外国語を聴く練習
前回の読む練習に引き続き、外国語のリスニングの練習について書きます。
自分のリスニング練習を振り返ると、「好きだったし上手くなりたかったから沢山聴いた」というのが全てです。
何かを聴くだけで喋れるようになったとか、こんな練習をすれば何でも聞き取れるようになる、といった方法は特にありませんでした。
月並みですが、大量に聴くうちに少しずつ聞き取れるようになりました。
ごく普通の学習者の私ですが、今まで使ったものやサービスの中で、特に練習に役立ったなーと思うものをまとめてみました。
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小説『深い疵』
初めて小説をご紹介します。
ドイツ発の推理小説です。
舞台はフランクフルト近郊の刑事警察署で、オリヴァーとピアという2人の警察官が主人公です。
オリヴァー&ピアシリーズは本作が3作目。
シリーズの中で最も人気の高いものから日本語訳が発表されたため、本作が日本語訳第1号でした。
あらすじ
米国大統領顧問を務めた著名なユダヤ人の老人が、自宅で射殺されているのが発見され、オリヴァーとピアたちのチームが捜査に着手する。
明らかになったのは、被害者がユダヤ人ではなく、ナチスの武装親衛隊員だったという驚愕の事実だった。
しかしその後、現場に残された謎の数字の意味も、犯人もわからないまま、第二、第三の殺人が発生する。
被害者同士の共通点を探る内に、フランクフルト地域の富裕な老女ヴェーラ・カルテンゼーが浮かび上がる。
続きを読む映画『婚前特急』
ドラマ『東京タラレバ娘』の主演を務めた吉高由里子がヒロインの映画。
ストーリーが緻密でなくてもいい、たくさん笑える恋愛映画が観たい、という方にお勧めです。
あらすじ
限られた時間を有効に使って人生を楽しむため、5人の彼氏と付き合っている主人公チエ。
ある日、親友の結婚に触発されて5人を査定し、自分も結婚できる「本当の相手」を見つけようとする。
しかし、一人に決めねばならないとなると各彼氏の足りないところばかりが気になってしまう。
ヒロインの我が儘ぶり奮闘ぶりが楽しいラブコメディ。
ゆるりと観るコメディ
面白いコメディですが緻密さはないです。笑
ゆえに、伏線や緻密さは期待せず、ゆるりと観るのが良いと思います。
「あれって一体なんの意味があった?」と思うネタがちょこちょこあるので。
そんな中でも、彼氏の査定というメインストリームはきちんとオチまで描かれているので心配ありません。
純粋な年下大学生、お金持ちの既婚男性、趣味に生きるやんちゃな社会人、バツイチで包容力のある年上男性、同世代で気楽な男性、とバリエーションあるチエの彼氏選択を観察するのもいいでしょう。
気が向いた時に、その時の気分に合う誰かと会っていたからこそ楽しかったチエですが、誰かを生涯のパートナーにしようと考え始めると、途端に迷い始めます。
それぞれに足りないところがあるだけではなく、真っ先に切り捨てようとした相手からは「俺たち付き合ってないじゃん」とまで言われる有り様。
彼女の彼氏査定の行く末は意外な結末だったので、「へえー」と思いつつ眺めていました。
チエ役 吉高由里子
ヒロインのチエは、5人の彼氏それぞれと恋愛を楽しむ、高飛車な女性です。
5股の理由も理由なので、これだけ書くととんでもなく嫌な奴です。
でも、彼女が演じているとコミカルだし、妙にしっくりきます。
奔放な我が儘ぶりを観ていて笑ってしまうし、自分の欲しいものって何なんだろう、ともがいている様子が可愛く見えてきました。
『横道世之介』のお嬢様役もそうだったし、『東京タラレバ娘』もそう思ったのですが、この方はコメディエンヌ適性が高いですね。
ちょっと悲惨な目にあっても「うっ痛々しくて観てられない」という気分にならず、
わーわー騒いでいても「うっさいなー静かにしなよ!」という気持ちにならず。
名脇役も揃っている
そして、彼女に負けないコメディ適性を発揮していたのが、5人の彼氏の中で「一緒にいて楽」しかメリットのない田無タクミ役の浜野謙太さん。
全然知らない人だったので、先入見なくまっさらな状態で演技を観られました。
この人しかいないって思えるくらいハマっていました。
適当でガサツで見ててイラッとしますが、あまりにあっけらかんとしていて笑わされてしまいます。笑
チエの親友役を演じるのは杏です。
彼女の結婚によりチエは「私も!」と触発されて結婚に向け動き出します。
杏夫婦を見たチエが「いいね。2人見てると、本当の相手って感じがする」と言う場面がとても好きです。
夫婦で話している様子がとても温かくて落ち着いていて、恋が愛に変わった2人、という雰囲気が漂う場面でした。
恋人として会えない時間にやきもきしたり、連絡が取れなくて不安になるような段階を乗り越えた感じが滲み出ています。
お互いに大人で、認め合ってる感じがしました。
おわりに
肩に力を入れず、彼氏査定の行方をゆるりと楽しんでほしい映画です。
ドタバタラブコメのお勧め作品リストに入れたいと思います。
吉高由里子さんは、コメディエンヌぶりも光っていましたが、きれいめファッションと美脚ぶりも注目に値します。
これからも彼女の素敵なコメディが観てみたいです。
映画『風と共に去りぬ』2
大作映画『風と共に去りぬ』のレビューの続きです。
前記事でヒロインのスカーレットについて書いたので、本記事では彼女にとって重要であり続けた2人の人物と、故郷への愛、小説との違いを書きます。
レット・バトラー
レット・バトラーは、故郷の家を出奔し、ふらふらと暮らす怪しげな山師として登場し、後に南北戦争を利用して巨万の富を築きます。
しかし、そんな彼は人生の分岐点にいつも現れ、スカーレットを助けてくれる存在になります。
スカーレットと対照的にレット・バトラーは、他者に対する親愛や敬意の示し方を心得ています。
その証拠に彼は、同性の仕事仲間だけでなく娼婦ベルや、愛娘ボニー、スカーレットの義妹メラニーとも信頼関係を築いていました。
何より彼は、自分の信念や感情に嘘をつかない姿勢を持っています。
南部への忠誠なんてないし、金儲けができればどうでもいいと言いながらも、ひとたび故郷への思いを胸にすると即行動を起こします。
そして、タフな状況を自分の人脈やコミュニケーション能力で乗り越えていくクレバーな人物でもあります。
しかし、正義感や情熱を感じさせる言動をあまりせず、偽悪的な振る舞いをしてみたりします。
自分で時代を生き抜く力を持っていると言う点、欲しいものに対して遠慮も躊躇いもしない点では、彼はスカーレットと共通しています。
それゆえに彼女を愛するようになるのですが、彼女を良く知っているからこそ、愛していることを全面に出して遜る態度はとりません。
(もしそうしたら、愛し合う関係ではなく、スカーレットを上に置く上下関係になってしまうことを察しているため)
彼女の苛烈さをからかったり、他の女性との違いを冗談めかして指摘していました。
結末を知ってからそうした場面を思い出すと、とてつもなく切ない気持ちになります。
義妹メラニー
物語の中でもう一人、スカーレットとの対称軸になるのは義妹のメラニーです。
彼女は優しさに溢れた穏やかな女性ですが、愛するものを守るためには毅然とした対応ができます。
スカーレットが目的達成のために冷酷にもなれる一方、メラニーはそうしたことが決してできない人物です。
一方、誰に対しても友好的に接して敵を作らないところは、スカーレットにはない強みだと言えます。
彼女はスカーレットが少女時代からずっと好きだったアシュリと結婚し、スカーレットの嫉妬の対象になります。
それなのに、美しく人気者の姉として、後には戦場での命の恩人だといってスカーレットを慕い続けます。
これもスカーレットには決してできないことです。
戦争が終わり、生活が落ち着いてくるにつれ、スカーレットは以前ほどメラニーへの反感を抱かなくなったように見えます。
それでもやっぱり彼女を誉めたりする言葉が少ないのは、恋敵と言う関係性だけでなく、自分と正反対の彼女を認めること=自分を否定することと思ってしまったからかもしれません。
故郷への思い
南北戦争の戦場となったアトランタで、スカーレットは故郷タラへ遠大な道を旅して帰ることを決めます。
荒廃し、北部軍がうろつくタラまでの道を無事に通過できる保証はありません。
若く健康なスカーレットだけでなく、産後で死にそうになっているメラニーや、幼い息子ウェイド・ハンプトンも連れて行かねばなりません。
加えて、タラが無事かすらも分からない時のことです。
それでも、彼女は何を置いても故郷に帰ると言って聞きませんでした。
故郷タラに戻ることは、彼女にとって本来の自分に立ち返り、新しい時節へ踏み込むための重要な行動なのです。
冒頭、若い少女であるスカーレットに、父ジェラルドが語って聞かせる場面があります。
「この世で頼りになる唯一の者が土地だ」
「土地は母親と同じだ」
「お前もいつか土地への愛に目覚める」
物語の舞台はタラを離れて何度か変わることになりますが、オハラ家の娘スカーレットの心の中で、タラは重要な場所であり続けます。
小説との違い
映画も素晴らしい大作ですが、映画が気に入った方には是非とも小説も読んでいただきたいです。
スカーレットを取り巻く人間関係についてよりたくさんのエピソードがあるので、心理描写や人間模様についてより詳しく楽しめると思います。
また、南北戦争後も続いた南北の対立感情の所以や、黒人奴隷と南部人との絆についてとても詳細な描写がされています。
奴隷解放についてもっと勉強したうえで、再度見返してみたいと思っています。
長くなってしまいましたが、スケールの大きいドラマチックな作品に触れたい方に、是非映画も小説もお勧めしたいです。
映画『風と共に去りぬ』
愛とは、人間とは、という壮大なテーマを描いた作品です。
厳しい時代を生き抜く強さや故郷への愛など、他にも人生にまつわる重厚な示唆に富んでいます。
激動の時代を生きる強いヒロインと、彼女を取り巻く群像劇がメインの、大河映画の傑作です。
あらすじ
ジョージア州のオハラ家の長女スカーレットは、父が一代で築いた大農場タラの令嬢。
豪快な父と、美しく賢い母に育てられ、その美貌で社交界じゅうの男性を夢中にさせながら天真爛漫な少女時代を過ごしていた。
しかし、ひそかに思いを寄せていた男性アシュリは、凡庸で大人しいメラニーと結婚してしまう。
また、間もなく南北戦争という「風」がやってきたことでスカーレットの優雅な生活は一変。
やがて南部の町も戦場と化す。
そして、米国南部は激しい戦闘ののち北軍に制圧されてしまう。
戦場を逃れ、命からがらタラに帰り着いたスカーレットたちだったが、待っていたのは変わり果てた家族の姿だった。
美しかった故郷は焦土と化している。
食料も財産もなく、愛する母や威厳ある父も失ったスカーレットは、絶望的な状況の中で家族を養い、導かねばならない事実に直面する。
そして激しく絶望しながらも、敗戦後の厳しい時代を何としてでも生き抜き、家族とともにふたたび誇りある暮らしを取り戻すことを神に誓う。
南北戦争の風が吹き荒れる激動のアメリカで、南部の貴族社会に生きた主人公スカーレット・オハラの半生を描く小説の映像化作品。
厳しい時代を生き抜く強さ
最初に、『風と共に去りぬ』屈指の名言として語り継がれる下記のせりふをご紹介します。
戦火に包まれたアトランタから逃れ、スカーレットは文字通り必死で故郷タラまで帰り着きます。
しかし、あらゆるものが北部軍に収奪された状態で、彼女たちは文字通り食べるものにも事欠く生活を強いられます。
飢えに苦しみ、畑から野菜を掘り出して食べるような状況に追い込まれた彼女は、焦土と化した故郷で誓います。
As God is my witness, I'm going to live through this and when it's all over,
I'll never be hungry again.
No, nor any of my folk.
If I have to lie, steal,cheat or kill.
神様がご覧になっている限り、私はこの事態を生き抜いてみせます。
そして全てが終わった後には、私は決して再び餓えることなどないのです。
我が家族の一人たりとも。
そのために偽り、盗み、騙し、殺さねばならないとしても。
力強い決意のとおり、彼女はあらゆる手を使ってタラの実家を守り、父や妹たち、義妹や甥、奴隷解放後も家に残った黒人たちを養っていきます。
スカーレットの情熱と強さによって、家族は生きていくことができました。
ですが、彼女の努力が全て好評価だったかといえばそうではありません。
周りを巻き込んで、こうと決めた道を突き進むために独裁的と思われたり、世間の目を気にせず、なりふり構わないために非常識と思われたりします。
客観的に見れば、スカーレットの力なしに家族が生き残れなかったことは明らかです。
妹のスエレンやキャリーンは、スカーレットのような頭の回転の速さや、行動力は全く持ち合わせていません。
黒人奴隷のマミーやポークたちは、オハラ家への忠誠心を持って働いているものの、必要な資源の配分を考えて農場を経営することはできません。
メラニーは、誰もが好きになってしまう愛に溢れた人格者ですが、産後の体調不良で農場を助けることは難しい状態でした。
そんな中、農場を切り盛りし、商売に手を出したスカーレットなしにオハラ家の関係者が生きることはできなかったはず。
しかし、彼女のキャラクターと、「女性が経営なんてとんでもない」という時代の風潮も手伝って、スカーレットの評判が芳しくなかったことが描かれていました。
愛と幸せ
スカーレットの苛烈な人格によって『強い≠幸せになれる』という構図が際立っていました。
経済的な安定や、家族の安全は、彼女のずば抜けた決断力・行動力で手に入れられました。
しかし、本当に大切な人を愛する歓びや、大切な人に愛される幸せは強いだけでは手に入りません。
深い唯一無二の絆となればなおさら、優しさや素直さ、相手に心を開く努力も必要になります。
けれどスカーレットにはそれができなかった。
弱い部分を他人に見せられない(素直になれない、謝れない)ことばかりで、自分の欠点を認めてあげる余裕も持てません。
自分の弱さを受け入れられないうちは、誰かの欠点を受け入れることはおろか、他人を誉めることすら難しいですね。
あくなき向上心を持った職業人になることはできても、個人の幸せを手に入れることは難しい性格だったのでしょう。
4時間と言う超大作映画のため、レビューもボリュームが増大しています。
次記事で、スカーレットの人生に影響を与える人物や、故郷への愛について詳述します。
外国語の練習方法
今まで英語やドイツ語を勉強してきた中で、共通して大事にしてきたことをまとめます。
基本的には他の勉強やスポーツと同じように反復練習が大事で、必要なルールはいつでも思い出せるようにしっかり頭に入れておくのが重要です。
よく日本の外国語教育は遅れていると言いますが、すべての基礎になる「読む」を徹底的にやること自体は悪くないと思います。
ただし、学校の勉強では「読む」を徹底的にやりすぎて他が手薄というのは事実なので、聞く・書く・話すも交えたバランスのいい練習が必要です。
まずは準備するものや読むことについて書いてみます。
準備するもの
電子辞書
電子辞書は何語を学ぶのであっても必須アイテムです。
紙辞書に比べて圧倒的に時間が節約できます。
高校生の頃の英語の先生たちは、書き込んで勉強の跡が残せるし、周辺にある類語も覚えられるから紙辞書推薦でした。
けれど、そんなに時間ある人ばかりじゃないし、電子辞書でも類語を辿ることは難しくありません。
社会人になって勉強時間が短くなってからは特に、電子辞書を愛用しています。
紙辞書より軽いというのも重要なポイントです。
持ち運びの労力が全然違います…。
スマートフォン
語学学習用のアプリが星の数ほどあります。
クイズ形式で勉強できるものが多いです
iPhoneをお持ちの方は、iTunes Uで教科書レベルの講義を聴くこともできます。
文法を一通り終えて、あとは練習するだけという状態にならないと独学は難しいかなと、昔は考えていました。
でも、無料の講義が聞けるならゼロから独学で学ぶことも夢じゃないかもしれません。
文法書と問題集
ルールが頭に入りきるまでは、文法書が1冊あったほうがいいです。
この用法はどう使うんだっけ、と思ったときに参照できる教科書として持っておくのが吉です。
単に分厚いものを選ぶより、Amazonレビューや、自分で見てみた時のとっつきやすさが大事です。
ルールは1つなので、各言語1冊あればOK。
反対に問題集は自分にとって練習が必要なだけ買ったり持ったりすれば良いので、何冊でも
私の場合は1冊ではとても習得できないので、振り返ってみると何冊も何冊もやってます。
英語で言うと、受験の時に消費した英語の問題集、TOEFLのために使った問題集、いったい何冊あるんだろう…。
ドイツ語も、留学中にやった問題集と、社会人になってから通い始めた講義の問題集、あわせたら結構な数です。
それほどやり込めていないスペイン語は、簡単に思い出せるくらいしか冊数をこなしてないので、使いこなせないのも考えてみれば当たり前です。ああ。
読むこと
中級レベルまでは、新聞記事や問題集の長文問題など、短時間で読み切れる文章の数をこなすことで良いんじゃないかと考えてます。
中級から上級へ是非ともジャンプアップしたいときに、小説を読むのがベストタイミングかと。
しかし、長編小説を外国語で読むのは最初かなーり大変です。
最初は意識してハードルを低めにするのが吉です。
高校二年生の時に、英語で初めて読んだ小説は児童書『魔法使いハウルと火の悪魔』でした。
選ぶ時にポイントだったのは、下記の3点です。
- 児童小説
- 日本語で読んだことがある
- 好きな作品
内容が難し過ぎず、あらすじが理解できている方が、外国語で読むと言う高いハードルを越えやすくなると思って選びました。
とは言え、児童小説でも充分語彙が足りなくて大変でした。笑
ですが、受験英語で使う単語とのシンクロ度が高い作品だったので、結果的にこれを選んでよかったなあと思っています。
- 作者: ダイアナ・ウィンジョーンズ,佐竹美保,Diana Wynne Jones,西村醇子
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 1997/05
- メディア: 単行本
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ドイツ語で初めて読んだのは短編小説でした。
大学の授業で紹介された短編が含まれる本を買ったのがきっかけです。
こちらに関しては、「一話が短いから」「授業で読んだエピソードが面白かったから」というのが理由でした。
日本語翻訳版も推理小説としての評価が高かった模様です。
ある程度ルールや基礎ができてきた頃に、負荷の高い練習をしてみるというのが、小説を読む目的です。
わからないなりにとにかく読み進めたり、調べながら精読したり、バランスよく気まぐれにやっていくのが良いと思います。
リスニングやライティングの練習方法についても、いずれ書いていきたいです。
お読みいただき、ありがとうございました。
映画『誰も知らない』
カンヌ映画祭で柳楽優弥が主演男優賞を受賞したことで話題になった、是枝監督の邦画作品。
大人が知らない東京の片隅で、置き去りにされひっそりと身を寄せ合って生きた子どもたちを淡々と描写する映画です。
あらすじ
母、2男2女の母子家庭が都内のあるアパートに引っ越してくる。
最初は和気藹々と過ごしていた一家だったが、母は好きな人ができたことで次第に家を空ける時間が長くなる。
やがて彼女は長男の明に現金を渡し、幼い弟妹の面倒を見るよう念を押すと何か月も家に帰ってこなくなってしまう。
巣鴨で実際に起こった子ども置き去り事件を下敷きにしたフィクション。
作りもの感のない時間
Wikipedia等で読む限り、実際の事件はもっと痛ましい様子だったようです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/巣鴨子供置き去り事件
でも、この映画は途中まで子どもたちの暮らす様子が楽しそうで少しだけ救われます。
まだ母のいる序盤の風景もそうだし、お金に余裕があって仲睦まじくしている4人の置き去り初期の様子も。
最年長の明でも12歳くらい、妹や弟はもっと幼いので、母親を失っても子どもだけで楽しく生きているというのは、字面を見ると全然現実感がない。
だけど、子どもたちの演技が全員とても自然で、本当に演技と思えない。
是枝監督作品でよく言われていることですが、最初は本当にこれが映画なのかと思ってしまうほどです。
映画の中での時間の流れは、空白が多くて生活感があると言うか、台詞が終わったからと次の場面にテンポ良く切り替わっていく感じはありません。
映画を観ていると言うより、彼らの生活が自分の前で現実のこととして繰り広げられているような感覚になる。
そんなわけで序盤から中盤くらいまでは穏やかな空気で、ほのぼのと見守っていられる場面も多く、結構微笑ましかったりします。
けれども途中から明が「12歳の大人」としての役割を負いきれなくなってきて生活にもほころびが生じ始める。
彼らの家に姿を見せる女子中学生の紗希も、大人でない以上幼い友達を根本から救ってあげることはできない。
そして、彼女自身も大人の知らないところで孤独な状況に追い込まれている。
子どもの世界と大人の都合
お金が底をついてきたり、明の遊び仲間が家に出入りするようになると、子どもたちの家にも不穏な空気が漂い始めます。
待てど暮らせど母親は帰ってこないし、彼女は「自分にだって幸せになる権利がある」と疑いません。
そりゃそうかもしれないけど、その言葉はそっくりそのまま明たちにも当てはまるんだよ。。。
と観ている側は言いたくなりますが、幼い明は母に強くそう言われると抵抗できません。
どれだけ勝手で筋の通っていない理屈でも、知識や力で劣る子どもは大人に押さえつけられてしまいます。
基本的に子どもの世界メインで進んでいくストーリーですが、この場面は他の場面とは雰囲気が違っていました。
親になるときは誰でも、自分自身の意志ややりたいことを、少なからず諦めなければならないのでしょう。
彼らの人生半ばにして、母親はそれが嫌になってしまったわけですが、どうすればこの家族は幸せに暮らせたんだろうかと考えてしまいます。
あなたたちといても幸せじゃない、という趣旨の、明たちを突き放すような発言を、どうすればしなくて済んだのか。
実際の事件では、明の父親にあたる人物が、婚姻届も出生届も、出したふりだけして出しておらず、それを隠し続けたまま外に女を作り、挙句会社の金を使い込んで蒸発したことがわかっています。
母親はその後、父親の違う子どもを次々に産み、いずれも出生届を出していません。
最初の歯車が狂わなければ、この事件は起こらなかった。
だけど、長男への就学通知が届かなかった時に役所に届け出ていれば、存在している子どものためになら、公的機関の救済があったのではないか。
せめて、新しい恋人と同棲すると決めた時に、彼らを児童養護施設に預けてくれていたらよかったのか。
あるいは、彼らを『誰も知らない』存在にせず、周囲から早くに働きかけていれば、子どもだけで暮らしている彼らに助けが来たかもしれない。
「これはよくないから、こうすべき」という紋切り型のメッセージは、この映画にかぎらず是枝監督の映画にはありません。
しかし、だからこそいつまでも疑問が頭の中を回り続けます。
まとめ
子どもたちの世界は常に淡々と映し出されていて、あざといメッセージや露骨に教訓的な表現は皆無の映画です。
子どもたちが楽しそうだと、彼らの置かれた切羽詰まった状況を忘れてしまいそうにもなります。
それでも終盤になるにつれ、知識や経済力がなく、弱い立場にある子どもたちのことを考えてしまわざるを得ません。
大人の都合に巻き込まれた子どもたちはその後どうなったのか、彼らのような子どもは今どのくらいいるのか、深く考えさせられる映画でした。