されることを示しているように見えます。

 

また、アメリカ人のジュリアを謎解き役に持ってくることによって、事件を追う過程により客観性を持たせることにも成功していると感じました。

ジュリア自身はフランス人ではないので、「知る責任」「フランス人としての責任」などは求められていないためです。

フランス人である彼女の家族にとっては事件の客観視が難しかったことも描かれていました。

また、責任や、義務的な関係がないからこそ、彼女の探究心は同じ人間であるサラへの関心、一人の人間から一人の人間への関心なのだと言えると思います。

同時に、「あなたが(フランス人ではなくても)誰であったとしても知ってほしい」という、観ている人間へのメッセージであるようにも見えました。

 

おわりに

戦争が終わった後、過去を語らずに生きていこうとした人の話ということで、映画『顔のないヒトラーたち』や、他の色々な作品について思い出してしまいました。

サラや、『顔のないヒトラーたち』に出てくるユダヤ人の人たちが過去を押し込めようとしたこと自体は物語の主題ではありません。

しかし、人生に決定的な傷跡を残した出来事について、なかったような顔をすることがどれだけ壮絶だっただろうか、ということをいつも考えてしまいます。

第二次世界大戦の戦中そのものを描写する作品は、数十年前から沢山作られていますが、人間が戦争の記憶や歴史とどう向き合ったか、まで描いているものは比較的最近作られているように思います。

戦争を直接目撃した人がだんだんと亡くなっていってしまうからこそ、そうした視点もますます重要になっていくのでしょう。

 

ヴェル=ディヴ事件とはどのような事件だったのか、サラの過去を巡る旅、『サラの鍵』には2つの大きな要素があります。
その両方について真剣に描写されており、観終わった後には深い余韻を残す作品でした。
深いテーマに向き合える映画をお探しの方に、是非観ていただきたい映画です。

 

 

 

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