本と映画と時々語学

書評、映画評など書き綴りたいと思います。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』

初日に行った方たちが絶賛していたので、観に行ってみました。

映画館で観て大正解だったと思ったのでネタバレにてご紹介します。 

 

 

あらすじ

70年代のロンドンで、ペルシャ系インド人の青年ファルークは空港の荷役の仕事をしていた。

彼は、お気に入りのバンド・スマイルからボーカリストが脱退して困っていたところに、自身を加入させるよう売り込む。

ギターのブライアンと、ドラムのロジャーは彼の加入を承諾し、ベースにジョンを引きれて新しいバンドをスタートさせる。

ファルークは後にフレディ・マーキュリーと改名し、バンドは後に音楽史に伝説を残すQUEENの始まりとなった。

伝説的な成功の軌跡と、活動期間の後半に訪れた決裂、そして1985年のライヴエイドの舞台までを描く伝記的映画。

 

クイーンとボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディはクイーンの楽曲の中でも驚異的なセールスを記録した一曲であり、多くの人に知られています。

有名曲のためそもそも引用される回数の多さもありますが、一度聴いたら忘れられないインパクトがあることから、誰もが聞き覚えがある曲の一つではないでしょうか。

前衛的な表現が多々盛り込まれていることに加え、6分と言う長さ、バラードやオペラやロックと言った複数の分野の曲が組み合わされていること、歌詞の奔放さなど、どの部分を取り出しても規格外な楽曲です。

まさに芸術は爆発だと体現しているような狂想曲。

ロックミュージックの枠に囚われず、あらゆる音楽を表現の対象とした彼らの活動を象徴する一曲と言っても良いと思います。


Queen - Bohemian Rhapsody (Official Lyric Video)

本作には、タイトルにも掲げられているボヘミアン・ラプソディを始め、数々のクイーンの代表曲が挿入されています。

クイーンのメンバーであるブライアン・メイロジャー・テイラーが音楽プロデューサーを務めていることもあり、音楽の大盤振る舞いです。

また、『We will rock you』や初期の代表曲が生まれた背景や、レコーディング風景も物語に織り込まれています。

聴いたことのある名曲を聴ける楽しみと、「こんな風にあの曲が生まれたのか!」という驚きがありました。

個人的には、『We will rock you』がブライアン・メイの「オーディエンスと一つになりたい」「バンドと一緒に曲に参加してほしい」という思いを背景に作られたということを初めて知って感動しました。

あのスタンピングとクラップにはそんな理由があったんですね。


Queen - We Will Rock You (Official Video)

 

成功と孤独

フレディは無名の時代から知っているメアリーと結婚しますが、バイセクシュアルであることをカミングアウトした後、彼女と別れます。

彼女を失った後の孤独と悲しみは、常にフレディの心について回ったことが描写されていました。

メアリーはずっとフレディのことを真に思いやる友人であり続けるのですが、セクシュアリティを捧げるパートナーの席をフレディが占めることはその後なかったようです。

バンドの他のメンバーと違い、フレディだけに自分自身の家族がいないという点も彼の寂しさを募らせます。

孤独に付け込んだマネージャーのポールに、ソロ活動開始後は公私ともに手綱を握られ、本当に彼を思いやる人々から隔絶され、精神的にはますます追い詰められていきました。

連絡がつながらないことを怪しんだメアリーが彼のもとを訪ねたことで憑き物が落ち、ポールを叩き出すと、バンドメンバーに謝ってクイーンに戻ります。

事実を辿ると、メアリーとの破局はカミングアウトではなくフレディの浮気によるもののようです(他のメンバーも浮気はしていたようなので映画では掘り下げなかったのかも)。

音楽メインの映画なので、ドラマとしての完成度は標準的ですが、どんな成功も寂しさを埋め合わせることはできないんだと思わされます。

そう考えると、映画冒頭で流れる曲が『Somebody to Love』だったのは秀逸な采配です。

できれば彼のセクシュアリティによる葛藤や、ソロ活動誘致による亀裂だけではなく、バンド活動の中での4人のぶつかり合いを(描かれているよりもっと多く)見たかったですが、時間の制限上難しそうなので致し方なし。

全編を通じて印象的だったのは、多少調子に乗ったり、無神経な発言をすることはあっても、フレディが基本的には素直な人に見えたことです。

音楽に対する真剣さや、メアリーへの思い、猫への愛着など、人間としての素朴な感情が伝わってくる場面が多かっただけに、終盤の運命はやりきれないものがありました。

フレディの無邪気さを受入れていたからか、そして各人が高学歴なこともあってか(なぜか全員理系)、他の3人のメンバーは理性的にフレディを支えていたように見えます。

 

バンドメンバーの再現度

主役でボーカルのフレディ・マーキュリー、ギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラー、ベースのジョン・ディーコン、それぞれについてかなり高い再現度でした。

特にブライアンとジョンは生き写しで、スクリーンを観ながら何度も「もうこれ本人じゃん…」と思っておりました。笑

当時の映像や、本人との交流などを通して振る舞いや雰囲気を研究しているらしいのですが、もはや再現のレベルを超えてました。

一番似ている人を決めるとしたらブライアンだと思いますが、それもそのはず、ブライアンが最も俳優陣の役作りに積極的に貢献したようです。

『ボヘミアン・ラプソディ』役作りの苦労をキャストらが語る - シネマトゥデイ

ロジャーは本人のほうがスレた感じがあるのと、フレディは体格がめちゃくちゃいいので演じたラミ・マレックと若干サイズ感が違いますが。

なおフレディの音声は、ほとんど本人の歌声を映像に当てているそうです。

私はそれを知らずに観ていて「本人みたい!」と勝手に感激していました(本人でした)。

 

おわりに

この映画の特徴は一にも二にも、クイーンの名曲が惜しみなく盛り込まれていることでしょう。

楽曲の魅力に充分に浸るためにも、少しでも興味のある方には映画館で観ていただくことを強く勧めます。

大抵の映画について「面白い作品は映画館で観たってPCで観たって魅力は味わえる」と思っている私ですが、本作については見解を改めております。

特に、クイーンにとって特別な場所であるウェンブリー・スタジアムでのライヴシーンは圧巻です。

クイーンをよく知らない方にも、彼らの楽曲を知る導入編として、是非お勧めしたいと思える映画でした。

 

 

 

Night at the Opera

Night at the Opera

 

映画『ペーパー・ムーン』

不朽の名作ロードムービーをご紹介します。

静かで淡々としているように見えて、でも2人を見守りたくなる不思議な映画です。

1973年のアカデミー賞で、本作のテイタム・オニールが史上最年少の9歳で助演女優賞を受賞しています。

 

あらすじ

1935年、大恐慌期のアメリカ中西部。

詐欺師のモーゼは、事故で亡くなった恋人の9歳の娘アディを、ミズーリ州の伯母のもとまで連れて行くことになる。

モーゼは事故の相手の元へ行って慰謝料をせしめ、アディを電車に乗せて送り出そうとするが、アディは慰謝料が彼女のものだと主張。

通報されるのを恐れたモーゼは、アディに返す金を詐欺で稼ぎながら、ミズーリ州まで彼女を車で送ることにする。

嫌々ながら2人旅を始めたモーゼだったが、アディは呑気な大人を出し抜く強かさを持った、驚異的に賢い少女だった。

 

聖書詐欺師モーゼ

モーゼは地方新聞の死亡欄を見ては、遺族の元を訪ね、聖書を売りつける詐欺師をしています。

あたかも故人が妻や家族のために聖書を注文していたのが届いたかのように話し、何も知らない遺族から小金をせしめます。

遺族は「まあ、あの人が私のために…?」と心を動かされたり、「死んだ人が注文したものなんて知らん」というのも気が引けるし、と思ったりするので、まあまあな回収率です。

有り難い名前を名乗っておきながら何てことをしているんだ。。。

モーゼはこの仕事で学んだ話術で、アディの母が亡くなった事故の相手先から慰謝料をむしり取ります。

で、自分の懐に入れようとしますが賢いアディは見逃しません。

使い込んだ慰謝料を返すまで、彼女を放り出さず一緒に旅をするよう詰め寄ります。

詐欺師だけど何やかんや極悪人ではないモーゼは、根負けしてアディの伯母がいるミズーリまでの道中、詐欺を続けながら返済をしていくことになります。

 

天才助手の出現

アディはモーゼの詐欺の助手として、天賦の観察眼と機転を発揮します。

聖書の代金として要求する金額を、相手の家や身なりから判断して上げさせたり、

子どもという立場を利用してお釣りをちょろまかして儲けたり、

スタートはモーゼの真似であるものの、すぐに彼以上のパフォーマンスを見せます。 

飲み込みが良くて頭の回転が速く、胆力もあり、それらの才能をフル活用しています。

しかも、モーゼが踊り子のトリクシー・ディライトにうつつを抜かし、お金を浪費した時には、他者を抱き込んで2人が分かれるよう工作する天才です。

それどころか禁酒法を逆手にとって商売する悪者すら手玉に取ります。

9歳とは思えない現実離れした頭の良さなのですが、手段は原始的なのでなるほどと納得してしまいました。

 

アディの気持ち

劇中、モーゼに言うことを聞かせ、大抵のことは思い通りにしてしまう(ように見える)アディですが、ほとんど笑いません。

感情をほとんど出さず、何だか寂しそうに見えますが、後半はモーゼとの絆が深まり、やや心を開いているようにも見えてきます。

彼女はモーゼが自分の父親ではないかと考えて、何度もそう尋ねていました。

その度に否定されますが、それでも何度も訊いていること、優しく裕福な叔母の家をすぐに飛び出してモーゼを追いかけるところを見ると、アディはモーゼが父だと信じているようです。

事故で突然母を失い、挙句に一緒に旅した父からも離れるのは嫌だったのかもしれません。

まして悪行に失敗してぼろぼろになったモーゼはなおさら心配だったのでしょう。

アディが子どもらしからぬ知恵と冷静さを身に付けたのには、寂しい背景があったんじゃないかと勘ぐってしまいますが、2人で選んだ結末の先に少しでも楽しい時間が控えているといいなと思います。

なお原題そのままのペーパー・ムーンという言葉には、作りもの、まやかしという意味があります。

モーゼが本当にアディの父親かはさておき、疑似家族のちぐはぐした温かさを予感させるキーワードです。

 

ライアン&テイタム・オニール

実はモーゼ役は、アディを演じたテイタム・オニールの実の父なのですが、その割にアディはめちゃくちゃ表情が硬い。

気になってWikipediaを見てみたら、テイタムは幼少期に親から虐待を受けていたとのことで、アディの纏っていた寂しさの理由はもしかしたらこれかも、と思うと遣る瀬無い気持ちになりました。。。

愛されて天真爛漫な子どもが、アディを演じるためだけにあのオーラを出していたなんてことがあるのか?と不思議だったのですが、実体験からアディの気持ちを一部知っていたのかもしれません。

完全に信頼はできない、無償の愛を期待できない相手でも、自分自身の知恵で武装しながら追いかけていくと言う姿勢を感じてしまいました。

まだ200ドル貸しがある、とモーゼを呼び止めるのではなく、置いていかないでと言えれば良かったと思うのは、そういうことはエンターテイメント作品に期待する話じゃないかもしれません。

実際、アディの「孤高の子ども」感がこの映画を特別にしているのは間違いないので、彼女が普通の子どもみたいだったら、ただのほのぼのロードムービーになってしまったでしょう。

でもいつか、そうやって素直な気持ちをぶつけられる相手にアディが出逢えたらいいなと思います。

 

おわりに

普遍的な物語になるようシンプルな脚本を目指した、という製作者の意図が見事に奏功して、時代関係なく引き込まれる映画になっていました。

各種レビューの点数が高いのも頷けます。

モノクロ画面や、アメリカ中西部の荒涼とした雰囲気もあいまって、寂しさを常に感じる映像ですが、「広い世界に2人きり」感があってストーリーによく合っていました。

素朴なロードムービーが観たい方にお勧めしたい映画です。

 

 

 

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諸々の映画つぶやき

ブログをお休みしている間、Twitterで映画情報を集めたり、大喜利に参加したり、映画に対する想いを雑多に呟いたりしておりました。

一部のツイートはいつか記事に仕上げたいので、備忘も兼ねてまとめます。

 

 

 

 

 

 

やっぱりツイートの集合ではすぐに読み終わっちゃいますね。

またレビューを書きますので、引き続きよろしくお願いします。

 

 



映画『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』

時間をどう過ごして行くかについて考えたくなる、ヒューマンドラマ兼ラブコメディをネタバレしつつご紹介します。

Twitterで沢山の10代・20代の映画ファンから好きな作品として支持されていたので、気になって観てみました。

 

あらすじ

イギリスはコーンウォール出身のティムは、21歳の新年に父からある秘密を打ち明けられる。

彼の家系の男性は皆、過去にタイムトラベルできる能力を持っているという。

信じられないティムだったが、やがてタイムトラベルの力を利用して恋人を得たいと奮闘するようになる。

実家を出てロンドンで働き始めた彼は、望み通りタイムトラベルの力を借りて、意中の女性との恋をスタートさせた。

全て上手くいくかに見えた人生だったが、しばらくして彼はタイムトラベルでは解決できない問題に直面してしまう。

 

幸せな愛の物語

本作が魅力的な理由は、第一に笑いの沢山詰まったラブコメディとしての完成度です。

恋人が欲しいという若者らしい感情からスタートし、出会えた素敵な女性と距離を縮めるためにトライ&エラーを繰り返し、時にはそのために男友達を利用し、ぞんざいに扱い(ジェイとローリーの扱いが度々かわいそう)、何とか恋人になろうと手を尽くします。

奮闘ぶりや上手くいかない展開に思わず笑ってしまう場面は数え切れません。

恋人を作る以外にも、大家兼友人のハリーの職業的危機を救ったり、彼の誰にも知られない奮闘ぶりだけで別の映画が作れそう。

しかし、イギリスらしいひねったジョークを交えつつも、ティムが意中の人を褒めたり想いを伝える台詞はいつも一生懸命で温かいです。

メアリーと結婚してからは特に、彼女や彼女との子どもを大切に思う気持ちが常に感じられます。

息の合ったメアリーとのやり取りは、いつも笑いの要素とお互いへの安心感があって、見ていて飽きません。

そんな2人の結婚式は、とんでもない悪天候に見舞われ、ゲストも主役の2人もずぶ濡れになる大混乱になります。

けれどティムはタイルトラベルして日程を変えるでもなく、メアリもーまた「別の日が良かった?」と聞かれても否定し、ただ大切で賑やかな思い出として結婚式の思い出をそのままにします(一部若干の補正は入りますが)。

多少大変なことが起こっても、この2人なら笑いあって乗り越えていけそうなことを象徴する場面だと思いました。

メアリーはレイチェル・マクアダムスが演じる優しく愛情溢れる女性で、ティムといる時の自然体な明るさや、彼の家族とも打ち解けている様子から、彼女の温かい人柄が伝わってきます。

 

戻れない時間を生きること

順風満帆かに見えたティムの人生ですが、ある日大事な妹キットカットが交通事故を起こして重傷を負います。

腐れ縁の恋人と長年上手く行っていなかったことからアルコール依存になり、起こしてしまった事故でした。

ティムはタイルトラベルで事態を解決しようとするものの、数年前に戻ってキットカットと恋人の運命を変えると、なぜか自分の娘ポージーが別人になってしまいます。

一瞬でも人生の経過が変わると、子どもを作る遺伝子が変わってしまい、タイムトラベル前とは違う子が生まれてしまうためでした。

ティムはタイルトラベルでの解決を諦め、事故後のキットカットを恋人と別れるよう諭します。

起こってしまったことから逃げず、今ある結果と向き合うしかない時があるのだと実感させられます。

大好きな父が不治の病に冒されたとき、そして亡くなった後も、この「子どもが生まれる前には戻れない」という展開が重要な鍵を握ります。

父の体を冒す肺がんは喫煙によるものですが、ティムが生まれる前からの習慣なのでタイムトラベルして変えることはできません。

そして、死後もタイムトラベルして生前の父に会うことはできるけれど、その後に子どもができれば、もう二度と会えなくなってしまうためです。

 

タイムトラベルが教えるもの

ティムの父は、何気ない1日を普通に過ごした後、その1日をもう一度生き直すことをティムに勧めます。

「1度目は忙しさや慌ただしさで気づかなかった小さな良いことに、2回目では気づくことができるから」です。

しかし、キットカットの事故や父の死によって、特別な力があっても、人生には引き返せないポイントがあることに気づいたティムはあることを決めます。

1日1日を「未来からタイムトラベルしてきた自分がこの日を過ごす最後のチャンス」だと思って生きることです。

前半でタイムトラベル乱発のコミカルな場面が続いた後、静かに後半のシリアスな展開に移行しますが、教訓臭さや唐突感はなく、むしろ前半あってこそのメッセージです。

序盤から時々映し出されるコーンウォールの美しい風景が、終盤でたまらなく大切な思い出に結びつく場面があり、その意味でも全体の流れが巧みだと感心させられました。

 

おわりに

タイムトラベルで日々の何気ない問題を解決しようとしてみるものの、後々もっと大切なことに気づく、という展開自体はどこかで見た感があるかもしれません。

しかし、前半のコメディとしての面白さに浸るうちにティムやその家族やメアリーのことが好きになり、後半の哲学にもすっかり引き込まれていく、という流れの完成度が高かった。

ティムも、彼の両親や妹、不思議なデスモンド叔父、メアリーも、個性溢れる面白さを持っているうえに、お互いを大切に思う気持ちが映画全体の雰囲気を優しくしています。

特に、キレキレのイングリッシュジョーク全開の父は名言満載で、笑いあり涙ありのラブコメディ兼ヒューマンドラマにぴったりの人材です。

ティムの父を始めとした彼の家族が態度で伝えているように、別れやつまずきなど、悲しいことがあっても、大切な人と大切に過ごす時間があるから人生は愛おしいのかもしれません。

恋人やパートナーなど、大切な人と時間の過ごし方について考えたい時におすすめの映画です。

 

 

 

 

 

映画『君の名前で僕を呼んで』

Twitter界隈で今年話題になっていた本作を観てみました。
ネタバレします。

 

 
あらすじ

学者の父と博識な母を持つエリオは、自身も読書や作曲に親しむ知的で穏やかな少年だった。

毎年夏に北イタリアの別荘で過ごす際、父はいつも教え子を連れてくる。

その年の学生はアメリカ人のオリヴァーだった。

エリオは知的で穏やかながら逞しいオリヴァーに惹かれていく。

彼はオリヴァーの気持ちを図りかねて距離を取ったり、顔馴染みの少女との仲を深めたりと、悩み多き夏を送る。


初恋の儚さ

繊細な少年エリオは、知性と逞しさを兼ね備えたオリヴァーに心を掻き乱されます。

人生経験も心の余裕もある歳上の相手に対する純粋な憧れと、生身の人間への欲望が入り混じった若さ溢れる恋心が、エリオの表情や挙動から痛いほど伝わってきます。

演技に見えない自然さも相まって、自分の10代の頃の恋を振り返ってしまう人続出間違いなしの、隅から隅まで素晴らしい演技でした。

初恋の儚さ云々は勿論ありつつ、エリオを演じるティモシー・シャラメ自身が持つ雰囲気の儚さも、映画全体の魅力を大幅に底上げしています。

憧れも弱さもそれを隠そうとしている気持ちも、あまりに如実に伝わってくるので、物語の起伏は少ないものの手持ち無沙汰になりません。

端々から滲み出る抜き身の感情も、容赦なく思春期の不安定さを思い起こさせ、共感を鷲掴みにします。

この危うさこそが、それを受け止めるオリヴァーの優しさを、ますます頼もしいものに見せているかもしれません。


映像と音楽の美しさ

こんな映画は他にないと思わせるもう一つのポイントは、映像と音楽の美しさです。

映像については、イタリアの夏の明るさ、でも南部ほどアクが強くない北イタリアのちょうど良さが全開です。

別荘がある田舎の自然豊かな風景も、少し離れたところにある小綺麗な街並みも、静かで特別な夏の思い出の背景にぴったりでした。

台詞が少なく、エリオが自室や庭で1人で考え込んでいる場面が多いのですが、どの場面を切り取っても美しい画面しかない気がします。

彼の心象風景として完璧な表現が用意されていると言ってもいいかもしれません。

衝撃的なラストシーンの前に、冬の景色が長めに差し入れられるのも効果的でした。

音楽はエリオが弾く曲を含め、シンプルなピアノ曲が多いです。

思考を邪魔せず上品に入ってくるけれど、映像の美しさを引き立てるところもあり、絶妙な心地よさです。

音楽だけでも聞いてみたいなと鑑賞中から思ってしまいました。

 

辛くても美しい

エリオの両親はエリオとオリヴァーの思いに気づきつつ温かく見守っています。

明に暗にエリオの背中を押す母は、知的な多ヶ国語話者で、彼を迷いごと受け入れる優しさも持っています。

観てるだけで好きになっちゃいそうな素敵な女性でした。

考古学者の父は沈黙を守っていたけれど、夏の終わりのオリヴァーとの別れに打ちひしがれるエリオを穏やかに慰めます。

今は辛いだろうし、もう何も感じたくないと思うかもしれないが、感じないよう心を抑え込んでは自分をすり減らしてしまう。

辛い気持ちを受け入れ、喜びも悲しみも、自分の感情をこれからも認めていくよう励まします。

多くの人が恋愛で辛い思いをしたことがあると思いますが、だからと言って「恋愛なんて良くない」「あんな思いしない方がいい」と思う人は少ないでしょう。

辛さや悲しい思い出も、感情の奥行きや幅を広げ、心の血となり肉となるからです。

次項でも述べますが、それは恋の相手が異性でも同性でも変わらないことです。

初恋の相手と結婚まで行かない限り、誰もがどこかで別れや失恋を経験します。

本作は初恋の思い出というモチーフで、同性愛と異性愛の差異を忘れさせ、誰にでもある悲しいが大切な思い出を描きだした物語と言えます。

 

同性愛に普遍性を描く

舞台は1983年なので、エリオの両親は当時としてはかなり先駆的な価値観の持ち主だったでしょう。

エリオたちの恋愛感情をあるがままに受け入れ、異性愛者の恋と何ら変わるところなく激励する場面に、懐の深さと聡明さがあふれていました。

人が人を好きになる気持ちの本質は、異性愛だろうと同性愛だろうと変わらないのだと思います。

気になる相手がいても近づけなかったり、

気を引こうとして思ってもない行動に出たり、

嫉妬してうまく気持ちを伝えられなかったり、

一緒にいれば他愛ないことも楽しかったり、

別れの時がたまらなく辛かったり。

そうした情動はヘテロセクシュアルの恋愛映画と全く同じです。

ハリウッド映画の『ブロークバック・マウンテン』を観た時も同じことを思いましたが、その時は「共感できない濡れ場って辛いな」という素直な感想がありました。

ただ今回は、エリオを演じるシャラメの中性的な雰囲気も相まって、がっつり引き込まれ、強い魅力を感じました。

恋する中で誰もが感じる気持ちを丁寧に描き、また、エリオとオリヴァーの接触を徹底して美しく描写することで、恋愛感情の普遍的な部分を巧みに取り出していると言えます。

前項の初恋を乗り越える経験という点も相まって、2人の恋愛感情を特別なもの、同性愛として目立たせるのではなく、普遍的な淡い恋愛として描いています。

 

おわりに

本作は『ビフォア』3部作のように続編を前提としているらしいので、楽しみに待ちたいと思います。

原作の小説も読んでみたいです。

想像以上に物語の起伏はなかったけれど、不思議なほど余韻が残り続ける映画でした。

人生の辛さ悲しさも美しく写し取ってしまう点において、イタリア映画やフランス映画にはいつも驚かされます。

儚く切ない恋愛映画をお探しの方に、おすすめしたい作品です。

 

 

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映画『タイピスト!』

お洒落で可愛いフレンチラブコメディをご紹介します。

テンポが良く、観ているだけで楽しい美しい映像についつい引き込まれてしまいました。

ネタバレします。

 

 

あらすじ

1950年代後半のフランス。

バス=ノルマンディー地方の小さな村出身のローズは、親が決めた村の男性との婚約から脱走すべく、保険代理店の秘書の仕事を見つける。

彼女はタイプの才能を買われてルイに雇われたものの、失敗続きで秘書としては失格だった。

しかし、タイピングの大会に出ることを条件に雇用継続を許されたローズは、ルイによる猛特訓を受けながら仕事を続ける。

お互いを冷たい都会人と世間知らずの田舎娘と思っていた二人だったが、練習で時間をともにするうちに向き合い方が徐々に変わっていく。

 

ローズとタイピング

ローズは実家の雑貨店で練習したタイプを披露して、秘書の採用面接を突破します。

実家の父が強行しようとする修理工場の息子との結婚に屈せず、自活するために何が何でも仕事が要ったからです。

不器用だけど強い意志を持ったローズの姿勢に最初から共感してしまいます。

状況を変えたいと思うだけでなく、タイピングという具体的な技術で生きる術を探そうとしているところも好感度高め。

仕事がなくなっても男なら戻らない、というローズの言葉が表すように、女性が独立心を持って生きることが目新しかった時代ともなればなおさらです。

チャンピオンの女性たちに熱狂的なファンがいるのも、自立した女性のシンボルとしての一面があったからかもしれません。

普通の女性が身につけることができて、仕事につながって、且つ人と競う場があるスキルなんて珍しかったんじゃないでしょうか。

ローズがタイプしている場面は、音楽の可愛らしさと表情の明るさが相俟って、観ていて楽しいです。

最初はゆっくりながら、リズムに乗ると一気に加速していきます。

10本指で打つ練習中にキーと同じ色でマニキュアを塗っているところも、お洒落で憎い演出です。

そしてローズを演じるデボラ・フランソワは、人間味あふれる表情で彼女のキャラクターを何倍もリアルにしています。

フランス大会で疲弊し、「ここまで頑張ったし満足だからもう優勝なんてしなくていい」と本音を吐露するところ、

寂しさを堪えながら目標に向かい練習を続ける時の大人の無表情など、

どんどん綺麗なレディになっていく中でも見え隠れする人間らしさの見せ方が秀逸です。

序盤の天真爛漫な田舎の女の子ぶりとの対比が見事でした。

 

優しい鬼コーチ ルイ

ローズは秘書としては無能ながら、タイピストとして才能があると判断したルイは大会に出て優勝しろと彼女に言います。

10本指のブラインドタッチではなく、2本の人差し指でひたすらタイプし続ける彼女に「10本指ならもっと打てる」と改善を提案し、

最初の試合で予選敗退した彼女を叱咤激励し、

終業後も指導ができるよう住み込みさせ、

練習時間が取れるように炊事洗濯もし、

最早鬼コーチと言うか執事かもしれない男性がルイです。

幼馴染で恋人だったマリに未練がありますが、元米兵の夫ボブと暮らす彼女を見守っています。

鬼コーチ兼甲斐甲斐しい執事のルイは、1番になることにこだわり徹底的にローズを鍛えます。
彼自身の父に勝利への価値観を叩き込まれたこと、マリの1番のパートナーになれなかった経験から、今度こそは何としても勝ちたいためです。

そのルイとローズは、(大方の予想通り)一生懸命タイプの訓練をするうちにお互いを好きになりますが、ルイの不器用さが邪魔してなかなか進展しません。
彼女を奮起させてフランス大会優勝まで導いたものの、さらに世界大会に向けて彼女を駆り立てる切り札はない。
そう指摘されたルイは、歯がゆさを爆発させるローズを突き放し、世界大会目前で彼女の元を去ってしまいます。

 

勝つことと幸せ

ローズは寂しさを封印しながら、世界大会に向けて訓練を続けます。
フランス大会優勝後、タイプライターメーカーの後援がつくも、心を開けるパートナーがいない彼女。
世界大会で絶体絶命の危機が訪れます。
一方ルイは、幼馴染マリに抱いていた思いをぶつけます。
愛していたのに、レジスタンスから戻ったら彼女がボブと結婚し、主婦となって彼の元を離れてしまい辛かったこと、ずっと未練があったこと。
また大切な人を失うかもしれないのは怖いこと。
 マリはルイの恐れを受け止めつつ、「怖いのはみんな同じ」と諭します。

今度こそ心を決めたルイは、世界大会が行われるアメリカに駆けつけ、窮地に陥ったローズの背中を押します。

結果発表を待たずにキスする2人の場面がなければ、この映画のメッセージは全く変わってしまうことでしょう。

本作は一貫してタイピング大会という勝負の場で戦い続けるローズとルイの姿を描き、勝つために頑張る2人を丁寧に描写しながら、その途中で得られるものを描いています。

ローズは世の女性からの賞賛も、確執があった父親からの承認も、ルイたちとの新しい人間関係も手に入れます。

ルイも、勝利にこだわりつつ最後の瞬間で勝負に出られなかった自分を見直します。

でも2人は勝負の結果を待たずに自分たちの気持ちを決めるところがグッときます。

勝つために頑張ることは自信や新しい世界を与えてくれるけど、誰かに勝つこととは別のところで、愛や幸せは自分自身で掴みにいくことが必要です。

勝つことができなくても、愛や幸せが受け取れるかどうかはまた別の話で、その人次第です。

お洒落で可愛らしい映像や、コメディ展開の中にもそうしたテーマが埋め込まれており、全方位で高得点な映画でした。

 

おわりに

軽快で取っときやすいラブコメ

タイピング大会というエンターテイメント、

お洒落で目を奪う映像、

物語全体のメッセージ、

どれを取っても良作と言える映画です。

元気と笑顔以外に取り柄がない朝ドラヒロインのような女性の人生が、なぜか元気と笑顔だけで上手くいく話かと思いきや、隠れた名作でした。笑

また、女性の自立を促し、沢山の人が熟練度を競い合い、選手も観客も熱狂させるタイピングというスキルがテーマだからこそ、こんなに面白い映画になったのだと思います。

タイピング+50年代と言う舞台、設定の魅力が如何なく発揮されている点も完成度が高いです。

元気が出るお洒落なコメディをお探しの方にぴったりの映画です。

 

 

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映画『そして父になる』

今年のカンヌ映画祭パルムドールを受賞した是枝監督が、前回カンヌで賞をとった作品です。

ネタバレです。

 

あらすじ

何不自由なく暮らし、一人息子・慶多の教育に力を入れる野々宮家と、

裕福でも教育熱心でもないが愛情を持って琉晴をはじめとする子どもたちを育てている斎木家。

両家はある日、同じ日に生まれた互いの息子が、病院で取り違えていたと知らされ愕然とする。

野々宮家の父親・良多は、子どもが入れ替わった時に気付かなかった妻・みどりを責め、金銭的な優位を主張して子どもを二人とも引き取ろうとする。

しかし、斎木家から反発され、みどりからも反感を抱かれてしまう。

二つの家族の再構成の道を探る中で、良多は今まで無頓着だった家族との向き合い方について、自らを省みることになる。

 

 

対照的な二つの家庭

良多は大手建設会社に勤めるエリートサラリーマンで、収入も高ければ学歴も高い男性です。

みどりが慶多を産んだ時は個室を手配し、行き届いた医療が受けられるようにしているし、

慶多が優秀に育つように小学校受験をさせ、受験対策の塾にも通わせています。

でもどちらも、良多自身が家族と向き合おうとして行っていることではなく、自分の満足のためにしていたことだと、大抵の人にはわかると思います。

取り違えが発覚した時、良多は「そういうことだったのか」と独白します。

慶多がいまいち優秀ではないことに疑念を感じていて、取り違えだと知らされた時「実の子ではないから自分のように優秀ではなかったんだ」と納得した情動は、愛情深い父親とは程遠いものです。

反対に斎木家は、学はあまりないかもしれませんが、子どもたちの心に何が起こっているか、関心を持って向き合っているように見えます。

金銭的な事実だけを盾に、子どもがもう一人くらい増えたってどうってことないから引き取る、という彼の提案を、斎木夫妻はすぐさま拒みます。

そんな風に引き取られた琉晴がどう感じるか、そんな理由で子どもと引き剥がされた夫妻がどう思うか、全く想像が及んでいないところにドン引きです。

この辺りで明らかに、良多が慶多を一人の個性を持った人間として愛しているのではないことを確信させられます。

出生時や小学校受験時に惜しみない費用が割かれていたのも、慶多の将来のためと言いつつトロフィーチャイルドが欲しかっただけでしょう。

慶多が小学校受験に受からなかったら、きっと露骨に冷たくしていたと想像できます。

 

心が育つ場所

慶多は大人しくてよく両親のことを聞く従順な子ですが、感情を天真爛漫に解放する子どもらしさはあまりありません。

良多がお風呂も勉強も一人でできるようにさせる方針を持っていて、人間の感情に興味がないため、誰かと時間を共有して楽しむことや、素直に表現した感情を受け止めてもらえる安心感を知らないためと思われます。

どう見たって琉晴のほうが素直で楽しそうなのですが、その差に絶対気づいてないだろ良多。

人の心の機微なんかより学力の方が大事、

友達より学歴を得た方が人生上手くいく、

と言う信念の親と一緒にいたら、人と楽しく過ごす時間の大切さを学ぶ機会はないです。

斎木夫妻のことも明らかに見下してるし。

妻のみどりもだんだんと、斎木家と関わるうちに良多に対する疑問が膨らんでいったようです(じゃあ何で結婚したんだって話ではありますが)。

 

家族と自分と向き合う

両家は生みの親のもとに子どもたちを戻そうと決意し、良多は「これは強くなるためのミッションだ」と慶多に言い聞かせます。

良多は寂しい幼少期を送ったであろうことが描写されているので、家族に甘えられない寂しさを乗りこえる=強くなる、という考えを無意識のうちに抱いていたかもしれません。

そして野々宮夫妻なりに琉晴と仲良くなろうとするものの、あまり上手くいきません。

二人の愛情不足ではなく、育ての家族、育てた子慶多との絆を自分の中で簡単に断ち切れないと気付いてしまったからでした。

今まで人の感情に関心のなかった良多は、血のつながりがない家族にも心のつながりができることに動揺します。

二人の子どもを意図的に入れ替えた看護師を、彼女の継子が「僕のお母さんだから」と庇ったこと、

いつも素っ気なく接することしかできなかった自分の継母が、昔も今も良多を温かく受け入れてくれること、

そうした体験も徐々に良多の気持ちを変えていきます。

最後に、寂しさから斎木家に帰りたいと言った琉晴とともに、良多とみどりは斎木家を訪れます。

慶多は二人を見て立ち去ってしまいますが、良多は彼を追いかけて「もうミッションなんか終わりだ」と話しかけ、再会を喜びます。

愛している人と「一緒にいたい」「一緒にいられて嬉しい」と表現し、その気持ちを良多も慶多も諦めずに済んだことが、何より良かったと思えるラストでした。

 

おわりに

子どもの教育のために充分なお金を出していれば、良い親認定された時代もあったのかもしれませんが、良多が生まれた時代はそうではないし、自分の人間らしい感情に向き合った後の方が幸せそうに見えます。

良多は寂しい気持ちを抑え続ける子ども時代を過ごして、知らず知らずのうちに家族の温かさを期待しないようにしていたのかもしれません。

でも、継母やみどり、斎木家の人々、何より慶多と関わる中で、小さな頃から本当に求めていたことに気づけたようです。

戸籍上家族であるだけでなく、血の通った人間関係を築くことについて考えたい、という方に是非観て欲しい映画です。

本作はフィクションですが、実際にあった新生児取り違え事件をベースにしています。

そのケースでも、2つの家族を統合するというかたちが模索されたそうです(大抵の場合、生みの家族に戻った子どもは育ての家族にその後会わない)。

この映画とは別の出来事としてではありますが、いつかこちらも書籍等読んでみたいと思います。