映画『万引き家族』2
前記事に引き続き、主人公家族の一人一人について書いていきます。
前記事はこちらです。
信代
信代は元夫のDVから救ってくれた治と内縁関係で、母親からの愛情を受けられなかった子ども時代を生き直すかのように、祥太とりんの母を演じています。
亜紀のことは、女同士で恋話したり叱ったり、それなりに可愛がっています。
初枝との間に切実な愛はなさそうで、つかみどころのないばーさんとの奇妙な共犯関係、あくまで共同体意識に留まる関係に見えますが。
信代はこの物語のキーパーソンです。
というのも、誰よりこの疑似家族を必要としていたのは信代だったと思うからです。
信代のちょっとした言動行動から、彼女がむかし家族に求めたかったこと、手に入らなかったものがいちいちよくわかります。
りんを両親の元に返さないと決めた時には、「親だからって子どもにこんな扱いをしていいわけない」という批判が見えるし、
「『好きだから叩く』なんて嘘なの。好きならこうやってするの」とりんを抱きしめる場面では、「元夫はわたしを愛してなかったし、自分の親もりんの親も子どもを愛してなかった」という断罪が見えるし、
同僚に脅される場面では、「子どもには全力で守ってくれる存在がいてしかるべきだ」という決意や子どもたちへの愛を感じます。
元夫と築けなかった関係を治と築き、信代は安心できる家族がいる幸せを初めて知ったんだと思います。
だから、(治から信代への愛があるのは確かとしても)同居を望んだのは信代でしょう。
治はいつも、時には法律的にまずい領域に踏み込んででも、信代の感情に寄り添い続けるからです。
詳細には語られないものの、治は元夫の暴力から信代を守るために法を犯したと言及されています。
また、りんと暮らすことも最終的に治は受け入れています。
りんは元々治が連れてきたんですが、長期的に暮らすことを最初に決めたのは信代。
血が繋がっていなくても、
法律的に家族じゃなくても、
安心信頼できる人間関係があるなら、
人はそういう相手と暮らすべきだ
と言う思いもあるし、後でわかった通り、子どもが持てない体だったのも理由です。
愛されなかった子ども時代も、
満たされなかった結婚生活も、
子どもが持てない悲しみも、
すべて絡み合って疑似家族という選択をしたのが、端々の振る舞いからわかります。
考えてみると、信代は誰よりも必死にこの家族を維持しようとしていました。
つかみどころのないばーさん初枝が、なんの断りもなく家族とこの世から去ってしまった時も、
工場の同僚からりんをネタに脅されても、
祥太が補導されて追い詰められた時も、
信代はいつも家族の離散をしなくていい方の選択肢を取ります。
祥太のことも(実現するかはともかくとして)迎えに行くつもりだったはずです。
心の拠り所になる人間関係は絶対に手放したくない、家族にも手放させたくない、そんなに簡単に見つかるものじゃないからです。
そしてまた、家族をつなげる温かい母親というものに全力でなりたかったんだと思います。
まだそういう母親を信代自身も知らないけれど、でも自分の親やりんの親がなれなかったものに、彼女はなろうとしていました。
取調室で言い放つ「産んだらみんな母親になれるわけ?」にその気持ちが痛いほど表れています。
「産まなきゃなれないでしょう」と切り返さなきゃ警察の仕事にならんのだとわかっていても、聞くのが辛い台詞です。
更にこのあと、子どもたちからお母さんと呼ばれたことがないのを指摘され、拭っても拭っても止まらない涙が出てくる。
一体どうすれば彼女はそう呼んでもらえたのだろうと考えてしまったのは、私だけではなかったと思います。
治
信代の内縁の夫である治は、飄々としつつもいつも信代に寄り添っていて、優しいパートナーです。
原理原則に立てば、法を犯さず心を満たす方法を考えるのが最良の手段なのでしょうが、治や信代にわかるかたちで社会からの救済手段がオファーされているかというと、多分そうじゃない。
心の満足を一番に考えて、法律とか社会常識と言った文脈は一切合切無視しているように見えます。
信代のために元夫に何らか制裁を加え、
信代を尊重してりんを受け入れ、
信代に迫られたら抱くし、
家族を維持するために初枝の遺体を埋めます。
家庭人としては、あくまで家族と運命を共にしようとしたことは才能と言えるのかもしれません。
社会人としてはベストな生き方じゃないですが。
彼自身がどんな家庭で育ったかは、ほとんど映画の中で語られません。
しかし有力なヒントとしては、万引きをりんに教える意味を祥太から聞かれた時、「何か役割があった方が居やすいだろ?」と言ったことが挙げられます。
多分、治自身は「役に立たないと居づらい」家族のなかで過ごしたんだろうと察せられました。
親や家族から必要とされる何かをしなければ居てはいけない、という考えがあるからこその発言なんじゃないか。
だから彼は、信代から必要とされることに応えてあげられるのかもしれません。
治本人はそうした条件付きの愛情を、祥太やりんに課しているようには見えないんですが。
学校に行き始めた祥太の話も聞いてあげているし、祥太の世界が広がってもそれを阻んだりする執着や心の狭さはありません。
終始優しい治は、犯罪を犯さず堅気の仕事をして、気の合う人と家族を持っていたら、とても良い親になったんじゃないかという気がします。
でも、祥太以外の家族で逃亡を図ったのに、祥太の乗るバスを追いかけた顛末は、その優しい場面の積み重ねがあったからこそ、とりわけ遣る瀬無かったです。
あっという間に2300字を超えてしまったので、また次記事に続きます。
残る亜紀と祥太について書いていきます。
映画『万引き家族』
どうしても書きたかったので書いてみました。
自然な演出は、他の是枝監督作品と同様に健在です。
『誰も知らない』より身近なテーマを扱ったストーリーでしたので、より多くの人の感情や思考を揺さぶったり考えさせる作品だったと思います。
有機的ながら、とても論理的な映画でもありました。
最後までネタバレします。
あらすじ
東京下町の、廃屋のような一軒家に暮らす柴田治は、ある日、寒いなか屋外に放置されている少女ゆりを見つける。
両親からネグレクトや暴力を受け、表情もないゆりの様子や、彼女の家から響く罵声で家庭環境を察した治の妻・信代は、ゆりを連れ帰って一緒に暮らすことを決める。
2人の暮らす家には、息子の祥太のほか、信代の妹の亜紀、その祖母の初枝らが暮らしており、にぎやかな共同生活を送っていた。
彼らは、治や信代の高くはない給料や、治と祥太の万引き、初枝の年金などで細々と暮らしていたが、治が怪我をして働けなくなってしまい、信代もあるきっかけから仕事を失う。
さらに、ある朝突然初枝が亡くなっていた。
家族を取り巻く環境が厳しくなる中、6人に血縁・法律上のつながりがないこと、なぜ彼らが共同生活を始めることになったかが明らかにされていく。
実話とフィクション
この作品は、親の死亡を届け出ないことにより、親族が何年も故人の年金を詐取し続けていた実話をベースとしています。
しかし、映画全体を通して描かれる「家族とは何か」という問いの中には、老いた親と子ども以外にも様々な関係が描かれています。
年金詐取事件はあくまで一つのモチーフであり、ストーリーが進むきっかけであって、メインテーマではありません。
親と子、子と親、夫婦など、6人の中に映し出される様々な家族の関係がすべて丁寧に描かれていました。
次の項目から、家族一人一人について考察を書いていきたいと思います。
6人の辿った経緯のどれもにリアリティがあり、映画と同じ状況ではないにしても、いつか人生の中で目撃したり、直面したりする可能性がありそうに見えてきます。
貧困、夫婦間の暴力、兄弟姉妹間で不均衡な親との関係、非就学児、幼児虐待など、多様な問題のただなかに立たされている登場人物たちは、観ている私たちと同じ人間なんだと強く感じました。
そう思わされたのは、演技に見えない自然な演出と、細やかな人物描写の結果でしょう。
ゆりという少女
寒い夜に家の外へ放置されていたゆりを、思い付きで家に連れ帰ってきたのは治です。
しかし、ゆりを帰そうとした信代は家の前まで来たものの、響いてくる罵声を聞いて引き返します。
そして、(法律的には誘拐になるにもかかわらず)ゆりを連れ帰って一緒に暮らすと決めます。
ゆりは明らかに暴力を振るわれた傷なのに「転んでけがした」と言ったり、虐待されているのではと疑う信代たちに「お母さんはとっても優しいの。お洋服買ってくれるの」と言ったりします。
服を買うのは愛情ではなく扶養だと告げたくても、彼女がそう言う時の生気のなさを見たらとても言えません。
ゆりが虐待に適応してしまった末に子どもらしさを失っているのは、素人目にも分かります。
直接的には言及されないものの、信代は小さな頃の自分にゆりを重ねていることが明らかになっていきます。
誘拐事件としてゆりのことが報道されても、信代は彼女を帰そうとはしません。
帰る場所として適切でないことを、身をもって知っているからです。
だから信代は、「りん」という名で彼女を呼んで、別の子であるかのように装わせてでも匿い続けました。
自分からはまったく喋らなかったりんが、子どもとして愛情や保護を受けるうちに、徐々に活気を得ていく様子がリアルでした。
彼女は最終的に虐待する両親のところに連れ戻されてしまいますが、相変わらず父から母への暴力により家の雰囲気は荒んでいます。
そんななか、暴言でりんを追い払ったあと我に返り、「お洋服買ってあげる」と猫撫で声を出す母親に、もう彼女は駆け寄りません。
母親が本当にりんに興味がなければ、このまま親子の心の距離はどんどん開いて、18歳位になればりんは家を出ていけるでしょう。
でももし、意のままにできる子どもがいなくなったら嫌だとか、(パートナーや社会とはまともな関係が築けないから)せめて小さな子どもは自分を泣いて求めるべきだとか、愛情なき執着に親が捕らわれていたら、りんが独立しようとした時に妨害するかもしれません。
ラストシーンの余韻も相まって、とにかくりんには無事に成長して家を出て欲しいという気持ちが、終わった後も脳内を回り続けていました。
祖母の初枝
祖母の初枝は、撮影後に亡くなった樹木希林さんが演じています。
元夫が別の女性と家庭を作った末に亡くなったらしく、その「別の家庭」に生まれた孫・亜紀をこの家族に引き込んでいます。
彼女は飄々として、あまり感情を表に出さず、地上げ屋の訪問ものらりくらり交わしています。
なので、亜紀の親に内緒で彼女を同居させているように振る舞いつつ、実は彼らからお金をもらっていたことを、どう考えているのか正直わかりません。
舞台が彼女の家である以上、この疑似家族の存在を望んでいたのは確かなはずなんですが。
亜紀を巻き込んだのは、初枝の家庭を壊した人たちへの意趣返しだとしても、亜紀に対して同居人以上の愛があったんじゃないかなと思いました。
亜紀以外の家族に対してもそうです。
劇中で亡くなる直前、家族で海へ出かけた時に、誰にともなく海へ向かってお礼を言う場面があります。
海へ出かけるなんて仲良しの素敵な家族だなと思います。
初枝も、日常から少し離れた楽しい時間も共有できる家族に恵まれ、幸せに思っていたんだと信じたいです。
あっという間に長い記事になってしまったので、次の記事に続きます。
レビュー執筆時に参照するもの
レビューを書く時に、自分の記憶だけを頼りに書く時もあります。
しかし、念のため登場人物の名前を確認したり、脚本や監督にまつわるエピソードを調べるため、あるいは自分以外の人がどう感じたか知りたいために、何かしら参照することも多いです。
そうした時に参照する映画関連サイトをご紹介します。
調べもの系
Wikipedia
言わずと知れたみんなの百科事典。
最近、登場人物の名前をよく忘れるので、レビューを書く前に調べることが多くなりました。
かなしい。
あと、序盤に何が起こったか復習するためにも使うことがあります。
結末まではあまり書いていないので、最初の部分だけ確認したい時に頼ります。
監督にまつわるエピソードや、映画が作られた背景などの情報があることが多いのはWikipediaの強みです。
リアルタイムで情報を拾えない昔の映画の場合、そうした豆知識が貴重なので見ていることが多いです。
あらすじ紹介サイト
hmhmのようなあらすじサイトも時々参照します。
あまりにも辛くて途中で観るのをやめた映画の結末だけ知りたかったり、中盤でちょっとだけ出てきたあの人の名前なに?と思ったりした時です。
先般、Twitterにブログでの紹介依頼をいただいたMIHOシネマさんのページも拝見してみたら、驚きの記事数で絶句しました。
人気映画ならたくさんの解説ページが見つかりますが、ニッチな作品はそうはいかないので、在庫の多いあらすじサイトで復習しながら分析できるのはありがたいです。
ちなみにMIHOシネマさんではあらすじだけでなく、最新映画の口コミや評判もご紹介されています。
レビュー系
私にとって、最近強力な存在感を発揮しているのがTwitterです。
試写会と初日にレビューツイートが急増する新作映画は、否が応でも注目してしまうし、ハイクオリティのことが多いです。
ブログ記事よりも投稿のハードルが低い分、ぶわっと感動の波が広がるのがよりわかりやすく伝わってきます。
あと、フォローしている方のお気に入りの映画一覧や、名刺がわりの映画10選に、気になっていた映画が何度か登場していたら、「あの映画やっぱり面白いんだ」と思ってリストの中で順位が繰り上がります。
たくさんの方の映画アカウントや趣味アカウントをフォローしてみて、思わぬ収穫を実感しています。
Filmarks
ほかの映画ファンは一体何を考えたのか?が知りたいとき、ついついレビューを観に行ってしまいます。
だからと言ってレビューに書く内容を変えるかと聞かれればあまり変わらないんですが。笑
元ネタの実話を知っていなくても楽しめるかとか、友達と観に行くのに適しているかとか、臨場感あるコメントや生の声を拾うのに使っております。
レビューを書く時に参照するもの、というタイトルですが、映画ファンが映画情報を集める方法と言い換えてもいいかもしれません。
なるべく満遍なく情報をとって、ベストな視点で記事が書けるよう、引き続き心がけたいと思います。
Pen (ペン) 「特集:映画・小説・マンガの名作から最新作までSF絶対主義。」〈2017年 11/1号〉 [雑誌]
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映画『リメンバー・ミー』
メキシコに実在する祭日「死者の日(los muertos)」をテーマにしたアニメ映画です。
家族向け・子ども向けの映画ではありますが、観た大人が次々に勧めるのを見てトライしたところ、号泣しました。。。
途中までネタバレします。
あらすじ
メキシコのサンタ・セシリアに住む少年ミゲルは音楽が大好きで、将来は音楽家になりたいと思っていた。
しかし、高祖父が音楽家になりたいと家族を置いて出て行ってしまったため、家族や親戚から音楽を禁止されていた。
リヴェラ一族には曽祖母ココ以下、誰も音楽をする者はいない。
死者の日の祭壇へご先祖の写真を飾るときも、高祖父の写真はその中になかった。
ミゲルは祖母や家族から、靴作りを継ぐよう言われるものの、全く興味を持てない。
ある日彼は、自分の高祖父が有名な音楽家デラクルスかもしれないと知り、反対を押し切って音楽コンテストに出ようと奮闘する。
しかし、コンテスト用の楽器にデラクルスの遺品のギターを使おうとしたミゲルは、突然、生きた人間から見えない存在になってしまう。
死者の日とは
死者の日は、ラテンアメリカとくにメキシコで毎年盛大に祝われるお祭りです。
11月1日が子どもの、2日が大人の魂が戻って来る日とされています。
期間中には、死者の花とされるマリーゴールドで街中や家の中が飾り付けられます。
また、アルタールと呼ばれる祭壇に遺影や十字架、故人の好きだったものを飾って、魂が帰ってくるのを待つそうで、映画の中でも祭壇に写真を飾ることが重要な意味を持ちました。
日本のお盆と似た意味合いがあるものの、内輪でしめやかに先祖を迎えるというよりは、明るく楽しくお祝いして死者の帰還を楽しむようです。
本作に出てくるサンタ・セシリアの人々も、賑やかなお祭りを楽しんでいたし、死者の国の人々も生者の世界におめかしして出かける様子が描かれていました。
死者の国と生者の国
ミゲルは死者デラクルスの楽器を盗もうとしたため、死者の国に飛ばされてしまい、生者からは見えず、死者とのみ見たり話したりできる存在になってしまいます。
生者の世界に戻るため、血縁の誰かに許しのまじないをかけてもらわなければならないのですが、幸いすぐに故人の親類縁者たちに見つけてもらったミゲルは、高祖母ママ・イメルダの許しをもらうことに。
しかし、イメルダは「今後2度と音楽をしないこと」を条件にするため全く折り合いません。
音楽を諦められないミゲルは、自分の高祖父であるはずのデラクルスに許しを得ようと、親族から逃げて彼を探します。
夜明けまでに許しをもらわなければ戻れなくなるので、急いでデラクルスを探さなければなりません。
そんな中、生者の国へ行きたいはぐれ者ヘクターに、彼の写真を存命の娘に届ける交換条件で助けてもらうことになりました。
死者の日に誰でも生者の世界に行けるわけではなく、生者に写真を飾ってもらえなければ帰ることはできないらしいのです。
人はいつ死ぬのか
調子の良いことを言っているだけに見えるヘクターに、しぶしぶ着いていったミゲルは、彼の友達が死ぬ瞬間を目の当たりにします。
死者は骸骨の姿になって永遠に生きるのではなく、生きている人間に彼を覚えている人が誰もいなくなれば消えてしまうのでした。
誰かが覚えていてくれれば生き続けられる、祭壇に写真を飾ってくれれば生者の国へ行って子どもや孫に会える。
死者の日に盛大に亡くなった魂を迎えられるということは、死=消滅ではないのかもしれません。
でも、もし誰からも迎えられなくなったら、魂が帰ってくる場所はないし、死んでいるから誰かと関われる機会はないわけです。
そして、程なくしてミゲルはデラクルスという人物に重大な秘密があったことに気づきます。
しかし、気づいたその時にはヘクターの写真を取り上げられ、ミゲルも一緒に町外れの洞窟に放り込まれます。
ヘクターは意気消沈して、自分にも二度目の死が近づいていること、ずっと前に生き別れた娘のココが彼を忘れたら自分は死んでしまうと打ち明けます。
ミゲルはようやく、ヘクターが曽祖母ココの父であり、自分の高祖父であると気づいたのでした。
完成度と密度の高さ
子ども向けの90分程度の映画にも関わらず、ストーリーの密度が高いのであらすじ解説にかなりの字数を割きました。
オーソドックスで熱苦しい家族の絆物語かと思いきや、ミゲルは家族に理解されなくて寂しい思いをするし、二度目の死という重要な課題を解決するために奔走するし、デラクルスの秘密という意外なミステリーまで盛り込まれているしで、全く飽きさせない高密度な展開でした。
現れた問題を感情的なものとして登場人物の気持ちで解決させたり、偶然の幸運でごまかすのではなく、現実として整理をつけるところも誠実です。
前半で散りばめた伏線が後半に一気に回収されていくのも楽しかった。
ママ・イメルダを頂点としたリヴェラ一族の結束が固く、最初はそれに苦しむミゲルが終盤で彼らに助けられるところも、スカッとするわ感動するわで良かったです。
感動する一方で、メキシコらしい明るさやコメディ要素が強いのもあって、全然押し付けがましくないのも好感度高しです。
ミゲルとヘクター
映画の魅力を高めているのは、緻密な脚本に加えて主人公2人のキャラクターであることは間違いありません。
音楽をやりたい気持ちをミゲルが家族にわかってもらえない時には一緒に切なくなるし、
死者の国を奔走している時には思わず応援してしまいます。
それもこれもミゲルの真面目で賢い性格が共感を誘わずにいられないからでしょう。
ヘクターは最初ヘラヘラしたお調子者に見えるものの、妻イメルダや娘のココのことを一途に想い続ける気持ちは本物です。
また、二度目の死を迎える友達に寄り添ったり、多少の下心があるとは言えミゲルを助けたり、基本いいヤツです。
二人の家族を思う気持ちや一途な音楽愛に元気付けられる作品でした。
おわりに
家族のつながりが強く、死者との交流も明るく楽しく行うメキシコの風景を、鮮やかに取り出した映画でした。
メキシコ行ったことないから大層なこと言えないけど、メキシコに留学してた友人も絶賛してましたので良作と言えると思います。
家族を思う気持ち、夢を追う気持ちが揺さぶられる素敵な作品です。
映画『この素晴らしき世界』
第二次世界大戦下のチェコの片田舎を描いたヒューマンドラマをご紹介します。
ナチス占領下の小さな村で生活する人々の姿を通じて、人間同士を分断することの愚かさを伝えてくれます。
ネタバレです。
あらすじ
ナチスドイツに占領されたチェコの、片田舎の村に住むヨゼフとマリエは長年子どものいない夫婦。
彼らはある日、家族を連れ去られ住む場所も失ったユダヤ人の村人ダヴィドを保護する。
ナチスに心酔する隣人ホルストや、村にやってきたドイツ軍の役職者から、若いダヴィドの存在を懸命に隠す日々が始まる。
その後、2人の家にドイツ軍人が同居する危機を回避するため、マリエは子どもが生まれると嘘をついてしまう。
追い詰められたヨゼフたちはある方法で窮地を脱しようとする。
小さな村の日常
ヨゼフとマリエは、かつて子どもを望んだものの、ヨゼフに原因があって子宝を授かっていません。
長閑そのものの村で、長年の隣人である人々と交流しながら穏やかに暮らしています。
社会の変化とはあまりに隔絶された村の中で、戦争の気配はあるにしてもどこか遠いです。
ひとりナチスを信奉するホルストへの目線にも、「あーはいはい」という(まるで意識高い系の人を遠巻きに見るような)生温かさを感じます。
とは言え、こんな村にもドイツ軍の軍人が駐留したりするので、ダヴィドはヨゼフの家に来る前に他の村人に遭遇するも冷たく追い払われていました。
やはり誰かに彼の存在を知られるわけにはいきません。
しかもホルストは既婚者マリエに思いを寄せているので、その辺もマリエの手腕でいなしたり躱したり正面突破したりしなければなりません。
戦争の緊迫感と反ユダヤの波が訪れてはおりますが、人間味あふれる村人たちの日常も脈々と続いている様子が描かれています。
ホルストのようなしょーもないおっさんもいれば、そんなおっさんの相手をしてやるヨゼフやマリエのような人もいて、人間の集まりっていつの時代もそんなもんよねと思わされます。
ナチス体制が揺らいでくるとホルストが考えを変えてくるのも人間味の固まり感。
遠く離れた国でもこんな共感の仕方があるなんて、生活様式や文化は違っても人間の行動の根底はやはり似通っているなーと感じました。
秘密を守り通す
村に駐留するドイツ軍人がヨゼフたちの家の部屋を借りたいと言ったとき、マリエは「子どもが生まれるので子ども部屋が要ります」と言って入居を断ります。
しかしヨゼフ側の原因で子どもが長年できなかった夫婦ですから、いずれ嘘がばれます。
窮地に陥った2人は、匿っている青年ダヴィドの力を借りて乗り切ることを決めました。
割と予想のつく流れではありますが、ヨゼフとマリエという名前から、キリストの両親である夫婦を想像していたので、ダヴィドが父親になるのが意外と言えば意外。
マリエは妊娠して順調に胎児が育つのですが、彼女の出産に関してヨゼフたちのつく嘘がストーリーの重要なカギを握ります。
特別な嘘と救済
連合軍による解放の日にマリエが産気づいたので、ヨゼフは懸命に医師を探すものの、親ナチだった医師は連合軍が進駐してすぐに自殺してしまっていました。
ただ、死んだ彼が医師だというのは連合軍に気づかれていない様子。
そんなヨゼフの前には、親ナチだったとして取り調べを受けているホルスト。
…。
…。
ヨゼフはホルストこそが主治医かのように嘘をついて、彼を連れ出します。
陣痛に耐えて医師を待っていたマリエは、ホルストが現れて驚愕するものの(そりゃそうだ)、出産するしかない。
そんななか、「ホルストは自分が匿われていることを黙っていてくれた」とダヴィドが証言して、ホルストは命びろい。
かつて、逃げ惑うダヴィドを追い払った村人のおっさんが、にわかレジスタンスのコスプレをして連合軍に証言していたのは笑っちゃいます。
ダヴィドが生きて現れたのを見て、心底ぎょっとしてました(そりゃそうだ)。
解放の日は本作のハイライトであり、コメディとしての集大成と言っていい盛り上がりを見せます。
こんな小さな村で人間を善と悪に分断してなんになるのか、
明日も明後日も顔を合わせて暮らしていくのにそんなことに何の意味があるのか、
と考えてしまう場面でした。
ナチスを裁こうとする連合軍の前で、お互いの脛の傷まで知っている人々が、悪を徹底的に潰すよりみんなで全部呑み込んで生きることを選ぶ機転が忘れられません。
喜劇で善悪も清濁も併せ呑む
ダヴィドの命がかかった隠れ家生活、匿っている夫婦の命も危ない毎日など、緊張感溢れる場面もあります。
苦しい場面に陥ってもダヴィドを守ろうとしたヨゼフとマリエの勇気や、
どんな状況でもお互いを大切にするヨゼフとマリエの姿に励まされたり、
シリアスな要素ももちろんあります。
だけどこの映画で最も大切なのはコメディ要素です。
世界大戦下の民族迫害や他国の占領は、重苦しく描こうと思えばいくらでも重く辛い映画になります。
でも、ありふれた毎日を生きる、普通の人々の人間味や滑稽さを排除せず描くことで、観ている人と登場人物たちの距離が格段に縮められています。
身構えずストーリーに入り込んでいたら、思わず笑ってしまう展開の中で「人間ってこういう時あるよね」とふと思ったり、
辛い時代を生き抜いたのは自分と同じ人間だったんだなと考えたりしました。
善いことをするのも悪いことをするのも人間だけど、ある人が絶対的な善とも悪とも言い切れない。
そして、戦争という特殊な環境が人の立場を分断したり、変えてしまうことも、コミカルに描くことで伝わりやすくなった。
人間の弱さを指摘するには、シリアスな展開よりもコメディのほうが受容しやすくなります。
間違ったり、立場によって人を守れなかったとしても、それも登場人物への愛ある喜劇として伝えられることで、現実として受け入れられた気がします。
また、暗い思い出は変えられないかもしれないけど、失敗や苦しみも、温かい共感で笑い飛ばしてもらえたら、後から思い出す時の気持ちが少し楽になります。
記憶に蓋をしてしまうのではなく、冷静に振り返ることもできるようになります。
辛い戦争の時代をコメディのように描いたことで、そうした効果も生まれているかもしれません。
おわりに
激しく重いナチ映画なら次々に思い浮かびますが、この映画に類するような戦争映画は思い浮かびません。
戦争の時代をコメディで描くという斬新ながらも素晴らしい映画でした。
残酷な場面やしんどい展開に気後れしてしまうという方にも、多くを教えてくれる戦争映画としてお勧めしたい作品です。
映画『勝手にふるえてろ』
邦画屈指の鬱屈ラブコメをご紹介します。
ヒロインの松岡茉優ちゃんが好きということもあり、最初から最後まで楽しかったです。
妄想好き陰キャには間違いなく共感の嵐になります。
あらすじ
今まで誰とも付き合ったことのないOLのヨシカには、中学生の時からずっと片思いを続けている同級生イチがいた。
みんなから注目されるイチに、在学中アプローチすることはおろか、卒業してからも何もコンタクトはないまま20代中盤を迎えていた。
ある日、働いている会社の同僚であるニから告白され、人生初の経験に歓喜するものの、やはりイチのことは頭から離れない。
ヨシカは、いつ死ぬかわからない人生ならいつ死んでも悔いのないようにと一念発起し、別人になりすまして同窓会を企画する。
一方ニは、ヨシカの煮え切らない態度にも関わらず何の疑念もなしに彼女と過ごしていた。
奥手なこじらせ女子
ヨシカは自分の欲望や感情を素直に身近な人にさらけ出すことはできないけれど、一方で常に誰かにわかってほしい気持ちも持っている女性です。
日々の妄想や、絶滅した生物のリストに思いを馳せながら、感情を発散しています。
欲望のままに生きたり、素直な感情を優先して振舞うことは、ヨシカにとっては「野蛮で承服しかねる」事態なので、恋愛に対しても行動が起こせません。
結果、中学生の時からクラスの人気いじられキャラだった、ミステリアスなイチに心の中で何年も片思いしています。
クラスで目立たず、友達が多いタイプでもないヨシカは、在学中はおろか卒業後も恋心をただ持つだけでした。
しかし、危うく死にかけた経験をしてから、人生一度きりだと開き直り、別のクラスメイトになりすまして同窓会の招集をかけます。
ここで爆発する火事場の行動力も、こじらせ感あふれてて好きです。
あと、上司に変なあだ名つけてディスったり、経理課の仕事なめんなという気持ちを営業課に対して出しちゃう人間味も好きです。
人に好かれて当然と思ってない分、打ち解ける勇気もないけど、好かれたいと思ってないからこそ、失うものもないんですよね。
ヨシカを思う人々
ヨシカに思いを寄せる営業課のニは、当初は調子に乗ったないしはイキってる凡庸な若者に見えます。
でも、だんだんと一途さやヨシカに対する優しさが伝わってきて好感度が爆上がりします。
器用さはない反面、裏表もなく素直な人物です。
ヨシカの経理課の同僚の来留美も、恋愛経験ゼロのヨシカに押し付けないアドバイスをしてくれる頼もしい存在。
客観的に見れば、イチへの思い出なんか捨てて、いまヨシカを大切にしてくれる人を大事にして生きていきなよ!と思うのですが、そうはいきません。
なぜならこじらせているから。
誰かにわかってもらうことより、自分の内面世界を大事に生きてきたヨシカには、長年の思いを捨てることなど簡単にはできません。
彼女が劇中で口にするとおり、ヨシカが内面を明かさないのは、「自分の気持ちになんて誰も興味ない、わかってもらえるわけない」という思いからです。
だからこそ、明らかに彼女に興味を示しているニの前で安心して気持ちを解放したらいいじゃん!と思うのですが、そんなことはできません。
これまで孤独にイチを思い続けてきた気持ちが、なかったことになるなんて寂しすぎるからです。
片思いだからこそ、ヨシカが忘れてしまったらその気持ちを認める存在がいなくなってしまうからです。
世界とぶつかること
今まで内面世界で生きてきたヨシカが、ついに世界と向き合わざるを得ない瞬間がやってきます。
同窓会をきっかけにイチとの交流に成功したからですが、そこで彼女は予想外の結果に向き合います。
そして、ほぼ時を同じくしてニにも、絶対に知られたくなかった恋愛経験ゼロの事実を(信頼していた来留美経由で)知られてしまいます。
ヨシカが内面を隠すのは「情けない(と自分で思う)部分を知られたくない」のも理由の一つでしょうから、この事実はかなりの破壊力をもって彼女に襲いかかります。
全力で社会とのつながりを絶って引きこもるわけですが、絶望を乗り越えてこそ成長や発見があるわけで、ヨシカは思ってもみなかった結末を迎えます。
破れかぶれだけどよく頑張ったよヨシカ!
多分これからも色々あるけど、殻を破った後の発見を胸に生きていくことが重要なんよ!
と言いたくなるラストでした。
おわりに
学校時代を紛れも無い陰キャとして過ごした私には、あるあるすぎる場面が多々ある映画でした。
あと数年観るのが早かったら、胸が苦しくて最後まで見られなかったかも。笑
松岡茉優ちゃんが、もがき苦しむこじらせ女子を好演しています。
邦画ラブコメのおすすめを訊かれたら、迷わず推薦したい作品です。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』
初日に行った方たちが絶賛していたので、観に行ってみました。
映画館で観て大正解だったと思ったのでネタバレにてご紹介します。
あらすじ
70年代のロンドンで、ペルシャ系インド人の青年ファルークは空港の荷役の仕事をしていた。
彼は、お気に入りのバンド・スマイルからボーカリストが脱退して困っていたところに、自身を加入させるよう売り込む。
ギターのブライアンと、ドラムのロジャーは彼の加入を承諾し、ベースにジョンを引きれて新しいバンドをスタートさせる。
ファルークは後にフレディ・マーキュリーと改名し、バンドは後に音楽史に伝説を残すQUEENの始まりとなった。
伝説的な成功の軌跡と、活動期間の後半に訪れた決裂、そして1985年のライヴエイドの舞台までを描く伝記的映画。
クイーンとボヘミアン・ラプソディ
ボヘミアン・ラプソディはクイーンの楽曲の中でも驚異的なセールスを記録した一曲であり、多くの人に知られています。
有名曲のためそもそも引用される回数の多さもありますが、一度聴いたら忘れられないインパクトがあることから、誰もが聞き覚えがある曲の一つではないでしょうか。
前衛的な表現が多々盛り込まれていることに加え、6分と言う長さ、バラードやオペラやロックと言った複数の分野の曲が組み合わされていること、歌詞の奔放さなど、どの部分を取り出しても規格外な楽曲です。
まさに芸術は爆発だと体現しているような狂想曲。
ロックミュージックの枠に囚われず、あらゆる音楽を表現の対象とした彼らの活動を象徴する一曲と言っても良いと思います。
Queen - Bohemian Rhapsody (Official Lyric Video)
本作には、タイトルにも掲げられているボヘミアン・ラプソディを始め、数々のクイーンの代表曲が挿入されています。
クイーンのメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽プロデューサーを務めていることもあり、音楽の大盤振る舞いです。
また、『We will rock you』や初期の代表曲が生まれた背景や、レコーディング風景も物語に織り込まれています。
聴いたことのある名曲を聴ける楽しみと、「こんな風にあの曲が生まれたのか!」という驚きがありました。
個人的には、『We will rock you』がブライアン・メイの「オーディエンスと一つになりたい」「バンドと一緒に曲に参加してほしい」という思いを背景に作られたということを初めて知って感動しました。
あのスタンピングとクラップにはそんな理由があったんですね。
Queen - We Will Rock You (Official Video)
成功と孤独
フレディは無名の時代から知っているメアリーと結婚しますが、バイセクシュアルであることをカミングアウトした後、彼女と別れます。
彼女を失った後の孤独と悲しみは、常にフレディの心について回ったことが描写されていました。
メアリーはずっとフレディのことを真に思いやる友人であり続けるのですが、セクシュアリティを捧げるパートナーの席をフレディが占めることはその後なかったようです。
バンドの他のメンバーと違い、フレディだけに自分自身の家族がいないという点も彼の寂しさを募らせます。
孤独に付け込んだマネージャーのポールに、ソロ活動開始後は公私ともに手綱を握られ、本当に彼を思いやる人々から隔絶され、精神的にはますます追い詰められていきました。
連絡がつながらないことを怪しんだメアリーが彼のもとを訪ねたことで憑き物が落ち、ポールを叩き出すと、バンドメンバーに謝ってクイーンに戻ります。
事実を辿ると、メアリーとの破局はカミングアウトではなくフレディの浮気によるもののようです(他のメンバーも浮気はしていたようなので映画では掘り下げなかったのかも)。
音楽メインの映画なので、ドラマとしての完成度は標準的ですが、どんな成功も寂しさを埋め合わせることはできないんだと思わされます。
そう考えると、映画冒頭で流れる曲が『Somebody to Love』だったのは秀逸な采配です。
できれば彼のセクシュアリティによる葛藤や、ソロ活動誘致による亀裂だけではなく、バンド活動の中での4人のぶつかり合いを(描かれているよりもっと多く)見たかったですが、時間の制限上難しそうなので致し方なし。
全編を通じて印象的だったのは、多少調子に乗ったり、無神経な発言をすることはあっても、フレディが基本的には素直な人に見えたことです。
音楽に対する真剣さや、メアリーへの思い、猫への愛着など、人間としての素朴な感情が伝わってくる場面が多かっただけに、終盤の運命はやりきれないものがありました。
フレディの無邪気さを受入れていたからか、そして各人が高学歴なこともあってか(なぜか全員理系)、他の3人のメンバーは理性的にフレディを支えていたように見えます。
バンドメンバーの再現度
主役でボーカルのフレディ・マーキュリー、ギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラー、ベースのジョン・ディーコン、それぞれについてかなり高い再現度でした。
特にブライアンとジョンは生き写しで、スクリーンを観ながら何度も「もうこれ本人じゃん…」と思っておりました。笑
当時の映像や、本人との交流などを通して振る舞いや雰囲気を研究しているらしいのですが、もはや再現のレベルを超えてました。
一番似ている人を決めるとしたらブライアンだと思いますが、それもそのはず、ブライアンが最も俳優陣の役作りに積極的に貢献したようです。
『ボヘミアン・ラプソディ』役作りの苦労をキャストらが語る - シネマトゥデイ
ロジャーは本人のほうがスレた感じがあるのと、フレディは体格がめちゃくちゃいいので演じたラミ・マレックと若干サイズ感が違いますが。
なおフレディの音声は、ほとんど本人の歌声を映像に当てているそうです。
私はそれを知らずに観ていて「本人みたい!」と勝手に感激していました(本人でした)。
おわりに
この映画の特徴は一にも二にも、クイーンの名曲が惜しみなく盛り込まれていることでしょう。
楽曲の魅力に充分に浸るためにも、少しでも興味のある方には映画館で観ていただくことを強く勧めます。
大抵の映画について「面白い作品は映画館で観たってPCで観たって魅力は味わえる」と思っている私ですが、本作については見解を改めております。
特に、クイーンにとって特別な場所であるウェンブリー・スタジアムでのライヴシーンは圧巻です。
クイーンをよく知らない方にも、彼らの楽曲を知る導入編として、是非お勧めしたいと思える映画でした。
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